インドの北西、ラジャスタン州(Rajasthan:राजस्थाण)。
「ジャイサルメール」は、タール砂漠のほぼ中央にあるラジャスタン州の町。町のすべての建物は、地面と同じ黄砂岩で造られています。町全体が黄色をしていることから、”ゴールデンシティ”とも呼ばれているそうです。
今回は、ジャイサルメールについてご紹介します。
ジャイサルメールのシタデル(城塞)
ジャイサルメールのシタデル(城塞)入り口
「ジャイサルメール」(Jaisalmer:जैसलमेर)は、ジョードプルから西へ287km、パキスタンとの国境まで約100km、タール砂漠のほぼ中央にあるラジャスタン州の町です。人口は5万8千人。町は世界遺産にも登録されています。
ジャイサルメールは12世紀、ラージプート族のバッティ家によって築かれたといわれています。町の語源は、ジャイサル王がメール(岩山)の上に城塞都市を築いたというところから来ています。
ジャイサルメールのシタデル
ジャイサルメールは、12世紀の頃から数百年に渡り、インドと中央アジアを結ぶラクダ隊商の中継地として発展しました。
当時は、北西インドのラージプートの国家が互いに戦争を行っていたため、タール砂漠が比較的安全な隊商路となっていたそうで、ジャイサルメールは、隊商たちから徴収する通行税によって栄えました。
ジャイサルメールのシタデル入り口
隊商路として栄えたジャイサルメールには、莫大な富がもたらされ、商人や貴族たちは競って華麗な装飾を持った豪華な邸宅を建てました。
ジャイサルメールの王族はヒンドゥー教徒でしたが、商人として活躍したのはジャイナ教徒。街にはジャイナ教の寺院もいくつかあります。
ジャイサルメールのシタデル全容
町のすべての建物は、地面と同じ黄砂岩で造られています。
町全体が黄色をしていることから、”ゴールデンシティー”とも呼ばれているそうです。
平地から高さ76mの丘の上にあるシタデルには、王族の宮殿だけでなく、市民が住む城内町もあります。
ジャイサルメールのシタデルから眺めた街並み
数世紀前、ラクダの群れが西へ東へと行き来していた頃、キャラバンはこの「ジャイサルメール」の町で束の間の休息を取りました。そして、人々は晩餐を楽しみ、商品を取引し、人との出会いを楽しんだことでしょう。
ジャイサルメールは、『旅人の町』だったのです。
夕暮れのジャイサルメールの町
けれども、英領時代になり、海洋貿易が発展すると、砂漠の通商路は衰退してしまいました。
ジャイサルメールは次第に辺境の地となっていき、そして、いつしか歴史の彼方に忘れ去られていってしまったのです。
ジャイサルメールのシタデル入り口にいた楽師たち
太鼓と笛で賑やかに演奏♪
ジャイサルメールのシタデル入り口
「ジャイサルメール」の町は、とても暑く、その気温は軽く40℃を超えるほど。
日中は街を歩く気分すら起こらず、カフェでチャイやコーラを飲みながらまったりしたり、宿で本を読んだり、他の旅行者と寛いでいたりしていました。
「ジャイサルメール」の夕暮れ
夕方。陽が陰るまで城下のカフェで涼んでいた私は、城砦の中に戻ることにしました。
私は城門への坂道をゆっくりと登っていきます。
場内へと帰る牛とヤギたち
ふと横を見ると、たくさんのこぶ牛や山羊たちが続々と城砦へ向かって歩いていくのが見えました!
ここ「ジャイサルメール」にも他のインドの町と同じく、聖なる牛がたくさんいます。そして、野良山羊も時々います。
日中、彼らは暑い城砦の上から城下の日陰へと避難しています。ぐだ~っと、道端でだらけている牛たちをよく見掛けました。
そして、夕方、牛たちは寝床を求め安全な城砦へと戻ってゆくのです。
牛やヤギたちと一緒にお城へ帰ろうー
のろのろと城へと続く坂道を登ってゆくこぶ牛たち。
なんだかシュールな光景です。
私も牛たちと一緒に、同じようにのろのろと坂道を登っていきました。
ジャイサルメールの夕暮れ
夕暮れの街を眺めながら・・・
夕食は、ルーフトップになったイタリアンレストランで食べました。店からは、城下とその向こうに延々と広がる砂漠が眺められます。
キングフィッシャービールを飲んで、ペンネを食べて・・・。キリリと冷えたビールが美味しいです!
