古代アンデス文明の謎を追い、その魅力を世界に紹介する「TBSアンデス・プロジェクト」
1991年にスタートしたこのプロジェクトの集大成となる展覧会「古代アンデス文明展」が、東京、上野の「国立科学博物館」で、2017年10月21日(土)~2018年2月18日(日)の期間で開催されました。
ユニークな古代アンデス文明の発掘品の造形と、失われた文明のミステリアスな魅力を楽しめる「古代アンデス文明展」、先日さっそく鑑賞してきました〜!
アンデスってなんです?9つの古代アンデス文明を一堂に展示・紹介!
古代アンデス文明展ポスター(黄金)
古代アンデス文明展ポスター(ウユニ塩湖)
古代アンデス文明展ポスター(ティワナク)
南米大陸の太平洋岸、南北4000km、標高差4500mにも及ぶ広大な地域に興隆したアンデス文明。
人類がこの地域に到達して以後、先史時代から1533年にスペイン人がインカ帝国を滅ぼすまでの約1万5000年の間に、この地域には9つの文明・文化が盛衰を繰り返してきました。
「TBSアンデス・プロジェクト」は、1994年に国立科学博物館で開催された「黄金の都シカン発掘展」を皮切りに、2012年開催の「インカ帝国展‐マチュピチュ『発見』100年」まで5回の展覧会を開催し、この地域の文明を紹介してきましたが、今回の展覧会「古代アンデス文明展」は、その集大成的な展覧会。
アンデス地域に興隆した「チャビン」「モチェ」「ナスカ」「ティワナク」「ワリ」「シカン」「チャンカイ」「チムー」「インカ」という9つの文明・文化を網羅して展示・紹介しています。
時代別に構成された6つの展示コーナー
「古代アンデス文明展」の入り口
「古代アンデス文明展」は、時代別に7つの章による展示構成となっています。
各章の内容は以下の通りです。
- 序章 アンデスへの人類到達(紀元前13000年~前3000年頃)
- 第1章 アンデスの神殿と宗教の始まり
- カラル文化(紀元前3000年頃~前2000年頃)
- 第2章 複雑な社会の始まり
- チャビン文化(紀元前1300年~前500年頃)
- 第3章 さまざまな地方文化の始まり
- ナスカ文化(紀元前200年頃~紀元650年頃)
- モチェ文化(紀元200年頃~750/800年頃)
- 第4章 地域を超えた政治システムの始まり
- ティワナク文化(紀元500年頃~1100年頃)
- ワリ文化(紀元650年頃~1000年頃)
- シカン文化(紀元800年頃~1375年頃)
- 第5章 最後の帝国-チム-王国とインカ帝国
- チムー王国(紀元1100年頃~1470年頃)
- インカ帝国(紀元15世紀早期~1572年頃)
- 第6章 身体から見たアンデス文明
序章から第1章〜第5章まで時系列でブースが構成されているので、各文化ごとの思想の違いや造形のデザイン、時代による変容など、アンデス文明の概略がよく理解できるようになっています。
「土製のリャマ像」(ワリ文化)
こちらは、会場入り口に展示されていた「土製のリャマ像」(ワリ文化)
ペルーの家畜といえば、リャマとアルパカ。
リャマは、荷物の運搬や織物のための採毛、食肉用としても利用されるなど、古代アンデスの人々にとってなくてはならない動物でした。
スペイン人がアメリカ大陸にやってくるまで、南北アメリカ大陸には牛や馬、豚や羊などはいなかったようです。
さて、美しい造形の「土製のリャマ像」を見て気分が高まってきたところで、さっそくメインの展示コーナーへと進んでいきましょう〜♪
第1章 アンデスの神殿と宗教の始まり
