インド北部。カシミールの夏の主都「シュリーナガル」
町の中心に広がるダル湖やニギーン湖に無数の木造のハウスボートが浮かぶ様子は、シュリーナガルを象徴する風景のひとつです。
今回は、シュリーナガルのハウスボートと、実際に宿泊した「Moustache Houseboat Srinagar」についてご紹介します。
前回の記事は↓

ガート17の船着場から船頭付きの手漕ぎボート「シカラ」に乗って10分ほど。
宿泊するハウスボート「Moustache Houseboat Srinagar」に到着しました。
さて、ここで、シュリーナガルの名物でもあるハウスボートについて、その歴史や特徴。製造方法や現状について、ご紹介します。
ハウスボートとは?

シュリーナガルの象徴的な風景のひとつが、ダル湖やニギーン湖に浮かぶ美しい木造のハウスボート。
シュリーナガルのハウスボートは、単なる水上ホテルではありません。英国植民地時代の歴史、カシミール伝統の木工芸術、水上生活の文化が融合した、非常に独特な建築物です。
ハウスボートの歴史
19世紀:英国人の水上別荘として発展

現在のような豪華なハウスボートが普及したのは、19世紀後半のこと。
1846年、アムリトサル条約によってドーグラー朝のグラーブ・シングがジャンムー・カシミールを統治することになりました。
この時代、夏の避暑地としてカシミールを訪れる英国人が増えていきます。標高約1,600mに位置するシュリーナガルは、酷暑のインド平原部から逃れるのに適した場所でした。
ところが、英国人が自由に土地を所有することには制限がありました。
そこで広まったのが、湖に浮かぶ船を住居として利用する方法です。
ただし、土地所有の制限だけがハウスボート誕生の唯一の理由だったわけではありません。カシミールにはそれ以前から河川や湖を利用する船上生活の伝統があり、その文化が英国人向けの豪華な水上住宅へと発展したと考えられます。
19世紀末〜20世紀初頭:豪華な水上邸宅へ
当初は比較的簡素だった船上住宅も、英国人の長期滞在需要に応じて豪華になっていきました。
船内には応接室、食堂、寝室、浴室、キッチンなどが設けられ、英国のカントリーハウスを思わせる家具が並びました。
さらに、カシミールの職人たちによる精緻な木彫装飾が加えられ、独特の様式が完成します。
ハウスボートには英国的な名前が付けられることも多く、湖上での読書、紅茶、釣り、シカラによる移動などが避暑生活の楽しみになりました。
1947年以降:観光宿泊施設への転換

インド独立と分離独立後、英国人向けの長期滞在住宅としての役割は縮小しますが、その一方で、ハウスボートはインド国内外から訪れる観光客向けの宿泊施設へと転換していきました。
1960〜80年代にはカシミール観光の象徴となり、豪華な船内での宿泊はシュリーナガルを代表する旅行体験になりました。
しかし、1989年以降のカシミール紛争の激化によって観光業は大きな打撃を受けます。宿泊客の減少、維持費の不足、老朽化が進み、多くの船主が経済的な困難に直面しました。
現在まで、観光需要の回復と治安情勢の悪化が繰り返されるなかで、ハウスボート文化は受け継がれています。
ハウスボートの種類と建築様式

シュリーナガルの水上住宅には、もともと異なる用途や形態が存在します。
ドゥンガ(Doonga / Dunga)
ドゥンガは、カシミールに古くから存在する船上住居です。
特に、ハンジ(Hanji)と呼ばれる水上生活者のコミュニティと深い関係があります。
ハンジの人々は漁業、水上運送、農産物の販売などに携わり、湖やジェラム川を生活の場としてきました。
ドゥンガは現代の観光用ハウスボートよりも小さく、簡素な構造で、移動可能な住居として使われていました。
観光用ハウスボートのルーツは、このドゥンガにあると考えられています。2024年に発表された建造技術の記録研究でも、ハンジの伝統的な船上住居文化が重視されています。
観光用ハウスボート
現在のシュリーナガルで一般的に宿泊施設として利用されているタイプです。
典型的な特徴は以下のとおりです。
- 全長:約20〜30m程度の大型船もある
- 横幅:約4〜5m程度
- 客室:2〜5室程度のものが多い
- 共用設備:応接室、食堂、デッキ
- 内装:木彫パネル、絨毯、装飾天井、アンティーク調家具
ただし、寸法や客室数は船によって大きく異なります。
重要なのは、これらのハウスボートが通常は自力で航行しないことです。
ケララ州のバックウォーターを航行するハウスボートケララ州のバックウォーターを航行するハウスボートとは異なり、シュリーナガルでは湖岸や湖内の定位置に係留され、宿泊客がシカラという小舟で行き来する形式が中心です。
カシミール独特の木造建築と装飾
ハウスボートの最大の魅力のひとつが、船内に施された精巧な伝統工芸です。
カタムバンド(Khatamband)

