世界のお城・城砦・宮殿・城郭・城塞都市・城壁★44カ所をご紹介します。
アジア21カ所、アフリカ1カ所、中南米4カ所、ヨーロッパ15カ所、日本も3カ所。世界遺産に登録されたお城・城砦・宮殿は23カ所ご紹介。
堅固な城郭から、華やかな宮殿まで。世界には様々なスタイルのお城や宮殿があります。
- アンベール城(インド・ジャイプル)【世界遺産】
- メヘラーンガル城(インド・ジョードプル)
- ジャイサルメール城(インド・ジャイサルメール)【世界遺産】
- マーン・マンディル(インド・グワリオール)
- ラール・キラー(インド・デリー)【世界遺産】
- アーグラ城(インド・アーグラ)【世界遺産】
- ゴールコンダ・フォート(インド・ハイデラバード)
- ラールバーグ・フォート(バングラデシュ・ダッカ)
- バルチット・フォート(パキスタン・カリマバード)
- イチャンカラ(ウズベキスタン・ヒヴァ)【世界遺産】
- アレッポ城(シリア)【世界遺産】
- ニズワ・フォート(オマーン・ニズワ)
- オールド・アラブ砦(タンザニア・ザンジバル)【世界遺産】
- ナリカラ要塞(ジョージア・トビリシ)
- バヴェル城(ポーランド・クラクフ)【世界遺産】
- ロック・オブ・キャシェル(アイルランド・キャシェル)
- スフォルツェスコ城(イタリア・ミラノ)
- 卵城(カステル・デローヴォ)(イタリア・ナポリ)【世界遺産】
- ロンドン塔(イギリス・ロンドン)【世界遺産】
- ドーバー城(イギリス・ドーバー)
- プラハ城(チェコ・プラハ)【世界遺産】
- タリンの城砦と城壁(エストニア・タリン)【世界遺産】
- ゲディミナス城(リトアニア・ビリニュス)【世界遺産】
- リュブリャナ城(スロベニア)
- ブレッド城(スロベニア)
- ドゥブロヴニクの城壁(クロアチア)【世界遺産】
- サン・フェリペ要塞(コロンビア・カルタヘナ)【世界遺産】
- モロ要塞(キューバ・サンティアゴ・デ・クーバ)【世界遺産】
- サクサイワマンの砦(ペルー・クスコ)【世界遺産】
- オリャンタイタンボの砦(ペルー)
- 大理古城の城門(中国雲南省)
- 蘇州の盤門(中国江蘇省)
- 松山城(日本・愛媛県松山市)
- 竹田城(日本・兵庫県朝来市)
- 首里城(日本・沖縄県那覇市)【世界遺産】
- シティ・パレス(インド・ジャイプル)【世界遺産】
- チョウマハラ宮殿(インド・ハイデラバード)
- フエの王宮(ベトナム・フエ)【世界遺産】
- アラム・パレス(オマーン・マスカット)
- バンコクの王宮とワット・プラケオ(タイ・バンコク)
- パガルユン宮殿(インドネシア・西スマトラ)
- 昌徳宮(韓国・ソウル)【世界遺産】
- 国民の館(ルーマニア・ブカレスト)
- ヴェルサイユ宮殿(フランス)【世界遺産】
- 旅のまとめ記事
アンベール城(インド・ジャイプル)【世界遺産】
インド・ラジャスタン州の州都ジャイプール(ジャイプル)から北へ11キロ進んだところにある山城「アンベール城」です。
16世紀半ばの建造。ジャイプールができるまではここがこの地域を治めるラージプート王朝の首都でした。左の奥に見えるのは、また別の城郭「ジャイガール城」です。
アンベール城では麓から城のある丘の上まで象のタクシーに乗って登っていくことができます。
アンベール城の城郭宮殿の内部にある「ジャイ・マンディル殿」は、細かな象嵌細工で飾られています。アーチの形などイスラムの影響が色濃く見られます。
メヘラーンガル城(インド・ジョードプル)
インド・ラジャスターン州ジョードプルは、13世紀から20世紀半ばまで続いたヒンドゥー王朝「マールワール国」の首都だった町です。
町のどこからでも見える巨大な城砦「メヘラーンガル城」は、15世紀半ばに建設が開始された城塞です。
インド三大城郭のひとつとも言われる城は、麓から120mもの高さがあって、間近で見るとかなりの迫力!かなり堅固な城塞で、歴史上一度も陥落することがありませんでした。
