ヨーロッパの街並みって、魅力的ですよね。
石畳の街路、白壁でバルコニーのある高さの揃った家並み。
緑溢れる公園には噴水があって、街角の教会からは時折鐘の音が聴こえてきたり。
ヨーロッパならではの、ロマンチックな街並みです★
遠くてなかなか見れない、そんな、ヨーロッパの街並みですが、実は、アジアにもその雰囲気を味わえるところがあるんです。
今回は、アジアにあるヨーロッパ風の町、コロニアルタウンのいくつかをご紹介します♪
植民地時代の風情の残る「コロニアルタウン」
16世紀から20世紀初頭にかけて。ヨーロッパの国々は、アジアに進出し、植民地支配を行いました。
まず、新航路の発見とともにポルトガルが進出。インドのゴアやセイロン島、マラッカやマカオなどに多くの拠点を築きます。そして、スペインはフィリピン、オランダはインドネシアに進出し、その支配下に置きます。
その後イギリスとフランスが相次いで進出し、イギリスはインドを、フランスはインドシナを、その支配下に置きました。
ヨーロッパの国々の植民地となった町には、その宗主国風の街並みが造られました。
街路には石畳が敷かれ、石造りで白壁の窓にはバルコニーがある建物が並ぶような街並み・・・。
そんな、コロニアルな(植民地風の)街並みが、植民地支配が終わった現在でも残っているのです。
スペイン情緒溢れるロマンチックな町「ビガン」【フィリピン】
スペイン風のビガン歴史都市
「ビガン」(Vigan)は、フィリピンの首都マニラから約400Km、ルソン島北部にある小さな町。
フィリピンで最もスペイン情緒を感じられる町です。
この町がスペイン風になったのは、16世紀後半のこと。当時フィリピンを植民地支配下に置いたスペインはこの町を自国に似た街並みに造り変えたのです。
第二次大戦により、数多く存在したスペイン風の街並みは、その多くが灰燼に帰してしまいましたが、この「ビガン」だけは、奇跡的に植民地時代当時の街並みを今に残しています。
「カレッサ」(馬車)が走る通り。夕暮れや夜の街並みも、とてもロマンチックです★
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ポルトガル時代の教会や街並みが残る「マカオ」【中国】
- マカオ、聖ポール天主堂跡(大三巴牌坊)
「マカオ」(Macau:澳門)は、香港から南西70kmのところにある半島と島からなる地域です。
「マカオ」にポルトガル人がやってきたのは、16世紀初頭のこと。1557年には、当時の明から居留権を得、「マカオ」は中国唯一のヨーロッパ人居留地として繁栄しました。
19世紀後半にはポルトガルの正式な植民地となり、1999年に中国に返還されるまでポルトガルの支配下に置かれていました。
「マカオ」は、イエズス会の宣教師「フランシスコ・ザビエル」が東南アジア布教の拠点としたことでも知られています。
街には、ポルトガル風の家並みと、16〜19世紀にかけて建てられたバロック建築の教会がいくつも残っています。
特に、壁一枚を残して焼失した「聖ポール天主堂跡」(大三巴牌坊)は必見です!
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オランダやポルトガル、様々な文化が混じり合った海峡の町「マラッカ」【マレーシア】
「マラッカ」のオランダ広場
「マラッカ」(Malacca:Melaka)は、東西交通の要衝である「マラッカ海峡」に面した港町として、古くから繁栄してきた町です。
「マラッカ」がポルトガルの支配下に入ったのは、1511年のこと。
以後、1641年にはオランダの、1824年にはイギリスの、1941年には日本の植民地支配に入りました。
朱色の建物が鮮やかな「オランダ広場」、フランシスコ・ザビエルが東アジア布教の拠点とした「セントポール教会」など、街にはポルトガルやオランダ、イギリス時代の建物や遺構がいくつも残されています。
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ポルトガル支配下、アジア布教の拠点となった「ゴア」【インド】
ザビエルの遺体がある「ボム・ジェズ教会」
パナジの風景
ゴア(Goa:गोंय)は、ムンバイから南に約300Kmのところにある地域。
ゴアは、1961年までポルトガルの植民地でした。
16世紀にポルトガル人が来訪して以来、長い間ポルトガルの統治下にあったゴア。ここは他のインドの町とは随分と違った、インド文化と西洋文化が混じった独特な雰囲気があります。
特に有名なのは、中心のパナジの町からバスで30分ほど行ったところにある「オールド・ゴア」
ここにある「ボム・ジェズ教会」には、フランシスコ・ザビエルの遺体が安置され、地元の信者の信仰を集めています。
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オランダ東インド会社の本拠地が置かれた「ジャカルタ、コタ地区」【インドネシア】
旧バタビアの中心地「ファタヒラ広場」
インドネシアの首都ジャカルタ、その北部にある「コタ地区」(Kota)
ここは、17世紀から20世紀半ばまで、オランダ植民地政府の首府が置かれていたところ。当時は「バタビア」(Batavia)と呼ばれていました。
「コタ地区」では、オランダ東インド会社の当時の繁栄の名残を、コロニアルな建築群や運河の流れる街並みから見ることができます。
旧バタビアの中心地は「ファタヒラ広場」です。
界隈に建ち並ぶ建物は、すべて白壁でオレンジ色の屋根をしたコロニアル様式の建物。
南国の緑とのコントラストがとても綺麗です。
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フランスやイギリスの租界地として栄えたアモイの「コロンス島」【中国】
日光岩から見たコロンス島の街並み
中国福建省にある「アモイ」(厦門)。その中心である「アモイ島」の東に浮かぶ小さな島が「コロンス島」(Gulangyu:鼓浪嶼)です。
ここは1903年、アヘン戦争による南京条約により列強13国の共同租界地として定められた所で、島には現在でも多くの欧風建築が建ち並んでいます。
島はピアノの普及率が高く、「ピアノの島」とも呼ばれています。
また、島内は、車やバイクの通行が禁止されていてとても静か。中国の他の街とは違った、穏やかな空気を感じられる島です。
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ポルトガル、オランダ、イギリスが交易の要衝とした町「ゴール」【スリランカ】
「ゴールの旧市街と要塞」
裁判所近くの広場
「ゴール」(Galle:ගාල්ල:காலி)は、スリランカ最南部の主要都市。
1505年にポルトガル人が拠点を築き、1640年にはオランダの支配下に入りました。
現在残る「ゴール」のヨーロッパ風の街並みや海岸沿いの砦などは、このオランダ統治時代に築かれたものです。
18世紀末には、当時力を伸ばしていたイギリスに無血譲渡されました。
城壁に囲まれた「ゴール」の旧市街には、1752年に建てられた「オランダ教会」やコロニアルなホテル「アマンガラ」を始めとした植民地時代の建物が建ち並んでいます。
ヨーロッパ風のコロニアルな建物と南国的な風情が合わさった街並みは、雰囲気満点!
スリランカきってのロマンチックな街として、スリランカ人のハネムーン先としても人気の町です。
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