標高2,134mの山の上に「ダージリン」の町はあります。
雨季の霧に包まれた街を歩き、街の一角にある、紅茶がおいしいということで有名な店「カフェ・グレナリーズ」で紅茶を飲みました。辺りには茶畑がたくさん!
インドの「チャイ」ってイギリス統治時代に生み出されたものだそうです。
今回は、ダージリンと紅茶についてご紹介します。
インドのダージリンで、本場のダージリンティーを飲みました!
ダージリンの街並み
標高2,134mの山の上。インドの東の中心「コルカタ」(カルカッタ)から約500km北へ進んだところに「ダージリン」(Darjeeling:दार्जीलिङ्ग)の町はあります。
雨季である9月にこの町を訪れました。
この時期、ダージリンの町は濃霧に包まれます。木造の街並みはしっとりと濡れそぼり、道の向こうは白いもやに霞んで見えなくなってしまいます。
空は灰色の雲に包まれ、晴れていれば見えるというヒマラヤの白い峰峰も見ることが出来ません。
雨季のダージリンは、街全体が真っ白なヴェールに覆われてしまうのです。
ダージリンの街
ダージリンといえば『紅茶』。ダージリンティーを飲むこと。この町を訪れた大きな理由のひとつです。
私は街の一角にある、紅茶がおいしいということで有名な店「カフェ・グレナリーズ」に行きました。
注文したのは、ストレートのイングリッシュティー。
インドといえばミルクのたっぷりと入った『チャイ』が一般的。けれども、紅茶本来の味を味わいたいと思った私は、イングリッシュティーを頼みました。
紅茶(イメージ)
ルビー色の紅茶が運ばれてきます。
砂糖をひとさじ入れ、高原の空気を感じながらゆっくりと啜ります。
おいしい!
ダージリンの茶畑
茶摘みをする女性
窓の外を眺めます。
茶畑が陽光に照らされて明るい黄緑色に輝いています。けれども、すぐに太陽は動きの速い雲によって隠され、茶畑の色は濃い深緑色に変わってしまいました。山の天気は変わりやすいのです。
紅茶の味を味わいながら、くるくると移り変わる茶畑の色のグラデーションを眺め続けました。
インドの紅茶とチャイの歴史
山あいに広がる茶畑
ここで、インドの紅茶とチャイの歴史について、お話をいたします。
現在、インド、パキスタンやバングラデシュなどの地域では、ミルクと砂糖をたっぷりと入れた紅茶「チャイ」が日常的に飲まれています。けれども、インドでチャイが日常的に飲まれるようになったのはごく最近で、19世紀のイギリス統治時代以降のことなのだそうです。
『チャイ』はイギリス植民地支配の副産物のひとつであるそうです。
ロープウェイに乗って茶畑を眺めます
18世紀にイギリスをはじめとしたヨーロッパでは、東洋趣味が流行しました。中国のお茶もそのうちのひとつ。
当時、イギリスでは中国から輸入した緑茶をそのまま飲んでいたそうです。
けれども、肉食主体のイギリス人の食卓に緑茶は合いません。そこで、イギリス人が目を付けたのが、中国安徽省で生みだされたといわれる紅茶です。
茶葉を醗酵した紅茶は、肉料理との相性がぴったりでした。そして、次第にヨーロッパの人々は、緑茶ではなく紅茶を飲むようになっていきました。
上流階級の趣味に過ぎなかった紅茶ですが、それから一世紀も経たないうちに一気にヨーロッパに広まり大衆化していきます。
そのうち、紅茶の需要が飛躍的に高まり、中国からの輸入だけでは供給が追いつかなくなっていきました。
移ろいやすい山の天気
19世紀初頭のこと。当時の大英帝国領インド、ダージリンの近くの北東部アッサム地方で野生の茶が発見されます。
イギリスはこれを受け、大々的にアッサムでの製茶事業に乗り出し、茶葉の研究、改良を重ねていくこととなります。
紅茶畑は、ダージリンやアッサムだけでなく、南インドのニルギリ山やセイロン島などにも広がっていきました。
ダージリンの風景
インド人は、それまで紅茶を飲む習慣はありませんでした。けれども、イギリス人をまねて次第に紅茶を飲むようになります。
ところが、良質の茶葉は全て本国イギリスへと送られてしまい、インドに残るのは屑茶ばかり。その残った屑茶をおいしく飲むためにはどうしたらいいだろうかとインド人は考えました。
そこで編み出されたのが、茶葉とミルクを煮込んで作る、この『チャイ』なのです。
砂糖をたっぷりと入れ、シナモンやカルダモンなどの香辛料を加えた濃厚な『チャイ』。
素晴らしい発明です!
イギリスの『ティー』はいかにもインドらしくアレンジされ『チャイ』となったのです!
イギリスの植民地支配がなかったら『チャイ』は生まれませんでした。そして、ダージリンの茶畑や芳しいダージリンティーもなかったことでしょう。
インドにとって植民地支配はネガティブな歴史ですが、歴史というものは時に、思いもかけない副産物を生み出していきます。
ダージリンの茶畑
そんなことをぼんやりと考えていると、窓の外の山並みがパッと輝きました!
雲が晴れ、また、太陽が顔を覗かせたのです。
一面に敷き詰められた茶畑が徐々に黄緑色に覆われていきます。
イギリス植民地支配が造りだしたダージリンの美しい風景。21世紀を迎えた現在、それは既に紛れもない『インド』の風景になっていました。
旅行時期:2003年9月
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