ジャイサルメール城(インド・ジャイサルメール)【世界遺産】
ジャイサルメールは、タール砂漠のほぼ中央にあるラジャスタン州の町。
町は12世紀、ラージプート族のバッティ家によって築かれたといわれています。町の語源は、ジャイサル王がメール(岩山)の上に城塞都市を築いたというところから来ています。
平地から高さ76mの丘の上にある「ジャイサルメール城(シタデル)」には、王族の宮殿だけでなく、市民が住む城内町もあります。
マーン・マンディル(インド・グワリオール)
インド・マディヤ・プラデシュ州北部の町グワリオール。
地上から100mの高さに聳え立った細長いテーブルマウンテンが約3キロほども続き、その一角に勇壮な城の姿が見えます。15世紀に造られた中世の古城「マーン・マンディル」です。
この城は1486年にこの地域を支配下に置いたラージプート、トマール族のマーン・シングが築きました。
城郭は長さ約120mを越え、城壁には青や黄色のタイルがはめ込まれ、鮮やかです。
ラール・キラー(インド・デリー)【世界遺産】
インドのデリーにあるムガル帝国時代の城塞「ラール・キラー(赤い城)」
タージ・マハルを造ったことで知られるムガル帝国第5代皇帝「シャー・ジャハーン」が、アグラから遷都し、自らの名を冠した新都「シャージャハーナーバード」の居城として1648年に建造した城です。
城の城壁は建材として赤砂岩が用いられており、城は「赤い城」と呼ばれることとなりました。
アーグラ城(インド・アーグラ)【世界遺産】
16世紀から17世紀にかけて、ムガル王朝は「アーグラ」を都としました。
都を造営したのは、アクバル帝。以後、ジャハンギール、シャー・ジャハーン、アウラングゼーブに至る4代に渡ってこのアーグラーは繁栄しました。
「アーグラ城」の一角にある塔「ムサンマン・プルジュ(囚われの塔)」からは、ヤムナー川のほとりに佇む「タージ・マハル」の姿が見えます。
5代皇帝シャー・ジャハーンは、晩年、息子のアウラングゼーブによって、この城に幽閉されてしまいました。
そして、あのチャトリから、自らの建てた愛する妻の墓廟である「タージ・マハル」を眺めつつ、静かに息を引き取ったのだといわれています。
ゴールコンダ・フォート(インド・ハイデラバード)
インド・ハイデラバードにある城砦「ゴールコンダ・フォート」
もともとは、11世紀にカーカティーヤ朝によって造られた土塁でしたが、1518年にこの地を治めた「クトゥブ・シャヒー朝」(ゴールコンダ王国:1518年〜1687年)の王によって、要塞化された城へと改修され、王国の首都となりました。
建設当初、「ゴールコンダ・フォート」は王国の首都でしたが、その後、平和な時代になると、要塞化した城は不便になり、現在のハイデラバード旧市街の場所に首都は移転されます。
そして、城の建造から170年後の1687年、ムガル帝国遠征軍に8ヶ月に渡って包囲された後、「ゴールコンダ・フォート」は陥落し、廃墟となってしまいました。
ラールバーグ・フォート(バングラデシュ・ダッカ)
バングラデシュ。オールドダッカの西の外れにある「ラールバーグ・フォート」は、ムガル帝国支配時代の1678年に建設が開始された城砦です。
城は未完成で、縦1,082m、横800mの長方形の敷地内には、3つのドームのあるモスク、ビビ・パリ霊廟、ハマムなどがあります。
1857年のセポイの乱では、250名のインド人傭兵がこの城に立て籠り、イギリス軍に抵抗したのだとのこと。
バルチット・フォート(パキスタン・カリマバード)
パキスタン北西部、7,000m級のパミール高原の山々を望む谷フンザの中心「カリマバード」。カリマバードは、1974年までこの地方を治めたフンザ藩王国の首府でした。
山の麓に見える白い建物は、藩王国の王宮「バルチット・フォート」です。
建造は8世紀。1945年に藩王はこの砦を放棄し、現在は博物館として一般公開されています。
