アジアの世界宗教である「仏教」
2500年の歴史の中、その教えは発祥したインドから、スリランカ、タイなどの東南アジア諸国、中央アジア、中国、チベット、モンゴル、韓国、日本へと伝わり、その教義や信仰形態は様々に発展・変化しました。
アジア各地には、そんな仏教の信仰の歴史を物語る仏教遺跡がいくつも遺されています。
今回は、東南アジア、インド、スリランカに遺る仏教遺跡について、ご紹介します★
仏教の歴史
約2500年前(紀元前5世紀)に、インドのガンジス川中流域で、「釈迦」(ゴータマ・シッダールタ)によって生まれた「仏教」
「仏教」は、物事の成立には原因と結果があるという「因果論」を基本的考え方に据え、生きることは「苦」であり、人は永遠に続く「輪廻」によって苦しみ続けるため、その輪廻から「解脱」することを目的として修行や善行を行う。という考え方を持った宗教です。
釈迦が説いた仏教の教えは、釈迦が入滅した後、弟子たちによって集められ、仏教聖典として編纂されました。
そして、その100年後、教えの解釈の違いによって、仏教はいくつかの部派に別れ、その一部がスリランカに伝わり、そこからタイなど東南アジアに伝わっていきました。
これを「上座部仏教」(南伝仏教)といいます。
紀元前3世紀頃、インドを初めて統一したマウリヤ朝のアショーカ王は、仏教の法に基づいて国を統治し、その保護の下で仏教はインド全域に広がり、西北インドから中央アジア、中国にまで伝播していきました。
その伝播の過程で、自らの解脱を希求する「上座部仏教」とは異なる、積極的に人々を救う「大乗仏教」という教えが起こり、中国から朝鮮、日本、ベトナムへと伝えられたのです。
ブッダガヤの大菩提寺(インド)【世界遺産】
ビハール州南部、「ブッダガヤ(Bodh Gaya:बोधगया)」。
文字通りここは彼が、仏陀(悟った人)となった場所です。
この地で彼は、世の中の真理としての四法印(諸行無常、一切皆苦、諸法無我、涅槃寂静)を悟ったのだと言われています。
「ブッダガヤ」の中心は「マハーボーディ寺院」(大菩提寺)。
釈迦の悟った場所に、高さ53メートルのレンガ造りの仏塔が聳え立っています。
アショーカ王が紀元前3世紀に建てたのが起源といわれているその仏塔は、7世紀頃には既に現在の形になったと考えられています。
大塔の後ろには大きな菩提樹があります。
そして、その下には仏陀が座していたといわれる金剛座が置かれていました。
ここが仏陀の悟りを開いたところ、仏教発祥の場です!
ブッダガヤには、世界各国の仏教寺院や宿坊が並び、世界中から多くの巡礼者や観光客が訪れます。
けれども、村自体はのんびりとした小さな村。
周囲には、釈迦が断食修行をした前世覚山や、断食修行の無意味さを知ったというスジャータから粥を飲んだセーナー村など、仏教にまつわる史跡が点在しています。
ブッダガヤについての詳細はこちら↓
サールナートのダメーク・ストゥーパ(インド)【世界遺産】
インドのガンジス川中流域、バラナシ近郊にある「サールナート(Sarnath:सारनाथ)」の遺跡です。
「サールナート」は仏典では鹿野苑と呼ばれる場所。
ここは「ブッダガヤ」で悟りを得たブッダが初めてそれを人々に話して聞かせた場所です。
「サールナート」は、バラナシから北へ10キロほど。30分くらいで着きます。
「ブッダガヤ」からは200キロほどの距離。釈迦は200キロの道のりを歩いてここまでやってきたのです。
木々に包まれ緑の芝生が植えられた広々とした敷地。
そこにかつての僧院や寺院の跡が基部だけを残して点在しています。
剥ぎ取られたようなレンガの土台が並ぶ中、ひとつだけ建物としての輪郭を残しているのが巨大な仏塔「ダメーク・ストゥーパ」です。
直径28メートル、高さ34メートルを誇る円筒形の塔。
ブッダはここで仏教の根本教説である「四諦八正道」を唱えたのです。
サールナートは、ヒンドゥー教最大の聖地であるバラナシからバスやリキシャに乗って日帰りで訪れることができます。
喧騒に包まれたバラナシとは打って変わった遺跡周辺ののんびりとした風情も魅力です。
サールナートについての詳細はこちら↓
ダンブッラの黄金寺院(スリランカ)【世界遺産】
