碁盤目状に区画整備された石畳の街路。街の方々に建つ重厚なバロック風の聖堂。バルコニーを持った石造りのカラフルな建物。
街の中心には噴水のある広場(Plaza)があり、アーチの連なる回廊がそれをぐるりと取り囲んでいる・・・。
中南米の国々には、そんな、スペイン風の街並みが残るコロニアルタウンが至る所にあります。
メキシコ、グアテマラから、キューバ、コロンビア、ペルー、ボリビアまで。かつてのスペイン植民地支配の栄華を感じさせる、中南米のコロニアルタウンを7都市、ご紹介します★
中南米のコロニアルタウン
1492年、コロンブスがアメリカ大陸を「発見」すると、スペイン人は中南米カリブ地域に進出。それまで土地を治めていたアステカやマヤ、インカなどの国家を滅ぼし、植民地支配を開始しました。
そして、ポルトガルに支配されたブラジルを除き、現在の中南米カリブにあたる地域は、ほぼスペインの植民地支配下となり、各地にスペイン風の街並みを持った植民都市が建設されることとなります。
スペインの植民地支配は、19世期前半に中南米カリブ各国が独立するまで、およそ300年間続きました。
中南米カリブ地域には、そんな、コロニアルな(植民地風の)街並みが、植民地支配が終わって200年以上経った現在でも無数に残っているのです。
銀の採掘で繁栄した山間のカラフルな町「グアナファト」【メキシコ】
グアナファト歴史地区の中心「ラパス広場」
バルコニーのあるスペイン風の建物
グアナファト大学
ラパス広場にある黄色と赤の聖堂「バシリカ」
ライトアップされた夜の「バシリカ」
メキシコシティの北西370㎞。標高1,996mの高地にあるメキシコ・グアナファト州の州都「グアナファト(Guanajato)」
スペイン植民地時代の風情が残るこの町は、世界遺産にも登録されています。
カラフルな建物が並ぶロマンチックな景観がとても魅力的★
町の人口は78,000人ほどだそうですが、世界中から多くの観光客が訪れます。
町を見下ろす「ピピラの丘」からの眺め
グアナファトの町が建設されたのは、1554年のこと。この地は、もともと土着のタラスコ人が暮らす荒涼とした地域だったのですが、1548年に銀鉱脈が発見されると、その富を求めて大勢のスペイン人が押し寄せるようになりました。
グアナファトの最盛期は、17〜18世紀半ば。
シルバーラッシュに湧いたこの時代、町の人口は10万人を超え、産出される銀は当時の世界の銀の20%を占めるほどだったそうです。
そんな銀によってもたらされた富が、この美しい街並みを造り上げたのです。
3つの火山に囲まれた美しい古都「アンティグア」【グアテマラ】
アンティグアの町の象徴とも言える建物「時計台(Santa Catalina Arch)」
「カテドラル(Catedral)」
「メルセー教会(Iglesia de la Merced)」
「カプチナス修道院(Convento de las Capuchinas)」
アンティグアのカラフルな建物
「アンティグア(Antigua)」は、グアテマラの首都グアテマラシティから西に約38㎞ほどの場所にある標高1,520mの高原都市です。人口は45,000人ほど。
1543年から1776年までスペイン植民地グアテマラ総督府の首都が置かれた歴史を持ち、現在の首都グアテマラシティに対して「アンティグア・グアテマラ(古いグアテマラ)」と名付けられています。
グアテマラ総督府首都時代のコロニアルな街並み、そして、アグア山、アカテナンゴ山、フエゴ山という3つの火山を望む美しい風景が「アンティグア」の見どころ★
世界遺産にも登録されています。
「十字架の丘(Cerro de la Cruz)」
アンティグアの町を見下ろす「十字架の丘(Cerro de la Cruz)」からの風景です。
「十字架の丘」から見える、アンティグアの街並みとアグア山の眺めは、グアテマラを代表する景観のひとつとなっています。
織物の町「サン・アントニオ・アグアス・カリエンテス(San Antonio Aguas Calientes)」
