南インド、ケララ州最大の都市「コーチン(コチ)」(Kochi:കൊച്ചി)
昨日の深夜、その歴史地区である「フォート・コーチン」に到着し、一夜が明けました。
この日は、「フォート・コーチン」を観光して周る予定です。
14世紀、コーチンは、アラビア海に面する港町として香辛料貿易で繁栄しました。
16世紀初頭、ヴァスコ・ダ・ガマがインド航路を開拓すると、1503年にコーチンはポルトガルの植民地となります。
その後、西欧列強や現地の王国の栄枯盛衰とともに、1663年にはオランダ領に、1773年にはマイソール王国領に、1795年にはイギリス領と、その支配者は変遷しました。
ポルトガル、オランダ、イギリスという西欧の支配者たちは、コーチンに多くの建造物や文化を遺し、その中心地となった「フォート・コーチン」は、他のインドの街にはない、独特の風情を醸し出しています。
●早朝のフォート・コーチンをぶらぶら
宿泊したホテル「No. 18 Hotel」
こちらは、宿泊したホテル『No.18 ホテル』です。
「No. 18 Hotel」は、フォート・コーチンの中心地とも言える「フォート・コーチン・バススタンド」からすぐの所にある好立地に位置するホテル。4つ星のホテルです。
4つ星とは言えど、それほど豪華感はなく、設備も古かったですが、十分快適に過ごせるお部屋だったし、スタッフもフレンドリーでした★
「No. 18 Hotel」の記事はこちら↓
昨日到着したのは深夜だったので、ホテルの周囲の様子をまだ見ていません。
ちょっと早起きしたので、ホテルの外をぶらぶらしてみましょう〜!
インドらしいごちゃごちゃとしたポスター
インドのローカルバス
バスの広告。インドです!
お馴染み、インド映画のポスター
旅行中何度もお世話になる乗り物「リキシャ」
見てください!
ホテルからちょっと歩いいただけで、(当然ですが)インド感満点!
インド映画などの、ごちゃごちゃしてインパクトのあるポスターが至る所に貼られていて、「あ〜、インドに来たんだな〜」っていう気分にさせてくれます★
無骨な感じのTATA社製のバスや、黄色と黒のツートンカラーのお馴染み「リキシャ」も、インドな感じ。
フォート・コーチンの若者たち
歩いていると、フォート・コーチンの若者たちが声を掛けてきました。
学生さんでしょうか。みんな知的な感じの顔立ちをしています。
ペットボトルの飲み物とフルーツがどっさり!
こちらは飲み物やフルーツを売るお店。
ペットボトルがたくさん並んでいます。
インドは、売られているペットボトルの水が2ℓの大きいサイズのものばかりなんですよね〜。
大きくて安いのでお得なんですが、持ち運びが結構不便です。
ひと通り「インド」を確認したところで、ホテルに戻り、身支度を済ませて朝食を食べに出掛けましょう〜♪
宿泊しているホテル『No.18 ホテル』も、もちろん朝食があるのですが、せっかくなら評価の高い所で、南インド料理のブレックファーストを食べて見たいと思ったのです。
①『ブラントン・ボートヤード』で朝食を
『ブラントン・ボートヤード(Brunton Boatyard)』
朝食をいただいたのは、「フォート・コーチン」にあるホテルの中でも、最も格調の高い高級ホテル『ブラントン・ボートヤード(Brunton Boatyard)』
場所は、「フォート・コーチン・バススタンド」から「ベラー・ロード(Bellar Road)」を東へ進み、「ヴァイピーン島(Vypeen Island)」へのジェッティーの船着場を過ぎて少し歩いたところです。
ホテルのレストラン「ARMOURY」のブレックファーストタイムは、7:30〜10:30まで。
メニューは、ベーシックなコンチネンタル・ブレックファーストがメインですが、イドゥリやサンバル、ワダ、ドーサなど南インドの「ティファン(軽食)」もチョイス可能です。
イドゥリ&サンバル(ワダ付き)
ドーサ(Dosa)
お料理は、イドゥリ&サンバルを選択、ドーサも別で頼むことにしました(料金は、ひとり850ルピー:1,530円)。
『ブラントン・ボートヤード』のティファンは、本場らしくバナナの葉っぱの上に載って出てきました★
高級ホテルのレストランらしく、サンバルもチャトニもドーサの中のポテトマサラも、上品で丁寧なお味。
特にお豆の味が濃厚なサンバルがとっても美味しかったです♪
船着場のすぐ横というロケーション
食事はテラス席でいただきました。
テラス席からは、コーチンの海が見えます!
