アメリカ最大の都市であり、全世界で最も影響力がある都市と言っても過言ではない町「ニューヨーク(New York)」
商業、金融、芸術、ファッション、音楽、娯楽、スポーツ、あらゆるもののメインストリームがこの町から発信されています。
ニューヨークは、ブロンクス、ブルックリン、マンハッタン、クイーンズ、スタテンアイランドという5つの行政区に分けられています。
都市圏人口は2000万人を超え、170近くの言語が話され、人口の36%がアメリカ合衆国の外で生まれた人であるそうです(2005年統計)。
そして、ニューヨークと言えば摩天楼。2008年8月現在、ニューヨークには高層ビルが5538棟あり、200mを超える高層ビルで、完成済みのものは50棟あるのだとのこと。
これは世界第2位の数であるのだそうです(1位は香港)。
そんな世界一の“都会”ニューヨークの街を紹介します。
マンハッタンを歩く
マンハッタンの街並み
マンハッタン(島)は、西をハドソン川、東をイースト川とハーレム川、北をスパイテン・ダイヴィル川、南をアッパー・ニューヨーク湾によって囲まれている幅約4㎞、長さ約20㎞の東京の山手線の内側に相当する面積の地域です。
島内は、最南端のバッテリーパークから、ウォール街、トライベッカ、チャイナタウン、ソーホー、グリニッジビレッジのある南側の地域を「ダウンタウン」、タイムズスクエアやロックフェラーセンター、マジソンスクエアガーデン、エンパイアステートビル、グランドセントラル駅、セントパトリック教会などがある中央部の地域を「ミドルタウン」、セントラルパークやメトロポリタン美術館、ハーレムなどがある北部の地域を「アップタウン」と呼びます。
有名なブロードウェイは、マンハッタン島の最南端から最北端までを貫く通りです。
セント・パトリック教会
ニューヨークらしいクラシカルな高層ビル
昼のタイムズスクエア
エンパイアステートビル
ニューヨークでは、セントラルパークの西側、アッパーウエストサイドのユースホステルに宿泊しました。
地下鉄を使ってミドルタウンからダウンタウンへ。そこからブロードウェイをぶらぶら当てもなく北上して行きました。
ウォール街
グランドセントラル駅
リトルイタリー界隈
リトルイタリー界隈
曇り空の下、5,6階建てのレンガ造りの建物が延々と並んでいるのが見えます。
建物の外に張り出した鉄骨の階段には、ダボッとした服装の黒人の男がもたれかかって煙草を吹かしています。
交差点で黄色に塗られた信号に足を止められました。
「DONTWALK」
私は立ち止まります。
通りをイエローキャブの群れや、白地に青の微妙に丸みを帯びたニューヨークの市バスが走り抜けていきます。
白、黒、黄色といった様々な肌をした人々が横で信号を待っています。
「ニューヨークだ!」と思いました。
そんな何気ない光景は思い描いていた“ニューヨーク”そのものでした。
チャイナタウンで早めの夕食を済ませた後、界隈をぶらぶらと散歩しました。
すると、突然雨がぽつぽつと降りだしてきました。雨足は次第に強くなっていきます。
通りを歩いていた人々は素早く建物の陰に隠れるか、手に持っていた傘を開き始めました。
露店の物売りも大急ぎで品物にビニールシートを被せます。
ニューヨークの日常の営み。そんな瞬間が垣間見れたひとときでした。
ブルックリンブリッジ
ハーレムで降りる
ハーレムの界隈
地下鉄Cラインを125thStで降りるとそこはもうハーレムです。
朝のハーレムは小雨がパラパラと降っていました。
私は雨露をしのぐのとちょっと格好をつけるために帽子を買うことにしました。
通り沿いの小さな帽子屋に入り、店内を物色します。すると店の奥から丸顔の黒人の店員がやって来ました。彼は自分をギニア人だと言いました。
西アフリカに行ったことがあると言うと彼はとても嬉しそうな顔をしました。
茶色のニットハンチングを手に取りいくらかと聞いてみます。
「テンダラー!」とのこと。
もう少し安くしてくれよ、とお願いしてみると彼は9ドルにまで負けてくれました。
朝のニューヨークの街並み
帽子屋を出た後、朝食にハンバーガーを食べることにしました。
いかにもアメリカらしい、ピンク色の電飾のロゴがちかちかと光る店が近くに見えます。
中に入ってみると、洒落っ気のない簡素な店内で太った黒人やアラブ系らしい男が、ハンバーガーをむしゃむしゃと食べていました。
ハンバーガーとポテトを注文。料金は4ドル75セントでした。
出てきたハンバーガーはでっかく素朴な形をしていました。
ケチャップとマスタードをぶっ掛け、思い切り大きな口を開けてかぶりつきます。
うまい!
