バルカン諸国(旧ユーゴスラビア)の旅。
午前中、モスタルからサラエボに到着し、戦争トンネルツアーに参加。ランチに旧市街にある「Sac」でボスニアンパイをいただきました。
午後は、旧市街「バシュチャルシア(Baščaršija)」の街歩き♪
サラエボを一望できる丘を訪れ、お洒落なカフェや美味しいボスニア料理をいただけるレストランを訪問します。
バシュチャルシア(Baščaršija)
「バシュチャルシア」の水飲み場「セビリ」
「バシュチャルシア(Baščaršija)」は、サラエボ旧市街(スタリ・グラード地区)に位置する職人街。
オスマン帝国時代の16世紀に、アラブのスークをモデルに設計された商業地区で、金属加工品や陶器、宝飾品、絹製品などが売り買いされていました。
中近東の雰囲気が漂う街並みは、リュブリャナやドゥヴロブニクの街並みとは全く異質な感じ。
異国情緒漂う、サラエボでも必見の見どころのひとつです★
バシュチャルシアの広場とトラム
「バシュチャルシア」にある水飲み場「セビリ」がある広場。
観光の中心でもあるこの広場から、「ムーラ・ムスタファ・バシェスキヤ通り(Mula Mustafe Bašeskije)」を西へと歩いて、まずは、セルビア正教の教会「旧正教会」へと向かいます。
「ムーラ・ムスタファ・バシェスキヤ通り」界隈の街角風景
ボスニアコーヒーのお店
コーヒー豆のお店とムスリム女性
クラシックな建物
サラエボの街角
「ムーラ・ムスタファ・バシェスキヤ通り」界隈の街角風景です。
古びた建物が並ぶ、下町風の味わい深い通り。通りにはトラムも走っています。
セビリのある広場から100mほど西へと歩いた右手に、「旧正教会」はあります。
「旧正教会」
こちらが、セルビア正教の教会「旧正教会(Stara pravoslavna crkva)」です。
サラエボには、ボスニア・ヘルツェゴビナ連邦の首都であるサラエボに隣接して、スルプスカ共和国の首都イストチノ・サラエボがあり、セルビア人の多くはそちらに住んでいるのですが、ボスニア・ヘルツェゴビナ連邦のサラエボにも約11%ものセルビア人が住んでいるのだとのこと。
「旧正教会」は、そんなサラエボ市内に住むセルビア人の信仰の拠り所となる場所のひとつ。
蔦の絡まる旧正教会に併設された博物館の建物
「旧正教会」の内部
シックで渋い外観とは打って変わって、教会の内部は煌びやかで見応えがあります。
教会は、16世紀に建てられ、青く塗られた天井と、イエスやマリアを始めたくさんの聖人が描かれた黄金色の豪華なイコノスタスのコントラストが美しいです。
教会には博物館も併設されていて、歴史あるイコンや聖具が展示されています。
バシュチャルシアの風景
土産物屋が軒を連ねます。
銅製のコーヒーセットが売られています。
果物屋さん
トルコ風の民族服が売られています。
「旧正教会」を見た後は、再び旧市街「バシュチャルシア」の中へ。
旧市街の界隈には、銅製のコーヒーセットを販売するお店があったり、桃やブドウなどが売られた果物屋さんがあったり、トルコ風の民族服が売られた服屋さんがあったり。
そんなお店を眺めながら、ボスニア・ヘルツェゴビナで最も重要なモスクと言われる「ガジ・フスレヴ・ベグ・ジャミーヤ」へと向かいます。
「ガジ・フスレヴ・ベグ・ジャミーヤ」の外観
こちらが、ボスニア・ヘルツェゴビナで最も重要なモスクと言われる「ガジ・フスレヴ・ベグ・ジャミーヤ(Gazi Husrev-begova Džamija)」
1531年に建てられたモスクで、モスクの名前は当時のボスニア総督の名前「ガジ・フスレヴ・ベグ」に由来します。
モスクの設計を担当したのは、イスタンブールのスレイマニエ・モスクを設計した大建築家「ミマール・スィナン」です。
場所は、バシュチャルシアのメインストリート「フェルハディア通り(Ferhadija)」沿いにあります。
