熊本県天草下島南西部。羊角湾の入江の奥、迫り出した山に囲まれて、小さな漁村が佇んでいます。
江戸幕府の厳しい弾圧を受けながらも240年間に渡ってキリスト教の信仰が守られてきた集落「﨑津集落」です。
世界遺産「長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産」の構成資産のひとつとしても知られている「﨑津集落」。
「潜伏キリシタン」に思いを馳せに、「﨑津集落」に行ってきましたので、ご紹介します★
「﨑津集落」とは? 「﨑津集落」の歴史
「﨑津集落」
「﨑津集落」は、戦国時代に漁村として形成された集落です。1569年にこの地を治めていた領主の天草氏が宣教師「ルイス・デ・アルメイダ」を招き、キリスト教の布教が行われました。この時、教会も建てられています。
その後、キリシタン大名の小西行長によってこの地は支配されます。行長は豊臣秀吉のバテレン追放令後も宣教師を庇護しました。
江戸時代になった1613年、幕府は禁教令を発布し、キリスト教の信仰を禁止。これにより、集落のキリシタンたちは潜伏化します(潜伏キリシタン)。
1637年、キリシタンの天草四郎が中心となった一揆「島原・天草の乱」が起こりますが、﨑津集落のキリシタンたちは参加しませんでした(外界と隔絶していたため乱のことを知らなかった)。
そして、その後も﨑津集落のキリシタンたちは、表向きは仏教徒を装いながら、密かにキリスト教の信仰を続けていったのです。
ところが、1805年、﨑津周辺で5,205人の潜伏キリシタンが摘発される「天草崩れ」という事件が発生し、集落のキリシタンたちは、棄教 or 殉教の危機に直面することとなります。
しかしながら、仏教徒を装った偽装棄教が功を奏し、事を穏便に済ませたいという幕府の思惑もあり、「心得違いをしていたが改心した」との取り成しで、﨑津集落のキリシタンたちは放免されることとなったのです。
以後、彼らは信仰を守り続け、1867年には江戸幕府が滅亡。そして、1873年(明治6年)に禁教令が解かれると、彼らの多くがカトリックに復帰しました。
その後もキリスト教の信仰は受け継がれ、﨑津集落には現在でも400人ほどのキリスト教徒が暮らしているのだとのこと。
「﨑津集落」の場所・アクセス・集落の歩き方(ガイドの依頼)
「﨑津集落」の場所とアクセス
天草の﨑津集落の場所
「﨑津集落」は、熊本県天草下島の南西部にあります。
熊本市からは、車で2時間半ほど。公共交通機関でも行けますが、鉄道(JR三角線)とバス(九州産交バス)を乗り継いで4時間以上掛かります。
今回は、島内へは鉄道とフェリーでアクセス。島内ではレンタカーを借りました。
熊本から「JR三角線」と「天草宝島ライン」のフェリーを乗り継いで天草下島へ。松島港にある「ミオ・カミーノ天草」でレンタカーを借り、島内の下田温泉に行って宿泊。翌朝、ホテルから「﨑津集落」にレンタカーで訪問しました(車で30分)。
「﨑津教会」の見学とガイドの予約
﨑津のバス停
世界遺産の構成資産のひとつである「﨑津集落」。集落内部は自由に歩くことができますが、メインの見どころである「﨑津教会」の見学は、事前の予約(無料)が必要です。
見学予約は、こちらのサイトから申し込むことができます。
見学日時は毎日9:00~18:00まで。見学時間は60分~180分まで選ぶことができます。
また、「﨑津集落」では、地元住民観光ガイドを頼むことも可能です。
詳細は、こちらのサイト「天草宝島案内人の会」をご参照ください。60分コースでガイド料は3,000円です。
今回は、﨑津教会の見学予約と共に、ガイドも依頼することにしました。
上記のサイトから申込書をプリントアウト、内容記載の上、FAX送信すると、「天草宝島案内人の会」から電話(SMS)が届き、ガイドさんの名前や待ち合わせ場所などが伝えられます。
「﨑津集落ガイダンスセンター」
