世界の魅力的な遺跡(これまで訪問した遺跡)をおすすめ順にランキングにしました★
失われた文明、栄華を誇った王都や隊商都市、神に捧げられた神殿や寺院。
いずれも太古のロマン溢れる遺跡です。
アジア、中南米、アフリカ、ヨーロッパの15遺跡をご紹介します★
- ★遺跡ランキングマップ
- ⭐️15位⭐️ アテネのアクロポリス(ギリシャ)【世界遺産】
- ⭐️14位⭐️ ポンペイ遺跡(イタリア)【世界遺産】
- ⭐️13位⭐️ ペルセポリス(イラン)【世界遺産】
- ⭐️12位⭐️ ボロブドゥール(インドネシア)【世界遺産】
- ⭐️11位⭐️ ティワナク(ボリビア)【世界遺産】
- ⭐️10位⭐️ ニューグレンジ(アイルランド)【世界遺産】
- ⭐️9位⭐️ テオティワカン(メキシコ)【世界遺産】
- ⭐️8位⭐️ ナスカの地上絵(ペルー)【世界遺産】
- ⭐️7位⭐️ バガン(ミャンマー)【世界遺産】
- ⭐️6位⭐️ パルミラ(シリア)【世界遺産】
- ⭐️5位⭐️ ギザのピラミッド(エジプト)【世界遺産】
- ⭐️4位⭐️ ティカル(グアテマラ)【世界遺産】
- ⭐️3位⭐️ アンコールワット(カンボジア)【世界遺産】
- ⭐️2位⭐️ ペトラ(ヨルダン)【世界遺産】
- ⭐️1位⭐️ マチュピチュ(ペルー)【世界遺産】
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★遺跡ランキングマップ
⭐️15位⭐️ アテネのアクロポリス(ギリシャ)【世界遺産】
ギリシャの首都アテネにあるアクロポリス。その中心に建つ「パルテノン神殿(Παρθενών:Parthenon)」です。
「パルテノン神殿」は、古代ギリシアの都市「アテナイ(Ἀθῆναι)」の守護神、女神アテーナーを祀る神殿。紀元前438年に完成し、当時は赤や青などの色で華やかに彩られていたのだとのこと。
紀元前8世紀頃からギリシア各地に都市国家「ポリス」が生まれ、アテナイはその中でも中心的な存在となっていきました。
アテナイは、世界で初めて民主主義を成立させたことで知られています。
アテナイの民主主義は直接民主制で市民が直接法律や法案の投票を行いました。
けれども、投票権があったのは人口の10%ほどの大人の男性市民で、女性や奴隷には投票権はありませんでした。
アテナイの民主制は、紀元前404年、スパルタとのペロポンネソス戦争に敗れた時に事実上崩壊します。
デマゴーグと呼ばれる扇動者が市民の支持を受けて実権を握るようになり、衆愚政治に陥ったため国力が低下してしまったのです。
「パルテノン神殿」は、そんなアテナイの栄枯盛衰を見つめてきた歴史の証人です。
「アテネのアクロポリス」の★評価
歴史の古さ
謎・神秘性
壮大さ・規模
朽ち果て度
ストーリー性
アテネのアクロポリスの詳細はこちら↓
⭐️14位⭐️ ポンペイ遺跡(イタリア)【世界遺産】
「ポンペイ(Pompei)」は、イタリア・ナポリ近郊にあった、古代ローマ帝国の植民都市です。
紀元79年、「ポンペイ」はヴェスビオス火山の噴火による火砕流によって、一瞬のうちに消失しました。
灰に埋まった町はその後、長らく放置されていましたが、1748年に発掘が行われ、火山灰を取り除くと、そこにはローマ時代そのままのポンペイの町が姿を現したのです。
ポンペイは当時のローマでも活気のあった町で、ワインの醸造や物流の拠点として大いに繁栄していたそうです。
町にはパン屋やクリーニング屋などの商店や市場、レストラン、浴場、劇場や闘技場などがあり、ローマ人の別荘や娼館まであったことが発掘によりわかっています。
このポンペイ遺跡の発掘により、そんなローマ時代の豊かな暮らしぶりが明らかにされました。
