過去の旅行の際に、記録を付けていましたので、まとめました。
2003年〜2004年にかけて旅した世界一周の内容がメインです。古い記録なので役には立ちませんが、当時の状況を知りたい方は、参考にしてみてください。
宿泊したホテル(安宿)の記録(部屋の間取り・詳細情報)
ヨーロッパ、中東・アフリカ、中国、インドなどの宿泊したホテルの記録です。
日記帳に部屋の間取りもメモしていました。かなり古い情報なので参考にはなりません(1994年〜2004年)
ヨーロッパのホテル(安宿)
NOVOTEL(モスクワ)
- 【タイプ】ツイン
- 【料金】タダ
アエロフロートの遅れでロンドン行きへの乗り継ぎが出来ず、モスクワの空港で足止め。 空港のそばの「ノボテル」で1泊しました。 ホテルはアエロフロートの負担でもちろんタダ。 いいお部屋でしたが、フロアからは一歩も外には出られませんでした。
ロートレック・ホテル(ロンドン)
- 【タイプ】ドミトリー
- 【料金】10.50£(\1,785)
- 【メモ】「狭い」「荷物が散乱している」
ロンドンのオリンピアという所にあるユースです。 2段ベッドの上だったのですが、夜、下のベッドで白人カップルが「ギシギシ」と営んでいたのが困りもの。 夜中じゅう、私はベッドの上でゆらゆらと揺られ続けておりました。
コアラホルト・ゲストハウス(ドーバー)
- 【タイプ】ツイン(バス・トイレ共同)
- 【料金】12£(\2,040)
- 【メモ】「小物がたくさん並べてある」「紅茶・コーヒー飲み放題」
女性が好みそうな可愛らしいB&B。 この時はアメリカ人の男と相部屋となりました。 アメリカ人は予備ベッドを使ってくれました。
ウッドストック・ゲストハウス(パリ)
- 【タイプ】ドミトリー
- 【料金】75F(\1,650)
タイル張りの気持ちのいいドミトリー。 気のいいノルウェー人やアイルランド人とお話をしました。 床に敷いた予備ベッドだと宿泊料は50フラン。
ホテル・メイヤー(ジェノヴァ)
- 【タイプ】シングル
- 【料金】30,000Lit(\2,100)
くつろげるこじんまりとしたホテル。 宿の人は皆親切で、ニコニコです。 ワインを買って、部屋で飲んでました。 ワインは5000Lit(350円)
オステロ・ピエトロ・ロッタ(ミラノ)
- 【タイプ】ドミトリー
- 【料金】23,000Lit(\1,610)
- 【メモ】「シャワーはまあまあ」「トイレは便座がない」「広い」「朝食はパン・ティー」
とても広いユース。 部屋には日本人が二人いて、どちらも長く旅をしている方だったので、いろいろな情報を教えてもらいました。
オステロ・サンタモニカ(フィレンツェ)
- 【タイプ】ドミトリー
- 【料金】20,000Lit(\1,400)
- 【メモ】「蚊が多く毎晩悩まされる」「暗くしめっぽい」「シャワー・トイレは快適」「1階にランドリー・自販機・テレビがある」
しめっぽい上に、蚊がたくさんいるひどい宿。 一緒にいた日本人はここで病気に罹ってしまいました。
ローマ・イン・ケイコ(ローマ)
- 【タイプ】ドミトリー
- 【料金】25,000Lit(\2,100)
- 【メモ】「ここはトイレとシャワー(洗面台も)が2つずつしかなく、しかも一緒になっているため不便。出発する朝、便所の1つがつまっていたから、そのあと泊まった人は苦労したことだろう。洗面所の水がちょろちょろとしか出ない。それで2時間かけて洗濯した」
日本人の奥さんの経営らしく(本人はいない)、日本人がたくさん泊まってました。 しかし、あまり快適ではなかった宿。
オステロ・メルジェリーナ(ナポリ)
- 【タイプ】ドミトリー
- 【料金】25,000Lit(\2,100)
- 【メモ】「シャワーはたくさんあるが、全部ぬるい。トイレは便座がないのが多い。朝食はパンとチェリージャム、ティーorカプチーノ。1階にTV・自販機」「広い」
ユースは丘の上にあり、そこへ向かう途中の壁に「このユースのじじいは最悪だ」 と、日本語ででかでかと落書きされておりました。ユースのじじいは、特別いい人ではありませんでしたが、最悪ではなかったです。ふつうです。
ユースホステル・オリンピア(オリンピア)
- 【タイプ】ドミトリー
- 【料金】1,400Dr(\700)
- 【メモ】「シャワーが最悪、水しか出ない。トイレはまあまあ、流すボタンを押すと水がたれる。階段は幅が狭く、1度コケた」「ベッドが非常にねづらい」
オリンピアではインド人の旅行者と夜、お酒を飲みました。 ウゾーというギリシャの酒を飲んだのですが、歯磨き粉みたいな味がしました。
インターナショナル・ユースホステル(サントリーニ)
- 【タイプ】ドミトリー
- 【料金】1,500Dr(\750)
- 【メモ】「シーツ、まくらがない」「うす暗い。シャワーは柄のところにボタンがついていて押すと出るが、ボタンを押す手を離すと止まる」「カギが開けづらい」
サントリーに島は、新婚カップルに人気のロマンチックな島ですが、このユースにはヒッピー風のくずれた感じの人が多くいました。
ホテル・アストラ(プラハ)
- 【タイプ】シングル
- 【料金】2,300Kc(\10,164)
