前日、オマーンの首都マスカットから飛行機でインドのデリーに到着。
1泊して、この日はデリー市内を観光します。
まずは、午前中、ムガル帝国の第2代皇帝の墓所「フマユーン廟」と、デリー市内にある階段井戸「アグラーセン・キ・バオリ」、デリー最大のシク教寺院「グルドワーラー・バングラ・サヒーブ」を訪れました。
ホテルで朝食をいただいて出発!
早朝のホテル前の風景
朝、早起きして宿泊していたホテル「プライム・バラジ・デラックス(The Prime Balaji Deluxe @ New Delhi Railway Station)」の外に出てみました。
1月のデリーの朝は寒いです。平均最低気温は8℃ほどで同時期の東京よりも5~10℃ほど暖かいのですが、結構寒く感じます。
ホテルの前の通りにはヒンドゥー教の神様が祀られていました。
聖人らしき人とガネーシャ神
シヴァ神
ハヌマン神
ホテルの前の通りには、ヒンドゥー教の祭壇があり、神様や聖人の像が祀られていました。
シヴァ神、ハヌマン神、ガネーシャ神、誰かはわからないですが、聖人らしき方の像です。
ホテルの上層階から吹き抜けの下を眺める。
ホテルの朝食
ドーサ、サンバル、ラッサム
ホテルに戻り、上層階にあるレストランで朝食をいただきます。
バイキング形式で、パンやフルーツ、そして、南インド料理のサンバルやラッサム、ドーサなどがあって嬉しい♪
お味は、専門店ではないので、まあこんなものかなという感じですが、充分です(朝食はホテル代に込みで申し込みました)。
リキシャに乗ってお出掛け
リキシャから見た「コンノート・プレイス」の街並み
食後は、ホテルの前でリキシャを捕まえて、最初の観光スポットである「フマユーン廟」へと向かいます(リキシャの料金は、Rs.150でした)。
タージマハルの原型ともなった美しい聖廟「フマユーン廟(Humayun’s Tomb:हुमायूँ का मक़बरा)」【世界遺産】
「フマユーン廟」のチケット売り場
「フマユーン廟」は、メインバザールから南東に8㎞ほど。ニューデリー南東のニザームウッディーン地区(ムスリムの聖者廟「ニザームウッディーン・アウリアー廟」のある地区)にあります。
「フマユーン廟(Humayun’s Tomb:हुमायूँ का मक़बरा)」は、ムガル帝国第2代皇帝フマユーンの墓廟。世界遺産にも登録されており、多くの観光客が訪れるデリーきっての観光名所です。
受付で入場料を支払い中に入ります。入場料は、Rs.600(970円)。
広々とした「フマユーン廟」の敷地内
入場ゲートを抜け、フマユーン廟の敷地内へ。
芝生が綺麗に整備された敷地内は、かなり広々としていて、「フマユーン廟」以外にも様々な王や貴族、聖人などの墓廟が点在しています。
そのうちのひとつが、「イーサー・ハーン廟」です。
「イーサー・ハーン廟」の案内パネル
イーサー・ハーンは、スール朝のシェール・シャーの宮廷に仕えた貴族
イーサー・ハーンは、スール朝のシェール・シャーの宮廷に仕えた貴族です。
スール朝は、1539年から1555年まで北インドを支配した王朝。1539年にフマユーンを破って北インドを奪い、1555年に逆にフマユーンにデリーを奪還された短命の王朝です。
門の向こうに「イーサー・ハーン廟」が!
正面に見えるのが「イーサー・ハーン廟」
入場ゲートを抜けてすぐ右手に「イーサー・ハーン廟」はあります。
右手の方向に歩いていくと、門の向こうに廟の姿が見えてきました。
「イーサー・ハーン廟」
朝靄の中に浮かび上がる八角形の形をした「イーサー・ハーン廟」
インド・イスラム建築の美しいこの廟は、16世紀中頃に建てられました。
「イーサー・ハーン廟」
「イーサー・ハーン廟」
「イーサー・ハーン廟」の墓石
「イーサー・ハーン廟」のドーム
イーサー・ハーンのモスク
「イーサー・ハーン廟」の辺りはあまり人がおらず、とても静か。
朝靄に包まれた赤砂岩の建物と緑の樹々。インドらしい風情を味わいます。
「フマユーン廟」の入り口
イーサー・ハーン廟からメインの参道の方へ戻り「フマユーン廟」へ。
正面に赤砂岩と白大理石で造られた大きな門があります。
「フマユーン廟」の入り口の門です。
門の向こうに「フマユーン廟」が
正面に見えるのが「フマユーン廟」
門の向こうに「フマユーン廟」の姿が見えました!
