♪トーマス・マプフーモ/ザ・シングル・コレクション(Thomas Mapfumo)

トーマス・マプフーモ エスニック音楽
♪トーマス・マプフーモ/ザ・シングル・コレクション(Thomas Mapfumo)
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トーマス・マプフーモの音楽は「チムレンガ・ミュージック」といわれます。

「チムレンガ」とはショナ語で「闘争」という意味です。

彼もまた、ボブ・マーリィやフェラ・クティのように、音楽を通して政府の圧制や民族への差別に抗議した闘争者なのです。

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ジンバブエを代表するミュージシャン、トーマス・マプフーモのベスト盤です。

南部アフリカ、南アフリカ共和国の北に位置するジンバブエは、かつてローデシアと呼ばれていました。イギリス支配の流れを組む少数の白人支配の構図は、アパルトヘイト時代の南アフリカとなんら変わりのないものでした。

しかし、かつてグレートジンバブエに象徴される偉大な文明を残した黒人たちが、そんな状況を黙って見ている筈がありません。黒人たちは解放同盟を結成し白人政権への闘争を強めていくことになります。

 

そんな時代、1970年代の半ばに彗星のように登場したのが「トーマス・マプフーモ」です。

1976年、彼の初のアルバム「Hokoyo」は爆発的なセールスを記録することになります。

彼の音楽はチムレンガ(闘争)・ミュージックでありました。そのために辛い現状に鬱屈していた黒人大衆に熱狂的に支持されたのです。

 

「チムレンガ」とはそもそも19世紀末に生まれた言葉です。

当時、イギリス南アフリカ会社に支配されていた黒人たちは、予言者ネハンダを先頭に武装蜂起しました。ジンバブエの人たちはこれを「最初のチムレンガ」と呼びます。

この蜂起は残念ながら鎮圧されてしまうのですが、人々の心にこの事件の記憶は深く残ることになります。

しかし、その後、ジンバブエは長い間白人の支配に置かれることになります。南アフリカと同様の人種差別法が制定されたのもこの頃です。

ですが、チムレンガの火は消えてはいませんでした。

そして、1970年代、ついに再び白人政権に対する闘争(チムレンガ)が国中を席巻することとなるのです。これをセカンド・チムレンガと言います。

この時代に音楽を通して大きな影響力を持ったマプフーモ。彼はセカンド・チムレンガの寵児といえるのかもしれません。

トーマスは大衆に喝采を持って迎えられましたが、彼の音楽がチムレンガ・ミュージックであったため当然当局に睨まれます。

ラジオで彼の音楽は放送禁止となり、逮捕され裁判無しで3カ月間も拘留されたこともありました。

しかし、彼の音楽は人々に言葉だけじゃ伝わらない勇気を与えたのだと思います。

1980年、ジンバブエは独立、黒人政権が誕生することになるのです。

ショナ族といえば「ムビラ」。親指ピアノです。

彼は幼少の頃、ショナの伝統音楽に触れて育ち、そのうち世界中の多くの若者たちと同様、アメリカのロックの洗礼を受けています。

そんな彼の音楽は、ショナ音楽の精神とロックのスピリットが融合したというようなものでした。

ムビラ(親指ピアノ)の独特なフレーズをギターで奏でたのです。

ポップでリズミカルでありながら激しく熱い。時には叫び、時には呟くようなトーマスの熱い声は、体制に反抗する歌詞と共にロック精神を体現しているのだといえます。

 

アルバム「シングルス・コレクション(Singles Collection: 1977-1986)」

お気に入りの曲は、というよりも全体的に好きなのですが、

支配者イギリスのことを歌った①「ピティゴリ」。泥臭い感じのリズムが心地よい伝統曲④「ニャムタンバ・ネモンベ」。ジンバブエの独立を歌った⑦「タイレーヴァ」の複雑なリズムも魅力です。

哀愁を帯びた旋律のポリリズムとマプフーモの物悲しい歌声が感動的な⑬「ダングラング」

シンセサイザーのリズムが印象的な⑮「トンゴシエンダ」は独立への闘争を呼びかけたヒット曲。最後のほうの女性コーラスがかなりいいです。

どれも素晴らしい曲ばかりです。

そして、独立後もマプフーモは国を私物化したムガベへの批判の曲などを作り続けています。

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