デリーからバスで2日半!秘境ラダック地方へのバス旅。
バスはつづら折りの山道を延々と走り、ついに最高地点の峠、5,317mの「タグラン・ラ」に到達! 雲が雪山の横を猛スピードで通過していきます。空が信じられないくらい青く、濃かったです。
今回は、秘境ラダック地方へのバス旅(ケーロン〜レー)です!
早朝4時、ケーロンを出発。ダルチャのチェックポストへ
ラダックの風景
翌朝4時、眠い目を擦りながらバス通りへ向かうと、同じように眠そうな顔をした人々が幾人も突っ立っているのが見えました。
2人組の寡黙なイギリス人も、丸顔のインド人のおじさんも既にいます。
薄靄に包まれた真っ暗な道は、凍えるような寒さ。
ポケットに手を入れ、白い息を吐き出しながら、みんな小刻みに足踏みをしています。
しばらくして向こうからバスのエンジン音が聴こえてきました。ぼんやりと霧に滲んだ黄色のヘッドライトが徐々に近づいてきます。
私たちは一斉にバスに群がり、再びバスの屋根の上に登って荷物を括り付け始めます。
私も重いバックを担ぎ、かじかむ手で屋根の上に登りました。
その様子を目敏く見つけた丸顔のおじさん、またしても荷を持ち上げるのを手伝ってくれました。
ありがとう!
闇の中をバスは突き進みます。
灯りの消えた車内も外と同じように真っ暗でした。
眠い・・・。
出発するや否や眠気が襲ってきます。コクリコクリと首を傾け始める私。
けれども、眠いのは私だけではないようです。周りを見渡すと、車内のみんながコクリコクリと頭を揺らしていました。みんな眠いのです。
いつしかみんな夢の中へと入っていき、そして、小刻みに繰り返されるカーブに体を揺らし、昨晩と同じようにまた、窓に頭をぶつけ始めるのでした。
バスが「ダルチャ」に着いた時、辺りはまだ真っ暗なままでした。
標高3,400メートルのダルチャには、「チェックポスト」があります。
乗客たちは、ぞろぞろとバスを降りました。
私と2人のイギリス人は運転手に軍の詰め所に行くようにと言われました。
眠い目を擦り、あくびをしながら私たちは、詰め所の建物へと歩いていきます。
詰め所に着くとカーキ色の軍服に身を包んだ軍人が2人いました。
パスポートを出せと言われます。おとなしくパスポートを出すと、彼らはパスポートの写真と私たちの顔を確認し、分厚いノートにそれぞれの名前とパスポートナンバーを記帳しました。
この先バスは州境を越えます。ヒマーチャル・プラデシュ州からジャンムー・カシミール州に入るのです。
目的地「ラダック」のあるジャンムー・カシミール州には、パキスタンと激しい紛争が繰り返されている「カシミール地方」があり、北には中国があります。パキスタンと中国との国境線は未だ確定していません。この辺りは政治的に微妙な地域なのです。
記帳を済ませると、私たちは街道沿いのチャイ屋にぶらぶらと入っていきました。
バスの皆がチャイを飲んでいました。私たちもさっそく一杯注文します。
熱く甘いチャイ、体がほかほかと温まってきます。
だいぶ目が覚めてきました。
私は店の外に出て辺りを見回してみます。黒い壁のように立ちはだかっている六千メートル級の山々と、その上に広がっている黒い空が見えます。
漆黒の闇だった空の色が次第に藍色、そして、群青色へと変化していきました。夜明けです。
川沿いのテント群、「バラートプル」に到着
バスは再び山道をぐんぐんと登り始めました。
つづら折を折り返すたびに高度計の数字が大きくなっていきます。
3,600、3,800、4,000・・・。高山病の恐怖が頭を過ぎります。
私は無駄な抵抗とわかっていながらも、水分を頻繁に補給し深呼吸を繰り返し続けました。
川沿いのテント群、「バラートプル」
2つ目の峠、「バララチャ・ラ」(4,950メートル)を越えると道は下りになりました。
少しホッとします。峠の上から谷底を眺めると小さな小川が流れていて、その周りに白と黄色に彩られたテントがいくつか建っているのが見えました。
テント群は手が届きそうなほど鮮明に見えます。ほんの間近にあるように感じられるのですが、それは錯覚でした。
バスはつづら折を何度も何度も折り返しながら高度をゆっくりと下げ、1時間ほどかかってようやくその川沿いのテント群、「バラートプル」に到着しました。