小さな木片を幾何学模様に組み合わせる伝統的な天井装飾です。星形、多角形、花模様などを反復させ、複雑な意匠を作ります。ペルシャ・中央アジア系の美術とのつながりも感じられます。
カシミールの木彫(Walnut Wood)

クルミ材を使った彫刻工芸です。草花、蔓、葉、幾何学模様などが、扉、壁面、柱、家具に施されます。英国風の室内にカシミール独自の装飾美を与えています。
カシミール絨毯・ナムダ
手織りのウールやシルクの絨毯、圧縮した羊毛を用いるフェルト敷物のナムダなどが使われます。寒い冬に適した実用性と、華やかな装飾性を兼ね備えています。
これらのほか、パピエ・マシェ(張り子細工)、銅器、刺繍布なども室内を彩ります。
カシミールのハウスボートは、英国風の水上邸宅であると同時に、カシミール伝統工芸のショールームでもあるのです。
ハウスボートはどのように造られるのか

非常に興味深いのが建造技術です。シュリーナガルの伝統的なハウスボートは、鋼鉄製の船体ではなく、巨大な木造船として建造されます。
主な材料:デオダール(Deodar)
船体に使われる代表的な木材が、ヒマラヤスギの一種であるデオダール(Cedrus deodara)です。
デオダールは耐久性が高く、適切に加工・維持管理すれば水中でも長期間使用できる木材です。
特に船体のような常に水に接する部分に用いられてきました。
一方、装飾用にはクルミ材など別の木材が使われます。
伝統的な建造工程
木材の選定と加工
デオダールの丸太を切り出し、船底や船側に使う厚い板材を準備します。
船体の組み立て
長い木材を継手で接合し、船底と船側を構成します。伝統的には大型の鉄製金具などで固定します。
防水処理
板材の隙間に天然樹脂を含ませた縄などを詰め、水が浸入しないようにします。これは木造船特有の重要な工程です。
船体の進水
完成した巨大な船体を水面へ移動させます。木造船を安全に進水させるには、熟練した職人の知識が必要です。
上部構造の建築
船体の上に柱、壁、屋根を組み、応接室、食堂、客室などを作ります。
内装と装飾
木彫パネル、カタムバンド天井、家具、絨毯、照明などを設置して完成します。
船体を作る職人、屋根を施工する職人、内装を担当する職人には、それぞれ専門的な技術が必要です。
寿命とメンテナンス
デオダール製の船体は、適切な維持管理によって60〜70年程度使えるとされます。
しかし、腐朽、浸水、木材の劣化などを防ぐため、定期的な修理が欠かせません。
2025年の建造技術に関する報道では、熟練職人の減少、デオダール材の調達難、新造船の制限によって、伝統的な造船技術そのものが失われる危険が指摘されています。
ハウスボートでの暮らしと宿泊体験

観光用ハウスボートの宿泊は、一般的なホテルとはかなり異なります。
多くの船は家族経営で、船主やスタッフが宿泊客の世話をします。
朝にはカシミールの伝統的なお茶、カワ(Kahwa)を飲み、湖を行き交うシカラを眺める。食事付きの船では、カシミールの家庭料理が提供されることもあります。
また、船によっては宿泊客が利用する居住部分とは別に、船主家族やスタッフの生活・作業スペースがあります。
ダル湖とニギーン湖の違い