ホテルのすぐ横は船着場。
潮の香りが漂ってきます♪
行き交う船を眺めながらのお食事、なかなかのロケーションです♪
『ブラントン・ボートヤード』の記事はこちら↓
②チャイニーズ・フィッシングネット
「チャイニーズ・フィッシングネット」
朝食を食べた後、「フォート・コーチン・バススタンド」に戻り、そこから西へ、海岸沿いに歩いていきます。
すると、海に面してたくさんの巨大な網が並んでいるのが見えてきます。
「チャイニーズ・フィッシングネット」です!
「チャイニーズ・フィッシングネット」とは、何本かの丸太に10m四方ほどの網を付けて作った巨大な魚獲り網装置。ケララ州に見られる伝統的な漁法です。
仕掛けは単純で、網を海中に沈め、時間が経ったらロープを引っ張って垂直に引き上げるだけ。
魚の多いコーチンでは、これだけでたくさんの魚が獲れるのだとか。
ただし、網を引き上げるのは数人がかりで行う必要があるそうです。
ネットを徐々に海に沈めていきます。
沈み切った網
この「チャイニーズ・フィッシングネット」、名前の由来はもちろん中国で、中国の武将であった鄭和(1371-1434)によって伝えられたという言い伝えがあるからなのだそう。
けれども、最近の研究によると、このネットを伝えたのはポルトガル人であるということが明らかになったのだそうです。
フォート・コーチンの「チャイニーズ・フィッシング・ネット」
フォート・コーチンでは、この「チャイニーズ・フィッシングネット」が、海岸沿いにずらりと並んでいる様子を見ることができます。
「チャイニーズ・フィッシングネット」で獲れた魚
ネットの前の通りには魚屋がたくさん!
路上で魚を売っている人もいます。
リキシャと壁に描かれた絵
スパイス売り?
「チャイニーズ・フィッシングネット」の前の道には、ネットで獲れた魚を売るお店が数店舗並んでいました。路上で魚を売っている人もいます。
結構いろんな種類の魚が獲れるみたいで、小さなサメのような魚やカニ、エビなども並べられていました。
「チャイニーズ・フィッシングネット」とたくさんの海鳥、浜に並んだカヌー
「チャイニーズ・フィッシングネット」が並ぶ浜辺には、漁師が使うカヌーがたくさん並んでいて、獲れた魚を狙う無数の海鳥がネットの周りに群がっていました。
浜辺で少年たちが浜サッカー
フォート・コーチンの海岸線
波と戯れる地元の人々
「チャイニーズ・フィッシングネット」の並びを通り過ぎ、さらに海岸沿いを西に向かって歩いて行きます。
浜辺では少年たちがサッカーをしていたり、家族連れが波と戯れていたり、カップルが海を眺めていたりしていました。
海岸通りを左折し、内陸に向かって歩いて行きます。
すると、そこには、ヨーロッパ風の瀟洒な建物がちらほらと。
③デヴィッド・ホール
「デヴィッド・ホール」
こちらは、「デヴィッド・ホール(David Hall)」
1663年、オランダはポルトガルからコーチンの支配権を奪取します。
その際、オランダ人はポルトガル建築物の2/3を破壊したそうです。
「デヴィッド・ホール」は、破壊された教会の素材を使って、オランダ領東インド会社により1695年に建てられた建物のうちのひとつ。
現在では、現代美術のギャラリーや、音楽ライブ、セミナー、クラフトバザーやアートのワークショップなどが行われる文化的な施設となっています。
ピザやサンドイッチをいただけるカフェも併設されているとのこと。
④タクール・ハウス
「タクール・ハウス」の入り口
「タクール・ハウス」
「タクール・ハウス」の前にいたリキシャ
こちらは、「タクール・ハウス(Thakur House)」
「タクール・ハウス」は、オランダ統治時代に建てられた2階建ての建物で、オランダ東インド会社の社交の場としての役割を担っていたようです。
また、当時はフォート・コーチンのランドマーク的な建物であったのだとのこと。
現在は、茶の貿易会社を営むラーム・ババトゥール・タクールが所有しているのだそう。
こちらは、個人の所有なので中には入れません。
⑤オランダ人墓地
「オランダ人墓地」
「オランダ人墓地(Dutch Cemetery)」です。