白い漆喰で塗られた外壁に木製の出窓があり、窓にはステンドグラスが嵌め込まれています。建物内部には大砲や地元のアンティークなどが展示されています。
イチャンカラ(ウズベキスタン・ヒヴァ)【世界遺産】
ウズベキスタンの西部にあるヒヴァは、17世紀の中世イスラム都市の面影が残っていることで知られています。
ヒヴァの内城は、「イチャン・カラ」と呼ばれており、20のモスク、20のメドレセ、6基のミナレットをはじめとする多くの歴史的建造物が残されていて、博物館都市として街全体が保存されています。
アレッポ城(シリア)【世界遺産】
アレッポは、シリア北部にあるこの国第2の都市で、世界で最も古い町のひとつです。
「アレッポ城」は、世界で最古かつ最大の城の1つであると見なされており、紀元前三千年紀中頃には城砦の丘の利用がされていたとのこと。現在ある建造物は、12世紀末から13世紀にかけてのアイユーブ朝の時代のものです。
城の周りには深い堀が掘られており、正面にはいかにも頑丈そうな城門があり、内部には宮殿やモスク、浴場の跡などが残されています。
ニズワ・フォート(オマーン・ニズワ)
オマーン内陸部にあるオアシス都市ニズワは、6~7世紀にかけてオマーンの首都として栄えた歴史ある都市です。
「ニズワ・フォート」は、アル・ヤルービ朝のイマームであるスルタン・ビン・セイフ・ビン・マリクによって1668年に建造されました。以後、行政の中枢として、イマームやワリ(地方知事)の住居として使われてきたのだとのこと。
高さ30m、直径36mの円筒形のメインタワーには、外側に向けて24門の大砲が設置され、フォートの内部には、敵の侵入を防ぐための工夫や仕掛けをそこかしこに見ることができます。
オールド・アラブ砦(タンザニア・ザンジバル)【世界遺産】
アフリカ東海岸、タンザニアの沖合いのインド洋上にある島「ザンジバル」。この島は、10世紀頃からアラブ商人が住み始め、インド洋交易の要衝となっていました。
「オールド・アラブ砦」は、1699年に建設された砦。その後、19世紀には刑務所として、20世紀半ばにはザンジバルの鉄道駅として使用されました。
中庭を囲む四方の壁と、銃眼が設けられた円形の塔などが残されています。
ナリカラ要塞(ジョージア・トビリシ)
ジョージア(グルジア)の首都トビリシ。町を見下ろす丘にある「ナリカラ要塞」は、5世紀にトビリシを守るために創建された要塞です。
19世紀に要塞内の火薬庫が爆発し、内部にあった多くの建物が失われたそうで、内部は廃墟同然。建物と呼べる建物は、城内にある教会「聖ニコロズ教会」だけです。
ナリカラ要塞からは、トビリシの町のパノラマを見渡すことができます。
バヴェル城(ポーランド・クラクフ)【世界遺産】
ポーランド南部にある町クラクフ。
その栄光の象徴と呼べるのが「ヴァヴェル城」です。
この「ヴァヴェル城」は、14世紀の頃、北はリトアニアから南はバルカン半島・黒海に至るまで、東ヨーロッパの大半を占める広大な地域を支配した「ポーランド王国」の王宮であり、文化の中心地でした。
「ヴァヴェル城」はクラクフ旧市街の南、ヴィスワ川のほとりにあります。
レンガ造りの茶色の外観が印象的な、美しい王城です。
ロック・オブ・キャシェル(アイルランド・キャシェル)
アイルランドの首都ダブリンからバスで約3時間。アイルランド南東部、ティぺラリー州の緑の平原地帯のただなかに灰色の城塞が聳え立っています。「ロック・オブ・キャシェル」です。
「ロック・オブ・キャシェル」は、この地域を支配したマンスター王国(370~1101)の王の居城であった場所であり、マンスターにおけるキリスト教の中心地でもあった場所でした。
標高約67メートルの岩山の上には、大聖堂や礼拝堂、円塔やハイクロスの並ぶ墓地などが密集して建っています。現在残っている建物の創建は12~13世紀であると言われています。
麓の街から眺め見るその姿は、まさに「威容」という表現がぴったり!