「ガジ・フスレヴ・ベグ・ジャミーヤ」の様子
「ガジ・フスレヴ・ベグ・ジャミーヤ」の水洗い場
ボスニア・ヘルツェゴビナ紛争時、「ガジ・フスレヴ・ベグ・ジャミーヤ」は、ボシュニャク人の象徴として攻撃対象とされ、サラエボ包囲の際に大きく損傷を受けたのだそう。
2000年頃からモスクの修復作業が始められ、現在では紛争前の美しい姿を取り戻している様子。
「ガジ・フスレヴ・ベグ・ジャミーヤ」の入口
金曜礼拝で祈る人々
訪れた日はちょうど金曜日。イスラムの金曜礼拝が行われており、多くの参拝者が祈りを捧げておりました。
なお、「ガジ・フスレヴ・ベグ・ジャミーヤ」の通りを挟んで北側には、メドレサ(イスラム神学校)も併設されています。
「ブルサ・ベジスタン」の外観
「ブルサ・ベジスタン」の入口
こちらは、「ブルサ・ベジスタン(Brusa bezistan)」
バシュチャルシア内にある旧絹取引所で、16世紀にオスマン帝国の大宰相を務めたリュステム・パシャによって建てられました。
“ブルサ”とは、当時絹の産地として知られていたトルコの町の名前です。
現在は歴史博物館として利用され、先史時代から近代までのサラエボの歴史を紹介しています。
館内には精密に造られたサラエボの町の模型がありましたが、館内の写真撮影は不可だったのが残念(入場料は3KM:180円)。
場所は、「ガジ・フスレヴ・ベグ・ジャミーヤ」から150mほど南東の一画です。
バシュチャルシアの西端にある屋内「ガジ・フスレヴ・ベグ・バザール」
「ガジ・フスレヴ・ベグ・バザール」の内部
こちらは、「ガジ・フスレヴ・ベグ・バザール(Gazi Husrev-begov bezistan)」
「ガジ・フスレヴ・ベグ・ジャミーヤ」と同じく、16世紀にボスニア総督を務めた「ガジ・フスレヴ・ベグ」によって造られたバザール。
長さ109mに渡って、50を超える店舗が立ち並んでいます。
トルコ風の街並みから一気にオーストリア・ハンガリー風の街並みへ。
「フェルハディア通り(Ferhadija)」を西へ向かうと、「ガジ・フスレヴ・ベグ・バザール」を過ぎた辺りで突然街の風景がガラリと変わります。
トルコ風の街並みから一気にオーストリア・ハンガリー風の街並みへ!
旧市街界隈にあるシナゴーグ
「戦下の子供時代博物館」へと向かう坂道
旧市街をぶらぶら歩きながら北へと向かい、バシュチャルシアの北の坂の上にある「戦下の子供時代博物館」へと向かいました。
「戦下の子供時代博物館」
「戦下の子供時代博物館(War Childhood Museum)」は、ボスニア・ヘルツェゴビナ紛争の戦時下に生きた子供たちに焦点を当てたユニークな博物館。
館内には、戦時中に子供だった人たちの思い出の品々が3,000点以上展示され、それぞれの品々にまつわるメッセージが紹介されています。
博物館についての詳細はこちらから↓
バクラバ・ショップ(Baklava shop Lokum.ba)
「バクラバ・ショップ(Baklava shop Lokum.ba)」の外観
「戦下の子供時代博物館」を訪れた後は、バシュチャルシアに戻り、カフェ&スイーツのお店「バクラバ・ショップ(Baklava shop Lokum.ba)」でひと休み。
トルコのスイーツ「バクラバ」をいただけるカフェはバシュチャルシアにたくさんありますが、このお店は「ブルサ・ベジスタン」のすぐ北側にあるお店。
「バクラバ・ショップ(Baklava shop Lokum.ba)」の店内
様々な種類のバクラバ
「バクラバ・ショップ(Baklava shop Lokum.ba)」の店内です。
店内のインテリアは、ランプやクッション、テーブルなど、トルコ風のオリエンタルな風情。カウンターのショーケースには、様々な種類のバクラバが並んでいます。