紀元前から約1200年もの長きに渡って続いた古代ローマ文明。その版図は北アフリカ、中東を含めた地中海全域に渡りました。それらに住む異なった民族にローマのブランドとしての「ローマ市民権」を続々と与え、それぞれの植民都市はローマ風の建築や文化で埋め尽くされました。
法律、土木・建築、政治、思想など、古代ローマの文明は、その後の世界の形成に非常に大きな影響を与えています。
「ポンペイ」の★評価
歴史の古さ
謎・神秘性
壮大さ・規模
朽ち果て度
ストーリー性
ポンペイの詳細はこちら↓
⭐️13位⭐️ ペルセポリス(イラン)【世界遺産】
イラン・シーラーズの北東約60km、ファールス地方の荒野の只中に「ペルセポリス(تخت جمشید)」の遺跡はあります。
紀元前520年、アケメネス朝ペルシア第3代の王、ダレイオス1世の手によって建設が始められました。
アケメネス朝は紀元前550年から紀元前330年にかけて、古代オリエント世界を統一した帝国で、最盛期は第3代のダレイオス1世の頃。その当時の版図は西はエジプトやマケドニア、東はインダス川にまで達していたのだそうです。
遺跡は、東西約300m、南北約450mの石造りの基壇の上に造られており、林立する高さ20mの列柱や、精緻な彫刻の施されたレリーフなど、往時の繁栄を垣間見ることができます。
アケメネス朝ペルシアが滅んだのはダレイオス3世治世の紀元前330年のこと。
マケドニア(ギリシアの北)のアレクサンドロス大王の侵攻により、帝国は蹂躙され、ペルセポリスは徹底的に破壊されてしまいました。
2000年以上も荒野に佇む壮大な帝都の廃虚。見応えがあります。
「ペルセポリス」の★評価
歴史の古さ
謎・神秘性
壮大さ・規模
朽ち果て度
ストーリー性
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⭐️12位⭐️ ボロブドゥール(インドネシア)【世界遺産】
「ボロブドゥール(Borobudur)」は、インドネシア・ジャワ島中部のジョグジャカルタ近郊にある世界最大級の仏教遺跡。大乗仏教の遺跡です。
「ボロブドゥール」の建立は8世紀末。ジャワ中部を支配していたシャイレーンドラ王朝の王、ダルマトゥンガの治世に建造されました。
「ボロブドゥール」は、自然の丘に盛り土をし、その上に高さ23㎝の安山岩のブロックを200万個積み重ねてつくられています。
その造形はまさに立体の曼陀羅。大乗仏教の世界観が見事に表されています。
しかしながら、ジャワはその後、ヒンドゥー教の力が強まり、12世紀にはイスラム教も流入。仏教は衰退し、ボロブドゥールも密林に埋もれ、19世紀にイギリス人によって再発見されるまで、忘れ去られた存在となっていたのです。
イスラム教徒が9割を超える現在のジャワ島。
けれども、かつて、ここには、豊かな仏教信仰の文化がありました。
「ボロブドゥール」の★評価
歴史の古さ
謎・神秘性
壮大さ・規模
朽ち果て度
ストーリー性
ボロブドゥールの詳細はこちら↓
⭐️11位⭐️ ティワナク(ボリビア)【世界遺産】
ボリビアの首都ラパスからバスで1時間ちょっと走ると、荒野の中に広大な遺跡が見えてきます。
「ティワナク遺跡(Tiwanaku)」です。
ティワナク遺跡はチチカカ湖の南東、内陸へ約17 kmほど入ったところにある遺跡で、標高は3,970m。
ティワナク文明の起源は紀元前200年頃。その最盛期は7世紀から11世紀にかけての間であろうと推測されています。
特に石造技術の高さが特徴的で、後世のインカにも大きな影響を与えたと考えられています。
ここにはかつて、1万から5万人ほどの人々が暮らしていたのだと考えられています。
しかし、ここがどういう社会形態を持っていたのか、なぜ滅びたのか、どんな民族によってつくられたのかは、まだ明らかにはされていません。
荒野に佇む謎に満ちた遺跡、魅力的です★
「ティワナク」の★評価
歴史の古さ
謎・神秘性
壮大さ・規模
