イランから国境を越えてパキスタンへ。
トルコからイランへと入国した私は、テヘランやハマダンを経由し、イスファハンやシラーズ、マシュハドで美しい廟やモスクを眺め、ペルセポリスやバムで壮大な廃墟を見た後、パキスタン国境へと向かいました。
今回は、イランからパキスタンへ国境越えの旅です。
イランのバムからザヘダン、そして、パキスタン国境へ
イラン東部、ケルマーン州にある町「バム(Bam:بم)」
世界遺産のある都市遺跡「アルゲバム」のあるこの町に数日間滞在した後、バスでイラン南東部のパキスタン、アフガニスタン国境付近の中心都市「ザヘダン」へと向かいました。
ザヘダンからパキスタン国境へと向かい、国境を超えてバスで砂漠を横断して「クエッタ」へ。そこから鉄道で「ラワール・ピンディー」へと直行する行程。
ちなみにこのルートは、現在では治安の悪化により通行はほぼ無理です。
下がそのルート地図↓
イラン〜パキスタン旅ルート
「バム」を朝7時に出発したローカルバスは、4時間ほどで「ザへダン(زاهدان)」に到着。料金は、4,500リヤル(113円)でした。
「ザへダン」は、パキスタンへのゲートウェイとも呼べる町で、住民の大多数がパキスタンやアフガニスタン一帯にかけて居住するバルーチ人であるとのこと。
なお、この「ザへダン」は、アフガニスタンからの麻薬の流入が多く、麻薬ビジネスで賑わっているらしく治安が悪いとも聞いていました。
長居は無用です。私と同行の日本人旅行者は乗合タクシー(2,000リヤル:50円)を捕まえ、国境へと急ぐことにしました。
タクシーで10数分走ると、運転手に別のタクシーに乗り換えるよう言われました。
すぐに別のタクシーが現れます。タクシーの運転手と交渉し、2人で20,000リヤルを12,000リヤル(300円)まで負けさせ、タクシーに乗り込みます。
タクシーは時速140kmで突っ走り、1時間ほどで国境の町「ミルジャワ」に到着。
しかし、ここで問題が発生!
国境のゲートが閉じられていたのです!
なんでも、国境はお昼時は閉じられてしまうのだとのこと。現在午後1時で、ゲートが開くのが午後4時だということで、あと3時間も待たなければなりませんでした。
ちなみに、この辺り、訪問時期の8月下旬〜9月上旬の気候は摂氏40℃を優に超えるかという灼熱地獄。
簡素な待合所みたいな所で待つこと3時間。ゲートが開きました。
開門後も随分と待たされましたが、ようやくイミグレの係員にスタンプを押してもらい、無事パキスタンへ入国することができました。
ぎゅうぎゅうの夜行バスで砂漠を横断、クエッタへと向かう
国境を超えた所は、パキスタン側の国境の町「クイ・タフタン」。バラックが立ち並ぶ雑然とした印象の町で、夕暮れ時ということもあり、あまり治安が良さそうではありません。
我々は国境近くの両替屋で両替を済ませると、すぐに当日の「クエッタ」行きの夜行バスのチケットを購入しました(200ルピー:600円)。
チケットを購入すると、すぐさまバスへと案内されました。すぐに出発するようです。
国境から「クエッタ」へと向かうこのバスは、夜間砂漠を横断し、翌朝クエッタに到着します。
アフガニスタン、イラン、パキスタンが隣接するこの地域は1996年当時から不安定な地域だったようで、バスの車内には自動小銃を手にした兵士が2人、乗車していました。
それにしても、このバス凄まじかったです!
典型的なパキスタンの派手な外観のローカルバスで、車内はバルーチ人やパシュトゥーン人、その他様々な部族民と思われる地元の人たちで一杯。
人だけでなく荷物もすごくて、荷棚だけでなく通路にも足下にも屋根の上にも荷物が満載されていました。
バスはオレンジ色の街灯がぼんやりと照らす「クイ・タフタン」の町をゆっくりと出発します。
そして、そのうちスピードを上げ、漆黒の砂漠地帯へと突入していきました。
翌朝、バスはバロチスターン州最大の町「クエッタ(Quetta:کوئٹہ )」に到着しました。
人と荷物に押し潰されそうになりながらの夜の砂漠越え。
もう体も気分もボロボロな感じ・・・。
けれども我々は、この後もさらにハードな旅程を組んでしまったのです!
「クエッタ」の町は、あまり記憶に残っていません。
強いて言えば、メロンが美味しかったことでしょうか。
ラグビーボールみたいな形のでっかいメロンを市場で買い、安宿でナイフで切って、同行の日本の方と一緒にいただきました★
ちなみに、「クエッタ」はメロンなどの豊かな産地で「パキスタンの果樹園」としても名高いのだとのこと。
灼熱の列車で38時間、夜行バスで山道を16時間、そして、桃源郷へ
クエッタに着いて2日後の昼、列車でパキスタン北東部の中心都市「ラワール・ピンディー(Rāwalpindī:راولپنڈی )」へと旅立ちました。
「ラワール・ピンディー」までは、38時間の行程です。
車内にはもちろん冷房はなく、列車が停車すると熱気が耐え難いほど。
走れば走ったで、開け放しの窓から砂漠の砂が吹き込むし、通路には物売りや物乞いが引っ切り無しに代わる代わるやって来るし、片側5人掛けのシートはぎゅうぎゅうで、もちろん横になることはできないし、シートがやたら硬いのでお尻が痛くなってくるし・・・。
これまで経験した中でも、かなりきつい部類の移動となりました。
そして、「ラワール・ピンディー」に着いた2日後の晩、北部山岳地帯の「ギルギット(Gilgit:گلگت )」行きの夜行バスに乗り込みました。
バスの一番後ろの6人掛けシートにぎゅうぎゅうになりながらの16時間です。
山間部の九十九折りの山道を右へ左へと揺られながらの夜行軍。
これまた、かなりきつい移動となりました。
けれども、このきつい移動を耐えた後には、素晴らしいご褒美が待っていたのです。
「ギルギット」から乗合ミニバンで2時間ほど北へと向かった場所。
7,000m級のパミール高原の山々を望む谷。フンザ、「カリマバード(Karimabad:كريم آباد)」の村です。
これまで見たどの風景よりも雄大で美しい景観。
フンザ、まさしく桃源郷でした★
旅行時期:1996年9月
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