スフォルツェスコ城(イタリア・ミラノ)
イタリア北部の町ミラノにある「スフォルツェスコ城」は、ミラノ公爵フランチェスコ・スフォルツァによって1450年に建造された平城です。
内部は博物館・美術館になっており、ミケランジェロの最後の作品「ロンダニーニのピエタ」も展示されています。
卵城(カステル・デローヴォ)(イタリア・ナポリ)【世界遺産】
イタリア南部の町ナポリ。「卵城(カステル・デローヴォ)」は、サンタ・ルチア地区にある海に突き出たお城です。
11世紀にノルマン人がこの城を築く際、城の基礎の中に卵を埋め込み、「卵が割れるとき、城はおろか、ナポリにまで危機が迫るだろう」と呪文をかけたことが城の名前の由来と言われています。
卵城の屋上からは、ナポリの街並みや、遠くにヴェスヴィオ火山までが見渡せます。
ロンドン塔(イギリス・ロンドン)【世界遺産】
イギリスの首都ロンドン。テムズ川岸のイースト・エンドに築かれた中世の城塞「ロンドン塔」は、”女王陛下の宮殿にして要塞”と言われ、現在でも儀礼的な武器などの保管庫、礼拝所などとして使用されています。
建設されたのは、11世紀初頭。以後、17世紀まで国王が居住する宮殿として使われ、その後、監獄や処刑場として使用されました。現在は、イギリス王室が所有する宮殿となっています。
この塔には世界最大級の大きさであるワタリガラスが飼育されています。ワタリガラスがいなくなるとロンドン塔が崩れ、英国が滅びるという言い伝えのためなのだとのこと。
塔内には世界最大級のダイヤモンド(南アフリカのカリナン鉱山で発見された3,106カラットの「カリナン」)も展示されています。
ドーバー城(イギリス・ドーバー)
イギリスの南端、34キロの海を隔てた向こうがすぐフランスという位置にあるドーバーの町。町の象徴でもある石灰質でできた白い崖、通称「ホワイトクリフ」の上に建っているのが「ドーバー城」です。
ドーバーはローマ時代から大陸への窓として重要性を持ち、11世紀にウィリアム1世(ノルマンディー公ウィリアム)により「ドーバー城」が築かれました。
第一次、第二次大戦中は、作戦基地として使用され、ダンケルク作戦の指揮はここで行われたそうです。
プラハ城(チェコ・プラハ)【世界遺産】
プラハは、チェコ共和国の首都で最大都市。14世紀、プラハは神聖ローマ皇帝カレル4世のもと、「黄金のプラハ」と呼ばれるほどの繁栄を謳歌しました。
「プラハ城」は、かつてボヘミア国王や神聖ローマ皇帝の居城であった城で、現在はチェコ共和国の大統領府のある場所となっています。
世界でも最も大きい城の一つで創建は870年。敷地内部には、ゴシック様式の聖ヴィート大聖堂、ロマネスク様式の聖イジー教会、数多くの宮殿や塔、庭園があり、約一千年に及ぶ、様々な建築様式の建物が建ち並んでいます。
タリンの城砦と城壁(エストニア・タリン)【世界遺産】
エストニアの首都「タリン」は、バルト海のフィンランド湾に臨む港湾都市。
11世紀頃にはすでにエストニア人による砦が築かれていたそうですが、1219年にデンマーク王バルデマー2世がこの地を占領。トームペアの丘に城を築きました。
タリンには旧市街を取り囲む城壁や教会などの13〜18世紀の建造物が非常に良好な状態で残されており、ヨーロッパでも最も保存状態の良い旧市街地のひとつとして知られています。
ゲディミナス城(リトアニア・ビリニュス)【世界遺産】
リトアニアの首都ビリニュス。
14世紀、リトアニア大公国の王ゲディミナスがトラカイからビリニュスに遷都した際に建設された「ゲディミナス城」
始めに建設された上の城と16世紀に建てられた下の城がありますが、上の城は19世紀に帝政ロシアによって、その大部分が破壊されてしまいました。
「ゲディミナス塔」は、上の城の中で唯一破壊を免れた遺構です。
リュブリャナ城(スロベニア)
スロベニアの首都リュブリャナ。
「リュブリャナ城」は、1144年に建設され、16世紀の大地震で一部が壊れたあとに改築されたものです。刑務所として使われていた時期もあったそう。