当日、待ち合わせ場所である「﨑津集落ガイダンスセンター」(道の駅 﨑津内)に9時に訪問すると、ガイドさんが入り口で待っていました!女性のガイドさんです。
挨拶もそこそこに、さっそく出発! 当日は生憎の雨模様で、傘を差しながらの見学となりました。
「﨑津集落」を歩く
こちらが、「﨑津集落」の地図です。
集落は、入江の西側の海沿いに南北に連なっています。
ガイダンスセンターから橋を渡り、国道389号線の信号を抜けると、すぐそこが「﨑津集落」の入り口です。
﨑津集落の中心部MAP
今回訪れたのは、上の地図の5カ所。
- 旧綱元岩下家「よらんかな」
- 初代﨑津教会堂跡
- 﨑津諏訪神社
- 﨑津教会
- 南風屋(ハイヤ)
ガイドさんは、「﨑津集落」の歴史やエピソード、今の集落のレアな情報などを、歩きながらフランクな感じでお話ししてくださいました♪
﨑津の港
山と湾にかこまれた「﨑津集落」
美しい山に囲まれた入江があり、その西側に集落が連なっているのが見えます。
集落の入り口では、地元の若者が集落に入る車をチェックしていました。
ガイドさんによると、観光地化されたくないという地元の人々の希望により、集落内は地元の方以外の車の出入りはお断りしているのだとのこと。
﨑津集落の家並み
﨑津集落のメインストリートを歩いて行きます。
昔ながらの家並みが連なる界隈。雨が降っているということもあるのでしょうが、時折、地元の車が通り掛かるくらいで、歩いている人はほとんど見掛けません。
とても静かです。
地元の方以外の車両は通行禁止
ガイドさんによると、この集落が世界遺産に登録されたことにより(2018年の登録)、時折、数十名からなる観光客の団体が訪れることがあるのだとのこと。
特に多いのが欧米からの団体客で、この日の数日後にも、大きな外国のクルーズ船が﨑津に寄港し、その団体のガイドをする予定なのだとか。
ネコがいました!
軒先に飾られたくまモン
玄関に飾られた「しめ縄」
どの家の玄関にも「しめ縄」が
こちらは、家の玄関に飾られた「しめ縄」。
日本の家では、正月飾りとして軒先に飾られるしめ縄。﨑津集落では、このしめ縄を正月だけでなく、一年中軒先に飾っているのだそうです。
集落のキリシタンたちは、徳川幕府の禁教下でキリシタンだと疑われないように、神道の神祭具であるしめ縄を軒先に飾ったのだそう。その名残であるとのこと。
通り沿いに祀られていた地蔵
こちらも地蔵
メインストリート沿いには「地蔵」がいくつかありました。
地蔵も仏教のものであるので、「しめ縄」と同じく、彼らの偽装棄教の産物であると思われます。
旧綱元岩下家「よらんかな」
旧綱元岩下家「よらんかな」
こちらは、メインストリート沿いにある、旧綱元岩下家「よらんかな」。
﨑津に残る唯一の伝統的な漁師網元の邸宅です。
元々の建物は1892年に建てられましたが、老朽化していたものを解体・復元し、2019年に網元の家財具や漁具の展示スペース、および休憩所としてオープンしました。
さっそく、館内へと入ってみます。
「よらんかな」の館内
使われていた網
建物は2階建て。広々とした和室に、生活用具や漁具、かつての暮らしぶりが分かるパネルなどが展示されています。
2階の部屋。懐かしい黒電話
部屋から見える﨑津の港
2階の部屋からは、美しい﨑津の港と山並みが見えました。
雨も少し止んできたようです。
旧綱元岩下家は海に面しています。
旧綱元岩下家は海に面しています。
建物を出て、海に面した中庭へと向かいます。
海上に張り出した「カケ」
海に面したところには、海上に張り出した「カケ」がありました。
「カケ」とは、﨑津独特の構造物で、海に面した家で見られる海上テラスのこと。
竹やシュロで造られており、漁師の作業場として、船の係留の場として、干物作りの場として使われます。
現在、「カケ」は19基あり、現在でも使用されているとのこと。
船着き場、魚の水揚げ、干物干し、網の修復などに使われていました。