ひとつ星です! プラハの駅のツーリストインフォメーションでユースを探すものの、空いているところがひとつもない。どこもフルです。インフォメーションにはたくさんの旅行者がおり、みんな困っているようでした。結局、高いけど、この「アストラ」に泊まることに。 もちろん翌日、ユースへと移りました。 ユースは、300Kc(\1,326)です。
ホテル・ブクレシュティ(バイア・マーレ)
- 【タイプ】ツイン(シャワー・トイレ共同)
- 【料金】470,000Lei(\1,734)
ルーマニア、マラムレシュ地方の中心都市、バイア・マーレの街一番のホテルです。 受付にはびっくりするほど綺麗な女の子がいました。 東洋人が珍しいのか、ほっぺたをつついてきました。この町は相当な田舎ですが、こんなところにもマクドナルドがあります。
中東・アフリカのホテル(安宿)
ホテル・アクチュナル(イスタンブール)
- 【タイプ】ツイン
- 【料金】20$(\2,360)
トルコ、イスタンブール旧市街シルケジ駅近くにあるホテル。 憧れのイスタンブール、奮発して個室をとりました。 窓からは真っ青な金角湾と、その向こうに見える新市街の建物群。 行き交う船の汽笛とモスクのアザーンが聴こえてくるのが感動的でした。
ギュムス モーテル&ペンション(カッパドキア)
- 【タイプ】ドミトリー
- 【料金】350,000TL(\438)
トルコ、カッパドキアの奇岩を刳り抜いて造られた宿。 この辺にはこういう宿が結構あります。 ここも男女相部屋で、私の同室には綺麗なオーストラリア金髪女性がおりました。 この町の前に滞在していたパムッカレの宿情報を彼女に教えてあげました。
ホテル・セファー(エルズルム)
- 【タイプ】ツイン
- 【料金】700,000TL(\875)
トルコ東部、アナトリアの高原地帯にあるエルズルムのホテルです。 この町へと向かうバスの中で猛烈な頭痛と腹痛に襲われ、ふらふらになりながらこのホテルに辿り着きました。 二晩寝込みましたが(二日間はひどい下痢と頭痛・発熱)、この気持ちのいい宿でゆっくりしたことにより回復、元気になりました。 それと、この町ではイランビザを取得したのですが、ホテルのおじさんが諸手続き(銀行振込み証明、写真撮影、領事館ビザ申請etc.)に付きあってくれたのも有り難かったです。
アミール・カビール・ホテル(イスファハン)
- 【タイプ】ドミトリー
- 【料金】8000Rls(\200)
イランの京都、イスファハンの宿です。 この当時、まだ日本ではバックパック旅行が一般化しておらず、イランのガイドブックも情報もほとんどありませんでした。 だけど、この宿には日本人のバックパック旅行者がたくさん泊まっていました。 ここは旅人が集結し、情報交換する有名な宿。 みんなで旅の話題に花を咲かせます。 まだ、ネットカフェもない時代、情報は口伝え(もしくは宿の情報ノート)だけでした。
ムスリム・ホテル(クエッタ)
- 【タイプ】ドミトリー
- 【料金】50Rs(\150)
- 【メモ】「蚊が死ぬほど多い」「中庭は広くていい、テレビがある」
イランから夜行バスで砂漠を突っ切り、辿り着いたのがこのクエッタ。 パキスタン西部バルチスターン州の中心都市です。 イランもそうですが、この辺りはメロンがたくさん売られているので、ひと玉買ってきて連れの日本人旅行者とむさぼり食いました。メロンは15Rs(45円)
ポピュラー・イン(ラワール・ピンディー)
- 【タイプ】ドミトリー
- 【料金】75Rs(\225)
- 【メモ】「屋上でハシシのパーティーをやっている」「ロビーは薄暗い」「衛星放送が見れる」「食事がうまい」
ラワール・ピンディーはパキスタン中部の中心都市です。 この宿も世界各国の旅行者が集結している有名宿でした。 ここの料理にはカツレツやハンバーガーなどと並んでおかゆがありました! どうしても日本食を食べたい日本人旅行者が宿の人に作り方を教えていったのでしょう。
ハイダー・イン(カリマバード)
- 【タイプ】ドミトリー
- 【料金】30Rs(\90)
- 【メモ】「ハエが多くやたらうるさい(50匹以上いる)」「洗面所の水はにごっている」「シャワーは出ない」「テラスからの景色は最高」
パキスタン北部の桃源郷フンザ。 この宿からは7000m級の山々と、ポプラの木々が生い茂り谷底にインダス川の流れるフンザの絶景を眺め見ることができます。 そして、ここも日本人旅行者が大集結。 短波ラジオを聴き、日本の本を回し読みしながら、あの国がどうだこうだと話に花を咲かせます。 思い出深い宿です。
マーダラン・ホテル(ジャンドロート)
- 【タイプ】ドミトリー
- 【料金】30Rs(\90)
- 【メモ】「トイレはオープンエア」「シャワーはなし」「手・顔を洗う時は主人が水を持ってきてくれる」「石の上に敷居が敷いてあり、その上に布団がある」
パキスタン北部のシャンドール峠への道中にある宿。 たぶん、ここ、宿ではないと思います。普通の民家です。 この村で一泊することになった私は、宿を教えてくれと人々に頼んだのですが、紹介されたのがここ。 一家全員でここで寝てました。 夕方は噂を聞きつけた村人が家の前に大集結! いろんな質問をされました。
