ペルー南部、アンデスの麓にある白い町「アレキパ」(世界遺産)

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ペルー アレキパ エスニックな旅
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ペルー南部にある同国第2の都市「アレキパ」

標高は、2,335m。町の旧市街「セントロ」にある建物は近郊で採れる白い火山岩から造られているため、「白い町」と呼ばれています。世界遺産にも登録されています。

今回は、「アレキパ」をご紹介します。

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アンデスの麓にある白い町「アレキパ」

ペルー アレキパアレキパから見えるミスティ山 5,822m

 

目を覚ますと、車窓に雄大な山脈が見えました。

峰々の頂には真っ白な雪が覆いかぶさっており、それが朝日を浴びてキラキラと輝いて見えます。

あれは、6,000m級のアンデスの高峰、ミスティ山チャチャニ山の雄姿です。

 

「ナスカ」を発ったバスは、夜中じゅうパン・アメリカンハイウェイを飛ばし、約9時間かけて「アレキパ」の町に到着しました。

「アレキパ」の町の標高は2,335m。ナスカは620mであるため、その標高差はおよそ1,700mにもなります。

「アレキパ」の後は、アンデス山脈の中腹にある、かつてのインカの都「クスコ」へと向かう予定です。「クスコ」へは、4,000mもの峠を越える必要があり、高山病の危険があるため、ここで少しでも高地に順応しておく必要がありました。

ペルー アレキパ世界遺産にも登録されているアレキパのセントロ地区

 

「アレキパ」の人口は約90万人。ペルー第二の都市とされています。

インカ帝国の第4代皇帝マイタ・カパックの命によって建設されたのが町の起源で、アレキパの名前の由来は、皇帝がケチュア語で「アリ・ケパイ Ari Quepay(ここへ住みなさい)」と言ったことからきているのだそうです。

ペルー アレキパアレキパのセントロ地区とミスティ山

 

アレキパの別名は「Ciudad Blanca(白い町)」

町の中心であるセントロの建物が、近郊で採れる白い火山岩からできていることから、そう呼ばれています。

アレキパは豊かな土地としても知られています。

鉱物、セメントやビール、製糸などの産業が盛んであるほか、フルーツも豊富に産出されるそうです。

また、アレキパの料理はおいしいということでも有名。他の地方にはない、バラエティーに富んだ料理を楽しむことができます。

ペルー アレキパコロニアル風のアレキパのセントロ

ペルー アレキパアレキパの石畳の通り

 

宿泊したのは、「ホテルレヒス」(トイレシャワー共同シングル5ドル)。

世界遺産にも登録されているアレキパのセントロ(中心街)にある、中庭をぐるりと囲んだ建物とルーフトップからの眺めが素晴らしい小さなホテルです。

私は荷物を置くと、街をぶらりと歩き始めました。

 

アレキパの「セントロ」は、コロニアル風の建物が並ぶ美しい街。

現在の街並は、植民地時代の1540年8月15日にスペインの総督、ドン・マヌエル・ガルシ・カルバハル (Don Manuel Garc Carbajal) によって開かれたものだそうです。

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アレキパの町の中心「アルマス広場」

ペルー アレキパ「アルマス広場」

 

標高2,335mの白い町「アレキパ」

その中心となっているのが「アルマス広場」です。

広場はいつでも人々が集う市民の憩いの場です。

ペルー アレキパアレキパの「カテドラル」

 

アルマス広場の北側には、巨大な「カテドラル」が聳え立っています。

1612年に建てられた、アレキパらしい白い聖堂です。

この聖堂はちょっと変わった形をしていて、入口に対して祭壇が横向きにあります。

正面から入ると左手に身廊が伸びていて、その奥に祭壇があるのです。

つまり、建物の側面が広場に面しているような形になっています。

ペルー アレキパコロニアル風のリズミカルなアーチ

 

「アルマス広場」は、コロニアル風のリズミカルなアーチにぐるりと囲まれています。

その内側には石畳の道と緑地帯、噴水やベンチ。

南米の町はどこも似たような構成。必ず「アルマス広場」があります。

全てスペイン人によって造られた町です。

ペルー アレキパアーチから見た「カテドラル」

 

「アレキパ」は、地震が多いことでも知られています。

特に2001年6月23日に起こった地震はこの地方に大きな被害をもたらし、死者100名以上、5万人近い被災者が発生したそうです。

2007年にもペルーでは大きな地震が起こっています。

ペルー アレキパ夕焼けに染まる「ミスティ山」

 

「ホテルレヒス」のルーフトップからの眺めです。

向こうに見えるのは「ミスティ山」(5,822m)。まるで富士山みたいな美しい山の稜線。ペルー在住の日本人には、「アレキパ富士」と呼ばれているのだとのこと。

ペルー アレキパ
白いアレキパの町とミスティ山

ペルー アレキパアレキパの街

ペルー アレキパ石畳の街路

ペルー アレキパ石畳と白い街

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アレキパの夕陽

ペルー アレキパ夕暮れの「アレキパ」

 

「アレキパ」の街を歩き回ったり、カフェでコーヒーとケーキを食べたりしているうちに、いつの間にか、日没の時間帯になりました。

私は宿泊していた宿の屋上に上り、夕暮れに沈みつつあるアレキパの街を眺めました。

ペルー アレキパ「アレキパ」の日没

 

遠くに「ミスティ山」が見えます。白い街並はその姿を赤らめていきます。

太陽が地平線の向こうに消える頃、アレキパの街は夜の闇に包みこまれていました。

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輝くような、夜のアレキパの町

ペルー アレキパ夜の「アルマス広場」

 

夜の「アルマス広場」

ライトアップされる、広場を取り囲んだコロニアル風のアーケード。

リズミカルなアーチの連なりが昼にも増して映えています。

輝くような夜の「アルマス広場」の雰囲気。

ペルー アレキパ夜の「カテドラル」

 

静まり返った夜の「カテドラル」

刻み込まれた400年の歴史を真っ白なライトが浮かび上がらせています。

それと対照的な喧しいタクシーの群れ。

クラクションがプァンプァンと鳴り響いていました。

ペルー アレキパ「ラス・ケーナス」で聴いたフォルクローレの演奏

 

夕食を食べた後、ぺーニャでフォルクローレの演奏を聴くことにしました。

訪れたのは宿の近くにあるぺーニャ「ラス・ケーナス」

ライブは8時からでした。

薄暗い店内には客がほとんどおりません。

3,4人の客を前に4人組のバンドの演奏が始まりました。

ケーナの寂しげな音色、サンポーニャやギターがシンプルなリズムを奏でています。

素朴な風貌の彼らは、時々曲に合わせて雄叫びを上げたり手拍子をとったりしました。

 

アンデスの懐の小さな町の小さな酒場でのささやかな演奏。

「チチャ・モラーダ」を飲みながら、その哀愁を帯びた旋律をゆったりと味わい続けました。

 

旅行時期:2003年7月

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