1724年に造られたインドで最も古いヨーロッパ人墓地で、19世紀までに亡くなった104のオランダ人植民者の墓があります。
入り口は閉まっているので、中に入ることはできませんでした。
「オランダ人墓地」の前の通り
「オランダ人墓地」の前の通りは、ポルトガルやスペインの町のような、南欧風の雰囲気。
椰子の木の存在が、ここがケララであることをわからせています。
⑥司教の館
「司教の館」の入り口
「司教の館」
「司教の館」、アーチが美しいです。
こちらは、「司教の館(Bishop’s House)」
1506年にポルトガル総督の邸宅として建設された建物。
正面に見えるゴシック様式のアーチが美しいです。
建物自体は、中には入れませんが、敷地内に「インド・ポルトガル博物館」があり、インドにおけるカトリックに関する資料が展示されているとのこと。
この時は、博物館は閉まっていて見学することはできませんでした。
⑦ファブ・インディア(Fab India)
「ファブ・インディア」へ
ヨーロッパ風の雰囲気の良い街並みが残る「フォート・コーチン」
他のインドの街とは違った独特な風情は、インドの若者たちを惹きつけ、界隈にはそんな若者たちをターゲットにしたお洒落なカフェやレストラン、ブティックなどがあちらこちらにあります。
「ファブ・インディア(Fab India)」
「ファブ・インディア(Fab India)」は、その名の通り、インドのファブリックを扱っているお店。
インド綿やインドシルクで作られたお洒落なインド服をはじめ、アクセサリーやインテリア用品、家具、オーガニック食材、コスメティックなども扱っていて、インド人に大人気!
店舗はインド全土に120店舗もあるそうです。
フォート・コーチンのお店は、衣料品メインの小ぢんまりとした店舗でしたが、店内にはインドの伝統的な柄がプリントされたスカーフやショール、カラフルなサリー布などが、所狭しと並べられていました。
⑧アノーキ(Anokhi)
「アノーキ(Anokhi)」
「アノーキ(Anokhi)」は、インド北西部ラジャスターン地方の町「ジャイプル」生まれのハンドメイドブランド。
インド伝統の「ブロックプリント」(木版)を使った衣料品や布製品が有名で、インド全土に18店舗あります。
「ブロックプリント」とは、木に細かな模様を彫り込んだハンコのようなもの。
図柄をプリントする際に、色ごとにブロックプリントが必要になるので、かなり手が込んでいます。
こちらが「ブロックプリント」(代々木公園のナマステインディアにて)
上の写真が、その「ブロックプリント」
店内には、「ブロックプリント」で柄が付けられた服やバンダナ、スカーフ、ハンカチ、ポーチなどが並んでいて、「ブロックプリント」そのものも売られていました。
「アノーキ」での戦利品
そんな商品の中で結局購入したのは、上の写真の封筒のみ。
お値段はひとつ50ルピー(90円)
時間がもったいなかったので、ざっと見ただけで切り上げてしまいましたが、もっとじっくり見てポーチとか買えばよかったかな〜って思います。
「アノーキ」の看板
「アノーキ」を出て、再びフォート・コーチンを歩きはじめます。
少し歩いたところで、かなり広々とした広場が現れます。
「パレード・グランド」です。
⑨パレード・グランド
「パレード・グランド」
「パレード・グランド(Parade Grounds)」は、植民地時代に軍事パレードや軍事訓練が行われたという広場。
広場に面した一面に、1749年建造のオランダ東インド会社のゲート(VOCゲート)があります。
250年以上を経た現在では、クリケットをプレーする少年たちの格好のグラウンドになっていました。
ちなみに、インドの一番人気のスポーツは、クリケットなんです。
なんか面白そうな看板が!「リキシャ・ラン」!
「パレード・グランド」の側の通りを歩いていると、なんか面白そうな看板が!
「リキシャ・ラン」と書かれています!
ちょっと、中に入ってみましょう〜♪
ペイントされたリキシャがたくさん!
中に入ってみると、ペイントされたリキシャがたくさん!