朽ち果て度
ストーリー性
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⭐️10位⭐️ ニューグレンジ(アイルランド)【世界遺産】
アイルランドの首都ダブリンの北方約55キロ、ボイン川の中流域から下流域にかけて広がる一帯に「ブルー・ナ・ボーニャ(ボインの宮殿)」という先史時代の遺跡群があります。
エリア内には40の羨道墳がありますが、その中で最も重要な遺跡が、「ニューグレンジ(Newgrange)」です。
ニューグレンジはケルト時代以前、紀元前3200年頃(新石器時代後期)建設されたといわれています。
遺跡の中に入ると埋葬室までは真っ直ぐな通路で結ばれています。
冬至の明け方、日の出の際の太陽光線がこの通路に差し込み、奥の埋葬室を照らすのだとのこと。
けれども、その仕掛けの意味や、この遺跡が何のために造られたのかは、まだ判明はしていません。
エジプトのピラミッドよりも古いという「ニューグレンジ」
遥か古代へのロマンを掻き立てる遺跡です★
「ニューグレンジ」の★評価
歴史の古さ
謎・神秘性
壮大さ・規模
朽ち果て度
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⭐️9位⭐️ テオティワカン(メキシコ)【世界遺産】
メキシコシティから北東約50km、バスで1時間ほどの距離の場所に、約20㎢の広さを持つ壮大な都市遺跡が遺されています。
紀元前2世紀から6世紀にかけて繁栄したテオティワカン文明の中心、「古代都市テオティワカン」(ナワトル語:Teōtīhuacān スペイン語:Teotihuacan)です。
テオティワカンに住んでいた人々が、どんな人々なのかは詳しくわかっていないそうですが、最盛期には、20万人の人が暮らしていたとされ、これは当時の世界でも最大級であったのだそうです。
壮大な規模を持つ「古代都市テオティワカン」
この都市は、8世紀に滅亡します。
滅亡の原因としては、人口の急増や干ばつによる農業の不作、外敵の侵略、内乱などが考えられていますが、文字記録をほとんど残さなかったため、謎に包まれたままだそうです。
また、都市の滅亡後、テオティワカン人たちがどこに消えてしまったのかということも、解明されていないそうです。
「テオティワカン」の★評価
歴史の古さ
謎・神秘性
壮大さ・規模
朽ち果て度
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⭐️8位⭐️ ナスカの地上絵(ペルー)【世界遺産】
ペルー南西部海岸地帯、ナスカ川とインヘニオ川に囲まれた荒野の地表に、無数の巨大な幾何学図形や動植物の絵が描かれています。
「ナスカの地上絵(Lines and Geoglyphs of Nasca and Palpa)」です。
地上絵はあまりにも巨大なため、飛行機が登場する1939年まで、インカ帝国の人々も、侵略したスペイン人たちも誰もその存在に気が付きませんでした。
地上絵は、紀元前200年頃から紀元800年頃までの間栄えた「ナスカ文化」の時代に描かれたと考えられています。
この地上絵がどのようにして描かれたのか、何のために描かれたのかは、多くの研究が行われ、様々な説が提唱されていますが、いまだに謎に包まれています。
空からでしか全貌を見ることができない「ナスカの地上絵」。美しい図像の造形、壮大なスケール、解き明かされない謎。
誰しもが歴史のロマンを感じてしまう遺跡です。
「ナスカの地上絵」の★評価
歴史の古さ
謎・神秘性
壮大さ・規模
朽ち果て度
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⭐️7位⭐️ バガン(ミャンマー)【世界遺産】
