ペルーの首都リマ。
この街の「バリオ」と呼ばれる下町で、19世紀の終わり頃から演奏され始め、1930年代にはそのスタイルが出来上がったといわれる「クリオーヤ音楽(ムシカ・クリオーヤ)」
このアルバム「レナシミエント(Renacimiento)」(ラ・グラン・レウニオン:ロス・グアルディアネス・デ・ラ・ムシカ・クリオーヤ:Los Guardianes De La Musica Criolla)は、リマの庶民たちが演奏し続けてきた音楽を、その担い手であった古老たちを集めて2007〜8年に録音したプロジェクトの第1作目です。
スペイン音楽と黒人音楽、先住民の音楽が混じり合った「クリオーヤ音楽」
La Gran Reunion-Renacimiento-Chiquito Rodriguez-Barrio de Mercedarias
上の動画の音楽、素晴らしいですよね♪
何とも言えない、味のある演奏と歌です。
「ロス・グアルディアネス・デ・ラ・ムシカ・クリオーヤ」の音楽、「クリオーヤ音楽」(ムシカ・クリオーヤ)とは、そもそもどんな音楽なのでしょう。
16世紀、インカ帝国が支配していたペルーやボリビアなどの地域を征服し、植民地とした白人(スペイン人)
彼らスペイン人入植者たちは次第に土着化し、2世、3世が生まれるようになっていきます。
この、新大陸で生まれた白人たちのことを「クリオーヤ」と呼びます。
植民地であったペルー、その支配階級は本国スペインから派遣された官僚たちです。
本国スペイン生まれの白人たちの下に置かれた「クリオーヤ」たち。その不満は、19世紀になって爆発し、南米諸国は次々と独立をすることとなります。
ペルーは、コスタ(海岸地帯)、シエラ(山岳地帯)、セルバ(熱帯雨林地帯)の3つの地域に分かれています。
先住民の帝国であったインカ帝国の首都クスコがあるのが、アンデス山中のシエラ。
侵略支配した白人たちは、主に首府リマを中心としたコスタに住んでいました。
先住民族の影響の色濃い山岳地帯の「アンデス文化」に対して、スペイン人の影響の強い海岸地帯の文化を「クリオーヤ文化」と言うそうです。
そんな「クリオーヤ」が生みだした音楽が「クリオーヤ音楽」(ムシカ・クリオーヤ)なのです。
La Gran Reunion-Renacimiento-Pila Curay-Los Años han Pasado
アルバムには、「バルス」を中心に、「ポルカ」や「フォックストロット」を交えて20曲が収録されています。
「バルス」とは、スペイン語で「ワルツ」のこと。
「クリオーヤ音楽」(ムシカ・クリオーヤ)は、スペイン音楽の強い影響を受けています。
「ワルツ」や「ポルカ」「マズルカ」など、ヨーロッパのサロン音楽がそのベースになっているのです。
けれども、「クリオーヤ音楽」には、そんなヨーロッパの音楽に黒人のリズムや楽器、アンデス先住民族の音楽的要素がミックスされています。
現在、ペルーに住む黒人は人口の約1%ほどですが、植民地時代に中米パナマを経由して多くの黒人奴隷が連れてこられ、ペルーの海岸地帯に居住していました。
そんな黒人のリズムが「クリオーヤ音楽」に強い影響を与えているのです。
La Gran Reunion-Renacimiento-Jorge Armas-Rosas Mustias
「クリオーヤ音楽」は、1920〜60年代に全盛期を迎えました。
その時代、多くの名作曲家、名演奏家が輩出され、いくつもの名曲が生まれたそうです。
スペイン人の音楽とアンデス先住民の音楽、奴隷として連れてこられた黒人の音楽、それらの音楽が混じり合った大衆音楽「クリオーヤ音楽」は、現在ではペルーを代表する音楽のひとつです。
ペルーの首都リマの街並み
商業化されず、リマの下町で世に知れず受け継がれてきた「クリオーヤ音楽」
このアルバム「レナシミエント(Renacimiento)」(ラ・グラン・レウニオン:ロス・グアルディアネス・デ・ラ・ムシカ・クリオーヤ:Los Guardianes De La Musica Criolla)は、そんな、知られざる名演奏家たちの演奏を収録し、世界に向けて発信した貴重な作品。
ペルー版「ブエナ・ビスタ・ソシアル・クラブ」です!
♪ラテンアメリカ音楽
https://search-ethnic.com/music/la-gran-reunion
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