キャンディの北72km、バスで2時間ほどの場所にある町「ダンブッラ(Dambulla:දඹුල්ල)」には、石窟寺院としてはスリランカ最大とされる「ダンブッラの黄金寺院(Golden Temple of Dambulla)」があります。
中心となる5つの石窟寺院には、153体の釈迦像と3体のスリランカ王像、4体のヒンドゥー神像が祀られています。
寺院は紀元前3世紀に僧院として誕生し、後に寺院に転換され、12世紀のポロンナルワ時代に現在残る石窟の多くが建設されたのだそう。
スリランカに仏教が伝来したのは、紀元前3世紀頃だと言われています。
伝説によると、インドのマウリヤ朝のアショーカ王の息子であり、僧でもあったマヒンダがスリランカに赴き、スリランカのアヌラーダプラ王国のデヴァーナンピヤティッサ王と出会い、仏教の教えを伝えたのだとされています。
スリランカの仏教は、パーリ語経典を奉じる「上座部仏教」であり、ミャンマーやタイなど東南アジアに広まった「上座部仏教」は、このスリランカの仏教が起源です。
現在のスリランカでは、主にシンハラ人を中心に人口の約70%が仏教を信仰しています。
「ダンブッラ石窟寺院」いちばんの見どころは、天井や壁に描かれた壁画。
石窟の天井や壁は、壁画で埋め尽くされていて、その総面積は2,100平方メートルにもおよぶそうです。
壁画の内容は、仏陀の生涯や、スリランカの歴史が中心。
紀元前から徐々に壁画は増えていき、各時代の王によって壁画は何度も修復されたそうです。
ダンブッラの近くには、スリランカ最大の観光名所のひとつ、ジャングルの中にそびえ立つ高さ195mの巨大な岩「シーギリヤ・ロック」もあり、ダンブッラからもその姿を仰ぎ見ることができます。
いずれも、キャンディから日帰り圏内です。
ダンブッラについての詳細はこちら↓
古都アユタヤ(タイ)【世界遺産】
バンコクから北へ約76キロ。鉄道で1時間半ほどの場所に「アユタヤ(Ayutthaya:อยุธยา)」はあります。
ここは、1351年から1767年まで約400年もの間、タイ中部を中心にラオス、カンボジア、ミャンマーの一部まで統治した「アユタヤ王朝」の王都であったところです。
「アユタヤ王朝」は、国の宗教として上座部仏教を信奉していました。
王は仏教の保護者として、仏教的に国を治めることが求められました。
そのため、遺跡には仏像や仏塔などが多数遺されています。
チャオプラヤー川とその支流に囲まれた「アユタヤ」は、水運に恵まれ、ヨーロッパからアラビア、そして、東アジアを結ぶ国際貿易都市として繁栄しました。
けれども、1767年、ビルマのコンバウン王朝による攻撃を受けて、アユタヤは徹底的に破壊されてしまいました。
レンガの瓦礫のみが残るかつての王都の様子は、その破壊の凄まじさを物語っています。
徹底的に破壊されたアユタヤですが、仏教を基盤とした国家のあり方は、後のバンコク王朝に受け継がれていくことになります。
ちなみに、仏教は2000年前からタイに伝わっていたそうですが、現在のタイ仏教は13世紀にスリランカから伝えられたもの。
時の王朝であるスコータイ王朝は、仏教の思想によって国を立て直すことを図り、上座部仏教はタイに広く浸透していきました。
現在では、タイの国民の約95%が上座部仏教を信仰しているのだとのこと。
なお、この「アユタヤ」には、かつて「日本人町」がありました。アユタヤは、14世紀中頃から18世紀頃まで数多くの日本人が暮らしていた都市として、日本の歴史に記憶されている町なのです。
その日本人町の居住者の中で最もよく知られた存在は、「山田長政」でしょう。彼は、17世紀初頭にシャム(当時のタイ)に渡り、アユタヤ王朝の権力の中枢にまで登りつめた人物として知られています。
アユタヤは、バンコクから気軽に日帰りで訪れることができる史跡です。
騒々しいバンコクとはまた違った、穏やかなタイの風景を感じることができます。
アユタヤについての詳細はこちら↓
バガン遺跡(ミャンマー)【世界遺産】
「バガン遺跡(Bagan:ပုဂံ)」は、ミャンマー中部、エーヤワディー(イワラジ)川中流域の東岸の平野部一帯に広がる仏教遺跡群です。
