多民族国家「マレーシア」(Malaysia:مليسيا)
マレー人、華人、インド人を始め、たくさんの民族の文化が混じり合った面白い国です。また、かつて支配していたオランダやポルトガル、イギリスの影響も見ることができます。
マレーシアの首都「クアラルンプール」と貿易で栄えた「マラッカ」の旅。
今回は、マラッカをご紹介します。
ポルトガル、オランダ、イギリス、日本と、様々な国の支配を受け続けた「マラッカ」
マラッカの「オランダ広場」
「マラッカ」は、クアラルンプールから高速バスで2時間ほどの所にある港町です。
「マラッカ」は世界遺産にも登録されています。
マラッカは古くからベンガル湾と南シナ海を結ぶ交通の要衝として、戦略的に非常に重要な場所でした。
そのため、15世紀にイスラム王朝が成立した後も、ポルトガル、オランダ、イギリス、日本と、様々な国の支配を受け続けました。
写真はオランダ統治時代に造られた「オランダ広場」。朱色の建物が目に鮮やかです。
ここは、マラッカの中心として、観光の拠点になっています。
ムラカ・キリスト教会
スタダイス
「スタダイス」は、17世紀にオランダの総督が居住するために建てられた建物で、現在では博物館になっています。
それぞれの統治時代ごとに展示がなされ、かなり見ごたえがある博物館です。
サンチャゴ砦
「サンチャゴ砦」は、1511年にマラッカ王国を駆逐したポルトガルが建てた砦の跡です。マラッカでも特に古い歴史的な建物跡です。
後にマラッカを支配したオランダもこの砦を利用したそうです。
砦の裏にはセントポールの丘があります。
セントポール教会跡
サンチャゴ砦の裏のセントポールの丘の上に建っている「セントポール教会」です。
1521年にポルトガルによって建てられました。
この教会は、日本にも布教に訪れたフランシスコ・ザビエルが1545~1552年に定期的に訪れ、布教を行ったことでも知られています。
セントポール教会跡
セントポール教会の碑文
ザビエルは、この教会で日本人のヤジロウと出会いました。
ヤジロウはザビエルの日本への水先案内人となったそうです。
ヤジロウと出会ったことでザビエルは日本へと向かうことになりました。
ザビエルにとっても、日本という国にとっても運命的な出会いが、このマラッカであったのです。
チャイナタウンと「ババ・ニョニャ文化」
マラッカのチャイナタウン
マラッカのチャイナタウンです。
ここには、数百年前に中国から移住してきた華人と地元のマレー人が結婚して生まれた「プラナカン」という人々が作り出した「ババ・ニョニャ文化」というものがあります。
中国とマレーをミックスした文化です。
チャイナタウンの街角
ババ・ニョニャの建物
彼らは信仰や儀式といった精神的なものは中国古来のものを守り、衣服や食生活はマレーのものを積極的に取り入れたのだそうです。
ランチで入った中華料理屋
ここは中華料理屋。チキンライス(海南鶏飯)を頼みましたが、お米が親指大くらいのライスボールになっていたのが印象的でした。
「チェン・フン・テン寺院(青雲亭)」
ここは「チェン・フン・テン寺院(青雲亭)」。マレーシア最古の中国寺院です。
仏教のお寺だそうです。
マラッカの夕陽
セントポールの丘の上から見た夕陽。
数百年前、フランシスコ・ザビエルもここで、こんな夕陽を見ていたんでしょうか。
旅行時期:2005年1月
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