第1章 アンデスの神殿と宗教の始まり
まずは、アンデス文明の黎明期から。
「第1章 アンデスの神殿と宗教の始まり」の展示コーナーです。
このコーナーでは、首都リマのおよそ200km北方に位置する「カラル遺跡」や「コトシュ遺跡」の発掘品が展示されています。
カラル文化(紀元前3000年頃~前2000年頃)
コトシュ遺跡「交差した手の神殿」の発掘品
カラル文化の発掘品
「カラル文化」が繁栄したのは、紀元前3000年頃から前2000年頃のこと。
エジプトで初めての統一王朝「エジプト第一王朝」が成立し、メソポタミアでは青銅器の製造が始まった時代。日本はまだ石器時代です。
カラルは川沿いに位置し、トウモロコシやサツマイモなどの野菜やワタなどを栽培し、アマゾン地域などとの交易も行なっていたことが推測されています。
第2章 複雑な社会の始まり
第2章 複雑な社会の始まり
「第2章 複雑な社会の始まり」の展示コーナーです。
アンデス文明は、全域が文化的に統一された時代と、各地に個別の文化が成立する時代が交互に現れたと考えられています。
紀元前1300年から前500年頃にかけて繁栄した「チャビン文化」は、統一された時代の方の文化。アンデス文明で初めての統一文化です。
チャビン文化(紀元前1300年~前500年頃)
自身の首を切る人物の象形鐙型土器
アンデス文明の源流とも言われる「チャビン文化」
「チャビン文化」は、ジャガー神信仰に基づく独特の祭祀や宗教儀礼を行い、各地に大きな神殿都市を建設したことで知られています。
代表的な都市遺跡は、中部高原地帯にある「チャビン・デ・ワンタル」や「クントゥル・ワシ」など。
テノンヘッド
サル人間の図像が彫られた石版
幾何学文様のある石製すり鉢
クビスニケ文化の土器と小像
クントゥル・ワシ期の黄金製品
「チャビン文化」の特色は、その芸術様式。
ジャガーやヘビ、コンドル、ワニなどを組み合わせた独特で抽象的な図像が、石彫や金細工、織物、土器などに描かれています。
アンデス文明の個性的でユーモラスな土器や彫像のデザインはこの時代に生まれたようで、「チャビン文化」のデザインはペルー全土に普及し、後のアンデスの様々な文化に継承されていったのだとのこと。
それにしても、動物や人物をディフォルメし抽象化した土器や彫像は、なんとも言えない魅力。そのデザインセンスに脱帽です!
第3章 さまざまな地方文化の始まり
第3章 さまざまな地方文化の始まり
「第3章 さまざまな地方文化の始まり」の展示コーナーです。
アンデス全土に文化的な影響力をもたらした「チャビン文化」の力が衰退すると、その後は様々な地方文化が興隆する時代となります。
このコーナーでは、北部海岸地帯で栄えた「モチェ文化」と南部海岸地帯で繁栄した「ナスカ文化」が紹介されています。
モチェ文化(紀元200年頃~750/800年頃)
同じ人物の人生の3つの時期の顔を表現した肖像土器
「モチェ文化」は、ペルー北海岸に注ぐモチェ川の周辺で紀元200年頃~750/800年頃まで繁栄した文化です。
モチェ文化では、美しく彩色され、写実的に人面や動物、作物などを象った鐙型注口土器が特徴。
土器も、見た目、「チャビン文化」の土器に比べるとなかなかリアル感があります。
モチェ文化の土器
アシカの土器、リャマの背に乗る男の土器
ウミガメの土器、リアルな男性の顔の土器、チチャ作りをする男女の土器
モチェ文化の土器や棍棒
モチェ文化の土器
モチェ文化の土器
魚の形をした土器
インパクトのある顔をした土器が多い
この造形感覚がすごい!