ダル湖(Dal Lake)
観光の中心。多数のハウスボートが並び、シカラ、水上商店、湖上の往来など、賑やかな雰囲気が特徴です。
シュリーナガルの水上文化を観察するには適しています。
ニギーン湖(Nigeen Lake)
ダル湖の中心的な観光エリアより静かで、落ち着いた滞在を楽しみやすい場所です。
湖畔の緑や水面の景観をゆっくり楽しみたい旅行者に向いています。
どちらの湖でも、係留位置によって眺望や騒音は異なります。宿泊施設を選ぶ際は、湖の名前だけでなく、具体的な位置を確認するのがおすすめです。
現在のハウスボートが直面する問題
現在のハウスボート文化は、観光資源としての価値が高い一方で、存続に関わる深刻な問題を抱えています。
老朽化と建造規制
2021年の政策では、ダル湖とニギーン湖のハウスボートの収容上限が910隻とされました。
これは現在実際に稼働している船の数ではなく、政策上の上限です。新造船の制限が続く一方で、既存船の修理や再建には条件付きの許可制度が設けられています。
湖の水質汚染
特に深刻なのが生活排水の問題です。
ハウスボートからの未処理排水に加え、周辺住宅や都市部から流れ込む生活排水、ゴミ、農地の拡大などが湖の環境に影響しています。
行政は下水処理施設への接続や排水処理設備の導入を進めていますが、すべてが解決したわけではありません。2026年6月のAP通信の報道でも、湖の汚染、土砂堆積、水位変化、気候変動による影響が指摘されています。
伝統的な造船技術の消滅危機
私が特に重要だと思うのが、この問題です。
2025年8月の The Indian Express は、伝統的な船体建造技術を記録する研究プロジェクトを紹介しています。
2022年の火災で焼失したハウスボートの再建が特別に許可され、その工程を映像、図面、職人への聞き取りで記録することができたといいます。
これは単に古い船を保存するという問題ではありません。
ハウスボートを作れる職人がいなくなれば、たとえ観光需要が回復しても、伝統的な木造船を新たに作ることが難しくなります。
ハウスボート文化の本当の価値
シュリーナガルのハウスボートを理解するには、次の3つの視点が重要です。
歴史的価値: 英国植民地時代の避暑文化と、カシミールの水上生活文化が交わった歴史。
工芸的価値: デオダールを使った木造船建造、クルミ材の木彫、カタムバンド、絨毯などの伝統技術の集積。
社会的価値: ハンジの人々や船主家族、造船職人、シカラの船頭など、湖を生活の場とする人々の生業。
ハウスボートを英国人が発明したものとしてだけ捉えると、そこに暮らしてきたカシミールの人々の長い歴史が見えなくなってしまいます。
むしろ、古くから存在した船上生活の技術が、植民地時代の観光需要を取り込みながら変化し、現在の華麗なハウスボート文化が生まれたと理解するのが適切でしょう。
宿泊した「Moustache Houseboat Srinagar」

今回宿泊したハウスボートは、ダル湖のガート17からシカラで10分ほどの場所にある「Moustache Houseboat Srinagar」。Agodaで予約しました。
運営はインド各地でホステル、ホテル、リゾートなどを展開する宿泊ブランド「Moustache Escapes」です。

ロビーの壁や天井は木彫りの装飾で飾られ、インテリアもセンスの良い感じ。
スタッフは男性3名。皆さん親切な方。
滞在中、自分たち以外に宿泊者はいなかった様子。

ロビーから奥に進んだところにあるダイニングルーム。ここで食事をとります。

こちらは、ロビーの入り口のエントランス部分。
客室からはダル湖は見えないのですが、このエントランスと、テラスから湖が一望できます。

客室へと向かう通路です。
奥へ向かって右側に客室が並んでいます。
この日は他に宿泊客がいなかったせいか、スタッフは自分たちに突き当たりにある一番いい部屋を用意してくれました。

こちらが、「Moustache Houseboat Srinagar」の客室です。
ロビー同様、木彫りの彫刻がほどこされた内装は雰囲気抜群!
たくさんある照明は明るく、エアコンもやファンも完備されていて設備も充実しています。
Wifiも繋がりますが、ロビーでは早いものの、客室だと少し繋がりにくい感じ。