尖頭アーチと一直線に伸びる参道とシンメトリーの墓廟。見事な構成美です★
さて、廟の方へ向かって歩いていきましょう〜♪
チャハルバーグ(四分庭園)と呼ばれる「フマユーン廟」周囲の庭園
楽園の思想を具現化したという庭園
「フマユーン廟」とその庭園は、中心にある墓廟の周りを、8つの田の字の形をした正方形の庭園が取り囲む、ペルシア風の「チャハルバーグ(四分庭園)」というスタイルで構成されています。
チャハルバーグ形式の庭園としてはインド最古のもので、後に造られた「タージ・マハル」にも影響を与えたと言われています。
東西南北どこから見ても、同じように見えるのが特徴で、正方形の各区画には水路や緑の園路があり、区画の交点には泉や池などが配置されています。
砂漠の宗教イスラムにとって、水や緑は豊かさの象徴。チャハルバーグは天上の楽園を具現化したものでもあるのだそう。
タージ・マハルに大きな影響を与えました。
インド・イスラーム建築の精華のひとつ
「フマユーン廟」の廟の建物は、下部の基壇と上部の祠堂の2層構造になっていて、基壇は正方形で一辺95m、高さ7m。祠堂は一辺48m、高さ21m、中央のドームは高さ38mです。
赤砂岩と白大理石のコントラスト
ペルシャ風のドームやアーチにヒンドゥー的な装飾が施されています。
基壇の上に登って祠堂を眺めます。
祠堂は東西南北四面全て同じ立面(ファサード)を持っていて、尖頭アーチを持ったイーワーン、中央のドームといったペルシャ風の要素と、祠堂上部に置かれたチャトリや小さなミナレットなどのヒンドゥー的な要素がミックスされたスタイルとなっています。
墓廟にはフマユーンだけでなく、王妃や王子、宮廷人など150人の死者が埋葬されています。
建物は、赤い砂岩と白い大理石で造られ、紅白の色合いのコントラストが美しいです。
今回、建物の内部には入ることができませんでしたが、内部にはフマユーンの石棺があり、また、王妃や王子、宮廷人など150人の死者の石棺が安置されているのだそう。
チャハルバーグ(四分庭園)
ムガル帝国第2代皇帝フマユーン(1508~1556)
ムガル帝国第2代皇帝フマユーンは、1555年、スール朝からデリーを奪還し、北インドの再征服に成功しました。
しかし、翌1556年に階段から落ちて頭を打つという不慮の事故によって急逝してしまいます。
そんなフマユーンの王妃であった「ハミーダ・バーヌー・ベーグム(ハージー・ベーグム)」は、亡き夫のために壮大な墓廟を建築することにしました。
それが、この「フマユーン廟(Humayun’s Tomb:हुमायूँ का मक़बरा)」なのです。
フマユーン廟は、1993年、ユネスコの世界遺産に登録されています。
街の中心に突如として現れる階段井戸「アグラーセン・キ・バオリ(Agrasen ki Baori)」
ニューデリーの中心にある「インド門」
「フマユーン廟」を観た後、リキシャを捕まえて、次の目的地である「アグラーセン・キ・バオリ(Agrasen ki Baori)」へ。
距離は6㎞ほど、料金はRs.100でした。
上の写真は、途中で見えた「インド門(India Gate)」。1931年に建設された第一次世界大戦の戦没者を弔うために建てられた高さ42mの門で、門柱には9万人にも及ぶ戦没者の名前が刻まれているのだとのこと。
「アグラーセン・キ・バオリ(階段井戸)」入り口
リキシャで15分ほど走って、「アグラーセン・キ・バオリ」に到着しました。
「アグラーセン・キ・バオリ(Agrasen ki Baori)」は、ニューデリーの中心「コンノート・プレイス」の南東200mほどのところにある階段井戸の遺跡。
市内のど真ん中にありながら、旅行者にはまだそれほど有名な遺跡ではないようで、入り口も簡素で入場も無料です。
さっそく、中に入ってみます。
「アグラーセン・キ・バオリ(階段井戸)」
中に入ってびっくり!
