「アルマス広場」はクスコの中心。豪奢なカテドラルと赤い屋根と白壁の建物に囲まれた広場には、クスコ在住の人々や観光客など、あらゆる人々が集います。
今回は、インカ帝国の首都だった町「クスコ」についてご紹介します。
インカ帝国の首都だった町「クスコ」とは?
クスコの中心「アルマス広場」
「クスコ (Cusco:Qusqu)」は、ペルー南東部クスコ県にある町。
アンデス山脈中腹の標高3,399mの場所にあり、人口は約42万人。「クスコ」とは、ケチュア語で「へそ」を意味するのだとのこと。
11〜12世紀頃、キルケ人によって町が築かれ、13世紀にインカ人によって征服され、「インカ帝国(タワンティン・スウユ:Tawantinsuyu)」の首都となり、インカ文明の中心地となりました。
1533年にスペイン人がクスコを侵略。インカ時代の建造物は破壊され、町はスペイン風の街並みに造り替えられます。以後、クスコは、アンデス地域におけるスペイン植民地とキリスト教布教の中心地となり、大いに繁栄しました。
現在のクスコの主産業は、農業と観光業。1983年には、世界遺産にも登録されています。
朝のアルマス広場
朝の「アルマス広場」
朝、早起きした私はシャワーを浴び、身支度を整えるとさっそくクスコの中心「アルマス広場」へと向かいました。
朝の「アルマス広場」と「ラ・コンパーニャ・デ・へスス教会」
朝の「アルマス広場」
陽の光が広場に斜めから差し込んできます。
大きな荷物を持ったインディヘナの行商のおばちゃんたちがどこからともなく現れ、次々と石段の上に鈴なりに座り始めます。
クスコの一日が始まりました。
昼のアルマス広場
昼の「アルマス広場」
昼のアルマス広場。
標高3,360メートルのクスコはすっきりとした青空に包まれます。
訪れた7月は乾季。朝晩は0℃近くまで気温が下がる乾季のクスコですが、日中は暖かく、20℃近くまで上がることもあります。乾季はほぼ晴天です。
スペイン風の2階建ての建物に囲まれた「アルマス広場」
「アルマス広場」は、赤い屋根に白壁の2階建ての建物に囲まれており、建物の1階は回廊になっています。
広場は一面の石畳。中心には豪華な噴水と美しい緑地帯があります。
視線を上方へと移すと、茶色い岩肌を持った山々が街を取り囲んでいるのが見え、その斜面には赤い屋根をした家がびっしりと建ち並んでいます。
バスで観光に訪れた小学生たち
広場はロータリーになっています。
広場は、ロータリーになっており、観光客を乗せた大型バスやワンボックスが引っ切り無しに訪れます。
広場の周囲の建物には、土産物屋やホテル、レストラン、両替屋、旅行代理店などが軒を連ねていて、だいたいこの界隈で旅行者に必要なものが揃う感じです。
「カテドラル」と「ラ・コンパーニャ・デ・へスス教会」
広場の正面には巨大な「カテドラル」が建っていました。
創建は1550年。インカから強奪した財宝で彩られた、この上なく豪華な聖堂です。
「カテドラル」の内部は、至る所に金銀が散りばめられており、数多くある祭壇も豪華な装飾が施されていました。あまりの豪華さに目が眩むようです。
特に圧倒されたのが主祭壇です。銀300トンを使ったその祭壇は、銀を貼り付けたのではなく祭壇そのものが銀で出来ているのだとのこと。
「カテドラル」は入場料が必要であるせいか、一般の信者はあまりおらず観光客ばかりが目につきました。
しかしながら、地元の人々にとってもこの「カテドラル」は大切な存在であるのだそうで、祭壇に祭られた褐色のキリスト像は、地震の神として地元の人に深く崇拝されているのだとのこと。
「ラ・コンパーニャ・デ・へスス教会」
カテドラルの東側や、そこから広場を少し出た並びにも、「ラ・コンパーニャ・デ・へスス教会」や「ラ・メルセー教会」などといった豪奢な教会が建っています。
それらを見ると、スペイン人がいかに多くの富をインカ人から手に入れ、それを独占したかがわかります。
インカから強奪した大量の黄金はスペインを繁栄の絶頂に押し上げ、ヨーロッパの金相場を暴落させたというのは有名な話。
450年前のインカ時代、それほどの黄金がここにはあったのです。
夜のアルマス広場
夜の「カテドラル」
「アルマス広場」のロマンチックな夜
ライトアップされた噴水
夜の「アルマス広場」
夜になると広場では、等間隔に並べられた街灯が点灯し、辺りを照らし始めます。
広場を囲む家々の灯り、噴水やカテドラルを照らす綺麗なライトアップ。広場を埋め尽くす石畳にそれらの灯りが鏡のように映っていました。
灯りは全てオレンジ色でした。
旅行時期:2003年7月
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