インディージョーンズの舞台ともなった壮大な「ペトラ遺跡」へ(世界遺産)【ヨルダン】

ヨルダン ペトラ エスニックな旅
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中東の国「ヨルダン」(Jordan:الأردن)

正式名称は「ヨルダン・ハシミテ王国」で立憲君主制の国家。人口は1,020万人。国土は北海道とほぼ同じ大きさです。

今回は、「ペトラ遺跡」についてご紹介します。

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ペトラ遺跡への道

ヨルダン ペトラペトラ遺跡への道

 

「ワディ・ムーサ」という町からしばらく歩くと遺跡の入り口に着きます。

入場料は20JD(ヨルダン・ディナール)約4,000円!

うわっ、高っ!

※現在では50JDに上がっているとのことです。

 

入り口から写真のような峡谷(シークと呼ばれる)を抜けて、遺跡のある地帯へと歩いていきます。

峡谷の道、バラ色のマーブル模様の岩肌がとても綺麗でした。

ちなみに、入り口には馬車も客待ちしていて、馬車で優雅に揺られ、インディージョーンズ気分を味わいながら、遺跡へと向かうこともできます。

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インディージョーンズのラストに出てきた遺跡「エル・カズネ(宝物殿)」

そして、

約1,5kmも続くマーブル模様の峡谷を抜けると、そこには・・・。

ヨルダン ペトラ「エル・カズネ(宝物殿)」

 

「ペトラ遺跡」がありましたー!

 

写真は一番有名な遺跡「エル・カズネ(宝物殿)」です。

インディージョーンズ(最後の聖戦)のラストに出てきたあの遺跡です。

 

そして、 遺跡のその前には・・・。

ヨルダン ペトラ

ラクダ君がおりましたヽ(´∇`)ノ

半分眠っています。

観光客を背中に載せて、お疲れモードでしょうか。。。

ヨルダン ペトラ「エル・カズネ(宝物殿)」

ヨルダン ペトラ「エル・カズネ(宝物殿)」

「ペトラ」は、紀元前1世紀頃、ナバテア人によって築かれ、砂漠を通るキャラバン隊の重要な中継基地として栄えた町。

ローマ時代には、ローマの属州に組み込まれ、町にはローマ風の神殿や劇場が造られました。

ペトラの最盛期の人口は約3万人、町は治水がなされ、水の心配はなかったようです。

その後、海上交易ルートが確立されるとペトラは徐々に衰退していき、数回あった大地震によって町は壊滅し、歴史から完全に忘れ去られてしまいます。

 

1812年、スイス人探検家、ルートヴィヒ・ブルクハルトがこの遺跡を発見しました。

地元の人には知られていたようですが、ここで初めてペトラはヨーロッパ人に紹介されることになりました。

ヨルダン ペトラ

「エル・カズネ(宝物殿)」は、1世紀初頭にナバテア王の墳墓として造られたものとされています。

高さ43m、幅30mで、内部には大広間と2つの小部屋があります。

 

ナバテア人は文字で記録を残しませんでした。

そのため、この遺跡については謎が多く、造られた理由もよくわかっていません。

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王家の墳墓や円形劇場、列柱道路を眺めながら「エド・ディル」の神殿へ

ヨルダン ペトラ

ヨルダン ペトラ

「エル・カズネ」を過ぎてしばらく歩くと、たくさんの墳墓が見えてきます。

ナバテア人の王家の墳墓です。その数は500もあると言われています。

さらに進むと、ローマ式の円形劇場があり、市街地の跡があります。市街地には、列柱道路があり、宮殿や公共浴場、凱旋門などが並んでいます。

 

遺跡の区域の一番奥にあるのが「エド・ディル」と呼ばれる神殿です。

「エド・ディル」は、ペトラ遺跡最大の建造物で、太陽神を祀っていたと考えられています。

 

「エド・ディル」へは800段もの階段を登ってやっと到達できる標高約1,000mの丘の上にあります。結構しんどいです。

やっとのことで辿り着いたのですが、カメラのバッテリーが切れて写真を撮ることができませんでした。残念!

 

旅行時期:1998年2月〜3月

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