アグラの見どころ「ファティープル・シークリー」と「スィカンドラー」と「アグラ城」【インド】

※前回の記事→白亜の殿堂「タージマハル」!シャージャハーンが建てた愛の証【インド・アグラ】

「インド」(India:भारत)

4500年を超える歴史を持ち、12億人の人口を抱える大国「インド」。

スパイスを使った『料理』、輪廻や解脱の考えがある『哲学』や『宗教』、周期と即興で作られる『音楽』、歌と踊りがメインの『映画』、サリーやターバンなどの『ファッション』、どれも「インド」的!

独特で多様な世界「インド」の旅をご紹介します。

今回は、ファティープル・シークリーとスィカンドラーとアーグラー・フォートです!

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タージ・マハル以外のアグラの見どころ。「ファティープル・シークリー」と「スィカンドラー」と「アグラ城」。いずれも世界遺産

ファティープル・シークリー(Fatehpur Sikri:फ़तेहपुर सीकरी )

アグラ ファティープル・シークリー

ムガル帝国の都のあった古都アグラ。

その南西約40キロのところにあるのが、「ファティープル・シークリー」です。

第3代皇帝アクバルは、子宝に恵まれず困り果てておりました。

そんな時、この「シークリー」に住む聖者サリーム・チシュティーを訪ね、相談してみたところ、聖者は王子の誕生を予言、翌年その通りになりました。

それを記念して、アクバルはアグラから、ここシークリーに都を移すことを決めました。それがここ、「ファティープル・シークリー(勝利の都)」です。

写真は「ブランド・タルワーザ」と呼ばれる記念門。

モスク地区の入り口の門で(正門ではない)、1575年の創建です。

「ファティープル・シークリー」は、宮廷地区とモスク地区に分けられていました。

その全ての建物が小高い丘の上に建てられ、赤砂岩で造営されています。

アグラ ファティープル・シークリー

アグラ ファティープル・シークリー

記念門は、アクバル帝がグジャラートを征服した記念に建てられたのだそう。

天井に蜂の巣(蝙蝠の巣?)らしきものがたくさん付いています。

モスク地区は、約120m×150m四方の中庭を中心に構成され、中庭内部にはサリーム・チシュティーの廟を始めとしたいくつかの建物が建っています。

写真は、サリーム・チシュティー廟の入り口にいた、眼鏡をキラリと光らせたおじさんの姿です。

アグラ ファティープル・シークリー

グランド・タルワーザを後ろから見たところです。

広大な中庭が見えますね。

アグラ ファティープル・シークリー

宮廷地区の建物群です。

柱が細く、直線的。

石の建物をアーチを使わず、まるで木造建築のように建てる。

その技術はインド独特のものだそうです

アグラ ファティープル・シークリー

「パンチ・マハル」と呼ばれる五層の楼閣です。

この下の広場では、人間を駒に見立てた「人間チェス」が行われていたのだそうです。

アクバルは、その様子をこの「パンチ・マハル」から見物していたというわけです。

「人間チェス」、たぶん実際に人と人が斬り合ったりしたのでしょうね。

困った王です、アクバル帝。

アグラ ファティープル・シークリー

「パンチ・マハル」からの眺めです。

どこまでも広がっているヒンドゥスタン平原の姿が望めます。

手前には池と壇が見えます。

非常に緻密に構成された空間であることが窺えますね。

この「ファティープル・シークリー」、実は、王都としてはたった14年間しか使用されませんでした。

理由は水源不足。

都の北西には人造湖が造られたのですが、それだけでは賄いきれなかったのです。

まったく、町人にとっては迷惑千万な話ですね。

スィカンドラー(Sikandra:सिकंदरा)

アグラ スィカンドラー

アーグラーの北西10キロのところにある「スィカンドラー」は、1613年に建てられたアクバル帝の廟。

700m四方の庭園の中心部に建てられたこの廟も、「ファティープル・シークリー」と同じような建築スタイルです。

内部には入ることができなかったのですが、無数のチャトリ(小亭)を載せ、左右対称に構成されたその姿は、まるで工芸品のよう。

数学的な美しさを感じさせてくれる建物です。

アグラ スィカンドラー

スィカンドラーの中庭。

広々とした庭園には、猿がたくさんうろついておりました。

 アグラ城(Agra Fort:আগ্ৰা ফ’ৰ্ট)

アグラ アグラ城

16世紀から17世紀にかけて、ムガル王朝は、ここアーグラーを都としました。

都を造営したのは、アクバル帝。

以後、ジャハンギール、シャー・ジャハーン、アウラングゼーブに至る4代に渡ってこのアーグラーは繁栄しました。

けれども、アウラングゼーブ帝は、その治世中にデリーに遷都したため、その後のアーグラーは、一地方都市に成り下がってしまいます。

アグラ アグラ城

この薄靄の向こうには、実は「タージ・マハル」が見えます。

5代皇帝シャー・ジャハーンは、晩年、息子のアウラングゼーブによって、この城に幽閉されてしまいました。

そして、あのチャトリから、自らの建てた愛する妻の墓廟であるタージを眺めつつ、静かに息を引き取ったのだといわれています。

※次の記事→中世インドの愛のかたち!エロティックなミトゥナ像のある「カジュラホ」の寺院群【インド】

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