アンティグアからチキンバスに乗って15分。
「サン・アントニオ・アグアス・カリエンテス(San Antonio Aguas Calientes)」は、織物が美しいことで知られている町です。
町の中心には、アーチが美しい、立派な市庁舎が建っていました。
「Jocotenango(ホコテナンゴ)」のカテドラル
「Jocotenango(ホコテナンゴ)」は、アンティグアの北西、徒歩10分ほどの所にある町。
人口は約18,000人ほどで、その昔、アンティグアがグアテマラの首都だった頃は、職人が多く住む町として知られていたのだそう。
現在では、コーヒー農園があることでも知られています。
クラシックカーが走り回るコロニアル風の旧市街「ハバナ」【キューバ】
ハバナ「セントロ・アバーナ地区」
クラシックカーとゲバラの肖像
ラティーノ・アメリカーノ球場(Estadio Latinoamericano)
カストロとゲバラが生みだした革命の島、ラム酒とモヒートのふるさと、世界中のミュージシャンが愛して止まないキューバ音楽、メジャーを驚かせるスターを輩出し続けるキューバ野球。独自の社会主義政権によりアメリカと国交を断ち、50年前のアメリカン・クラシックカーがスペイン風の街を走り回る。
まるで、時が止まってしまっているかのような国「キューバ」
その首都が「ハバナ(Havana)」です。
「ビエハ広場」(Plaza de Vieja)
「ガルシア・ロルカ劇場」
「カテドラル広場」(Plaza de Catedral)
旧市街(La Habana Vieja)界隈
カテドラルでのミサ
16世紀初頭に征服者ディエゴ・ベラスケスによって建設されたハバナは、1553年にキューバ総督領の首府となり、以降、ハバナはスペインの新大陸における植民地経営の中心地として、並びに貿易の主要な中継地として発展しました。
ハバナ湾西部の半頭部に17世紀から18世紀にかけて建設された旧市街は、白い建物が多い当時のスペイン・コロニアル様式の街並みが完全に保存されており、世界遺産にも登録されています。
かつて砂糖貿易で繁栄した、のどかな博物館都市「トリニダー」【キューバ】
「トリニダー」の街並み
のんびりとした風情漂うトリニダーの街並み
カラフルなトリニダーの建物
革命博物館の鐘楼とカラフルな街並み
石畳の街路とクラシックカー
キューバ中央部にある町「トリニダー(Trinidad)」は、スペイン植民地時代のコロニアルな街並みがよく保存された、500年もの歴史を持つ古都です。
トリニダーは、近郊の「ロス・インヘニオス渓谷」のプランテーションで生産される砂糖と、そこで使役される奴隷の貿易で繁栄し、現在でも、当時の農園主たちの豪奢な邸宅や、丸石の敷き詰められた街路、バロック様式の聖堂や修道院などが残されています。
カラフルな建物が並ぶ。のんびりとした町の風情が魅力的です★
「ロス・インヘニオス渓谷」(Valle de los Ingenios)
「ロス・インヘニオス渓谷」へと繋がる線路
砂糖運搬に使用された機関車
トリニダーから約15Kmのところにある「ロス・インヘニオス渓谷」(Valle de los Ingenios)
「ロス・インヘニオス渓谷」には、植民地時代の18世紀末から19世紀にかけて、大規模なサトウキビ農園が広がっていました。
当時、渓谷には50以上の製糖工場があり、約3万人もの黒人奴隷が工場やプランテーション農場などで働かされていたそうです。
「ロス・インヘニオス渓谷」へは、当時砂糖運搬に使用されていた鉄道に乗って行くことができます。
トリニダーからプランテーションのある「マナカ・イスナガ」までは、観光列車に乗って約1時間です。
トリニダー、ロス・インヘニオス渓谷ともに、世界遺産に登録されています。
海賊の襲撃に耐えたカラフルなコロニアル都市「カルタヘナ」【コロンビア】
カルタヘナ旧市街のカラフルな街並み
「サン・ペドロ・クラベール寺院」
朝の「馬車広場」の風景
スペイン時代のコロニアルな家並みが並びます。