内部は、入り口からは想像できない、壮大なスケールの遺跡が広がっていました。
階段井戸は、インド北西部、グジャラートやラジャスタンなどで11世紀〜16世紀頃までに盛んに建造された、地下水を汲み上げるための巨大な階段型の井戸のこと。
現地の言葉では「バオリ(Baori:बावड़ी)」と呼ばれているそうです。
4世紀〜6世紀に建造され、14世紀に再建されたそう。
奥行き60m、幅15m、階段の段数は103段
デリーにはいくつかの階段井戸が残っているそうですが、「アグラーセン・キ・バオリ」はその中でも一番見応えがある階段井戸。
「アグラーセン・キ・バオリ」は、4世紀〜6世紀に建造され、14世紀に再建されたと考えられているのだそう。
階段の奥行きは60m、幅15m、階段の段数は103段で、なかなかスケールが大きいです。
都会の住宅地のど真ん中にあります。
まだ観光地化されておらず、入場は無料
観光地として整備されていないので、手すりなどもなく、深い階段を降りていくのはちょっと怖いです。
かつては、皆この階段を降りて水汲みをしに行ったのでしょうか。
地元の若者たちの憩いの場となっています。
インド映画の作品にもよく登場する場所です。
「アグラーセン・キ・バオリ」は、まだまだ旅行者には知名度は低いですが、デリーの人々の憩いの場になっているようで、インドの若者たちがたくさん訪れていました。
ボリウッド映画の作品にもこの場所はよく登場しています。
インドには無数の階段井戸があり、その規模や芸術的価値も見事なものがあります。今後、もっと注目されていくことと思います。
デリー最大のシク教寺院「グルドワーラー・バングラ・サヒーブ(Gurudwara Bangla Sahib)」
「グルドワーラー・バングラ・サヒーブ(シク教寺院)」入り口の参拝グッズ屋台
次に向かったのは、デリー最大のシク教寺院(グルドワーラー )である「グルドワーラー・バングラ・サヒーブ」
三度リキシャを捕まえ、向かいました。
距離は1㎞くらいでしたが、 Rs.60でOKしてしまい、ちょっと失敗した気分。
「グルドワーラー・バングラ・サヒーブ」に到着すると、辺りはターバンを巻いた人だらけ!
シク教は、男性は髪の毛や髭を剃ってはいけないという決まりがあり、成人男性のほとんどが立派なターバンを巻いているのが特徴です。
グルドワーラーの前はシク教の参拝グッズの屋台が立ち並び、門前町のようになっていました。
「グルドワーラー・バングラ・サヒーブ」の回廊
シク教とは、16世紀にグル・ナーナクを開祖として始められた宗教。
ヒンドゥー教の輪廻転生を肯定し、イスラムのスーフィズムの影響を受け、偶像崇拝とカーストを否定した一神教です。
もともとは、ムガル帝国によって支配宗教となったイスラムと、土着のヒンドゥーの融合を図ろうとして生まれた宗教なのだという説もあります。
経典は「グル・グラント・サーヒブ」です。
総本山は、インド北西部パンジャーブ州「アムリトサル」(Amritsar:ਅੰਮ੍ਰਿਤਸਰ)にある「黄金寺院(ハリ・マンディル)」(Harmandir Sahib:ਹਰਿਮੰਦਰ ਸਾਹਿਬ Golden Temple)。
世界で5番目に信者の多い宗教で、約3000万人の信者がいるそうです。
アムリトサルの黄金寺院についてはこちら↓
デリー最大のグルドワーラー(シク教寺院)
こちらが、デリー最大のシク教寺院(グルドワーラー )である「グルドワーラー・バングラ・サヒーブ(Gurudwara Bangla Sahib)」
24時間365日開放されていて、シク教信者でなくても誰でも入場可能。もちろん無料です。