店の窓からは朝のハーレムの様子が見えます。
いつの間にか雨は上がり、雲間から漏れる太陽の光が茶色の建物を照らし出していました。
通りを行き交うのはやはり黒人たちが多い印象です。お洒落で背の高いアメリカの黒人たちがザッザッと足早に歩いています。
再開発が進み、かつての様相は失われつつあるハーレムですが、ここはかつて、紛れもなくアメリカの黒人文化の中心だったところなのです。
ハーレムにいる。そのことだけでなんだか興奮してきました。
セントラルパーク
セントラルパーク
世界最大の都市公園、セントラルパークはニューヨーカーにとっての憩いの場です。
コンクリートのジャングルを見続けた人にとってこの公園の緑は目に優しく感じられます。
周りの鮮やかな緑と公園内にある池の透き通った青に囲まれながら、芝生に座って本を読みふけったり、ベンチに座って池の周りをぐるぐると回るランナーたちを眺めたりしました。
緑の匂いを嗅ぎ、新鮮な空気をゆっくりと吸い込でいると、ここが大都会の真ん中なのだということを忘れてしまいそうになります。
ここはマンハッタンに生きる人々だけでなく、マンハッタンの街そのものも癒しているのかもしれない空間、それがセントラルパークです。
グッゲンハイム美術館
公園を出た後、昼食をマクドナルドでいただきました。
本場アメリカのビッグマックセットは4ドル99セント。パンに挟まった肉やレタスが日本のものに比べジューシーで美味しい。
そして、コーラが飲みきれないほどでかかったです(汗)。
アメリカ人はこれをいつも飲み干すのでしょうか。体に悪そうです。
お腹を満たした後は、メトロポリタン美術館やグッゲンハイム美術館を訪問し、中世の宗教画から現代の抽象画まで、エジプトの彫像からティファニーの工芸品まで、素晴らしい芸術を堪能しました。
エンパイアステートビルから見た日没
エンパイアステートビルから見たマンハッタン
マンハッタンとハドソン川
セントラルパークとGEビル
34thStの角にとてつもなく高い建物が天に向かって伸びています。
エンパイアステートビル。ワールドトレードセンター亡き今、ニューヨークで最も高い建物です。
もう夕暮れ時、辺りは暗くなりかけていました。
入場券を買ってエレベーターに乗り込み、屋上の展望台へと向かいます。
もちろん、屋上からマンハッタンの夕陽を見るためです。
メットライフビル、クライスラービル
エンパイアステートビルからマンハッタンの街を見下ろす
イエローキャブがあんなに小さく!