「バクラバ」とは、薄いパイ生地にクルミやピスタチオ等のナッツを砕いたものを挟んで焼き上げ、シロップに浸したお菓子です。
ボスニアコーヒー
バクラバ(ノーマルとピスタチオ入り)
こちらが、ボスニアコーヒーと一緒にいただいた「バクラバ」
ノーマルなものと、ピスタチオ入りのもの2種類選びました。
濃厚で深みのあるボスニアコーヒーと、甘いけどクセになるバクラバ。
満足のカフェタイムでした♪
料金は、コーヒーとバクラバ合わせて9.5KM(570円)でした。
「バクラバ・ショップ(Baklava shop Lokum.ba)」についての詳細はこちら↓
ジュタ・タビヤ(Žuta tabija:The Yellow Fortress)
水飲み場(セビリ)のある広場
広場に面した果物屋さん
「バクラバ・ショップ」でカフェタイムを楽しんだ後、「バシュチャルシア」の水飲み場「セビリ」のある広場に戻り、そこから北東の丘の上にある戦争時代に造られた砦の跡「ジュタ・タビヤ」に向かうことにしました。
「ジュタ・タビヤ(Žuta tabija)」へと向かう坂道
「ジュタ・タビヤ」へは、セビリの裏手にある坂道を登って向かいます。
この暑さの中、意外と急なこの坂道を登るのは結構しんどいです(汗)
雰囲気のあるストリート
パン屋さん?煙突から煙が出ています。
丘へと向かう坂の途中にあった墓地
丘の上にある「ジュタ・タビヤ(Žuta tabija)」
坂道を20分くらいえんやこらと登り、ようやく丘の上にある「ジュタ・タビヤ」に辿り着きました。
「ジュタ・タビヤ(Žuta tabija)」は、紛争時代に使われた砦の跡。別名「The Yellow Fortress(黄色の要塞)」と呼ばれているのだそう。
砦の上にはカフェがあり、サラエボの街並みが一望できることでも知られています。
「ジュタ・タビヤ(Žuta tabija)」の上にあるカフェ
こちらが、「ジュタ・タビヤ(Žuta tabija)」の上にあるカフェです。
椅子に座りたい場合はカフェで注文することが必要。椅子に座らなければフリーです。
カフェの営業時間は8:00〜0:00までなので、夜行けば夜景も見られるとのこと。
さて、丘の上からのサラエボのパノラマを眺めてみましょう〜♪
「ジュタ・タビヤ(Žuta tabija)」からのサラエボの眺め
旧市街「バシュチャルシア」が見えます。
山の麓辺りは、セルビア人の国「スルプスカ共和国」の土地
サラエボのパノラマを眺める地元の人たち
丘の上からは、サラエボの街並みを一望に見渡すことができます♪
旧市街「バシュチャルシア」のモスクやバザールのドーム屋根。その向こうを流れるミリャツカ川。川のさらに南には緑の丘と山が連なっていて、麓から丘の上へロープウェイが走っています。
オレンジ色の屋根の家並みと周囲に広がる緑の山々。美しい風景です★
けれども、美しい風景を眺めながらも、どうしても紛争時代のことを考えてしまいます。
サラエボ包囲の際、セルビア人勢力はあの緑の丘の上に陣取り、町に砲撃を加え続けました。そして、あの丘の麓から向こう側は、現在でもセルビア人の国「スルプスカ共和国」の土地であり、町は分断されたままなのです。
真っ白な墓石がずらりと並んでいます。
「ジュタ・タビヤ」でサラエボの街の眺めを堪能した後、再び旧市街へと坂道を降りて行きます。
丘の途中の斜面には、墓地があります。
真っ白な墓石がずらりと並んでいて、とても印象的な景観を形作っていました。
マルカレ市場
旧市街の北にある「ムーラ・ムスタファ・バシェスキヤ通り」
サラエボの旧市街「バシュチャルシア」で流れるアザーン【ボスニアヘルツェゴヴィナ】
坂道を降り、旧市街「バシュチャルシア」に戻ったところで、近くのモスクから「アッラーフ・アクバル」という声が聴こえてきました。
イスラムの礼拝の呼び掛け「アザーン」の呼び声です。
