ペルー南西部海岸地帯、ナスカ川とインヘニオ川に囲まれた荒野の地表に、無数の巨大な幾何学図形や動植物の絵が描かれています。「ナスカの地上絵」です。
今回は、セスナ機に乗って空から見た「ナスカの地上絵」についてご紹介します。
リマから7時間。
クルス・デル・スル社のバスは午前2時、「ナスカ」の街に到着しました。
真っ暗な街へ降り立つと、さっそく数人の客引きに取り巻かれます。
ナスカの売りは何といっても世界遺産「ナスカの地上絵」。客引きたちは、皆、売り込みに必死です。
客引きたちのうち、一番真面目そうなひとりを選び、彼の案内に従い宿へと向いました。
ホテルと遊覧ツアーはセットになっているのです。
紹介されたホテルの名は「アレグリア」。
シャワートイレ共同のダブルで15ソル(522円)。ナスカフライトは4人乗りのセスナで1人40ドルです。
セスナ機に乗って、世界最大の絵画「ナスカの地上絵」を空から鑑賞!
搭乗したセスナ
翌朝、ピックアップトラックで空港へと向かいます。
事務所で簡単な説明を受けた後、すぐにセスナへと向かいました。いよいよです!
天気は最高。真っ青な空に雲はほとんどありません。
セスナは全長10メートルもない、小さな飛行機でした。
セスナの横には滑走路が広がっていて、ちょうど、別のセスナが今まさに飛び立とうとしているところでした。
セスナは私たちのすぐ眼の前を短く滑走した後、緩やかに飛び立ち、機体はすぐに小さくなって青空の向こうに見えなくなってしまいました。
私たちもセスナに乗り込みます。
今回一緒に乗るのは、アメリカ人の青年デビッド。
ベルトを締め、イヤホンを着けます。操縦桿を握ったパイロットの隣にはデビッドが、後ろには副操縦士と私が座りました。
ゆるゆると動き始めるセスナ。
滑走路の正面に辿り着くと一旦停止し、そこで、イヤホンからパイロットの陽気な声が聞こえてきました。
「出発するぞ!」
小さなモーターが唸りを上げ、セスナは一気に加速。
そして、
ふわり、と宙に浮かびました!
雄大なナスカ平原の風景
セスナは徐々に高度を上げます。
あっという間に車や建物が豆粒のように小さくなっていきます。
航空写真のような風景が眼前に広がっていました。
セスナは高度を上げきると、一路地上絵のある砂漠地帯を目指します。
それにしても、すごい風景です!
荒地が地平線の果てまで続いています。緑がなく、水もなく、人間の作った街並みも見えません。
そのうち、地面にはナスカ人が描いたといわれる、巨大なナスカラインが見えてきました。
荒野に描かれた地上絵の数々
宇宙人の地上絵
「宇宙人!」
パイロットが叫びます。
窓の外を見ると、荒地にある岩山の壁面に人物が描かれています。
パイロットは「宇宙人」を中心にぐるりと旋回してくれました。
体が斜めに傾きます。
この日は天候がよかったため機体の揺れがほとんどなく、とても快適な旋回でした。
コンドルの地上絵
「宇宙人」の上空をぐるりと旋回した後、再び荒野の上空を突き進んでゆくセスナ。
眼下には広大なナスカ・フマナ平原のパノラマが広がっています。
しばらく進むと、「イヌ」「サル」「コンドル」「ハチドリ」「クモ」「ペリカン」「手」「木」など、様々な図像が地表に現れてきました。
オウムの地上絵
クジラの地上絵
地上絵は上空からもはっきりと確認できます。
それにしても見事なデザインです。シンプルでインパクトがあって、オリジナリティーに溢れています。見とれてしまう造形美です。
パイロットは、そんな美しい絵の上空にさしかかると、それぞれの絵のところで逐一ぐるっと旋回してくれました。
左の写真は、オウムの地上絵。オウムはジャングルに生息するため、ナスカ人がアマゾン地域と交易があったことが窺えます。
ナスカライン
地上絵を象徴する、動物や植物の絵も素晴らしいものですが、ナスカで最も驚かされたのは、荒地に縦横無尽に引かれた「ナスカライン」と呼ばれる線でした。
300本を越えるともいわれるその線は、複雑な幾何学模様を描き、広大なナスカの荒地を埋め尽くしています。
空から見るとこのナスカ・フマナ平原は線だらけ!