「チャビン文化」や「モチェ文化」に見られる、上に丸い輪っかが付いた形の土器は「鐙型注口土器」
二股に分かれた注口がひとつになる独特な形をしていて、注口部分が馬具の鎧に似ているためこの名が付けられたのだそう。
「鐙型注口土器」は、儀礼の際の酒器として用いられ、液体を他の器に注ぐ時、独特な音を発するのだとか。
金地に象嵌された人間形の装飾品
モチェの金属製の人物像
ジャガー?の顔がある前掛け
「モチェ文化」では、金属製品も発達しました。
黄金や金・銀・銅・砒素の低カラット合金による金属工芸技術はとても高度。
この技術は、その後の「チムー文化」や「シカン文化」へと受け継がれていきました。
けれども、アンデス文明では、最後の文明「インカ」に至るまで、鉄を利用・製造することはありませんでした。
そこのところが、旧大陸の文明とは違うユニークなところ。
ナスカ文化(紀元前200年頃~紀元650年頃)
ナスカ文化の土器
「ナスカ文化」は、紀元前200年頃から紀元650年頃まで、ペルー南部海岸地帯のナスカで栄えた文化。
世界遺産「ナスカの地上絵」で有名な文化です。
鮮やかな貝殻の首飾り
地上絵にあるクモの絵が土器にも!
鮮やかに彩色されたナスカの土器
魚の絵が描かれた器
こちらは、タツノオトシゴ?
「ナスカ文化」は、土器のデザインが魅力的。
多彩色で彩られ、図柄もポップでキャッチーな感じ。
この土器、ナスカ文化では伝達メディアとしての役割を担っていたのだそうです。
アンデス文明には文字がありませんでした。そのため、文字の代わりに絵や模様で伝達する手段が発達したのだと考えられています。
ナスカの地上絵(ハチドリ)
ナスカの地上絵(手と木)
「ナスカ」と言えば地上絵。
「ナスカの地上絵」で描かれた動物や魚などの図柄の中には、土器や織物に描かれているものがあります。
地上絵の最大のものは、285m(ペリカンの絵)
地上からはその全体像を全く見ることができない「ナスカの地上絵」ですが、土器や織物と同じく、この地上絵も文字のない彼らにとっての情報伝達メディアだったのだと考えられているのだとのこと。
ナスカの前身「パラカス」の織物
鮮やかな文様が織り込まれた帯
ミイラのマント
とても高度な織物技術です。
ナスカ文化の前身「パラカス文化」の織物です。
「パラカス文化」は、砂漠の中の地下式墳墓から発見された多数のミイラと豪華な織物に特色があります。
パラカスでは、上の写真のような美しい彩色をした織物がミイラを包む布として使われていましたが、この布、間近で見ると、とても精緻な織りの技術で、2000年前の人間の手仕事とは思えないほど見事なつくりをしています。
第4章 地域を超えた政治システムの始まり
第4章 地域を超えた政治システムの始まり
「第4章 地域を超えた政治システムの始まり」の展示コーナーです。
このコーナーでは、後の大帝国「インカ」へと繋がる3つの文化。チチカカ湖の南に位置した「ティワナク文化」(紀元500年頃~1100年頃)、沿岸部と中央高地を版図とした「ワリ文化」(紀元650年頃~1000年頃)、北部海岸地帯に栄えた「シカン文化」(紀元800年頃~1375年頃)の出土品が展示されています。
ティワナク文化(紀元500年頃~1100年頃)
ティワナク文化の土器
「ティワナク文化」は、標高3800mにあるチチカカ湖の湖畔にあるチチカカ盆地で、紀元500年頃~1100年頃まで繁栄した文明です。
中心となった「ティワナク遺跡」には、巨大な一枚岩の石造りの門「太陽の門」や「モノリート」と呼ばれる石像など、巨石が用いられた構造物が多く、「石の文化」「石の文明」などと呼ばれているのだとのこと。
なお、この「ティワナク」遺跡は、発掘調査があまり進んでおらず、「ティワナク文化」は、まだまだ謎の多い文化なのだとか。