「バガン遺跡(ပုဂံ:Bagan)」は、ミャンマーのエーヤワディー(イワラジ)川中流域、その東岸の平野部一帯に広がる仏教遺跡群です。
40㎢のエリアにはおよそ3000といわれる仏塔や寺院が点在しており、そのほとんどが11世紀から13世紀にかけて建てられたものであるそう。
当時、バガンはビルマ初の統一王朝である「パガン朝」の都として栄えていました。
パガン朝の創始者であるアノーヤター王は、上座部仏教の国教化を進め、バガンは仏教研究の国際的な中心地となり、カンボジアやタイ、スリランカなど諸外国の多くの仏僧や学生が訪れたといいます。
広大な平原に無数の仏塔が点在するその風景は、圧巻のひと言。
夕暮れ時の、日没の陽の光に仏塔が浮かび上がる様子も美しいです★
「バガン」の★評価
歴史の古さ
謎・神秘性
壮大さ・規模
朽ち果て度
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⭐️6位⭐️ パルミラ(シリア)【世界遺産】
「パルミラ(Palmyra:تدمر)」は、シリア中央部、シリア砂漠のただ中にあるローマ帝国時代の都市遺跡です。
パルミラは、紀元前1世紀の頃、ローマとパルティア、ササン朝ペルシアを結ぶシルクロードの重要な隊商都市として繁栄しました。
3世紀、パルミラの女王ゼノビアはローマの混乱に乗じて小アジアやエジプトの一部を支配下に入れ、パルミラは絶頂期を迎えます。
しかし、273年、ローマ皇帝アウレリアヌスはパルミラに侵攻。皇帝はゼノビアを捕らえ、街を焼き払い廃墟としたのです。
ローマに滅ぼされた後、この町が歴史の表舞台に顔を出すことは二度とありませんでした。
1.2kmも続く壮大な列柱道路、ローマ風の劇場や浴場跡、壮麗な神殿や美しい門。ローマ軍に徹底的に破壊されたという悲劇の歴史。
中東屈指の見応えのある遺跡です★
「パルミラ」の★評価
歴史の古さ
謎・神秘性
壮大さ・規模
朽ち果て度
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⭐️5位⭐️ ギザのピラミッド(エジプト)【世界遺産】
今から4500年前、紀元前2500年頃に造られた「ギザの三大ピラミッド(Giza:الجيزة Pyramids:أهرامات الجيزة)」は、世界で最も有名な建造物と言っても過言ではありません。
砂漠の中に聳え立つクフ王、カフラー王、メンカウラー王の3つのピラミッドは、圧倒的な存在感があります。
古代エジプト文明は、ナイル川の氾濫の恵みにより生まれた文明です。
人類最初の農耕文明のひとつと言われるこの文明は4000年以上も続き、文字、数学、建築技術、暦、天文学、美術など、様々な分野で後世の源流となりました。
未だその多くが謎に包まれているという神秘性、古代ギリシャの時代には既に“七不思議”であったという歴史。その全てが唯一無二の存在です★
「ギザのピラミッド」の★評価
歴史の古さ
謎・神秘性
壮大さ・規模
朽ち果て度
ストーリー性
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⭐️4位⭐️ ティカル(グアテマラ)【世界遺産】
グアテマラ北部、ペテン低地のジャングル地帯の中に、マヤ文明の都市遺跡として最大規模の遺跡「ティカル(Tikal)」はあります。
ティカルは、紀元4世紀から9世紀頃にかけて繁栄を極め、最盛期である8世紀頃にはその人口は6万人にも及んだと言われています。
「マヤ文明(Maya)」は、紀元前3000年〜16世紀頃まで、メキシコ南東部、グアテマラ、ホンジュラス、ベリーズなどの地域で栄えた文明です。
マヤ文明では、歴史上統一国家は存在することはなく、無数の都市国家が群雄割拠し、それぞれの都市の王が絶対的な権力を持っていたと考えられています。