城の見張り塔は1848年から見張り番が住み込んでおり、現在でも、火事の警告、重要な来訪者の到着や出来事を大砲で知らせる役割を担っています。
城の内部には、カフェやウエディングホール、バーチャルミュージアムなどがあります。
ブレッド城(スロベニア)
スロベニアの首都リュブリャナからバスで1時間20分ほどの場所にある、スロベニアきっての景勝地「ブレッド湖」。
「ブレッド城」は、湖の北東の畔の高さ約130mの崖の上に建っているスロベニア最古の城。創建は11世紀初頭です。
城は、ロマネスク様式の壁とゴシック様式の棟に囲まれた1階部分と、邸宅や礼拝堂が建つ2階部分の二層から成り、博物館やレストランなど様々な施設がありますが、一番の見どころは、テラスから見えるブレッド湖の絶景です♪
ドゥブロヴニクの城壁(クロアチア)【世界遺産】
“アドリア海の真珠”とも謳われる南クロアチアの都市「ドゥブロヴニク」
街を取り囲む「ドゥブロヴニク城壁」は、周囲約1,940mの長さがあり、城壁の上は遊歩道として、約1時間ほどでぐるりと一周できるようになっています。
城壁の厚さは約5m、高さは約20m。城壁は7世紀に最初に造られたそうですが、現在残る主要部分は12世紀〜17世紀に掛けて造られたものであるとのこと。
城壁の上からは、旧市街の街並みを一望することができます。
サン・フェリペ要塞(コロンビア・カルタヘナ)【世界遺産】
コロンビア最大の観光都市、カリブ海に面した港町カルタヘナ。
カルタヘナの町周辺に数多く築かれた要塞のうち、町の防衛機能の中心的役割を果たしたのが「サン・フェリペ要塞」です。
1657年に建設されたこの要塞は、南米大陸で最も堅牢な要塞と言われており、1741年にイギリス海軍の大船団に襲撃された際も要塞は町の防衛に大きな効果を発揮し、大船団を退けることに成功しています。
モロ要塞(キューバ・サンティアゴ・デ・クーバ)【世界遺産】
キューバ東部の町サンティアゴ・デ・クーバの市街から南へ約10Kmのところに「モロ要塞」があります。
モロ要塞の正式名称は、サン・ペドロ・デ・ラ・ロカ城。海賊の襲撃を防ぐ目的で1643年に造られた要塞で、設計はイタリア人のジョヴァン・バッティスタ・アントネッリ。
カリブ海に面したサンティアゴ・デ・クーバ湾の入り口にあり、海面からの高さは約60m、要塞の下部には武器庫があり、上部には宿舎や礼拝堂、牢獄などがあります。
要塞の中には、武器や要塞の増改築の遷移、見取り図などが展示されていて、宿舎や礼拝堂などとして使われた部屋を見ることができます。
サクサイワマンの砦(ペルー・クスコ)【世界遺産】
ペルーのアンデス山中の町クスコから坂道を200mほど登ったところに「サクサイワマン」があります。「サクサイワマン」とは、ケチュア語で「満腹のハヤブサ」を意味します。
石組みは3層になっており、ジグザグな形で約360メートル続いています。この石組み、かつては20メートルもの高さがあったとのことですが、スペインによってかなり破壊されてしまいました。
サクサイワマンの目的はまだ明らかになってはいませんが、城砦や要塞、宗教施設など、様々な説があるのだそう。
オリャンタイタンボの砦(ペルー)
「オリャンタイタンボ」はクスコからは約90キロの距離にある遺跡。この遺跡はペルー第二の遺跡と言われています。
インカ帝国全土に網の目のように張り巡らされていた「インカ道」。オリャンタイタンボは、その中継地にある旅籠のひとつです。
オリャンタイタンボは、侵略者であるスペイン軍を撃退した難攻不落の要塞でもありました。
スペイン軍の支配から反旗を翻した第11代皇帝マンコ・カパック2世は、首都クスコからこのオリャンタイタンボに逃れます。そして、この要塞でスペイン軍を撃退したのだそうです。
大理古城の城門(中国雲南省)
中国雲南省にある町「大理」は、白(ぺー)族の里です。
「大理古城」は大理市街から約14kmの場所にあり、人口の約7割が白族であるそう。
大理古城は、高さ6m、幅12mの周囲約6kmに及ぶ城壁によって囲まれていましたが、現在では、城壁の一部と南と北二つの城門が残るのみとなっています。