オールドサナア・パレスホテル(サナア)
- 【タイプ】ツイン(トイレ・シャワー共同)
- 【料金】990Yr(\2,053)
- 【メモ】「カーペットの上にマットレスののったイエメンスタイル」
イエメンの首都サナアで最もよく知られた旅行者宿です。 ホテルの屋上からは世界遺産の美しい町並みが一望でき、毎朝晩登って眺めていました。 特に夕方の、街中のモスクからアザーンの朗誦が地鳴りのように響き渡る様は圧巻! 部屋の窓にはステンドグラスがはめ込まれており、とっても綺麗です(写真は最上階のカートルーム)。
ゴールデン・ホテル(カイロ)
- 【タイプ】ツイン
- 【料金】20£(\600)
- 【メモ】「シャワーと洗面所の水が出たり出なくなったりする」「トイレは壊れており、バケツに水を汲んで流す」
エジプト、カイロの宿。 高い割にあまり快適でない宿。 この宿よりも、旅行者がたくさんいて情報が集まる「スルタンホテル」の方が利便性が高いです。 スルタンは、7£(\210)
ムハマド・アリ・キャンプ(ダハブ)
- 【タイプ】ツイン(トイレ・シャワー共同)
- 【料金】7.5£(\225)
- 【メモ】「毛布がある」「風が吹きすさび寒い」「トイレやシャワーも風が入って寒い」
この宿で別行動をしていた友人と待ち合わせをしました。 宿張に友人の名前を見つけたときはニコニコ! しかし、私は友人と再会したその日に激しい頭痛と腹痛に見舞われ、この寒い宿で唸りながら過ごす羽目になりました。。。 友人は寝ていた私にバナナを買ってきてくれました。
A Louer Chambre Meublee(ダカール)
- 【タイプ】ドミトリー(シャワー・トイレ共同)
- 【料金】10,000CFA(\2,124)
西アフリカ、セネガルの首都ダカールの宿です。 誰も泊まっていなかったのでこの大部屋を一人で使わせていただきました。 オーナーはチュニジア人のとても親切な方で、蚊帳を買うのに付き合ってくれました。 ここで洗濯物を出したのですが、戻ってきたときお気に入りのTシャツが一枚ありません。 宿の人に言いに行ったら……、 なんと、部屋係の黒人の女の子がふつうにそのTシャツを着ている!
Mission Libanaise(バマコ)
- 【タイプ】ドミトリー(シャワー・トイレ共同)
- 【料金】2,500CFA(\504)
- 【メモ】「ものすごい蚊」「庭はキャンプ場、白人のジープが何台もいる」
マリの首都バマコの宿です。 日中は45度の暑さ。夕方から朝にかけてはマラリア蚊が大量発生。 みんなベッドに蚊帳を吊るして寝ます。 泊まっている人も、ジープに機材を積み込んだ中年欧米人コンビとかそんな人ばかり。 トイレ・シャワー室もマラリア蚊が日中から黒々と飛び回っており、常に動いてないと刺されるという始末。 欧米人のつわものたちはマラリアに罹ることを前提に旅している感じでしたが、ヘタレ旅行者の私は一日で退散し、宿替えをしました。。。
Lac De Bo(バマコ)
- 【タイプ】ツイン
- 【料金】10,000CFA(\2,124)
宿替えをして、この宿に落ち着きました。 日中はあまりの暑さで歩けないし、夜はマラリア蚊の応酬。 だけど、この宿はきちんと目張りをすればある程度蚊を防ぐことができるのが大きい。 それにいつでも水シャワーを浴びられるというのも大きい。 宿の人たちはとても親切でした(特におばちゃん)。 買ってきたマンゴーやジュースを冷やしてくれたり、蚊帳を吊るすのロープを用意してくれたりしました。 結局、マラリア罹患の際など緊急時に対処できる自信がなかったので内陸への旅は断念したのですが、宿のおばちゃんは、 「今度は、12月とかもっと気候のいい時季にいらっしゃいね」 と言ってくれました。
中国のホテル(安宿)
浦江飯店(上海)
- 【タイプ】ダブル
- 【料金】330元(\4,950)
上海の有名な安宿。 ここには上海では貴重なドミトリー55元(¥825)の部屋があり、最初はそちらに泊まっていました。 待ち合わせをしていた友人と出会えなかったためです。 けれども、その後偶然に友人と出会ったため、このリッチルームへとチェンジ。 このホテルは租界時代に建てられた歴史あるホテルで、ロビーや廊下も雰囲気満点! バンドも近いし、かなり上海を満喫できる宿でした。
家家来酒店(アモイ)
- 【タイプ】シングル
- 【料金】70元(\1,050)
- 【メモ】「カギは服務員に開けてもらう」
福建省アモイの宿。 この宿、部屋に入る時は服務員に鍵を開けてもらわなければならないのが不便。 服務員のお姉ちゃんはひげが生えていました(単にうぶげ処理をしていないだけと思われる)。 土楼を見に永定へ行き、3日後に戻ったら、お姉さんは覚えてくれていました。
振成楼(洪坑村)
- 【タイプ】ダブル(トイレ・シャワー共同)
- 【料金】150元(\2,250)
福建省永定県洪坑村。 有名な客家土楼がそのまま宿になっています。 ここのお姉さんの名前は、林櫻元(Lin Ying Yuan)。豪快な笑いが特徴で筆談でも会話が通じ合えるような気持のいい姉ちゃんでした。 しかし、後で他の旅行者の話から、この宿代、相当にぼったくられていたことが判明!