86階にある吹きさらしの展望台からはマンハッタンの全景が見渡せました。
碁盤目状の街並みに高層ビルが隙間なく建ち並んでいます。
クライスラービル、メットライフビル、GEビル、国連本部。その向こうに広がるセントラルパークの広大な緑地帯。
ビルの谷間をイエローキャブや白いバスが行き交っています。
南の方角へ目をやるとハドソンリバーとロウアーマンハッタン、リバティー島の自由の女神が小さく見えます。
夕暮れ時、グランドゼロ方向を眺める
エンパイアステートビル屋上にて
ハドソン川の向こうに沈む夕陽
日没を眺める人々
西のニュージャージーの方角に夕陽が沈み始めています。
刻々と色を変えてゆくその様子を眺める世界中から来た人々。
その顔は真っ赤に染まり、その目は夕陽とその向こうに広がるそれぞれの思いを見つめ続けていました。
スタテン島行きフェリーから見たマンハッタンの夜景
スタテン島行きフェリーから眺めた夜のマンハッタン
ロウアーマンハッタンの南端からスタテン島行きのフェリーが出ています。
私はクラシックな装いをしたその船に乗り込み、デッキのベンチに腰を下ろしました。
船は、大勢のニューヨーカー達とたくさんの車を詰め込むと、汽笛を一声吹かし、ゆっくりと出港しました。
マンハッタンが徐々に離れていきます。黒い摩天楼の群れには明かりが星のように瞬いています。
美しいマンハッタンの夜景です。
摩天楼の光はそのまま黒い海に逆さに映っていました。
眩い光の洪水、世界一の街ニューヨークの夜景、私は今それを見ているのです。
自由の女神が遠くに見えます。
しばらく進んでゆくと、照明に照らされた自由の女神が小さく見えてきました。
移民の国、そして、自由の国アメリカ。自由の女神は百数十年もの間、自由を求めてやって来た移民たちを見守り続けてきたのでしょう。
スタテン島行きフェリーの船内
デッキの長椅子の上にはオレンジ色の電球が淡く灯っていました。
隣に目をやると黒人の家族が身を寄せ合っています。
新聞を読みふける中国系のおじさん、喋くりあっている白人の観光客、目を細め夜景を眺めているヒスパニックの若者。
しばらくすると、マンハッタン行きのフェリーとすれ違いました。
オレンジ色の電燈とデッキに座る我々と同じような人々の姿が向こうに見えます。
二隻の船はゆっくりと交差し、お互い逆方向へと向かって行きました。
ボオォォォ~ッ、汽笛が鳴ります。
スタテン・アイランドへの到着です。
ヤンキースタジアムでメジャーリーグを観る
ヤンキースタジアムの様子
Dラインは地上に出ると一気に高度を高め、街を見下ろす高架の線路をゴトゴトと激しい音を立てながら走り始めました。
ハーレムリバーを渡りしばらくすると左手に白い円形の巨大な建物が見えてきます。
ヤンキースタジアムです!
そのまん前にある161stSt駅で下車しました。
スタジアムの受付でチケットを購入します。今日の試合は「New York Yankees 対 Tampa Bay Devil Lays」
購入したチケットはビジター側の内野1階席、42ドルでした。
球場前の通りは観戦する人々で一杯でした。Tシャツやキャップを売る店がいくつも並んでいます。
その通りの中にあるボーリング屋でリュックサックを預け(預け料は5ドル)、さっそく行列の後ろに並びスタジアムに入っていきました。
バッターボックスには、デレク・ジーターが!
ゲートを抜けると青々とした芝のストライプが目に飛び込んできました。
そして、ダイヤモンド、赤茶色に輝くマウンド、ファースト、セカンド、サード、ホームベース、グラウンドを取り囲むネイビーのフェンスが見えてきます。
美しい球場、憧れのボールパークです。
スタジアムの内部と自分の席を確認すると、食料を調達しに売店へと向かいました。
売店で、花瓶のように巨大な生ビールと、これまたボリュームたっぷりの、マスタードとケチャップが目いっぱいかかったホットドッグを購入。しめて12ドルです。
ビールとホットドッグを抱えながらスタジアムに戻ると、ちょうどヤンキースのスラッガー、ジェイソン・ジアンビのホームランが飛び出したところでした。
私の席からはピッチャーマウンドとバッターサークルが真横から眺められました。
レイズの先発、ジェレミー・ゴンザレスがスピードボールを放る。打席に立ったヤンキースのホルヘ・ポサダがボールを見送る。
キャッチャーミットにボールが収まるパン!という乾いた音が響く。
グラウンドと客席が近い。すごい臨場感です!
「ヒデキ・マツ~イ!」
ポサダは歩かされ、場内にネクストバッターのアナウンスが聞こえてきました。
「ヒデキ・マツ~イ!」
オーロラビジョンにそのバッティングシーンが映し出されます。
新人松井秀喜は既に46打点を叩き出しています。場内に歓声が上がりました!
この打席、結局マツイは三振に終わりましたが、手厳しいニューヨークのファンには歓迎されているようでした。
周りの観客を観察していると、多くの人がヤンキースのシャツやキャップを被っているのがわかります。ビジター席にもかかわらずレイズのファンは皆無でした。
日本のように鳴り物はありませんが、みんな応援の呼び声や野次を大声で叫ぶため結構騒々しいです。
俊足の黒人スラッガー、アルフォンゾ・ソリアーノが打席に立つと、前の方に座っていた白人の女の子が叫びます。
「You are my hero!」
好調のヤンキース打撃陣の中でただ1人だけ絶不調のベテラン、トッド・ジールがサードの守備につくと、スキンヘッドのでかい白人が罵ります。
「You are lonely man!