何のためにこれを造ったのか、と考えずにはいられない光景です。
ナスカの地上絵は誰が描いたのか?
ペリカンの地上絵
ペルー南西部海岸地帯にあるナスカの地に、紀元前200年頃から紀元800年頃までの間栄えた「ナスカ文化」。地上絵は彼らが描いたものだとされています。
その根拠として挙げられるのが、地上絵の端に残されていた木の杭の存在です(この杭を打ち込んで地上絵を描いたのだと考えられている)。
この杭を「放射性炭素(C14)測定法」で測ったところ、西暦525年頃、誤差前後80年程度のものと判明したため、その頃ナスカで栄えていたナスカ文化人によって地上絵は描かれたのだろうと考えられているのです。
また、当時のナスカの土器には地上絵と類似した絵が描かれたものが多く、このこともナスカ文化人が地上絵を描いたとされる根拠となっています。
けれども、ナスカで描かれた線は、何度も描き変えられていることが判明しており、古い線描と新しい線描では、数百年から数千年の年代の違いがあるとも言われています。
それゆえに、地上絵を生み出したのはナスカ人ではなく、彼らは遥か以前からなされていた技術を踏襲したに過ぎないのではないか、と主張する人々もいます。
ナスカの地上絵はどのようにして描かれたのか?
ナスカライン
ナスカの地上絵はどのようにして描かれたのか?
それには、ほぼ妥当とされる通説があります。
地上絵のあるパンパ・コロラダと言われる盆地は、大粒の礫や岩石が広がっている砂漠地帯です。強烈な太陽を浴びた礫や岩石は酸化し変色していきます。
それらの礫を取り除き、地表を剥き出しにすると、礫と地表の色にコントラストが生まれます。
地上絵のラインは、そのように礫を幅1~2m、深さ20~30cm取り除いて描かれているのです。この辺りは雨がほとんど降らないため、ラインは浸食されず、現代まで遺されてきました。
図像の作成方法は、小さいサイズの図像を作成し、それを相似して大きくしていく方法が採られたという説が有力視されています。前述の木の杭も、相似する際に用いられたとされています。
ナスカの地上絵は何のために描かれたのか?
猿の地上絵
ナスカの地上絵は何のために描かれたのか?
それは未だ謎に包まれています。
地上絵の目的については様々な説がありますが、最も有名なのが、マリア・ライへ女史らによる「暦説」です。
具象的な図像が星座を表し、多くの線描が天体の方向や動きを表しているものだという説です。
けれども、コンピューター解析の結果、これらの線描は必ずしも実際の星の運行とは一致しないことがわかっていて、この説に異議を唱える学者も大勢いるそうです。
犬の地上絵
暦説の他にも、
●社会事業説
「豊作だった場合の個人貯蔵分について、大規模な労働力を投入する必要のある儀式活動に注意を向けさせ、祭祀「施設」の「建設」=地上絵を「描く」活動に従事する労務集団に食糧を供給するために強制的に取り立てるシステムができていて不作時に備えていた」●雨乞いの儀式説
「ナスカの地上絵は一筆書きになっており、それが雨乞いのための楽隊の通り道になったという、ホスエ・ランチョの説もある。ペルーの国宝の壺にもこの楽隊が描かれたものがある。また、現在も続いている行事で、人々は雨乞いのために一列になって同じ道を練り歩く。この道筋としてナスカの地上絵が作られた可能性がある」【Wikipediaより】
といった説があるそうです。
ハチドリの地上絵
この地上絵の存在は、飛行機が発明されるまで誰も知らなかったそうです。
インカ帝国の人々も、侵略したスペイン人たちも誰もその存在に気が付かなかったのです。
私はこれを最初に発見したパイロットのことを思うと羨ましくなります。
興奮したことでしょう。
何しろ、広大な荒地を見下ろすと、無数の美しい絵が描かれていたのだから。
パイロットは着陸するや否や、仲間たちにこの絵のことを興奮して話して聞かせたに違いありません。
たぶん、最初は誰も信じなかったのでしょう。
けれども、絵の存在は次第に人々に知れ渡り、その驚くべき姿が明らかにされてゆくのです。
花の地上絵
フライトは40分ほどで終わりました。
大満足の私とデビッドは、「グッド!」と言い合いました。
そして、陽気で親切なパイロットとその相棒の副操縦士に、「グラシアス!」とお礼を言いました。
素晴らしい地上絵フライト。
パイロットと、この地上絵を遺してくれたナスカの人々に感謝です。
旅行時期:2003年6月
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