僑福楼(高頭郷)
- 【タイプ】シングル(トイレ・シャワー共同)
- 【料金】30元(\450)
ここも永定県の土楼の宿です。 この土楼の隣に一番有名な土楼である承啓楼があります。 この宿も変な宿でした。 私以外に宿泊客はいなかったのですが、いつもどこかから、「パシッ、パシッ!」という音が聴こえてくるのです。 そして、しばらくすると嬌声と怒号、かすかな溜息……。 宿の奴らはいつも麻雀をやっていたのでした。 しかも一日中。
広東旅行大厦(広州)
- 【タイプ】シングル
- 【料金】120元(\1,800)
- 【メモ】「扉は服務員に開けてもらう」
この宿は広州の駅前にありました。 広州の駅というのは、恐ろしいところで(本当はそんなに恐ろしくはないのですが、この時は恐ろしく感じた)、盲流という田舎から都会に流れ出てきた家なし人たちが、駅前で一日中たむろっているのです。 部屋の窓からはそんな人々の様子を眺め見ることができました。
金虹客桟(麗江)
- 【タイプ】ドミトリー
- 【料金】20元(\300
- 【メモ】「ホットシャワー(ガス式)、宿の人に頼んでガスを開けてもらう。湯はまあまあ温かい」「布団は予備のがあり、2枚重ねると暖かい」「トイレは水が流れず」
この宿はドミトリーなのですが、客が来なかったためにシングル状態でした。 部屋の電気が薄暗いので、気持ちが塞ぎ込んでくるのがこまりもの。 しかも、麗江は雲南省の高地にあって寒いです。
茶花賓館(昆明)
- 【タイプ】ドミトリー
- 【料金】30元(\450)
- 【メモ】「部屋のカギはオートロックであける時、わざわざ入口の服務員にカギを開けてもらわなければならない。シャワーやトイレの時もそうなので面倒」「男女同部屋」
男女同部屋で、ブラジル人カップルが抱き合って寝ていたのが困りもの。
元陽県政府招待所(元陽)
- 【タイプ】シングル(トイレ・シャワー共同)
- 【料金】30元(\450)
棚田の有名な雲南省元陽の町一番の宿。部屋自体は簡素でしたが、まずまずの綺麗さ。しかしながら、共用トイレが昔の中国そのままの仕切りのないお見合いトイレ!
白云大酒店(昆明)
- 【タイプ】ツイン
- 【料金】120元(\1,800)
長時間バスに乗って移動したので奮発して泊まったホテル。安宿と違ってバスタブがあり、入浴剤まで入れて極楽気分を味わいました。
大来賓館(澳門)
- 【タイプ】シングル
- 【料金】140P(\2,240)
香港やマカオは物価が高く、この宿もかなりのボロ宿ですが、昆明の奮発したホテルよりも値段が高いです。
インドのホテル(安宿)
ホテルジャンパト(デリー)
- 【タイプ】ダブル
- 【料金】¥13,000(日本からの予約)
はじめての海外の宿です。 友人と泊まりました。 デリーの中級の上といったクラスのホテルですが、バスタブに特大のゴキブリがいました。 予約は1泊のみ。翌日、下町のサプナホテル(80Rs \280)に宿替えしました。
ゴールデンホテル(ジャイプル)
- 【タイプ】ダブル
- 【料金】150Rs(\525)
ジャイプルの宿。水シャワーで扇風機の普通の安宿です。部屋の屋上に早朝上ってみましたが、素晴らしい朝焼けを見ることができました。
シャンティロッジ(アグラ)
- 【タイプ】ダブル
- 【料金】120Rs(\420)
このホテルは屋上からタージ・マハルが見れるのが売り。 この宿には3回も行きました。泊まったのは最初の1回だけでしたが、屋上からタージを見るために再訪したのです。
ジェインロッジ(カジュラホ)
- 【タイプ】ダブル
- 【料金】150Rs(\525)
カジュラホの宿。友人がこのホテルのスタッフに付き合わされて、夜中までインド映画を見させられていたことや、町のチンピラに絡まれて、食事を奢る羽目になったことは今では思い出です。
オームロッジ(バラナシ)
- 【タイプ】ダブル(トイレ・シャワー共同)
- 【料金】40Rs(\140)
ここは当時安くて有名な宿だったのですが、ガイドブックの口コミ情報欄に 「宿のマスターがイケメン」と書かれていました。 しかし、宿のマスターは別にイケメンではなく、普通のインド人顔だったので疑問に思っていたところ、 部屋に入ったら、壁にこんな落書きが……、 「どこがイケメンなんだよ!ブタ顔じゃねえか!」
マハボディーソサエティー(ブッダガヤ)
- 【タイプ】ドミトリー
- 【料金】40Rs(\140)
- 【メモ】「蚊が多い」「清潔」「レセプションの坊さんはいい人そう」
ここはスリランカの運営する宿。 ブッダガヤには各国の寺院があり、それぞれの国の巡礼者だけでなく旅行者も泊めてくれるところが結構あります。
ヒルソンホテル(カルカッタ)
- 【タイプ】ダブル
- 【料金】200Rs(\700)
友人と行ったインドの最後の宿です。 部屋にはクモが出たり、蛾が出没したり、その度に友人と大騒ぎ!