すごいカラフルです★
後で調べてみると、この「リキシャ・ラン(Rickshaw Run)」、インド各地をオートリキシャでレースするイベントで、毎年1月、4月、8月に行われるのだそう。
第一回の開催は、2006年の12月。この時は、コーチンから西ベンガル州のダージリンまでのルートだったそうです。
毎年ルートは変わっていて、2017年はコーチンからラジャスターン州のジャイサルメールまでのルートであるとのこと。
カラフルなリキシャたち
こんなリキシャに乗ってみたい!
「ウン」ペイントのリキシャ(汗)
こちらは、シャークでしょうか?
Rickshaw Run 2016 India
上の動画は、2016年のレースの模様を撮影した動画。
かなりクオリティーの高い動画です★
「リキシャ・ラン」のチームは、リキシャ1台と1人から4人のドライバーで構成されていて、参加チームは、インドとネパールで活動する慈善団体に1,000ポンドを寄付することが義務付けられているのだそうです。
「リキシャ・ラン」の参加受付?
こちらが「リキシャ・ラン」の参加受付所でしょうか?
2013年は74台のリキシャが参加したそうなので、今年(2017年)もたくさんのリキシャが参加するのでしょう〜。
「リキシャ・ラン」の会場を後にして、次の史跡へと向かいます。
⑩聖フランシス教会
「聖フランシス教会」
「聖フランシス教会(St.Francis Church)」は、ヨーロッパ人によってインドに建てられた教会としては最古の教会。建造はポルトガル時代の1503年です。
当初は、カトリック教会として建てられましたが、オランダ時代にプロテスタント教会となりました。
「聖フランシス教会」の内部
「聖フランシス教会」の内部です。
クリスマススターが飾り付けられていますね。
1663年以降はプロテスタント教会になったため、内装はかなりシンプル。
この「聖フランシス教会」の見どころは、「ヴァスコ・ダ・ガマ(Vasco da Gama)」の暮石です。
墓石は、祭壇に向かって右奥の部分にあります。
「ヴァスコ・ダ・ガマ」の墓石
古い墓碑がありました。
こちらが、「ヴァスコ・ダ・ガマ」の墓石。
「ヴァスコ・ダ・ガマ」は、ポルトガル人の航海者および探検家で、ヨーロッパ人の中で初めて海路でインドへ到達した人物。
インド航路の開拓者として有名で、彼の功績によりポルトガルはスペインと並ぶ海洋帝国を築くことができたのです。
1524年、ヴァスコ・ダ・ガマは3度目のインド訪問の際に、ここコーチンで亡くなりました。
彼の墓は、この「聖フランシス教会」に造られ、ここに埋葬されました。
その後、遺体はポルトガル本国へと送られましたが、埋葬された当時の墓石はそのまま遺されています。
「聖フランシス教会」の祭壇
「聖フランシス教会」で、大航海時代に思いを馳せた後、次の史跡へと向かいます。
11.ヴァスコ・ハウス
「ヴァスコ・ハウス」
こちらは「ヴァスコ・ハウス(Vasco House)」
「ヴァスコ・ハウス」は、16世紀初頭に建てられたコーチン最古の建物のひとつで、ヴァスコ・ダ・ガマが住んでいたという伝承があるそうです。
現在では、カフェ(ヴァスコ・カフェ)になっています。
「ヴァスコ・カフェ」
「ヴァスコ・ハウス」近くのスパイス屋さん
アンバサダー車
「ヴァスコ・ハウス」の近くには、かつてのインドの 国民的乗用車「アンバサダー(Ambassador)」が停まっていました。
20年前インドに行った時は、街を走っているのは、この車ばかりだったのですが、市場が開放され、現在では様々な国の車が街を走っています。
12.ティーポット・カフェ(TeaPot Cafe)
「ティーポット・カフェ(TeaPot Cafe)」
日も高くなり、かなり暑くなってきました。
ちょっと喉が渇いてきたので、お茶にすることにします。
「ティーポット・カフェ(TeaPot Cafe)」は、「フォート・コーチン」にいくつかあるお洒落カフェのひとつ。
蔦が絡まった黄色い外観のお店です。
「ティーポット・カフェ」の店内
アイスティーを注文(90ルピー:162円)
「ティーポット・カフェ」の店内の様子です。
店内は、一階とロフト的な二階があって、壁や棚にはお店のモチーフであるカラフルなティーポットがいくつも飾られています。
名前の通り、紅茶が売りで、ダージリンやニルギリ、アールグレイなどの紅茶を楽しむことができます。
ホットの紅茶の方が紅茶のお味を味わえるのですが、あまりに暑く、冷たいものを飲みたい気分だったので、アイスティーをチョイス!