「バラートプル」のテント
バラートプルで我々は朝食をとりました。
テントの中の食堂で、最も無難な食事である野菜入りのチョウメンとチャイを頼みます。25ルピー(63円)。
標高四千メートルを越すこの「バラートプル」のテント村には、昨日の「ロータン・ラ」と同じようにバスやジープが何台も休憩していました。
テントの脇には灰色の小川が流れていますが、植物の姿は見えません。
周りを眺めても薄茶色の岩山が延々と広がっているだけです。
そして、空が信じられないくらい青く、濃かったです。
バラートプルを出ると、バスは再び高度を上げ始めました。
「ナキー・ラ」(4,950メートル)、「ラチュルン・ラ」(5,065メートル)といった峠を次々に越えていきます。
何度も何度もつづら折をぐねぐねと登り、そして、降りていきます。
マナリとレーを結ぶこの街道は軍事目的で造られたのだそうです。険しい山道ではありますが、ほぼ全線が舗装されていて、車と車がすれ違えるだけの広さがあります。
最前線であるレーには軍事基地があり、そこへは平地からの軍用トラックが頻繁に行き来しています。
もちろんレーへの物資を積んだ一般のトラックも数多くこの道を通っています。
インド、TATA製のトラックはのろく、特に登り坂ともなると、歩いた方が速いのではないかと思うくらいにのろのろと走ります。
バスや一般のジープは大抵そういったノロノロトラックに道を塞がれてしまいます。
つづら折の続く一車線しかないこの街道では追い抜くのがひと苦労。
バスは山道の途中で停まってしまうこともあります。
パンクや故障をしたのではありません。運転手のおじちゃんが、すれ違うこちらと同じようなバスの運ちゃんと話し込んでしまうためです。
乗客は彼らの話が終わるのを辛抱強く待っています。
日々、この難儀な街道を右往左往している彼らのこと。仲の良い同僚と出会えるのはこういった街道の途中だけなのでしょう。久々の友との語らいです。私はその無駄話を温かく見守ることにしました。
バスの運転席の上部を見ると神様の絵が飾ってありました。
シヴァ神、そして、仏陀です。その脇にはダライ・ラマの写真も貼ってあります。バスによってはイエス・キリストやグル・ナーナクの肖像、カーバ神殿の写真などが貼り付けられているのかもしれません。
げらげらと笑いながら話し込むこの運ちゃんの神はシヴァと仏陀のどちらかなのでしょうか。
いずれにせよそのどちらかを彼は信じており、彼とこのバスとを守っているのです。
バスはパンのテント村に到着
パンのテント村
昼頃、バスは「パン」のテント村に到着しました。
灰色の小川の周りに白いテントが群がり、周りを薄茶色の岩肌が取り囲んでいます。
先ほどのバラートプルとほとんど変わりのない風景です。
私たちは先ほどと同じように、一軒のテントに入り昼食を取ることにしました。
丸顔のおじさんと共にオムレツを食べ、甘いチャイを飲みます。
おじさんの名前はビジェイ・クマ。インド北東部「ブッダ・ガヤ」のあるビハール州の出身だそうです。
今回「レー」に向かう理由は息子に会いに行くためであるとのこと。
彼の息子はインド空軍のパイロットだそうで、現在、最前線である「レー」の基地に赴任しているのだそうです。
「息子さんはエリートなんですね」
私がそう言うと、彼は嬉しそうにはにかみました。
パンを出てしばらく進むと視界が一気に開けました。
素晴らしい高原地帯です。
地平線の先が見えないほどの平原の広がり。 とても4,600メートルもの標高を持つとは思えないような広大な平原です。
その中をバスはただ一台、突っ走ります。
遠くになだらかなスロープを持つ山脈の連なりが見えます。陽光を浴びてキラキラと輝く万年雪が見えます。平原には薄っすらと草が生えており、その草を食む羊、山羊、そして、ヤクの群れ、それらの群れを誘導する馬に乗った牧童たちが見えます。
空は青く、高く、空気は澄み切っていて遠くまではっきりと風景を見ることができます。
圧倒的なスケールの風景です。
「雄大」という言葉がこれほどふさわしい風景もなかなかないと思います。
パンク発生!雄大な風景の中でのタイヤの付け替え
川沿いの風景
高原を抜けるとバスは川沿いを走りました。
ここでトラブルが発生!パンクです!