「カケ」から眺める﨑津集落と港
「カケ」から眺める﨑津集落と港。
ガイドさんの話によると、現在は国道389号線がありますが、その昔は﨑津集落へのアクセス手段は船しかなかったそう。
集落のキリシタンが240年間も潜伏し続けられたのも、そのおかげだと考えられます。
海に出るための小さな小道「トウヤ」
約90cmの幅の小さな小道が至る所にあります。
こちらは、海に出るための小さな小道「トウヤ」
約90cmの幅の小さな小道で、集落には数軒ごとに通っています。
海に出るという目的のほか、住民の交流の場ともなっているのだとのこと。
現在は40本の「トウヤ」があります。
波がほとんどない穏やかな﨑津の入江
観光地化していない風情が良いです。
旧綱元岩下家「よらんかな」を出て西へ。集落の中心部へと向かいます。
のんびりとした﨑津集落のメインストリート。観光地化していない風情が良いです。
初代﨑津教会堂跡
「初代﨑津教会堂跡」
こちらは、「初代﨑津教会堂跡」。メインの交差点を右に曲がった左手にあります。
キリスト教解禁後の1888年(明治21年)に、﨑津にはじめて建てられた教会の跡地。
右手には、禁教時に潜伏キリシタンたちが隠れて祈りを唱えていたという「﨑津諏訪神社」の鳥居が見えます。
現在は、教会のシスターが寝泊まりしていたという修道院の建物が建っています。
1957年に建築された修道院の建物
かなり雨が降ってきたので、向かいの家の軒先で雨宿り
先ほどまで雨が少し上がっていましたが、再び激しい雨が降ってきました。
向かいの家の軒先で、少し雨宿り。
﨑津諏訪神社
「﨑津諏訪神社」の鳥居
雨が少し小降りになってきたので、初代﨑津教会堂跡の前を通って、「﨑津諏訪神社」へと向かいます。
入り口の鳥居をくぐり、階段を登って境内へ。
﨑津諏訪神社の階段の上から集落を眺める
「﨑津諏訪神社」の階段の上から集落を眺めたところ。
正面に続く道の先に「﨑津教会」が見えます。
﨑津諏訪神社の社
「﨑津諏訪神社」は、大漁や海上安全祈願のため、1647年に創建されたと伝えられている神社です。
禁教時代、潜伏キリシタンはこの神社の氏子となり、参拝の際には密かに「オラショ」(潜伏キリシタンの祈り)を唱えていたのだそう。
また、1805年の「天草くずれ」の際、潜伏キリシタンが代官所の役人に取調べを受け、信心具を境内に設置した箱に捨てるよう指示された場所でもあります。
立派な鳥居としめ縄
ガイドさんの話によると、1805年の「天草崩れ」の際、潜伏キリシタンが無罪放免となった最大の理由は、﨑津集落の住民は潜伏キリシタンも仏教信徒も共存して暮らしていたため、殉教していなくなってしまったら、集落の暮らしが立ち行かなくなってしまうからだとのこと。
キリスト教と仏教や神道が共存していた貴重な記録として、ユネスコにも評価されているのだそう。
「﨑津諏訪神社」の階段を降り、神社と教会を結ぶ「カミの道」を通って、「﨑津教会」へと向かいます。
﨑津教会
「﨑津教会」
こちらが、「﨑津教会」です。
﨑津教会は、1934年に長崎の建築家、鉄川与助によって建てられたゴシック様式の教会です。
以前は庄屋役の建物で、禁教期にはこの場所で絵踏が行われていました。絵踏が行われていた場所に教会の祭壇が設けられています。
教会内部は、畳敷きとなっています。
ハルブ神父の指導のもと、1934年に建てられました。
「﨑津教会」は、フランス人宣教師「ハルブ神父」の尽力によって建てられた教会です。
ハルブ神父は、1927年に﨑津教会の司祭として着任すると、禁教期に厳しい絵踏が行われていた庄屋役の建物を買い取り、教会の建設に献身しました。
ステンドグラスの窓と三位一体の浮き彫り
「﨑津教会」の堂内に入りました。
正面には、かつて絵踏が行われたという場所に作られた祭壇が見えます。
ステンドグラスの柔らかな光が堂内に差し込み、とても静か。
教会内部の写真撮影は不可。教会の見学には事前予約が必要です。