ティワナク文化の土器
ティワナク文化の土器
カラササヤで出土した金の儀式用の装身具
黒色玄武岩のチャチャプマ(神秘的な人間型ネコ科動物)彫像
ティワナク文化の土器
ネコ科動物を象った土器が多いです。
ティワナク文化の土器
「ティワナク文化」の土器は、チャビンやモチェ、ナスカなどの土器とは、デザインや形がかなり違っています。
土器の取っ手にネコ科の動物の顔が付けられたものが多いのが印象的。
「ティワナク遺跡」の「太陽の門」
「ティワナク遺跡」
上の写真が、ボリビアのチチカカ湖畔にある「ティワナク遺跡」です。
標高の高い、かなり荒涼とした場所にある遺跡で、これまでここは普段は人々が住むことのない宗教的巡礼地であると考えられてきました。
けれども、最近の調査によると、この遺跡の周囲にはかなりの住居址が存在していることが確認され、当時ここは都市的様相を呈していたことが次第に明らかになってきたのだとのこと。
ワリ文化(紀元650年頃~1000年頃)
ワリ文化の土器
「ワリ文化」は、アンデス中央高地を中心に紀元650年頃~1000年頃まで発展した文化です。
ワリが繁栄した時期は南部高地のティワナクとほぼ同時期。ふたつの文化は図像や建築技術に多くの共通点が見られるそうです。
ワリは、武力で広い範囲の領土を獲得し他民族を統治したアンデスで初めての「帝国」であると言われています。
人間の顔が描かれた多彩色鉢
多彩色の水筒型壺
多彩色装飾のある双胴壺
ワリ文化の土器
ネコ科の動物が描かれています。
「杖をもった神」の図像が描かれた土器
「ワリ文化」は、大型のカメやケーロと呼ばれるコップ状の土器が有名で、カメには人物像や作物などが描かれています。
「ワリ文化」では、トウモロコシ酒(チチャ)を用いた儀礼が盛んに行われていたようで、その儀礼が執り行われた後、土器を壊して土中に埋める儀式が行われていたとされています。
土器の造形やデザインは、同時代に南部で栄えたティワナクとも、前時代のナスカとも随分と違っています。
ワリ文化のチュニック
カラフルで幾何学的な文様が現代アートのよう
色彩感覚が見事!
こちらは、「ワリ文化」の織物。
男性用のチュニックとして使われたと考えられているこの布。幾何学的な文様が現代アートのよう。
色彩感覚が見事です!
シカン文化(紀元800年頃~1375年頃)
「シカン文化」の黄金製品
「シカン文化」は、ペルー北部沿岸で紀元800年頃~1375年頃までに栄えた文化です。
「シカン」とは「月の神殿」を意味し、政治・宗教的中心地であった「バタン・グランデ」を発掘調査した南イリノイ大学人類学科の島田泉教授によって名付けられました。
「シカン」は、農業の生産性が高く資源も豊富なランバイェケ地域において10世紀に急速に頭角を現し、独自の文化を完成させました。
シカンの台頭により、拡大を試みたワリ帝国はこの地域では確固とした覇権を確立できなかったのだとのこと。
金の胸飾り
「シカン文化」の黄金製品
ロロ神殿の発掘品
「シカン文化」と言えば、1991年に島田泉教授によって発掘されたロロ神殿の黄金製品が有名です。
ロロ神殿の発見は、TBS「報道特集」によってテレビ放映され、1994年に国立科学博物館で開催された「黄金の都シカン発掘展」でその発掘品が紹介されました。
発掘された遺物から、シカン文化の人々は高度に発達した金属加工技術を持っていたことがうかがえます。
「シカン文化」の土器
「シカン文化」の土器
「シカン文化」の土器
こちらは、シカン文化の土器。
一番上の写真の土器、シカン文化でよくあるタイプの土器のようですが、なかなかユーモラスな形で魅力的です。
チャンカイ文化
「チャンカイ文化」の土器
「チャンカイ文化」は、ペルー中部海岸のチャンカイ川流域を中心に1000〜1400年頃に栄えた文化。15世紀に「インカ帝国」によって征服されました。