マヤ文明は、アンデスの文明と異なり、独自の文字を持ち、数学や天文学、建築技術などが高度に発達し、メキシコ中央高原を含めた周辺国との交易が活発に行われていました。
9世紀に入ると、ティカルを含む熱帯雨林のマヤの都市は衰退し、人口が激減。都市は次々に放棄されていったのだとのこと。
ティカルの最後の石碑は869年の日付を示しているそうです。
「ティカル」の★評価
歴史の古さ
謎・神秘性
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⭐️3位⭐️ アンコールワット(カンボジア)【世界遺産】
カンボジア北西部、シェムリアップ近郊にあるクメール王朝時代の寺院遺跡「アンコール・ワット(Angkor Wat:អង្គរវត្ត)」
アンコール・ワットは、12世紀、アンコール王朝のスーリヤヴァルマン2世によって建設されたと言われています。
壮大な都城やたくさんの寺院によって形成される「アンコール遺跡群」の中核を成す寺院で、当初はヒンドゥー教の寺院として建てられましたが、16世紀になって仏教寺院に改修されています。
アンコール・ワットは、幅200mの濠と三重の回廊に囲まれており、外側の第一回廊の壁面は見事なレリーフによって埋め尽くされています。
カンボジアの最大の文化遺産であり、人々の心の拠り所でもあるアンコール・ワット。
国旗や紙幣にも描かれている、カンボジアという国そのもののような遺跡です。
「アンコールワット」の★評価
歴史の古さ
謎・神秘性
壮大さ・規模
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⭐️2位⭐️ ペトラ(ヨルダン)【世界遺産】
「ペトラ(Petra:البتراء)」は、ヨルダン南西部、死海とアカバ湾の間の渓谷にある、ナバテア人によって築かれた首都の遺跡です。
紀元前1世紀頃、ペトラは砂漠を通るキャラバン隊の重要な中継基地として栄えました。
最盛期の人口は約3万人、町はダムが作られ、水道管による給水設備が整備されるなど、見事な治水システムが造られていました。
その後、海上交易ルートが確立し、ペトラが主要通商路から外れると町は徐々に衰退していき、数回あった大地震による崩壊で歴史から完全に忘れ去られてしまうこととなります。
ペトラがスイス人探検家によって再発見されたのは1812年のこと。以降、現在でも発掘調査は続いており、未だ80%以上が未発掘の状態であるとのこと。
「ペトラ」の★評価
歴史の古さ
謎・神秘性
壮大さ・規模
朽ち果て度
ストーリー性
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⭐️1位⭐️ マチュピチュ(ペルー)【世界遺産】
南米ペルー、アンデス山麓に位置するウルバンバ谷の尾根にある、インカ帝国時代の遺跡「マチュピチュ(Machu Pikchu)」
遺跡の標高は約2400m。麓の町とは約400mの高低差があり、周りは断崖絶壁です。
総面積は約5平方km。建造は15~16世紀と言われており、現在のところ、インカ帝国第9代皇帝パチャクティの離宮として造られたという説が有力視されています。
古代アンデス文明は、紀元前2000年頃からその輪郭を現し始めたといわれています。
旧大陸と隔絶されたこの地域では、16世紀にスペイン人がやって来るまで他の文明との接触がほとんどありませんでした。
文字を持たず、鉄や火薬、車輪の存在を知らない一方、金の鋳造技術や石造建築技術、脳外科手術などが高度に発達していたなど、旧大陸とは全く異なる独自の文化が形成されていたのです。
「マチュピチュ」は、そんなアンデス文明の集大成とも言える最後の帝国「インカ」の文明の粋が表された遺跡です。
「マチュピチュ」の★評価
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