ブーゲンビリアの色が鮮やか
コロンビア北部、カリブ海に面した港町「カルタヘナ(Cartagena)」
1533年、スペイン人の征服者「ペドロ・デ・エレディア」によって建設されたカルタヘナは、南米各地の物産を輸出する港として栄え、17世紀から18世紀にかけて繁栄の絶頂期を迎えました。
町の旧市街には、当時の繁栄を物語るカラフルなスペイン・コロニアル風の街並みが見事に残されています。
カルタヘナ旧市街の夜
ライトアップされた夜の時計塔
夜の「サン・ペドロ・クラベール寺院」
しかしながら、この繁栄に目を付けた海賊たちは、度々町を襲撃し、略奪を繰り返していたのだそう。
そんな海賊たちの襲撃を防ぐため、カルタヘナの人々は旧市街を取り囲む約4㎞に渡る堅牢な城塞を築きました。建設の労働力として使役されたのはアフリカから連れてこられた黒人奴隷でした。
カルタヘナの旧市街は世界遺産に登録されています。
侵略者ピサロが造ったコンキスタ(征服)の中心「リマ」【ペルー】
リマの「マヨール広場(旧アルマス広場)」
リマ、セントロ界隈の青い建物
リマ、セントロの「マヨール広場(旧アルマス広場)」
ペルーの首都「リマ(Lima)」
1535年、この町はインカ帝国を征服したスペイン人のコンキスタドール「フランシスコ・ピサロ」によって築かれました。
16世紀から17世紀にかけて、リマはスペインによる南米植民地支配の拠点として、また、ポトシ銀山の銀をヨーロッパに輸出するための中継地点として繁栄します。
その莫大な財によって建てられた豪奢な邸宅や壮麗なカテドラルが、現在でも町の中心部、旧市街のセントロ地区に残されています。
マヨール広場(旧アルマス広場)。子どもたちが引率されてます。
カテドラル
カテドラルの身廊
世界遺産に登録されたリマの旧市街、セントロ地区の中心「マヨール広場(旧アルマス広場)」には、鮮やかな黄色に彩られた大統領府、カテドラル、市庁舎、市の主要公共施設が建ち並んでいます。
カテドラルの入ってすぐ右手の部屋にはガラスケースに収められたミイラが安置されていました。インカ帝国を滅ぼしたスペイン人の征服者、フランシスコ・ピサロの遺体です。
このカテドラルの礎石は彼自身の手によって置かれたといわれています。
銀の採掘で栄えた、世界最高所にあるコロニアルタウン「ポトシ」【ボリビア】
ポトシの町と真っ赤な山「セロ・リコ」
コロニアル風の建物が並ぶポトシの町
標高4070mのポトシの町
ボリビアの首都ラパスから南東に440kmのところにある町「ポトシ(Potosí)」。
標高は4070mもあり、人が住む都市としては世界最高所に位置しています。
人口は約13万人、インディヘナの血を多く受け継ぐ者が多く、ケチュア語が主言語です。
町の起源は1545年にまで遡ります。
16世紀半ば、南米を侵略したスペイン人は、赤い山「セロ・リコ」に豊富な銀が埋蔵されていることを発見します。
そして、その噂を聞いた多くのスペイン人が一攫千金を求めてこの町にやってきました。
銀の採掘は地元のインディヘナを強制労働させて行われました。
鉱山での労働は苛酷で多くの犠牲者を出し、一説によると800万人が犠牲になったと言われています。
そして、このポトシで採掘された銀により、スペインは世界史上屈指の繁栄を謳歌することとなったのです。
ラ・コンパニーア・デ・ヘスス教会から見たポトシ市街
サン・マルティン教会
旧国立造幣局
ポトシの町には、カラフルな赤や黄色、水色に塗られたコロニアル風の建物が建ち並び、スペイン植民地時代の繁栄を想起させる、壮麗な教会や修道院がいくつもあります。
上の写真は、旧国立造幣局。
赤い山「セロ・リコ」から採掘された銀を貨幣にするために1572年に建てられたのだとのこと。
当時、スペインで流通していた銀貨はここで造られたのだそうです。
ポトシの町は、世界遺産に登録されています。
アジアのコロニアルタウンについてはこちら↓
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