映画「放浪の画家ピロスマニ」は、グルジア(ジョージア)の独学の天才画家ニコ・ピロスマニ(1862-1918)の半生を描いた作品である。近年、ピロスマニは貧しい絵描きと女優の哀しい恋を歌った『百万本のバラ』のモデルとしても知られている。名匠ギオルギ・シェンゲラヤ監督は、名も知れず清冽に生きたピロスマニの魂を、憧れにも似た情熱で描くとともに、グルジアの風土や民族の心を見事に映像化した。
「放浪の画家 ピロスマニ」パンフレット
グルジアで今でも愛される「放浪の画家 ピロスマニ」
グルジアの国民的画家「ニコ・ピロスマニ」(Niko Pirosmani:ნიკო ფიროსმანაშვილი)は、19世紀末から20世紀初頭にかけて活躍したグルジアの画家です。
グルジア東部のミルザーニの村で生まれたピロスマニ、若い頃はグルジア鉄道で働いたり、自分の商店を経営したりしたそうですが、うまくいかず、その後独学で習得した絵の制作に没頭していきました。
ピロスマニの絵の主題はグルジアの人物や動物、グルジアの人々の生活風景や歴史などが中心。
暗い絵の具を多用した素朴な画風で、対象を正面から捉えたイコンに似た正面性が特徴です。当初はアンリ・ルソーらとともに素朴派に分類されていましたが、現在では孤高の天才画家として語られることが多いそうです。
代表作のひとつ「女優マルガリータ」
ピロスマニは、その後半生、グルジアの首都トビリシを放浪して絵を描きながらその日暮らしを続けたそうです。
彼の絵は一旦はロシアの美術界に注目されましたが、その後、画風が幼稚であるという批判にさらされます。
そして、1918年。彼は失意のうちにその生涯を終えることとなるのです。
体も弱く、人付き合いもうまくいかなかったピロスマニ。
友人や知人からは「ニカラ」という愛称で親しまれ、黒いフェルト帽に背広という出で立ちで、いつもひとりで酒場で飲み、絵を描けるならばどんな仕事でも厭わなかったそうです。
ピロスマニは、その生涯において、1000〜2000点もの作品を描いたと言われています。
ピロスマニの死後、彼を支持する芸術家たちによって作品の収集が行われ、現在は200点以上の作品が集められ、トビリシの国立美術館を中心に保存・展示されています。
グルジアの動物たちやグルジアの歴史、そして、グルジアの人々の日常の暮らしを描いたピロスマニ。
その絵は、死後、100年近く経った現在でもグルジアの人々に愛され続けています。
トビリシの街には、至る所に「ピロスマニ」や「ニカラ」と言った看板や名称があり、その作品をあらゆる場所で目にすることができます。
また、1ラリ紙幣にはピロスマニの肖像が描かれてもいます。
人々は、今でも彼のことを親しみを込めて「ニカラ」と呼ぶのだそうです。
ピロスマニの絵はグルジアという国そのもの。ピロスマニはグルジアを象徴するような画家なのです。
ピロスマニへの深い愛情を感じさせる絵のような映画
映画「放浪の画家ピロスマニ」は、1969年に製作されました。
監督は、グルジアを代表する映画監督「ギオルギ・シェンゲラヤ」
ピロスマニ役には、この映画の美術担当でもあった「アヴタンディル・ヴァラジ」を抜擢しました。
映画は監督のピロスマニへの愛情に溢れています。
ピロスマニの絵は、静的な印象を感じさせる画風です。
対象が中心に置かれ、構図は左右対称を基本としています。人物は正面を向き動きや表情が少ないのが特徴です。
この映画も、ピロスマニの画風に倣い、固定されたカメラで人物や情景を映し出し、シーンの数も少なく、静謐で素朴な雰囲気を作り出しています。
それぞれのシーンの冒頭にはピロスマニの作品が映し出され、シーンの中の背景には彼の絵が掲げられているのが見えます。
ピロスマニという画家と、彼の世界そのものを作品とした。そんな映画になっています。
岩波ホールの展示
映画の日本初公開は1978年。岩波ホールで公開されました。
ピロスマニの絵は、加藤登紀子がカヴァーした歌「百万本のバラ」のモチーフとして日本でも知られ、多くのファンがいます。
今回(2015年)、リヴァイヴァル上映として再び岩波ホールにて、この映画「放浪の画家ピロスマニ」が上映されました。
映画館の壁には、ピロスマニの絵のパネルや当時のポスター、グルジアの工芸品などが飾られていました。
キャスト
ピロスマニ :アヴタンディル・ヴァラジ
ヴァノ :ダヴィト・アバシゼ
ベゴ :テイムラズ・ベリゼ
義兄 :ショタ・ダウシュヴィリ
姉 :マルゴ・グヴァラマゼ
コラ :ズラブ・カピアニゼ
マルガリータ :ロザリア・ミンチン
許嫁 :ニノ・セトゥリゼ
ディミトリ :ボリス・ツィプリア
スタッフ
監督 :ギオルギ・シェンゲラヤ
脚本 :ギオルギ・シェンゲラヤ エルロム・アフヴレディアニ
製作 :スサナ・クヴァラツヘリア
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