「ティーポット・カフェ(TeaPot Cafe)」の記事はこちら↓
「ティーポット・カフェ」前の界隈
「ティーポット・カフェ」でしばし休憩した後、街歩き再開です。
上の写真は、「ティーポット・カフェ」前の通りの様子。
フォート・コーチンは、こんな感じのヨーロッパ風の風情のある感じの通りばかりなんです★
道を覆い尽くす飾り付け
歩いているうちに広い通りに出ました。
通りは道いっぱいに白い飾り付けで覆われていて、ちょっとびっくり!
とっても、インドらしいです★
13.サンタ・クルス聖堂
「サンタ・クルス聖堂」
こちらは、「サンタ・クルス聖堂(Santa Cruz Basilica)」
「サンタ・クルス聖堂」は、ポルトガル時代の1506年に建てられ、20世紀初頭に建て替えられたカトリックの聖堂です。
「サンタ・クルス聖堂」の内部
ケララ州はキリスト教徒が多いです。
「サンタ・クルス聖堂」の内部 です。
カトリックの聖堂らしく、内部の装飾が豪華で華やか。
聖堂内では、地元のインド人信者たちが熱心にお祈りを捧げていました。
ケララ州は、インドでもキリスト教徒の割合が多い州として知られています。
天井にも宗教画が
「サンタ・クルス聖堂」の主祭壇
聖堂内の天井にはカラフルな宗教画が描かれ、主祭壇もブルーの背景で、とっても鮮やか!
20年前の「サンタ・クルス聖堂」
現在の「サンタ・クルス聖堂」
この、「サンタ・クルス聖堂」には、20年前に訪れたことがあります。
当時は、グレー色の外観の燻んだ印象だったのですが、20年後の現在、真っ白の明るい色合いの聖堂に生まれ変わっていました★
14.プリンセス・ストリート
「プリンセス・ストリート」
「サンタ・クルス聖堂」を出た後、ホテルの方に向かって歩いて行きます。
途中で通りかかったのが、「プリンセス・ストリート(Princess Street)」
「プリンセス・ストリート」は、フォート・コーチンで最も古い通りのひとつ。
土産物屋さんがいっぱい
お土産やさんが軒を連ねていて、賑やかな感じでした。
「プリンセス・ストリート」を抜けて、「ヴァスコ・ダ・ガマ広場」に面した通りにも、ヨーロッパ風のコロニアル建築がいくつか並んでいます。
15.コーダー・ハウス
「コーダー・ハウス」
「コーダー・ハウス(Koder House)」はそのうちのひとつ。
「コーダー・ハウス」は、イギリス統治時代の1808年に建てられた建物で、かつてはユダヤ人が居住していたのだそうです。現在は、ブティック・ホテルになっています。
「コーダー・ハウス」の入り口
臙脂色の壁と白い窓枠のコントラストが鮮やかな、お洒落かつインパクトのある建物です。
16.オールド・ハーバー・ハウス
「オールド・ハーバー・ハウス」
「オールド・ハーバー・ハウス(Old Harbour House)」は、イギリス統治時代の1808年に建てられ、ボートクラブとして使われていた建物。
現在は、ヘリテージ・ホテルの「オールド・ハーバー・ホテル」として営業しています。
なかなか良さげな風情をしたホテルですね。
17.ピアース・レスリー・バンガロー
「ピアース・レスリー・バンガロー」
「ピアース・レスリー・バンガロー(Pierce Leslie Bungalow)」は、イギリス統治時代の1862年、コーヒー貿易をしていたピアース・レスリー社が建造した建物。
ポルトガルとオランダの様式が折衷した、趣のある建物です。
公園には子供たちがいっぱい
地元コーチンのインド人家族連れ
路上アクセサリー屋さん
コロニアルな建物と道を挟んで反対側に広がっているのが、「ヴァスコ・ダ・ガマ広場」
広場では、地元の子供たちが遊具で遊んでいたり、アクセサリー屋やサンダル屋などが店を出していたりしていました。
「No. 18 Hotel」に一旦戻ります。
さてさて、「フォート・コーチン」歴史巡りもここで終了!
一旦ホテルに戻り、午後はランチがてら、半島の南の「 マッタンチェリー地区」へと向かいます。
「フォート・コーチン」巡りマップ
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