「ラオス」(Laos)は、東南アジアの内陸国。国土は約70%が高原か山岳地帯で、大河メコン側が南北を貫いています。
民族はラオ族が多数派ですが、数多くの少数民族が暮らしています。宗教は仏教徒が60%と多数派です。
メコン川の恵みに抱かれた優しい国、ラオス。
今回は、ベトナムからビエンチャンまでバスの旅です!
ベトナムのフエからラオスの首都ビエンチャンまで、ローカルバスの旅
ラオスのバス
朝5時ごろ、ベトナム中部にある「ドンハ」の町からワンボックスカーに乗り込みました。
ラオスとの国境まで行く車です。辺りはまだ真っ暗でした。
ボロボロのワンボックスカーは、途中、様々な集落を経由して地元の人々を乗せていきます。
しばらくするとガラガラだった車内はすし詰め状態となっていました。
夜が明ける頃、車は国境の町「ラオバオ」に着きました。ここで、バイタクに乗り替えます。
バイタクは私たち旅行者が来るのを待ち構えていたので、難なく捕まえることができました。
バイタクはおじちゃんライダーでした。彼は私を乗せるとすぐにアクセルを踏み込み、国境へと向かっていきました。
国境での手続きは簡単なものでした。ベトナム側で出国のスタンプを、ラオス側で入国のスタンプを押してもらうと、すぐに手続きは済みました(ラオスのビザはハノイで取得しました)。
国境を越え、少し歩いたところに緑と白のツートンカラーのバスが停まっています。
「サワンナケート」行きのバスです。
どうやら荷物は屋根の上に載せるようです。私はバスの運ちゃんに荷物を乗っけてもらうと、このオンボロバスに乗り込みました。
車内はガラガラです。パラパラと地元の人がいるだけです。
朝の7時半、バスはいつ出発するのかよくわかりません。早起きしたということもあり、私は眠たくなってしまって、うとうとと眠りこんでしまいました。
目を覚ました時、バスは出発するところでした。時計は9時半を指しています。
車内はいつの間にか民族衣装を着たおばさんやズタ袋を持ったおじさんやらで一杯になっていました。
バスは未舗装の道路を砂埃を上げて走り始めました。のろのろと走るバスは所々で地元の人々を乗せ、また、降ろし、のんびりと進んでいきます。
昼食は街道沿いの食堂でした。ご飯の上に野菜や肉の汁をかけたぶっかけ飯。それとコーラで15,000K(キープ)。約165円です。
美味くもなく、まずくもないその飯を私はラオスの人々とともにバクバクとかきこみました。
バスがサワンナケートに到着したのは夕方4時ごろ。サワンナケートは、メコン川の流れが見える町。対岸はタイです。
ラオスの首都「ビエンチャン」
ビエンチャンの「タート・ルアン」
翌日朝8時、私は首都「ビエンチャン」行きのバスに乗り込みました。
サワンナケートまでと違って道が舗装されています。幹線道路のようです。
ビエンチャンまでの道中は、熱帯の木々と所々に小さな集落が見える長閑な風景が続きました。
ラオスの車窓はどこもこんな感じ。
ラオスの人口は550万人、人種は60%を占める低地ラオ族を筆頭に49の少数民族で構成されています。
共通語としてラオス語が話され、多くの人が仏教を信仰しているそうです。主要産業は農業と林業、一人当たりのGDPは365ドル(2002年)です。ラオスは世界の最貧国のうちの一つです。
バスは午後3時に「ビエンチャン」に到着しました。約7時間の行程でした。
広い道路と大きな寺、建ち並ぶ家並み。首都ビエンチャンはまぎれも無く「町」でした。けれども「都会」という感じではありません。ビエンチャンは長閑な町という感じ。
写真は町の中心部にある「タート・ルアン」という仏塔です。
「アヌサワリー」
町の中心にはパリの凱旋門を模して造られたという「アヌサワリー」があります。
「パトゥーサイ」とも呼ばれるこの門は50年代から60年代にかけての内戦で命を落とした多くの兵士たちの慰霊塔だそうです。
私はコンクリの打ちっぱなしの階段を登り、門の頂上へと向かいました。
門の上からはビエンチャンの街並みが見渡せます。
アヌサワリーから見たビエンチャンの街並み
風景を埋め尽くす熱帯の樹木、その濃い緑の中にまばらに点在する白や赤の背の低い建物、黄金色の仏塔やオレンジ色の寺院の屋根もちらほらと見えます。
首都の中心だというのに車はほとんど走っていません。時々、資材を運搬するトラックやオート三輪のタクシーが通過する程度です。
ビエンチャンは首都ではあるけれども、田舎の風情を醸し出している町でした。
アヌサワリーの周辺では工事が行われていました。未舗装のロータリーは至る所がほじくり返されており、赤茶けた土が剥き出しになっています。
熱帯の強烈な太陽の下、数人の土方がドリルやつるはしを手に汗を流していました。
暑く静かな町、唯一聴こえてくるのは、土方が地面を叩く金属音だけ。
そのカツンカツンという音は、地平線一杯に広がる、椰子の森のはるか向こうの方にまで響き渡っていくようでした。
旅行時期:2003年2月
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