サルベーションアーミー(マドラス)
- 【タイプ】ドミトリー
- 【料金】40Rs(\140)
夜中、寝ていると同室のチベット人が、 「みんな起きろ~!」 と叫びます。 何事かと飛び起きると、部屋中が大洪水! みんな慌ててバッグを床からベッド上に避難させ、プカプカ浮いているサンダルを拾い上げました。 この時季のマドラスは雨季の真っ最中。 けれども、まさか部屋が水浸しになるとは思いもよりませんでした。 びっくりです!
N・R・Sロッジ(カニャークマリ)
- 【タイプ】ダブル
- 【料金】80Rs(\280)
- 【メモ】「海が見える」「トイレ・シャワーはまあまあよい」「虫が多く入ってくる」「5階にあるので登るのが大変」「24時間制」
インド最南端にあるコモリン岬の宿。 ここは聖地のひとつであり、バラナシと同じで朝の沐浴が有名です。 そのため、朝っぱらから、スピーカーが聖歌をがなり立てるのが困りもの。 窓から海が見えるのは気持ち良かったです。
ビザ取得の記録
旅行中に取得した各国のビザの記録です。古い情報なので参考にはなりません。
個人で国から国へと旅をするに際し、必要となってくるのが「ビザ(査証)」です。
「ビザ」とは、外国人の入国に必要な入国許可申請証明の一部で、入国しようとする外国人が入国するにふさわしいかを判断する身元審査という役割をその目的としています。 ただ、ビザがあれば、必ずしもその国の入国を認められるというものではなく、ビザを持っていたとしても入国を拒否されることもあります。
ビザは、在外公館(大使館、領事館など)で発行されます(旅行代理店が代行申請を行ってくれることもあります)。
ビザには、観光目的の一般ビザのほか、就労や就学ビザ、短期滞在ビザや国を通過するだけのビザというものもあります。 ビザには、有効期間と滞在可能日数が記載されていて、1回しか入国できないシングルビザや何回でも入国可能なマルチビザなどがあります。
また、国同士でビザの相互免除を行っていることも多く、日本は世界でも最も多くの国との一般査証免除措置を実施しています。ちなみにEU加盟国の国民は、域内であればどこでもビザなしで自由に居住・就労することができるそうです。
海外でビザを取得する場合、国によっては日本大使館のレターを要求される場合があります。 また、ビザの申請には結構お金がかかりますし、写真の提出を求められることが多いので、写真は事前に用意しておいた方がよいです。 下に、私が海外で取得したビザについてまとめました。 かなり古い情報で、使える情報ではありませんが、参考程度にご覧ください。
中国ビザ
蘇州号(大阪~上海)船内で取得(2002年12月)
蘇州号の船内でビザを申請し、取得しました。代金は10,000円、1ヵ月間有効。
香港のHISで取得(2003年1月)
香港にあるHISの支店で代行申請してもらい、取得しました。 90日シングルビザ、250HKドル(約4,000円)。
中国ビザには、シングル(1回入国可)、ダブル(2回入国可)、マルチ(何回でも入国可)があり、マルチは6ヶ月間有効となっていました。 香港では、ビザの出来上がり日数によって金額が違っています。 4時間で出来上がる「エクスプレス」にすると、数倍のお金を取られました。私は半日仕上げだったので、普通よりもちょっと高かったです。
ベトナムビザ
香港のHISで取得(2003年1月)
香港にあるHISの支店で代行申請してもらい、取得しました。 750HKドル(約12,000円)、1ヵ月間有効。
ベトナムビザも、シングルやダブル、マルチなどがあり、出来上がり日数によってかなりの金額が変わってきます。 中国ビザとベトナムビザで1000HKドル! 高かったです。
ラオスビザ
ベトナム、ハノイの旅行代理店で取得(2003年2月)
ハノイの旅行代理店(確かシンカフェだったと思います)で取得。 1ヵ月ビザ、取得日数1日、55ドル(約6,490円)でした。 ラオス領事館で取得することも可能で、手間は掛かるものの若干安いようです。
カンボジアビザ
タイ国境ポイペトで取得(2003年8月)
陸路国境での取得です。 1ヵ月ビザで1400バーツ(約4,200円)でした。
だけど、情報によると1000バーツが通常の代金であるとのこと。 この時は友人と一緒で、情報収集を怠っていたので、400バーツぼったくられたのかもしれません。
バングラデシュビザ
タイ、バンコクのバングラデシュ大使館で取得(2003年8月)
90日有効のマルチビザ。申請の翌日取得、タダでした。