小規模ながら独自の文化を形成しており、金属工芸は貧弱であったものの、土器や織物の技術は優れたものがあったとのこと。
「チャンカイ文化」の織物
「チャンカイ文化」の織物
「チャンカイ文化」の織物
「チャンカイ文化」の織物は現在でも多数の作品が保存されていますが、これは織物の保存と記録に尽力した天野芳太郎氏(1898年〜1982年)とリマにある天野博物館の功績によるところが大きいのだとのこと。
第5章 最後の帝国-チム-王国とインカ帝国
第5章 最後の帝国-チム-王国とインカ帝国
「第5章 最後の帝国-チム-王国とインカ帝国」の展示コーナーです。
このコーナーでは、北部海岸地域に繁栄した「チムー王国」(紀元1100年頃~1470年頃)と、最後の大帝国「インカ帝国」(紀元15世紀早期~1572年頃)の発掘品が展示・紹介されています。
チムー王国(紀元1100年頃~1470年頃)
木製柱状人物像
「チムー王国」は、北部海岸地域で紀元1100年頃~1470年頃まで繁栄した王国です。
プレ・インカ(インカ以前)最大の王国で、アンデスの人口の2/3を含んだと言われています。
現存する最大の遺跡はトルヒーリョ近郊のモチェ谷にある「チャンチャン」
「チムー王国」は、モチェ文化の遺民によって興され、後にシカンを征服。豊かな国土のもとで繁栄しますが、1493年には侵略してきたインカ帝国に滅ぼされてしまいます。
木製の葬送行列のミニチュア模型
「チムー文化」は、月を信仰していたことで知られ、月は太陽より強力であると考えていました。
チムーの土器は漆黒であるのが特徴。シカンから受け継いだ精巧な金属加工技術も知られています。
インカ帝国(紀元15世紀早期~1572年頃)
インカの象徴的なアリバロ壺
「インカ帝国」は、紀元15世紀早期からスペイン人に滅ぼされる1572年まで続いた、アンデス文明最後の国家です。
ケチュア語では「タワンティン・スウユ」と言い、プレ・インカ時代の国々と同じく、文字を持たず、鉄器を持たず、車輪を持たなかった国家として知られています。
最盛期には80の民族と1,600万の人口をかかえ、その版図は、現在のチリ北部から中部、アルゼンチン北西部、コロンビア南部にまで広がっていました。
インカ帝国では、被征服民族には比較的自由な自治を認めていたため、一種の連邦国家のような形になっていたのだとか。
インカの銀製品
金合金製の小型人物像(男性と女性)
「インカ帝国」では、プレ・インカの時代から受け継がれた高度な金属精錬技術を持っていました。
かつて、インカの首都であるクスコには黄金の宮殿や神殿が建っていたと言われますが、16世紀前半にやってきたスペイン人によって、帝国内に存在した黄金製品のほとんどが略奪され金の延べ棒に変えられてしまったそうです。
そのため、今日まで残る黄金製品は少なく、この展覧会で展示されているものはとても貴重なものであるとのこと。
インカ帝国のチャチャボヤス地方で使われたキープ
こちらは、「キープ」と呼ばれる、結び目を使って数字を表した縄です。
これによって、暦や納税などを記録していたのだそうです。また、最近の研究ではキープが言語情報も含んでいたことが明らかになっているのだとのこと。
文字を持たなかったというのは、他のどの文明にもないアンデス文明の特異なところ。
そのため、口頭伝承が途絶えて久しい現在、その歴史や文化の解明はなかなか困難なようです。
インカ帝国は、「チャスキ」と呼ばれる飛脚による通信網を確立させ、広大な領土を中央集権により統治していました。
そのチャスキが走る道は「インカ道」と呼ばれる道路。