ベッドの硬さもちょうど良く、シーツも綺麗にセットされています。毛布もあり。
ちなみに、寝心地は良いですが、船であるため、微かに揺れを感じます。

客室には小テーブルと椅子も2台あり、スタッフが淹れてくれたカシミールの伝統的な緑茶「カフワ」を部屋でいただきました。

カーテンやクッションなどの刺繍が施された布製品や、ペーパーマッシュで作られたティッシュケースやペン立てなど、部屋はカシミールの伝統的な工芸品で一杯♪

こちらは、バスルーム。
シャワーの湯量はそれほど強くはないですが、そこそこ熱いお湯が出ます。
洗面所やトイレの使い勝手も問題無し。
快適に過ごせるハウスボートです。



夜、ハウスボートのテラスに出て、漆黒の闇に包まれた夜のダル湖を眺めるのもなかなか乙なもの。
街に出る場合はスタッフにシカラを頼む必要がありますが、ハウスボートのロビーやテラスは24時間自由に行き来出来ます。
ハウスボートの食事

ハウスボートに着いてまず提供されたのが「カワ(Kagawa)」
「カワ」は、カシミール地方で古くから親しまれている、サフランやカルダモン、シナモンなどで香りをつけた伝統的なお茶。
チャイとは異なり、牛乳を加えず、緑茶をベースにスパイスやナッツを合わせるのが特徴。黄金色の美しい水色と、華やかで繊細な香りを楽しむ飲み物です。
砂糖を少し入れていただきました。
緑茶の仄かな渋みとサフランの花のような香り。カルダモンの清涼感。シナモンの甘い香り。底に沈んだアーモンドの食感。
すっきりとした飲み口と華やかな香り。
カシミールの食卓に無くてはならない飲み物。美味しいです♪

「Moustache Houseboat Srinagar」のディナーは、チキンカレーとサブジ、ダールにバスマティライスが付いた北インドスタイルのシンプルな定食でした。





どのおかずもスタンダードな味で美味しかったですが、ちょっと塩気が強かったです。
カシミールの家庭料理を期待していたので、少し残念でしたが、事前にリクエストしたら食べることができるかも。
ハウスボートによっては、カシミールの伝統的な宴席料理「ワズワン」が提供されることもあるそう。

こちらは朝食。
ハウスボートの食事で一番楽しみにしていたのが朝食です。
カシミールブレッドとバター、ヌーンチャイのシンプルな朝食。オムレツも付けてくれました。
カシミールでは伝統的なパン職人(カンドゥル)が窯で焼いたパンを、朝食やお茶の時間に食べる習慣が根付いています。

カシミールには、たくさんの種類のパンがありますが、いただいたのは「ギルダ(Girda)」と呼ばれるパン。
表面に指先などでくぼみや模様をつけて焼くのが特徴で、外側は香ばしく、中は柔らかく、やや噛み応えがあります。カシミールで最もスタンダードなパンで朝食の定番です。
味は素朴で、バターをつけて食べるとGood! ジャムや蜂蜜があるともっと美味しそうです。
焼き立ては格段に美味しいという噂なので、焼き立てを食べてみたいです。

こちらは、「ヌーンチャイ(Noon Chai)」
茶葉と牛乳、塩、重曹などを使ったピンク色の塩味のミルクティーです。
塩味のある温かいミルクに茶葉の渋みと香ばしさが加わり、乳製品のまろやかさと塩気が共存する、スープにも似た独特の味。
見た目と味のギャップにびっくりしますが、意外と美味しい。
だけど、この日の朝食のお供は、塩気のあるバターとオムレツだったので、甘いカワの方が良かったかも。
朝のハウスボート


朝のハウスボートからのダル湖の眺めも素晴らしい。
シュリーナガルを訪れたら、ぜひ、ハウスボートに宿泊することをおすすめします。
続きの記事は↓
インド・シュリーナガルおすすめのホテル

シュリーナガルでの宿泊は、ダル湖にあるハウスボート「Moustache Houseboat Srinagar」
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ガート17からシカラで10分ほどの静かな場所にあり、テラスからは広大なダル湖が見渡せます。
象嵌細工が施された室内の調度は素晴らしく、エアコンやホットシャワーも完備。朝食はカシミールブレッドとヌーンチャイやカワティーをいただくことができます。シカラもチャーター可能。
スタッフのサービスも良く、素晴らしいひと時を過ごせるハウスボートです。
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