バングラデシュ大使館は、BTSトンロー駅下車。 メモによると、 「ソイトンローをスクンビットじゃない方から来ると、川を渡って数分のところに右側に中華料理店があり、その脇を入っていったところ。9時~12時申請、翌16時~16時30分受け取り、 写真2枚 511バス Bangladesh 727 Sukhumvit Soi55Rd(Thong Lor) Tel:02392-9437-8」 とあります。結構わかりづらくて迷いました。
そして、最初に行った時はお休み。うだるような暑さの中、計3回も行くはめになりました。
インドビザ
イラン、テヘランのインド大使館で取得(1996年9月)
インド大使館は「モタハリ」という地区にあったのですが、バスで到着しても場所がわからず、人々に聞きながら探しました。
インド大使館は、大勢のイラン人でごった返していました。 係員に聞くと、日本大使館のレターが必要だということ。 困りましたが、その場にいたイラン人が日本大使館の場所を教えてくれたため、トラックをヒッチ、降りた先で親切なイラン女性に教えてもらいながらようやく辿り着きました。
レターはすぐに発行してくれましたが、インド大使館に戻ってからが大変。 テレックスで日本に本人確認の照合を行うため、8日後にまた来いというのです。 とりあえず、写真3枚、パスポートのコピー、レターと申請書を渡し、引き上げました。
8日後、人々でごった返すインド大使館に再訪すると、係員に「明日、また来い」とぶっきらぼうに言われます。 8日待ったのにどういうわけかと、何度も係員にたずねますが、まったくの無視。。。 かなりむかつきましたが、大勢の人でごった返しており、埒があかないので、翌日また再々訪することにしました。
翌日、朝9時頃にインド大使館に到着。 しかし、12時半まで待たされます。 そして、名前を呼ばれましたが、なんと120,000リアル(約3,000円、当時のイランでは大金)も必要だと言います。 そんな金は持っていなかったので困りましたが、近くの人が両替してくれました。
ようやくインドビザを受け取ることができましたが、そこに書かれていたのは、「Single1month」の文字(他の国の大使館だと6ヶ月はもらえる)。 苦労したのにがっかりでした。。。
バングラデシュ、ダッカのインド大使館で取得(2003年8月)
半年有効のマルチプルビザで、220タカ(約450円)。受け取りは6日後でした。 このインド大使館を探す時も結構苦労しました。
ネパールビザ
インド国境スノウリで取得(1996年11月)
15日間有効のシングルビザ、15ドル(約1,770円)でした。 ネパール側の国境オフィスで、ビザ申請書類と入国カードを書きました。
写真が必要なのですが、その時、私は持っていませんでした。 けれども、係員は、「しょうがないな」という顔をして、ビザを作ってくれました。 そんなことが許される、のどかなイミグレでした(もちろん、それはイレギュラーですし、今はそんなことはないと思います)。
パキスタンビザ
トルコ、イスタンブールのパキスタン領事館で取得(1996年8月)
情報によると、パキスタンビザ取得には日本大使館のレターが必要とのことでした。 そのため、ガイドブックに載っていた住所へと行ったのですが、ドアの前に張り紙が……。
「スイスホテル」に移転したとのこと。
仕方なく、現地のトルコ人にスイスホテルの場所を聞いて、坂道を上り下りしながら、やっとこさ日本領事館に到着。レターを貰いました。
パキスタン大使館へは、バスがわからず、結局歩いて行きました。 またまた、迷い、人に聞きながら、なんとか到着。ビザ申請しました。翌日の受け取りです。 1ヶ月有効のシングルビザ。タダでした。
バングラデシュ、ダッカのパキスタン大使館で取得(2003年8月)
上記のインドのビザと一緒にダッカにて取りました。当日午前中申請、翌日午後受け取り。 シングルビザ、1ヶ月、タダです。 このビザは結局使いませんでした。
イランビザ
トルコ、エルズルムのイラン領事館で取得(1996年8月)
1週間のトランジットビザを取得、50ドル(約5,900円)、即日発行でした。
イランのビザはその人によって、発行されるかされないか、期間が長いか長くないかが変わってきます。そのため、きちんと身なりを整え、礼儀正しくしておかないといけません。 ちなみに、アメリカ人などは、政治的な関係から、なかなか発行してもらえないようです。
イランのビザはトランジットしかくれない場合がほとんどなのですが、国内のイミグレでビザの延長をすることができます。 自分は、タブリーズという町で、これからどの町を訪れるのかの面談を受けた後、20日間延長していただきました。
シリアビザ
トルコ、イスタンブールのシリア領事館で取得(2003年5月)
シリアビザ取得に際しては、当時、日本領事館のレターが必要でした。