平日のデーゲームであり対戦相手が弱小のレイズということもあるのでしょうが、客席はかなり空いていました。
客層は老若男女様々です。
みんなのんびりと、或いは熱狂的に試合を楽しんでおりました。
バッターボックスの松井
ビールをグビグビと飲み、ホットドッグにかじりついていると、隣に座っている白人のおばさんに話し掛けられました。
彼女の名はメアリー、オハイオ州出身だと言います。
今日は用事があってニューヨークに来たけど、時間があったので試合を見に来たのだそうです。
どこのファンかと聞いてみると、「レッズ」と答えました。
レッズは彼女の地元、オハイオの都市シンシナティのチームです。
けれども、彼女はヤンキースも好きだそうで、今日はヤンキースを応援しているのだと言います。
陽気な彼女は、ヤンキースがヒットを放つたびに立ち上がり手を叩いて、「イェーイ!」と叫びます。
そして、松井が打席に立つと、「ほら、日本人よ!」と言い、一緒に応援してくれます。
グラウンドキーパーのパフォーマンス
5回、ヤンキースタジアム名物、ヤングマンの曲が始まりました。
グラウンドキーパーがグラウンドを整備し始めます。
流れるYMCAの音楽に合わせグラウンドでポーズを取る彼ら。
メアリーと私もその他の大勢の観客も、手を振り回してY・M・C・Aとやりました!
けれども、試合は我々の応援も空しく、先発のジェフ・ウィーバーが5回に打ち込まれ、後続もピリッとせず、7回で既に1対11と大きくリードされていました。
7回、セブンスイニングストレッチが始まります。
我々は全員立ち上がり「Take Me Out to The Ball Game(野球場に連れてって)」を歌い始めます。
私もメアリーと一緒に立ち上がり、その歌をわかるところだけ歌いました。
歌を歌いながら私は、このアメリカという様々な民族の集まったモザイク国家のことを思っていました。
アイルランド系、ドイツ系、アフリカ系、ユダヤ系、中国系・・・。みなそれぞれのルーツとアイデンティティーを大事にして生きています。
けれども、彼らもこのボールパークで野球を見るときはただのアメリカ人に、それぞれのチームのただの1ファンになるのです。
歌い終え、周りの人々と共に椅子に腰掛けながら私は、アメリカという国の不思議な一体感を感じとっていました。
9回、マツイに最後の打席が回ってきました。
ノーアウトランナー一塁。ここまでノーヒット、いいところがありません。
けれども、最後にマツイは見せてくれました。
彼が初球を思い切りはじき返すと、打球はセンター前へと綺麗に抜けていきました。
手を叩いて喜ぶ私、それを見たメアリーも自分のことのように喜んでくれました。
松井は1安打
メアリーは実は野球についてはあまり詳しくない様子。
彼女の好きな選手はピート・ローズだとのこと。大昔の選手です。ノモやイチローのことも知らないようでした。
けれども、そんなことは問題ではありません。
球場に来て、ビールを飲みホットドッグやポップコーン、クラッカージャックを食べながら、贔屓のチームを応援する。ヒットが出たら歓声を送り、ライバルチームの強打者やお粗末なプレイに対してブーイングをする。セブンスイニングストレッチで歌い、YMCAを踊る。
それが、彼女にとってのボールパークでの楽しみ方なのです。
試合は結局、2対11でヤンキースはボロ負けしました。
メアリーと別れた私はオフィシャルショップへと向かいました。
デレク・ジーター、マリアーノ・リベラ、バーニー・ウィリアムス、ロジャー・クレメンス・・・。たくさんのユニフォームやキャップが並べられています。
散々迷った挙句、ヤンキースのロゴの入ったキャップとTシャツを一枚、購入することにしました。53ドルでした。
グラウンド・ゼロ
グランド・ゼロ
9.11以降、世界は大きく変わったと言われます。
ワールドトレードセンターに2機の航空機が突っ込み、炎上して崩れ去る映像はまさに衝撃そのものでした。
あれから14年。アメリカ、そして、世界はますます混迷の度を深めているようにも思えます。
夕暮れのグランド・ゼロ
2003年6月、小雨の降る夕方、このグラウンド・ゼロ、ワールド・トレード・センター跡地を訪れました。