また、境内では無料で食事が振舞われており、訪れる全ての人(人種、性別、宗教、階級、貧富の差に関わらず)に対し無料で食事を提供するということが行われています。
これはヒンドゥー教徒がカーストが違う者と食事を共にしないことに対する批判であるのだとのこと。
無料で食事を提供するグルドワーラーの様子は、映画「聖者たちの食卓」で見ることができます。
映画「聖者たちの食卓」についてはこちら→「聖者たちの食卓」毎日10万食!シク教黄金寺院の無料食堂【映画】
白大理石の立派な門
大理石と象眼細工が素晴らしい
境内へは裸足で、男性も髪の毛を隠して入る必要があります。
敷物、お供えの花などの販売コーナー
入り口からグルドワーラーの境内に入場します。
グルドワーラーの中に入るためには、靴や靴下を脱いで裸足になり、女性も男性も髪の毛を隠さなくてはなりません。
靴や靴下は上の写真の受付で預け、預け票を受け取ります。
「グルドワーラー・バングラ・サヒーブ」の寺院
こちらが、「グルドワーラー・バングラ・サヒーブ」の寺院です。
さて、中に入ってみましょう〜♪
「グルドワーラー・バングラ・サヒーブ」寺院内部
グルドワーラーの内部です。
グルドワーラーの内部では、タブラ(インドの太鼓)とハルモニウム(アコーディオンのような音の出る鍵盤楽器)を伴奏に歌手が聖歌を一日中歌い続けています。
タブラのリズムとハルモニウムのメロディが耳に心地よいです♪
煌びやかな黄金の内装
ハルモニウムとタブラによる聖歌の演奏が延々と流れています。
内部の柱や天井は金箔が一面に貼り付けられており、信者によるたくさんの寄進があることが窺えます。
演奏されている音楽と共に、グルらしき人が説法をしているのも聞こえます。
立派な髭を生やし、ターバンを巻いているのがシク教徒
グルが説法をしていたり、聖歌の生演奏がなされている祭壇の周りは、モスクのような広々とした参拝空間となっていて、ターバンを巻いた多くの信者たちが礼拝を行なっていました。
グルドワーラーは、他の場所でもいくつか訪問したことがありますが、この広間に座り、聖歌の生演奏を聴きながら、人々が祈りを捧げる様子を眺めるのが好きです。
グルドワーラー(シク教寺院)は、365日24時間、信者でなくても誰でも入場可能
境内には、シク教徒でない、ヒンドゥー教徒やイスラム教徒、外国人観光客の姿も多くありました。
人種、性別、宗教、階級、貧富の差に関わらず、全ての人にオープンなシク教のグルドワーラー、他の宗教の礼拝施設では見られない光景です。
シク教徒は、パンジャーブ州に信者が多く、肉食をタブーとしていません。
また、宗教成立時より、裕福で教養の高い層の帰依が多かったことから、イギリス統治時代に官吏や軍人として登用されることが多く、海外にも多く進出してきました。
「インド人イコールターバン」というイメージはここから来ているのだそうです(インドの大多数を占めるヒンドゥー教徒はターバンを巻きません)。
「グルドワーラー・バングラ・サヒーブ」の広大な沐浴池
礼拝所の奥には、広大な沐浴池がありました。
総白大理石が敷き詰められた床とアーチに囲まれた壮大な空間。訪れた時は沐浴している人の姿は見掛けませんでした。
大理石造りの床とアーチの建物が立派
「グルドワーラー・バングラ・サヒーブ」の寺院と沐浴池
「グルドワーラー・バングラ・サヒーブ」で、ハルモニウムとタブラによる聖歌の演奏を聴き、広大な沐浴池を眺め、オープンな雰囲気を感じた後、寺院を出て次の目的地へ。
午後は、お土産探しメイン。カーン・マーケットやINAマーケットを訪れます。ランチは前日に訪問できなかった「ハウズ・カース・ビレッジ」で南インド料理♪
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