インドの町「アグラ」。ムガル帝国の王都だった「アグラ」には、タージ・マハル以外にも魅力的な史跡がたくさんあります。
今回は、タージ・マハル以外のアグラの見どころ。「ファティープル・シークリー」と「スィカンドラー」と「アグラ城」をご紹介します。いずれも世界遺産です!
ファティープル・シークリー(Fatehpur Sikri:फ़तेहपुर सीकरी )
「ファティープル・シークリー」
ムガル帝国の都のあった古都アグラ。
その南西約40キロのところにあるのが、「ファティープル・シークリー」です。
第3代皇帝アクバルは、子宝に恵まれず困り果てておりました。
そんな時、この「シークリー」に住む聖者サリーム・チシュティーを訪ね、相談してみたところ、聖者は王子の誕生を予言、翌年その通りになりました。
それを記念して、アクバルはアグラから、ここシークリーに都を移すことを決めました。それがここ、「ファティープル・シークリー(勝利の都)」です。
写真は「ブランド・タルワーザ」と呼ばれる記念門。
モスク地区の入り口の門で(正門ではない)、1575年の創建です。
「ファティープル・シークリー」は、宮廷地区とモスク地区に分けられていました。
その全ての建物が小高い丘の上に建てられ、赤砂岩で造営されています。
「ブランド・タルワーザ」
入り口にいた、眼鏡をキラリと光らせたおじさん
記念門は、アクバル帝がグジャラートを征服した記念に建てられたのだそう。
天井に蜂の巣らしきものがたくさん付いています。
モスク地区は、約120m×150m四方の中庭を中心に構成され、中庭内部にはサリーム・チシュティーの廟を始めとしたいくつかの建物が建っています。
写真は、サリーム・チシュティー廟の入り口にいた、眼鏡をキラリと光らせたおじさんの姿です。
グランド・タルワーザを後ろから見たところ
グランド・タルワーザを後ろから見たところです。
モスク地区の広大な中庭が見えます。
宮廷地区の建物群
宮廷地区の建物群です。
柱が細く、直線的。石の建物をアーチを使わず、まるで木造建築のように建てる。
その技術はインド独特のものだそうです
「パンチ・マハル」
「パンチ・マハル」と呼ばれる五層の楼閣です。
この下の広場では、人間を駒に見立てた「人間チェス」が行われていたのだそうです。
アクバルは、その様子をこの「パンチ・マハル」から見物していたのだとのこと。
「パンチ・マハル」からの眺め
「パンチ・マハル」からの眺めです。
どこまでも広がっているヒンドゥスタン平原の姿が望めます。
手前には池と壇が見えます。
非常に緻密に構成された空間であることが窺えます。
この「ファティープル・シークリー」、実は、王都としてはたった14年間しか使用されませんでした。
理由は水源不足。
都の北西には人造湖が造られたのですが、それだけでは賄いきれなかったのです。
スィカンドラー(Sikandra:सिकंदरा)
「スィカンドラー」
アーグラーの北西10キロのところにある「スィカンドラー」は、1613年に建てられたアクバル帝の廟。
700m四方の庭園の中心部に建てられたこの廟も、「ファティープル・シークリー」と同じような建築スタイルです。
内部には入ることができなかったのですが、無数のチャトリ(小亭)を載せ、左右対称に構成されたその姿は、まるで工芸品のよう。
数学的な美しさを感じさせてくれる建物です。
「スィカンドラー」の中庭
「スィカンドラー」の中庭。
広々とした庭園には、猿がたくさんうろついておりました。
アグラ城(Agra Fort:আগ্ৰা ফ’ৰ্ট)
「アグラ城」
16世紀から17世紀にかけて、ムガル王朝は、ここ「アグラ」を都としました。
都を造営したのは、アクバル帝。
以後、ジャハンギール、シャー・ジャハーン、アウラングゼーブに至る4代に渡って「アグラ」は繁栄しました。
しかしながら、アウラングゼーブ帝は、その治世中にデリーに遷都したため、その後のアグラは一地方都市に成り下がってしまいます。
「アグラ城」の向こうには、「タージ・マハル」が見えます。
この薄靄の向こうには、実は「タージ・マハル」が見えます。
5代皇帝シャー・ジャハーンは、晩年、息子のアウラングゼーブによって、この城に幽閉されてしまいました。
そして、あのチャトリから、自らの建てた愛する妻の墓廟であるタージを眺めつつ、静かに息を引き取ったのだといわれています。
旅行時期:1994年2月・2003年10月
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