砂漠の向こうには、ちょうど真っ赤な夕陽が沈んでいくところでした。家々の屋上には夕陽を見つめる人々の姿が見えます。どこからかこぶ牛の鳴き声も聴こえてきます。
牛たちも我々と同じく夕方の昂揚とした空気を感じとっているのかもしれません。
そして、陽が沈み、空に星が瞬き始めた頃、私がビールを一本飲み終えた頃、空に花火が上がり始めました。
何かの記念でしょうか、お祭りでしょうか。いくつもの光の輪が暗闇に現れては消えていきます。
冷たいビールと夜空を彩る花火、ジャイサルメールで味わった「夏」です。
夜のジャイサルメール
夜のジャイサルメールのシタデル
夜のシタデルはガラ~ンとしていました。
あれだけ賑やかだった城門も夜はこの通り。男性が家路へと向かいます。
オレンジ色の灯りに照らされた石畳
赤いテールランプを残してゆくリキシャ
夜のジャイサルメールのシタデルは本当に静か
オレンジ色の灯りにライトアップされるシタデル
隊商路が寂れ、歴史の中で忘れ去られてしまったジャイサルメールの町ですが、現在では多くの外国人ツーリストがこの町を訪れ、賑わいを見せています。
砂漠の中にそびえる黄金色の城と美しい宮殿群の風景が、ツーリストの心を引きつけて止まないのです。
ジャイサルメールは、数世紀前とは違った形で『旅人の町』として生まれ変わったのです。
精緻な装飾によって飾られた貴族の邸宅「ハヴェリー」巡り
パトウォンのハヴェリー
ジャイサルメールには、精緻な装飾によって飾られた「ハヴェリー」(邸宅)があります。
隊商路として栄えたジャイサルメールには莫大な富がもたらされ、商人や貴族たちは競って華麗な装飾を持った豪華な邸宅を建てました。それが「ハヴェリー」です。
翌日、その「ハヴェリー」を見て回ることにしました。
パトウォンのハヴェリーは道路を跨いで門のようになっています。
ハヴェリーの日陰で休む女の子たち
通路を跨いだ部分から下を眺める
パトウォンのハヴェリー
パトウォンのハヴェリーの精緻な彫刻
写真は、「パトウォンのハヴェリー」。 ジャイナ教徒のパトゥアーによって建てられた邸宅、1805年に宝石商だったジャイナ教とのパトゥアが5人の息子たちのために建てた建物です。
5階建ての5つの建物がくっ付いた壮大な邸宅で、ジャイサルメールで最も大きく豪華なハヴェリーです。
サリーム・シングのハヴェリー
これは「サリーム・シングのハヴェリー」。1815年の創建です。
サリーム・シングも大臣だったそうです。最上部のテラスが突き出た独特の形をしていて、「ジャハズ・マハル」(船の宮殿)とも呼ばれていたそうです。
シタデル内部のハヴェリー
街角にある店も凝っています
ナトマルのハヴェリー
これは、「ナトマルのハヴェリー」。
大臣のナトマルによって建てられた4階建ての邸宅です。1885年の創建。
4階建てで、40の部屋があります。
向こうに見えるのはジャイナ教寺院
ハヴェリーから街を見下ろす
ハヴェリーで布が売られていました
ラジャスタン地方では、パッチワークやミラーワークの布や敷物がいたる所で売られています。
パトウォンのハヴェリーの内部では、外国人観光客が布を物色していました。
どの布も魅力的です。
クリケットをする少年たち
路地をぶらぶらと歩いていると、クリケットをしている少年たちに出会いました。
インドではクリケットが№1スポーツ。男の子たちは野球やサッカーではなくクリケットをして育ちます。
私も飛び入り参加してみましたが、子供たちの前にあえなく三振。
大笑いされました!
サンセット・ポイントから見たジャイサルメール
サンセット・ポイントから見たジャイサルメール
ジャイサルメールの街から歩いて約30分、サンセット・ポイントがあります。
ここからは”ゴールデンシティー”とも呼ばれるジャイサルメールの全容が見渡せます。
サンセット・ポイントには「チャトリ」(サンスクリット語で傘を意味するチャトラに由来するという開放的な建物)がたくさんあり、「チャトリ」越しに見るシタデル(城砦)の姿がなかなかのものでした。
”ゴールデンシティー”ジャイサルメール
シタデルです。街全体が黄砂岩で出来ています。まさに”ゴールデンシティ”!
サンセット・ポイントに夕陽が沈みます。
太陽が沈んで、ちょっとだけ涼しくなってきたジャイサルメール。 ほっとひと息です。
ジャイサルメールは、タール砂漠のただ中にある町。
ジャイサルメールから約42kmのところに「サム砂丘」と呼ばれる大きな砂丘があり、ラクダに乗って砂漠を歩く「キャメル・サファリ」を楽しむことができます。
街を歩いていると、いろんな人から「キャメル・サファリに行かないか?」と声を掛けられます。私は行かなかったですが、数時間のコースから、何日も砂漠の村々を巡り歩くコースまで様々なツアーがあります。
涼しい時期に訪れたら、参加してみるのもいいかもしれません。
旅行時期:2003年10月
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