取得したシリアビザは、3ヶ月ビザで、費用は40,500,000トルコリラ(約3,186円)。 午前中申請で午後受け取りでした。 シリア領事館の場所も情報は得ていたのですが、なかなかわからず、何人かのトルコ人に聞きました。
マリビザ
セネガル、ダカールのマリ大使館で取得(2003年3月取得)
午前中申請、午後受け取り。27,500CFA(5,840円)。写真が2枚必要。
私は、マリ大使館へは、日本大使館前からタクシーで行きました(1,000CFA 約212円)。 大使館は海岸道路(Route De La Corniche Ouest)沿いにあります。
マリ大使館では、係員の対応も申請書類も全てフランス語でしたが、どうにか取得できました。 ちなみにダカールの日本大使館には、当時、アフリカの情報ノートがありました。館員もとても親切でした。
国境越えの記録
旅行中に通過した国境の記録です。
個人で国から国へと旅をするに際し、どうしても通過しなければならないのが、国境です。 国境を越えるというのは、なかなか得難い経験です。
国境を一歩跨いだだけで、通貨も物価も、言葉も文字も、街の様子も人々の格好も変わってしまうことがあります。 それを実感できるというのが、とても面白いことでもあるのです。
例えば、トルコからイラン~パキスタン~インドと東に向かうにつれて、住居の形、着ている衣服、食べている料理、流れる音楽などが緩やかにグラデーションしていきます。
しかしながら、時に国は、国境に囲まれた範囲を「経済」や「政策」などによって統一した色に染め上げてしまうこともあります。 そのため、国境を跨いだら、いきなり暮らしぶりがよくなったり、人々の服装が変わったりすることがままあるのです。
下に、私が海外で通過した国境についてまとめました。 情報はかなり古いので役には立ちませんが、国境の様子がどんなものなのかのイメージとして参考になれば。
トルコ~イラン国境
トルコ東部「ドゥバヤズット」の町からドルムシュ(乗り合いタクシー)に乗り、東へと向かいます。 雄大な平原やアララト山の緩やかな稜線を眺めながら走ること約20分。 国境検問所「ギュルブラック」に到着します。
国境検問所には、巨大なトレーラーが長大な列を作って並んでいました。
イラン側のオフィスで出国スタンプを押します。 この時、付近にいる両替商にトルコリラをイランリアルへと両替してもらいます(ここでは、とてもレートが悪いので、必要最小限の両替に留めました)。
スタンプを押し終えるとイラン側へと続く部屋に通されます。 この国境の部屋は、なかなか面白い所でした。 国境の部屋は、トルコとイランの国境に跨っており、 トルコ側の壁には、国父ケマル・アタチュルクの肖像画が、イラン側の壁には、アヤトラ・ホメイニの肖像画が掛かっていて、お互いが向かい合っているのです。
イラン側に入り、イランの入国スタンプを押してもらいます。 そして、次の部屋では荷物検査。 しかし、この当時、日本人である私はほぼノーチェック、外貨の申告だけを行いました。
国境事務所を抜け、車が出ている「バザルガン」というところまで歩いていきます。 途中、親切なおじさんがトラックに乗っけてくれました(嬉)。
バザルガンでまた、パスポートチェックを行い、バスの出ている「マクー」の町までタクシーで行きます(もちろん、値段は交渉。この時は1000リアルで行きました) 。
ちなみに、イラン入国にはビザが必要です。 また、イラン入国の際、女性は旅行者といえどもチャドルを纏う必要があり、ビザ申請の時の写真もチャドルを纏った姿で写さなければなりません。
トルコはヨーロッパのような自由な国です。 そんな国からイランへと入国すると、風景は全く変わらないにもかかわらず、そこらじゅうに真っ黒な人が歩いているため、まるで別世界に来たような感覚を受けました。
トルコ~シリア国境
「イスタンブール」から夜行バスに乗り、トルコ南東部の「アンタクヤ」の町へ(15時間ほど)。
アンタクヤで「アレッポ」行きのバスに乗り換え、そのバスで国境を越えました。 料金はイスタンブールからアレッポまでの通しで、41,000,000TL(\3,221)。
シリア国境では、イラン国境と同様、巨大トレーラーが並んでいました。 バスが国境で停車し、乗客がぞろぞろと降りていきます。 乗客はそれぞれ出入国の手続きを行い、全てを済ますと再びバスに乗り込みます。
シリア側の入国オフィスでは、荷物検査に加えて健康診断がありました。 ちょうどこの頃、アジアでは「SARS」が流行していたのです。 私は中国とベトナムを通過してきていたのでちょっぴり心配になりましたが、検査は体温測定のみで済みました。 もちろん、何の問題もなくOKということで、無事に入国することができました!