蘇州の盤門(中国江蘇省)
中国江蘇省にある町「蘇州」。街中に運河が流れる水の都で「東洋のヴェニス」とも称される町です。春秋時代には呉の都として、五代時代には呉越国の都として栄えました。
蘇州旧市街を囲む城壁の一角にある「盤門」は、蘇州城に唯一残る城門です。
紀元前514年に創建されたそうですが、現存するのは元代の1351年に改修されたもの。
松山城(日本・愛媛県松山市)
松山城は、愛媛県松山市の中心部、標高132mの勝山に築かれた広大な平山城。
山頂に本丸、中腹に二之丸、麓に三之丸を配した連郭式平山城で、江戸時代以前に造られた日本に12しかない天守(現存12天守)のひとつとして知られている名城です。
天守をはじめ、現存する21棟の建造物が重要文化財に指定されています。
松山城は、関ヶ原の戦いで活躍した武将、加藤嘉明が慶長7年(1602年)に築城を開始し、四半世紀かけて完成させました。
松山城の石垣は、初代城主である彼によりほとんどが築かれたのだとのこと。
竹田城(日本・兵庫県朝来市)
兵庫県北、朝来市和田山。旧但馬国にある山城「竹田城」です。
竹田城は、嘉吉年間(1441-43)、守護大名の山名持豊(宗全)の有力家臣のひとり、太田垣によって築かれました。
当初は土塁造りの城であったようですが、その後、羽柴秀長から赤松広秀までの城主時代(1578~1600)に改修工事が行われ、現在あるような総石垣造りの城郭になったのだとか。
竹田城は、慶長5年(1600年)に、家康の命によって廃城とされ、現在では石垣が残るのみとなっています。
首里城(日本・沖縄県那覇市)【世界遺産】
沖縄県那覇市(琉球王国中山首里)にある「首里城」は、琉球王朝の王城跡です。
外郭と内郭の二重の城郭に囲まれており、広い御庭には、中国の影響を受けた朱塗りの首里城正殿が建っています。
首里城は、14世紀末に築城されたと推定され、15世紀初頭に琉球王朝が建てられると、王家の居城として用いられるようになりました。
明治12年の琉球処分により廃城、太平洋戦争時に建物が破壊され、1992年の本土復帰20周年を記念して再建されたものの、2019年に火災により焼失してしまいました。
現在は、2026年の完成に向けて再建事業が進んでいる様子。
シティ・パレス(インド・ジャイプル)【世界遺産】
インド・ラジャスタン州の州都ジャイプル。
ジャイプルは、マハラジャのサワイ・ジャイ・シング2世によって1727年に築かれた計画都市です。城壁に囲まれた2キロ四方の街区にある建物が全てピンク色で塗られており、通称”ピンクシティー”とも呼ばれています。
街の中心にある「シティ・パレス」は、サワイ・ジャイ・シング2世により、山城のアンベール城から平地に遷都してできた宮殿。ラージャスターンとムガールの二つの様式が融合した建築として有名です。
現在でも、ジャイプル藩王の住居として使用されているほか、多くの建物が博物館として公開されています。
チョウマハラ宮殿(インド・ハイデラバード)
「チョウマハラ宮殿」は、1724〜1948年までインドのデカン地方を支配した「ニザーム王国」の宮殿であり、権力の中枢であった場所です。
敷地内には、2つの広い中庭があり、4つの宮殿があります。ちなみに、「チョウ」とは4の意味で、マハラとは宮殿の意味であるとのこと。
チョウマハラ宮殿の一番の見どころは、1階にある「ダルバール・ホール」(謁見の間)。大理石の床と玉座、コリント式の列柱とアーチ、ベルギー産クリスタルの19個の見事なシャンデリア。天井や壁の装飾も見事。
ニザーム家の優雅な暮らしを窺い知ることができます。
フエの王宮(ベトナム・フエ)【世界遺産】
ベトナム中部にある「フエ」は、ベトナム最後の王朝、阮(グエン)朝の都が置かれた町です。
1801年、阮福映(ザーロン帝)は、フエの町を制圧し、ここを首都と定めました。そして、彼は、越南(ベトナム)を正式な国号としたそうです。阮朝はベトナム初の統一王朝でもありました。