近くのモスクからの呼び声が終わらないうちに、少し離れたモスクからも、そして、遠くのモスクからも次々と「アザーン」の呼び声が聴こえてきました。
「アザーン」の呼び声が響き渡る町の風景。サラエボはイスラムの町なのです。
「ムーラ・ムスタファ・バシェスキヤ通り」の風景
「マルカレ市場」
バシュチャルシアから「ムーラ・ムスタファ・バシェスキヤ通り」を西へと歩いていくと、「マルカレ市場」があります。
1994年2月5日、この「マルカレ市場」にセルビア人勢力から迫撃砲が撃ち込まれました。この砲撃によって68人もの一般市民が虐殺され、200人以上が負傷したそうです。
色とりどりの野菜や果物が並びます。
1994年2月5日、この市場に砲撃が撃ち込まれ68人もの市民が殺害されました。
夕暮れ時に訪れたので、ちょっと閑散とした感じでしたが、午前中の早い時間は多くの買い物客で賑わうのだとのこと。
豊かな食材が並び、売り子さんがのんびりと店先に佇んでいる様子からは、かつてあのような悲劇が起こったことが想像できません。
「ムーラ・ムスタファ・バシェスキヤ通り」
雰囲気ある渋い感じの街並み
サラエボの街並みとトラム
永遠の炎(エターナル・フレイム)
雰囲気ある渋い感じの街並みを眺めながら、ムーラ・ムスタファ・バシェスキヤ通りをさらに西へ歩いていくと、「永遠の炎(エターナル・フレイム)」というスポットが現れます。
「永遠の炎(エターナル・フレイム)」は、1945年4月6日にパルチザンの抵抗によってサラエボがナチスから解放されたことを記念するとともに、第二次大戦中の犠牲者を追悼する目的で建てられた慰霊碑です。
“永遠の炎”という名前ですが、ボスニア紛争中は燃料不足のため、火は消えていたのだそう。
歩行者天国になっている「フェルハディア通り」
すでに夕暮れ時ですが、ちょっと行ってみたいカフェが近くにあるので、夕食前に寄ってみることにしました。
Zlatna Ribica(The Goldfish Bar)
「Zlatna Ribica(The Goldfish Bar)」の入口
お目当てのお店「Zlatna Ribica(The Goldfish Bar)」は、トリップアドバイザー1位評価の人気カフェ&バー。
永遠の炎のすぐ近く(30mほど)の路地裏にありました。
「Zlatna Ribica(The Goldfish Bar)」の店内
店内は独特でアンティークな雰囲気
「Zlatna Ribica(The Goldfish Bar)」の店内です。
アンティーク調の店内は、壁や扉、テーブルや棚の上など、あらゆる所に雑貨や写真、ポスター、置物などが飾られていて、カオスな雰囲気なのですが、不思議と統一感があり、独特な空間を作り出しています。
サラエボの街中にこんな空間があるなんて!と思うような秘密基地のような雰囲気のカフェ。居心地の良い空間です♪
アイリッシュ・コーヒー
ラテ・マキアート
飲み物は、アイリッシュ・コーヒーとラテ・マキアートを注文(11KM:650円)。
美味しいお飲み物とリラックスできる店内の雰囲気。
ゆったりとしたひと時を過ごすことができました★
雨に濡れた「フェルハディア通り(Ferhadija)」
「Zlatna Ribica(The Goldfish Bar)」でひと休みした後、お店を出ると、雨が降っていたようで、道路が雨で濡れていました。
雨に濡れた街並みをぶらぶら散歩しながら、ディナーをいただく予定のお店へと向かいます。
オーストリア・ハンガリー風の街並み
イエスの聖心大聖堂
歩行者天国になっている「フェルハディア通り(Ferhadija)」の西側部分は、オーストリア・ハンガリー帝国支配の影響を感じさせる19世紀ヨーロッパ風の街並みとなっていて、オスマントルコ風の東側部分とはまた違った魅力を感じさせます。
しばらく歩いていると、通り沿いにお目当てのお店の看板を見つけました!