国境からシリア北部の町「アレッポ」までは、すぐです。
イスタンブールからダイレクトで来たせいか、シリアはトルコとは随分と違った印象を受けました。 街が白っぽくて地味です。 人々の服装も地味……。 特に、女性の姿をあまり見掛けず、見掛けたとしてもチャドルやスカーフで頭を覆っているので、それが、街の風景を地味にしている大きな要因なのかもと思いました。
イラン~パキスタン国境
イラン東部の町、「ザへダン」から乗り合いタクシーで10数分。 そこから別のタクシーに乗って1時間、国境の町「ミルジャワ」に到着しました。
しかし、着いたはいいものの、なんと国境が閉じられています! どうやらお休み時間のようです。 結局、我々は、午後1時から午後4時まで約3時間、暑い中待つ羽目になったのです。
けれども、近くに蠅がぶんぶんと飛び回っていて小汚いものの、レストランがあり、そこでランチを取りながら待つことができたのは幸いでした(なければ炎天下)。
チキンライスを食べ、コーラの2本目を飲み終えた頃、やっと時間が来ました。 しかし、事務所の扉が開かず、それから1時間ほど待ちぼうけ。 ようやく扉が開いたと思ったら、さらに30分以上待ちぼうけ。
けれども、なんとか出国スタンプを押してもらい、パキスタンに入国することができました。
パキスタンに入国した我々は、急ぎました。 既に辺りが薄暗くなっていたからです。 国境というのは、とても危険なところ。 麻薬などの取引が横行し、如何わしいブローカーなどが暗躍する恐ろしい場所なのです。
すぐに両替を済ませ(怪しげなテントの中での両替でしたが)、「クエッタ」行きのバスチケットを購入し、売店で水とジュースを買い込んで、人々でぎゅうぎゅうとなっているバスに乗り込みました(このバスは、通路にも屋根にも山のように荷物が満載された恐ろしいバスでした)。
イランは、とても近代化された国で、女性のチャドルを除けば人々の様相も、西洋やトルコとそれほど違いは感じない国なのですが、このバスにいる人々は、まるで砂漠の遊牧民のような格好。 またまた別世界に来たなあと思ったものです。
このバスに乗り、我々は体を窮屈に縮こまらせながら、夜の砂漠を横断していったのです。 ちなみに、このルートは現在ではとっても危険なため、通ることは難しいでしょう。
パキスタン~インド国境
パキスタン~インド国境は、旅行者の間では、とても評判が悪いことで有名でした。
たいてい旅行者は、国境を越える前に両替し、その国の通貨をある程度用意しておくのが普通です(入国前に両替した方がレートが格段にいい)。
しかし、インドの入国係員は、インドルピーを持ち込むと没収してしまうらしいのです。 しかも、財布の中身をチェックして、お金をいくらか抜き取ることもあると聞きました。
パキスタンの町「ラホール」の駅前から国境の町「ワガー」行きの乗り合いワンボックスに乗ります。 このワンボックスはすさまじいものでした。 車内がぎゅうぎゅうになっても、途中どんどん人を拾いまくります。 しかも、ドアが壊れているため、一度、ワンボックスの客引きが振り落とされてしまいました。
このワンボックスは国境まで行かなかったので、途中、別のワンボックスに乗り換えます。 しかし、このワンボックスは先ほどよりもさらにひどい! 車内に入ることすらできず、我々は屋根の上に乗って、振り落とされないようにしがみつきながら国境まで向かうことを余儀なくされたのです。
国境に着き、パキスタンのイミグレで出国手続き。 それを終え、インド側へと向かいます。
パキスタンの国境事務所とインドの国境事務所は少し離れています。 その間に一本道が通っています。 そこをのこのこ歩いていくと、向こうからも同じような旅行者がのこのこ歩いてくるのに出くわします。西から東へ向かう旅人と、東から西へ向かう旅人がすれ違う……。 「まさに国境だな、旅だな」と実感する瞬間でありました。
インド側のイミグレは、かなりやっかいでした。 ターバンの係員に、所持金とカメラの有無を聞かれ、パスポートチェック。 それが終わり、しばらく進んだところで、荷物検査、そしてまたパスポートチェック。 荷物は、カバンの中の物をひとつひとつ調べられました。 USドルの金額も聞かれ、チェックされました。 なんとかして、没収したり、くすねたりしようとしている感じでしたが、我々も隙を見せなかったため、危うく事無きを得ました。
イミグレを出て、パキスタンルピーをインドルピーへと両替します。 そして、しばらく歩くとリキシャが客待ちをしているのが見えてきます。 「アムリトサル」の町まで50ルピー、約26キロの距離です。
インドに入国してからの風景は、それまでのパキスタン東部の風景とほぼ同じです。 のどかな畑が広がり、菩提樹のような木が疎らに生え、こぶ牛が牛車を引いていたり畑を耕していたりする、そんな風景です。
けれども、インド最初の町、アムリトサルに着いて、街の様子がパキスタンと大きく変わったことに気付かされました。 女性がたくさんいるのです! それも髪の毛をあらわにした、サリーやパンジャービードレスを身に纏った、女らしい格好をした女性が……。 イスラム圏ではなく、ヒンドゥー教圏に入ってきたんだなぁと、つくづく実感しました。
旅の費用記録(宿泊・食事・交通)
2003年〜2004年の世界一周の時の、宿泊した宿、食べた食事、利用した交通の詳細リストです。
宿泊先の記録(部屋タイプ・宿代)
食事の記録(メニュー・値段)
交通の記録(交通手段・区間・時間・運賃)