北部のキトからチリ中部のタルカに至るまで5,230㎞にも達したそうで、このインカ道には7㎞ごとに里程が、19㎞ごとに宿駅(タンボ)が置かれ、8㎞置きに配置されたチャスキが1日あたり約240kmの割合で緊急連絡をリレーしたのだとのこと。
また、急峻な地形のため、人力や家畜によってしか物資を運搬できなかったので、車輪は発明されませんでした。
クスコのサクサイワマンの遺跡
クスコにある「12角の石」
クスコの太陽の神殿「コリカンチャ」
インカの技術でよく知られているのが、高度な石組み技術です。
形の異なる切り石を隙間なく組み合わせて積み上げられています。
石はそれぞれ巨大で、石と石は剃刀の刃も通らないほどピッタリと密着していて、これは現代でも再現するのが難しい高度な技術であるとのこと。
また、これらの巨石をマチュピチュをはじめとした急峻な山の上にどうやって運んだのかも謎だそうです(車輪が発明されていないにもかかわらず)。
クスコには、インカ時代の太陽の神殿「コリカンチャ」という遺構が遺されています。
「コリカンチャ」の上には、侵略したスペイン人が建てた「サント・ドミンゴ教会」が建てられているのですが、話によれば、かつてこの地方が大地震に見舞われたとき、上に建っていたサント・ドミンゴ教会は崩れ落ちたのですが、土台の石組みはびくともしなかったそうです。
このエピソードだけでも、インカの技術がいかに優れていたかということがわかりますね。
スペイン植民地時代の年表
リマ歴史地区
インカ帝国は1533年、フランシスコ・ピサロ率いる168名のスペイン人の征服者(コンキスタドール)によってあっけなく滅ぼされてしまいます。
200万㎢の国土を持ち、2000万の人口を擁する巨大な帝国がたった168名の白人によって滅亡させられたのです。
史実によると、ピサロは奸計を用いてインカ皇帝アタワルパを捕らえ、処刑してしまったのだとのこと。
けれども、実はピサロが来る前からインカ帝国はかなり弱体化していたようで、その最大の原因が天然痘の大流行だったそうです。
中央アメリカから広まった天然痘は帝国内で大流行し、わずか数年間でインカ帝国人口の60パーセントから94パーセントを死に至らしめたと考えられています。
この天然痘は、もともとアメリカ大陸には存在しなかった病気で、スペイン人によって家畜とともに持ち込まれたものです(1517年にスペイン人はメキシコに到達していました)。
インカ帝国は、スペイン人の侵略を受ける前に、旧大陸からもたらされた疫病によって滅亡の危機に瀕していたのです。
アンデスの「最後の晩餐」
上の絵は、17世紀にベルギーの「ディエゴ・デ・ラ・プエンテ」によって描かれたアンデスの「最後の晩餐」です。
インカ帝国を征服したスペイン人たちは、それまで太陽の神を信仰していた人々にキリスト教への改宗を強要しました。
この「最後の晩餐」は、先住民たちに対するキリスト教の教化として使われた絵。
人々が親近感を覚えるように、テーブルの上には、現地で食べられている食材が並べられています。
スペインの征服以来、アンデスの人々はキリスト教を次第に受容していくようになり、現在ではペルーの人口の約80%がローマ・カトリックの信者となっています。
ただし、伝統宗教が完全に失われたわけではなく、キリスト教と融合しながら、土着の信仰も生き続けているのだとか。
第6章 身体から見たアンデス文明
第6章 身体から見たアンデス文明
「第6章 身体から見たアンデス文明」の展示コーナーです。
ここでは、アンデス文明の遺跡から発掘されたミイラや脳外科手術をした痕跡のある頭蓋骨などが多数展示されています。
このコーナーは、写真撮影が禁止されていました。
インカ帝国では、西部海岸地帯にあったミイラ信仰を取り込み、人心の掌握や権威の保持として利用しました。
皇帝は死後、ミイラにされ、皇帝に仕えていた者はミイラとなった皇帝を生前と同じように世話をし、財産も存続され、人々はミイラとなった皇帝を崇めることとなりました。