フエの最大の見所である「阮朝王宮」。その中でも最も美しい建物が「王宮門」(午門)です。高さ約17mの中国風の建物で、門は5つあります。
王宮門を抜けたすぐ正面にあるのが「太和殿」。ここは阮朝の政治の中心でした。屋根や柱は皇帝の象徴である龍が飾られています。
この建物はベトナム戦争中の1968年に破壊されましたが、1970年に再建されました。
アラム・パレス(オマーン・マスカット)
オマーンの首都、マスカット最古の地区である「オールド・マスカット」
オマーンの王宮「アラム・パレス」は、200年以上の歴史を持つ宮殿で、現在の建物は1972年に王宮として再建されたもので、2020年に亡くなったオマーンの国王(スルタン)「カブース・ビン・サイード」によって、主に儀式用の宮殿として使用されていたのだとのこと。
水色と黄色に塗られたカラフルな王宮の内部がどうなっているか興味津々ですが、残念ながら中には入ることはできません。
バンコクの王宮とワット・プラケオ(タイ・バンコク)
タイの首都バンコク・プラナコーン区にある「王宮」は、タイ国王の公的な居住地であり、タイ国内で最も重要だとされている宮殿です。
現在、タイ国王はここには居住していませんが、重要式典はこの「王宮」で行われています。
敷地内には、アマリン宮殿やチャクリー宮殿など数多くの宮殿群があるほか、有名なエメラルド仏が安置されている王室寺院「ワット・プラケオ(エメラルド寺院)」があります。
パガルユン宮殿(インドネシア・西スマトラ)
インドネシアのスマトラ島。その中部の西岸、西スマトラ州は、独自の伝統文化を持つ「ミナンカバウ人」が暮らす地として知られています。
「パガルユン宮殿(Istano Basa Pagaruyuang)」は、14世紀から19世紀にかけて、中央スマトラを統治した「パガルユン王国」の王宮です。
建物は、ミナンカバウの伝統的建築「ルマ・ガダン」スタイルで建てられています。
宮殿の屋根は、「ルマ・ガダン・ゴンジョン」と呼ばれる、「イジュク」という椰子の繊維で作られたもの。この尖った形は、水牛の角を模しているのだとか。
昌徳宮(韓国・ソウル)【世界遺産】
韓国の首都ソウルにある「昌徳宮」は、李氏朝鮮(李朝)3代国王の太宗が1405年に創建した離宮。李朝時代当時の面影を最もよく残している宮殿として、世界遺産にも登録されています。
昌徳宮の正殿である「仁政殿」では、王の即位式、臣下の朝礼式、韓国使臣の接見など、国の重要行事が行われたのだとのこと。
王の公式な執務室だった「宣政殿」は、韓国で唯一の青い瓦で造られた宮殿です。
国民の館(ルーマニア・ブカレスト)
ルーマニアの首都ブカレストにある「カーサ・ポポールルイ」は、独裁者であったチャウシェスクが建設した宮殿です。現在は「国民の館」と呼ばれています。
建設費は日本円にして1500億円以上、地上10階、地下4階、高さ84m、幅275m、奥行き235m、延床面積330,000㎡、部屋数は3107もあり、政府系の建築物としてはペンタゴン、タイ国会議事堂に次いで世界第3位の大きさであるとのこと。
ルーマニア革命により、チャウシェスク政権が倒された後、現在は博物館として公開され、館内には現代芸術美術館もオープンしています。
ヴェルサイユ宮殿(フランス)【世界遺産】
パリの南西約20㎞、RERで40分ほどの場所に「ヴェルサイユ宮殿」はあります。
「ヴェルサイユ宮殿」は、1682年、フランス王ルイ14世によって建造された宮殿で、フランス絶対王政の象徴と言われる建物です。
バロック様式で造られた豪華な宮殿と離宮、天才造園家アンドレ・ル・ノートルによって造営された広大な庭園からなり、庭園を含めた総面積はおよそ800万㎡。
宮殿の「グラン・アパルトマン」内にある、全長73mの回廊を持つ「鏡の間」では、マリー・アントワネットの婚礼舞踏会が行われたほか、ドイツ皇帝ヴィルヘルム1世の即位式や第一次大戦終結の講和条約「ヴェルサイユ条約」の調印も行われました。
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