この時すでに瓦礫の山は撤去され、あの当時の様子を窺うことはできませんでした。
ガランとして何もないコンクリートの更地には建物の土台や工事用の機械、そして、十字架の形をした慰霊碑が置いてあるのが見えます。
かつて400メートルを越す高層ビルが2本建っていたとは思えない景観です。
ニューヨークの消防車
テレビのニュースで見ていた当時、最初それが現実だとはとても思えませんでした。
本当に信じられないようなことが起こったのです。
跡地の周りには、たくさんのビルが建ち並んでいたのですが、どのビルもその跡地側の面がまるでラッピングされたかのように布で覆われていました。
2本のビルを崩壊させた爆風により、周りのビルも崩れはしなかったものの窓ガラスを割られ壁に穴を開けられるなど、少なからず被害を受けたのでしょう。
雨が上がり、雲の隙間から赤々とした夕陽が差し込んできます。ビルの谷間に沈みかけた夕陽が、跡地にビルの長い影をいくつも落としていました。
私は夕陽の眩しさに目を細めながら、軽く手を合わせ、犠牲者に対して黙祷しました。
ビルの影に沈んでゆく太陽、ポツポツと灯り始める都会の灯り・・・。
人々のざわめきや、とめどない車のクラクションといったマンハッタンの音が、広大な更地の周りから地鳴りのように聴こえてきます。
私は頭を上げ、もう一度跡地の姿を目に焼き付けると、暗くなった街を再び歩き始めました。
煌びやかなタイムズ・スクエアのネオンサイン
タイムズスクエアのネオンサイン
42丁目42ndSt7番街。
マンハッタンを斜めに突っ切るブロードウェイ、夜のタイムズ・スクエア。
ここはマンハッタンの中心。巨大で煌びやかなネオンサインが全ての建物いっぱいに張り巡らされ、そして、そのどれもが工夫をこらし人目につこうと点滅を繰り返しています。
イエローキャブとタイムズスクエア界隈の街並み
タイムズスクエア界隈
イエローキャブと夜のマンハッタン
夜のタイムズスクエア
マクドナルド、コカコーラ、ソニー、ESPN、ゼネラルモーターズ、バドワイザー、Heineken、サムスン、ニッシンカップヌードル、HSBC・・・。
世界中の名だたる企業のネオンサインです。
企業の広告に混じってミュージカルのネオンも目立ちます。
ライオンキング、オペラ座の怪人、美女と野獣、アイーダ。
ブロードウェイミュージカル!
ここはミュージカルの本場も本場。世界のエンターテイメントの中心なのです。
ネダーランダーシアター
41stStにあるネダーランダーシアターでロックオペラのミュージカル「レント」を観ました。
公演は素晴らしいものでした。
特に歌唱力がすごい!出演者全ての歌唱力が例外なく高いのです。
「日本の歌手がアメリカ進出してもなかなか成功できないのも頷けるな」
存在感のある歌声に聞き惚れながら、そんなことを感じていました。
ニューヨークのメトロ
「レント」の歌声を堪能した後、地下鉄1番のラインに乗り込み、一路南へと向かいました。
ほんの6駅ほど先のクリストファーStで下車。地上へと出るとそこにはいくつものジャズバーが連なっていました。
グリニッチ・ビレッジです。
ここは50年代の後半、ジャズ全盛期の舞台となったところ。私はここでジャズを聴こうと思っていたのです♪
一軒の広いジャズバー(店の名前は忘れてしまいましたが)にぷらぷらと入店。
そして、カウンターに腰掛け、とりあえずビールを注文しました。
すぐに黄金色のでっかいジョッキが目の前に置かれます。
ぐびりと飲む!堪らない瞬間です。
ステージではジャズの生演奏が行われていました。
ベースの低い音色、ドラムの軽快なリズム、ギターが硬質な音を奏で、サックスは夜の昂揚感を響かせていました。
カウンターを見ると観光客やニューヨーカーたちが友人と、恋人と、そして、私のように1人で、透き通った音色を聴きながらグラスを傾けています。
がやがやとした気取らない店の風情。
それは、まさにビリー・ジョエルの「ピアノマン」で描かれたニューヨークの風景そのものでした。
旅行時期:2003年6月
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