エジプト(Egypt:مصر)
肥沃なナイル川の恵みに育まれ、紀元前3000年の古代エジプト文明の成立から5000年以上もの歴史を持つエジプト。
ピラミッドやスフィンクス、ルクソールの王家の谷などの古代エジプトの遺跡、中世から近世までのイスラムの中心地としてのカイロの街並み、広大な砂漠とオアシス、紅海の美しい海。見どころたくさんのエジプトです!
今回は、オールド・カイロをご紹介します。
イスラムの中心地「カイロ」のキリスト教徒
カイロのイスラム地区
エジプトはイスラムの地です。
古代エジプト文明の終焉から約1200年後、この地はイスラム化しました。
現在のエジプトは、イスラムの中心地のひとつともなっています。首都カイロにはイスラムの最も重要なマドラサ(高等教育施設)である「アズハル・モスク」がありますし、エジプトのイスラム人口は中東一多いそうです。
エジプトの首都「カイロ」の印象は、ひとことで言うと「イスラムの都市」です。
イスラムの国であるエジプト。けれども、この国には案外キリスト教徒も多いのだということは、あまり知られていない事実です。
人口の1割、約500万人ほどのキリスト教徒がエジプトには存在すると言われています。
響き渡るアザーンの朗唱の片隅で、教会の鐘がささやかな音を立て、「リンゴーン」 と鳴っているのです♪
エジプトで信仰されているキリスト教「コプト教」
教会で購入したイエスの絵
エジプトで信仰されているキリスト教は、「コプト教」といわれる原初のキリスト教です。
4世紀のローマ帝国。その領内には五つのキリスト教総主教座が存在していました。ローマ、アンティオキア、エルサレム、アレクサンドリア、コンスタンティノポリスの五つです。
「コプト」は、そのうちのひとつ、アレクサンドリア総主教の正統な後継者であることを自認しています。
コプトの人々の母語は、「コプト語」です。コプト語とは古代エジプト語に最も近いといわれている言語であり、彼らは古代エジプト人の末裔であることも自認しています。
アレクサンドリア総主教が西方の教会と袂を別ったのは、西暦451年の「カルケドン公会議」においてでした。
ここで決議された「カルケドン信条」は、「キリストに神性と人性の存在を認める」という内容であり、それはキリストに神性しか認めない「単性論」を異端とするということを意味していました。
アレクサンドリア総主教ディオスコロスは「単性論」を主張したため、西方の教会から異端として追放されてしまいます。そして、それと共にエジプトの教会は、ローマやコンスタンティノポリスから分離を始めることとなったのです。
コプト教徒の町「オールド・カイロ」
聖ジョージ修道院
「オールド・カイロ」。ここはそう呼ばれています。
地下鉄マリ・ギルギス駅を出ると、ローマ時代に造られたというバビロンの塔。 そして、その奥にクリーム色をした「聖ジョージ修道院」が目の前に見えてきます。
椰子の木の植えられた広い中庭を通り抜けると、真っ暗な教会の入り口がぽっかりと口を開けているのが見えました。
私は中に入ることにしました。
聖ジョージ修道院の内部
薄暗い内部、教会は木造でした。
高い天井、素朴なステンドグラス、祭壇や壁面にはイエスが、マリアが、数々の聖人たちが描かれています。
厳かで落ち着いた歴史的な空間。 久々に目にするキリスト教会の空間です。
カイロに滞在中、偶像のない、幾何学的なモスクの風景をいつも見続けていました。
そんなモスクの内部とは全く違う空間。
人物の絵画や彫像があるというだけで、礼拝堂の印象がガラリと違って見えます。
世界で最初にキリスト教徒になったと自負するコプト教徒
教会で購入した聖母子の絵
コプト教徒は長い間、イスラムに支配され続けてきました。そして、それだけではなくコプトは同じキリスト教徒であるローマやコンスタンティノープルからも異端として白眼視され続けてきました。
けれども、彼らにはその苦難を耐え抜く自負がありました。
迫害に耐え抜く、自分たちこそが正統であると言える自負があったのです。
彼らの自負は聖書における「伝説」がもとになっています。
伝説とは「聖家族のエジプト逃避」、新約聖書のマタイ福音書の中に記述された有名な伝説のこと。
それはこんなお話です。
ユダヤ王ヘロデは、ベツレヘムの地に王が生まれるという噂を聞き、生まれた赤ん坊たちを殺そうとしていました。将来、その子が自分の地位を脅かすかもしれないと考えたからです。
生まれたばかりのイエス・キリストも、もちろん殺される危機にありました。
しかし、ある時、父ヨセフの夢の中に天使が現れ、彼にこう言いました。
「起きて、子供とその母親を連れて、エジプトに逃げ、私が告げるまで、そこにとどまっていなさい。ヘロデが、この子を探し出して殺そうとしている」
(マタイによる福音書2章13~15)新共同訳聖書
こうして、イエスとその家族はエジプトへ逃避し、ヘロデが死ぬまでの3年間、ナイル川中部、アシュートの北にあるクムカム山の麓で過ごしたのだといわれています。
現在その地には、「エル・ムハラック」という壮大な修道院があるそうです。
コプト人のアイデンティティの源として、また、エジプトにおけるコプト教最大の聖地として、砂漠の中のその僧院には、巡礼が引っ切り無しに訪れるという話です。
彼らコプト人たちは、当時のエジプト人が、イエスのガリラヤでの宣教より前に、幼子のイエスを主と認めたのだということを信じています。つまり、自分たちエジプト人が世界で最初にキリスト教徒になった人間であると信じているのです。
その真偽は定かではありません。けれども、この伝説の存在が、過酷な運命を生き抜いてきた彼らコプト教徒たちを長い間支えてきたということは想像に難くありません。
聖ジョージ修道院
平日の午前であるせいか、教会内は閑散としていました。
数人の信者らしきエジプト人、そして、欧米からの観光客がパラパラといます。
話によるとエジプトに来た欧米人には、ピラミッドを見るよりもまず始めに、ここ「オールド・カイロ」を訪れる人が多いのだそうです。
ここは彼らにとって伝説の国なのです。このエジプトでイエス・キリストが匿われ、成長したという伝説。
欧米の人々はここにキリスト教のひとつのルーツを見出しているのでしょう。
教会の入り口
教会には博物館が併設されていました。「コプト博物館」です。
博物館には、たくさんのフレスコ画や彫刻が展示されています。黒いローブを纏い、幼子イエスを抱えた聖母マリア、黄金をバックに鷲のような翼を広げ、煌びやかな衣装に身を包んだ大天使ミカエル、十字架を背に、長髪と髭面でこちらをじっと見つめるイエス・キリスト。
絵画も、木彫りの彫刻も、どれもとても素朴です。
キリスト教のルーツがその図像に表れている。そんな印象を受けました。
オールド・カイロのアクセスと施設の営業時間
- オールド・カイロ
- アクセス:タハリール広場から地下鉄で「マリ・ギルギス駅」下車すぐ
- コプト博物館
- 開館時間:9:00~17:00
- 料金:50エジプトポンド(約800円)
- 聖ジョージ修道院
- 開館時間:9:00~16:00
- 料金:無料
旅行時期:1996年8月・1998年2月
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