40㎢のエリアにはおよそ3000といわれる仏塔や寺院が点在しており、カンボジアのアンコールワットやインドネシアのボロブドゥール遺跡とともに、世界三大仏教遺跡と称されています。
バガンに点在する仏塔や寺院は、そのほとんどが11世紀から13世紀にかけて建てられたもの。
当時、バガンはビルマ初の統一王朝である「パガン朝」の都として栄えていました。
パガン朝の創始者であるアノーヤター王は、ミャンマー南部モン族のタトン王国を征服し、同王国から上座仏教を受容しました。
そして、アノーヤター王は上座部仏教の国教化を進め、バガンは仏教研究の国際的な中心地となり、カンボジアやタイ、スリランカなど諸外国の多くの仏僧や学生が訪れたのだそうです。
ミャンマーは、人口の9割が上座部仏教を信仰していると言われます。
人口の約13%を僧侶が占めているとも言われており、ミャンマーには約800万人もの僧侶がいるのだとのこと。
上座部仏教では、功徳や喜捨によって、現生でどれだけ徳を積めるかが重要だとされています。そのため、ミャンマーでは金持ちも貧しい人も、それぞれの懐に合わせて積極的に寄付をするのだそうです。
バガンの観光の拠点はニャウンウーという町。
ニャウンウーの町で馬車をチャーターし、遺跡群をのんびりと見て回るのがバガン観光の王道の楽しみ方です。
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アンコール遺跡(カンボジア)【世界遺産】
「アンコール遺跡(Angkor:អង្គរ)」は、カンボジア北西部、シェムリアップ近郊にあるクメール王朝時代の首都の跡です。
この地に王都が建設され始めたのは9世紀頃のこと。王都が大きく発展したのは12世紀頃だと考えられています。
アンコール遺跡には、ヒンドゥー教の施設と仏教の施設の両方が遺されています。
支配する王の信仰の違いにより、ヒンドゥー教、仏教それぞれの建造物が造られていきました。
アンコール遺跡群で最も有名な施設である「アンコール・ワット」は、建造当初、ヒンドゥー教の寺院として造られました。
建造したのは、12世紀前半に即位したスーリヤヴァルマン2世です。
その後、16世紀になって、ソター王の治世に上座部仏教寺院に改修され、現在に至っています。
アンコール・ワットの北に位置する城塞都市遺跡「アンコール・トム」。
アンコール・ワットと並ぶ、アンコール遺跡群のハイライトのひとつです。
写真は、その入口にある「南大門」。
「ジャヤーヴァルマン7世」は12世紀、ベトナムのチャンパ王国によって奪われた王都を奪還すると、壮大な都城「アンコール・トム」を建設しました。
そして、国内の道路網を整備し、102ヶ所に及ぶ施療院、121ヶ所の宿駅を設置しました。
また、彼は熱心な仏教徒でもあったため、国中に無数の寺院を建てたのだそうです。
けれども、この大規模な建築事業は国民に多くの負担を強いることとなり、後の王朝の衰亡の契機ともなったともいわれています。
アンコール・トムの中心に位置する寺院が「バイヨン(バヨン)寺院」です。
「バイヨンの微笑」と呼ばれる観世音菩薩の四面塔は全部で49あります。
中央祠堂には50を超える仏面があり、訪れる者は無数の微笑に囲まれます。カンボジアの人々のような優しい微笑です。
バイヨンは仏教の須弥山が象徴化された寺院であるといわれています。
仏教とヒンドゥー教の違いなのでしょうか。バイヨンはアンコール・ワットに比べて、いくらかソフトで温かい印象が感じられました。
巨大な榕樹に絡みつかれて押しつぶされそうな遺跡「タ・プローム」
大勢の人が仏教の教義を学ぶ僧院であった「プリア・カン」遺跡
ロリュオス遺跡群にある「バコン」
アンコール遺跡群は、広大なエリアに無数の寺院遺跡が点在しています。
拠点となるシェムリアップの町でバイクタクシーをチャーターし、数日掛けて巡り廻るのがアンコール遺跡のスタンダードな楽しみ方。
それぞれの遺跡には特徴があって、見応えがあります。
遺跡の参道を歩くオレンジの僧たち
アンコール・ワットの参道にいた女の子
遺跡を見るのもよいですが、人々との出会いもアンコール遺跡巡りの楽しみのひとつ。
かわいい子供たちや、にこにこした人々が旅行者の相手をしてくれます!