レストラン「Sedef」
レストラン「Sedef」の外観
ディナーは、ボスニア料理のレストラン「Sedef」でいただくことにしました。
「フェルハディア通り」から路地を入った裏通りにあるお店で、ガイドブックにも載っておらず、トリップアドバイザーでも特に注目されてはいないのですが、かなりオススメなお店です★
レストラン「Sedef」の店内
写真付きのメニューがあるのが嬉しい!
この店の良いところは、
- 裏路地にあって混んでいない。
- 一人でも二人でもグループでも入りやすい。
- 簡素だけど小洒落ていて居心地がいい。
- 店員さんが親切。
- 写真付きのメニューがあるので料理を選びやすい。
- ボスニア料理の盛り合わせセットがある。
- お料理が美味しい!
- お値段がリーズナブル。
もし、サラエボに長く滞在していたら、何度も通ってしまったかもと思えるお店でした。
美味しいビール
「Sedef Sahan(Mix of Various Dishes)」
お料理は、もちろん、ボスニア料理の盛り合わせセット「Sedef Sahan(Mix of Various Dishes)」を注文!
この盛り合わせ料理が、素朴ながら味がしっかりしていてとっても美味しかった★
他に、チーズ入りのサラダとビールもいただきました♪
ボスニアコーヒーとバクラバ
デザートは、ボスニアコーヒーとバクラバ。
ボスニア最後の夜に、ボスニア尽くしの最高のディナーを楽しむことができました♪
レストラン「Sedef」についての詳細はこちら↓
サラエボの夜
夜の「フェルハディア通り」
満足のディナーをいただいた後は、夜の「フェルハディア通り」をぶらぶら歩きながら旧市街「バシュチャルシア」へと向かっていきます。
夜の「フェルハディア通り」、なかなか良い雰囲気です♪
夜の「ガジ・フスレヴ・ベイ・ジャミーヤ」
夜の「ガジ・フスレヴ・ベイ・ジャミーヤ」です。
ミナレットや入口のイーワーンがライトアップされていて美しいです。
「ガジ・フスレヴ・ベグ・ジャミーヤ」の中庭
礼拝所へと向かう人々
「ガジ・フスレヴ・ベグ・ジャミーヤ」の内部
「ガジ・フスレヴ・ベグ・ジャミーヤ」の内部です。
礼拝が始まる前の時間、少し中に入らせてもらいました。
見事な天井ドームの装飾
イスタンブールのブルーモスクの内部を彷彿とさせるような見事な天井ドームの装飾。
ほんと、美しいです。
さすが、ボスニア・ヘルツェゴビナで最も重要と言われるモスクです。
夜の「バシュチャルシア」
夜の「バシュチャルシア」の水飲み場「セビリ」
夜の街並み、なかなか雰囲気あります。
モスクを出て、夜もなお賑わいを見せる旧市街の界隈を歩いていき、「バシュチャルシア」の中心部、水飲み場「セビリ」のある広場に辿り着きました。
トラムに乗ってホテルへ
サラエボのトラムの車内
セビリの前の停留所でトラムに乗車。ホテルへと戻ります。
トラムの運賃は、1.6KM(95円)。トラムチケットは駅前の雑貨屋さんで購入しました。
ホテルの前でトラムを下車
トラムは夜のサラエボの街をゆっくりと進んでいき、15分ほどで宿泊していた「ホテル ホリデー(Hotel Holiday)」付近の停留所に到着しました。
サラエボ、そして、バルカンの旅もラスト。
翌日は、早朝7:35分発の飛行機でウィーン、そして、モスクワを経由して成田へと向かいます。
サラエボMAP
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