いつかどこかで起こると予期してはいましたが、やはり起こりました。
トラブルが発生!パンクです!
けれども、パンクは日常茶飯事なようで、バスの運ちゃんとその助手は、ちっとも慌てる様子もなく、淡々とタイヤを付け替えていきました。
私たちはその間、バスの外に出て雄大な風景を眺め、高地の強烈な日差しと身を切るような冷たい風を味わいました。
バスが再びつづら折の道を登り始めました。
今度の登りは徹底しています。どこまで登っても終わりが見えません。
道は幾重にも折り返され、山の頂上まで登り切ったと思ったらまた更に高い山が現れます。
向こうの山、遥か上方から山道を下ってくるバスが見えます。
その姿はミニチュアのように小さく、巨大な自然に押しつぶされそうに見えました。
目を転じて下方を見下ろすと、麓の平原を歩く羊の群れの姿が見えます。
蟻のように細かい点々の羊の群れ、凄い風景です!
空の色はどんどん青く濃くなっていきます。高度はとっくに五千メートルを越えていました。
そのうち息苦しさを覚え、頭が軽く痛み始めます。終わりのないつづら折の繰り返しが次第に苦痛になってきます。
もういい加減このくらいで打ち止めにして欲しい!
そう思い始めた頃、バスは街道の最高地点、「タグラン・ラ」(5,317メートル)に到着しました。
街道の最高地点「タグラン・ラ」(5,317メートル)に到着!
街道の最高地点、「タグラン・ラ」(5,317メートル)
私たちはバスを降りました。峠の上には小さな建物がひとつ、最高地点を示す石碑とチョルテンがありました。
雪を被った頂きが間近に見えます。目の眩むような強烈な日の光、吹きすさぶ猛烈な風が五色のタルチョをバサバサとはためかせています。
雲が雪山の横を猛スピードで通過していきます。その背景の空は相変わらず真っ青です。
タグラン・ラを出発!
私たちがバスに乗り込むと、バスは出発しました。
峠の向こうの新たな地平が見えます。
さあ、下りです!
遥か下方まで無限のつづら折が続いています。
けれども、その繰り返しはもう苦痛ではありません。ひとつカーブを重ねるたび高度が下がっていくのです。もうこれ以上息苦しくなる心配はないし頭も痛くならないのです。
それだけで私は嬉しい気分でした。
ラダックの中心、レーの町に到着
無限に思えたつづら折が終わり、道の起伏が落ち着き始める頃、辺りにチベット風の民家の姿が目立つようになります。
所々にチョルテンが建ち、その脇には必ずタルチョがはためいていました。
ラダックの中心、レーの町
しばらく進むと灰色の大きな流れが見えてきます。インダス川です。
その川沿いにある小さな村「ウプシ」でバスは休憩しました。
ウプシはラダックの入り口です。村の中央には巨大なマニ車が立ち、川沿いには黄金色に輝く麦畑がありました。
インダス川に沿ってバスは北西に進みます。荒涼とした岩山はどこまでも続いていますが、徐々に緑が多くなってきました。
ポプラの木が立ち並んでいます。畑があります。羊がいます。ロバがいます。家があります。遠くの岩山の上には白い城砦のような僧院が見えます。すれ違う車の数も多くなってきます。
そして、夕方、辺りが薄暗い闇に包まれ始めた頃、バスは標高3,500メートルのラダックの中心、レーの町に到着しました。
旅行時期:2003年9月
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