集落の中に静かに佇む﨑津教会
正面入り口に嵌め込まれたバラ窓
路地から眺めた「﨑津教会」
﨑津教会を拝観した後は、路地を西へ。
南風屋(ハイヤ)
こちらは、通り沿いのお店「南風屋(ハイヤ)」
﨑津名物の「杉ようかん」といちじくジャムのお店です。
﨑津名物「杉ようかん」
「杉ようかん」は、200年以上も前から伝わる天草和菓子であるとのこと。
名前は「ようかん」ですが、うるち米の餅菓子で、こしあん入り。ピンクの色はドラゴンフルーツ果汁を使っているのだとか。
南蛮柿(いちじく)発祥の地、河浦町
河浦町は、南蛮柿(いちじく)発祥の地とされています。
16世紀にローマへ派遣された「天正遣欧少年使節」の引率者であるメスキータ神父の手紙に、「リスボンからいちじくの木を持って来た」という記述があるのだそう。
ここで、いちじくジャムを買いました。
購入した「いちじくジャム」
南風屋(ハイヤ)のある路地
南風屋(ハイヤ)でいちじくジャムを買った後、メインストリートを歩いて、出発地点の「﨑津集落ガイダンスセンター」へと戻ります。
﨑津の港
晴れていたらもっと美しい筈
美しい﨑津の港と山並みの風景。
ガイドさんによると、晴れていたらもっと美しいのだとか。
「﨑津集落ガイダンスセンター」に戻ってきました。
「﨑津集落ガイダンスセンター」に戻ってきました。
60分の﨑津集落の見学。雨模様の中での散策となりましたが、ガイドさんのおかげで、自分たちだけではわからない、歴史やエピソードを知ることができました。
﨑津の潜伏キリシタンに想いを馳せる貴重な機会になったと思います。
ガイドさんとお別れをした後は、﨑津集落から北西へ車で10分ほどの場所にある「大江天主堂」へ。車に乗った途端、雨が激しくなり、嵐のような天気に。。
大江天主堂・ロザリオ館
「大江天主堂」
こちらが、「大江天主堂」
キリスト教解禁後、天草で最も早く建てられた教会です。
山の上に建つ白亜の外観が印象的。ロマネスク様式で建てられています。
美しい白亜の外観
「大江天主堂」の建設に尽力したのは、フランス人宣教師「ガルニエ神父」。
ガルニエ神父は、1892年年に大江教会の司祭として着任すると、私財を投じて「大江天主堂」を完成させ、1941年にこの地で没するまで49年間、質素な生活を送りながら天草島民への布教を続けたのだそう。
「大江天主堂」の入り口
「大江天主堂」の堂内にも入りました。
日本人の観光客が2名ほどいましたが、堂内はとても静か。
「大江天主堂」は自由に拝観が可能です(開館時間は9:00~17:00)。
教会内部の写真撮影は禁止されています。
「天草ロザリオ館」
こちらは、大江天主堂のすぐ近くにある「天草ロザリオ館」
「天草ロザリオ館」は、潜伏キリシタンの暮らしや信仰、文化を伝える遺物や資料を展示している資料館(開館時間は8:30~17:00 定休日は水曜日 入場料は一般300円)。
潜伏キリシタンの歴史を紹介する15分ほどのスクリーン映像や、禁教時代のかくれ部屋を再現したジオラマ、仏式の葬式で詠み上げられるお経の効果を消すために使われたという「経消しの壺」(県指定重要文化財)など、見応えのある資料館です。写真撮影は不可。
特に印象的だったのは、潜伏キリシタンたちが祈りのために使用した遺物の数々。
観音像をマリア様に見立てたり、身近なもの(貨幣などの模様)を十字架に見立てたりして、厳しい弾圧の中、信仰を続けて来たことが垣間見え、胸が熱くなりました。
まとめ
天草の「潜伏キリシタン」に想いを馳せる旅。
ガイドさんの説明を聞きながら「﨑津集落」を散策し、美しい「﨑津教会」や「大江天主堂」を訪れ、「天草ロザリオ館」で信仰の遺物の数々を拝見。
厳しい弾圧を受けながらも240年間に渡って信仰が守ってきた「潜伏キリシタン」についての理解を深める貴重な時間となりました★
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