アンコール遺跡では、オレンジの袈裟を着た僧侶や、白い袈裟を着た尼僧の姿をよく見かけます。
仏教国であるカンボジアでは、僧侶はとても尊敬されているのです。
ちなみに、カンボジアでは国民の9割以上が上座部仏教を信仰しています。
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ボロブドゥール遺跡(インドネシア)【世界遺産】
「ボロブドゥール遺跡(Borobudur:ꦧꦫꦧꦸꦝꦸꦂ)」は、インドネシアのジャワ島中部、ジョグジャカルタからバスで1時間半のところにある仏教遺跡です。
インドネシア観光の目玉のひとつで、世界遺産にも登録されている必見の遺跡。
かなり見応えがあるすごい遺跡です!
「ボロブドゥール」の建立は8世紀末。ジャワ中部を支配していたシャイレーンドラ王朝の王、ダルマトゥンガの治世に建造されたそうです。
東南アジアに伝わった仏教は、上座部仏教が中心ですが、シャイレーンドラ王朝は大乗仏教を奉じていたため、この「ボロブドゥール」も大乗仏教の遺跡となっています。
「ボロブドゥール」は、自然の丘に盛り土をし、その上に高さ23㎝の安山岩のブロックを200万個積み重ねてつくられています。
最下部に方形の基壇が1層、その上に方形壇が5層、上部に円形壇が3層の9層の構造になっていて、これは仏教における「三界」を表わしていると考えられています。
最下部の基壇の一辺は123m、最上部までの高さは34.5mにも及ぶそうです。
「ボロブドゥール」は、その建築物全体が、仏教における「三界」を表わしていると考えられています。
最下部の基壇は「欲界」、その上の5層の方形壇は「色界」、最上部の3層の円形壇は「無色界」です。
「欲界」と「色界」には、無数のレリーフが刻まれており、特に5層4回廊からなる「色界」部分には、釈迦や仏教の物語が1460面に及ぶ浮き彫りレリーフとなって描かれていて、かなり見応えがあります。
最上層の「無色界」、ここにはレリーフはありません。
ストゥーパが規則的に並ぶ幾何学的な空間となっています。
ここは、悟りの末に到達した「無」の世界を表しています。
円壇部は3層になっていて、釣鐘型のストゥーパが72基規則的に並んでいます。
それぞれのストゥーパの内部には等身大の仏像が安置されています。
内部1層のさらに中心には、大ストゥーパがあります。大ストゥーパには窓がなく、これは無の世界、大乗仏教の真髄である「空」の思想を表わしていると考えられています。
須弥山を模しているともされている「ボロブドゥール」
そのインパクトのあるフォルムも、無数に刻まれたレリーフも、見るだけで十分にその魅力を味わうことができますが、ガイドを頼んで詳しい解説を聴きながら見物することがオススメ。
より「ボロブドゥール」の魅力と凄さを理解することができます。
かつては、ヒンドゥー教が多数派だったインドネシアですが、12世紀にイスラム教が伝わり、人々のイスラム化が進みました。
現在のインドネシアではイスラム教徒が87%を占めていて、仏教徒は0.72%しかいません。現在のインドネシアの仏教徒は、中華系の人が多いとのこと。
詳細はこちら↓
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