歴代の皇帝は前皇帝から財産を受け継ぐことが出来なかったため、自ら領土を拡張し財産を築かなくてはなりませんでした。
しかしながら、その結果、死後の皇帝たちの方が現生の皇帝の権威を凌ぐようになり、必然的に死後の皇帝に使える者たちの権力も増大。
内乱が勃発し、スペイン人にその対立を利用され、帝国の滅亡を早める原因のひとつとなりました。
VRウユニ塩湖、日系ペルー人の肖像、グッズコーナー
VRウユニ塩湖(500円)
展示会場の終わりには、アンデス文明のハイライトを集めた映像が流れるシアターコーナーがあり、ボリビアの世界最大の塩湖「ウユニ塩湖」をVR(バーチャル・リアリティ)で体感できるコーナー、「VRウユニ塩湖~17,000kmの彼方へ~」(日本初!エケコになってウユニ塩湖をVRで旅しよう!!絶景「ウユニ塩湖」を体感できる!)もあります。
「VRウユニ塩湖」、かなり見たい気満々でしたが、なかなかの行列が並んでおり、見ることは諦めました。
下の動画が、その「VRウユニ塩湖」
VRウユニ塩湖
ウユニ塩湖
ウユニ塩湖
「ウユニ塩湖」とは、ボリビア中央西部、標高約3,700mのアルティプラーノにある、南北約100km、東西約250km、面積約10,582㎢もの広さを持つ、世界最大の塩の湖のこと。
見渡す限り真っ白な大地は、まるで雪原にいるような錯覚を覚え、雨季になると湖全体に薄く水が張られ、高低差が100km四方で50cmしかないほど真っ平らであるため波が立たず、塩湖は「天空の鏡」とも称される巨大な鏡となります。
上の写真は、乾季の頃の「ウユニ塩湖」の風景です。
日系ペルー人の肖像
こちらは、ペルー日系人協会設立100周年を記念して企画された「日系ペルー人の肖像」の写真展示コーナー。出口へと向かう通路の壁に、日系ペルー人の歴史の紹介と日系ペルー人たちの肖像写真が展示されています。
古代アンデス文明展のお土産コーナー
こちらは、お土産販売コーナー。
アンデスの織物製品やアルパカぬいぐるみ、Tシャツやマグカップ、マグネット、コーヒーやクッキーなどの食品、アンデス文明関連の書籍などが販売されていました。
インカ天日塩
マスキングテープ
とりあえず、という感じで購入したのが、上の「インカ天日塩」と地上絵柄のマスキングテープ。
「インカ天日塩」はまだいただいていません。
「古代アンデス文明展」会場MAP
これまで20年以上の長きに渡り、5回もの大規模展覧会によってアンデス文明を紹介してきた「TBSアンデス・プロジェクト」の集大成となる今回の「古代アンデス文明展」
アンデス文明の全体像を把握することが出来るし、独特でユーモラスなデザインの土器や人形の造形は見ていて単純に面白い!
また、アンデス文明の、旧大陸とは全く違った文化や技術、世界観は、知的好奇心をとってもくすぐられます。
注目度の高い展覧会であるため、会場は結構混雑していましたが、見に行く価値ありあり。「古代アンデス文明展」、必見の展覧会です!
古代アンデス文明展展示概要
- 会期:2017年10月21日(土)〜2018年2月18日(日)
- 会場:国立科学博物館
- 休館日:毎週月曜日(1/8(月)、2/12(月)は開館)、12/28(木)~1/1(月)、1/9(火)
- 開館時間:9:00〜17:00 (金曜日・土曜日は20:00まで) ※入館は閉館の30分前まで
- 入場料: ・前売料金 一般・大学生 1,400円 / 小・中・高校生 500円 (8月1日(火)〜10月21日(金)販売) ・当日料金 一般・大学生 1,600円 / 小・中・高校生 600円
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