フランスへは、3度訪問しました。
1度目は、ロンドンからドーバー海峡を渡って入国し、パリ、ヴェルサイユ、シャルトル、アルルを訪れ、イタリアへと抜けました。
2度目は、フランクフルトから鉄道で入国し、パリと近郊にあるサヴォワ邸を訪問しました。
3度目は、モロッコへと向かう途上のトランジットでパリに立ち寄りました。
花の都パリとヴェルサイユ宮殿、シャルトル大聖堂、サヴォワ邸、アルルの町をご紹介します。
パリ(Paris)
いつ訪れても華やいだ気分になれる町「パリ(Paris)」。
訪問観光客数世界一は伊達ではありません。
見どころたくさんです★
シャンゼリゼ大通りと凱旋門
エッフェル塔
パリの象徴「エトワール凱旋門(Arc de triomphe de l’Étoile)」
「エトワール凱旋門」の名前は、この凱旋門を中心に、シャンゼリゼ通りを始めとした12本の通りが放射状に伸びており、その形が星のように見えるということに由来しています。
エトワール凱旋門と並ぶ、パリのランドマークのひとつ「エッフェル塔(La tour Eiffel)」
1889年に開催されたパリ万博の目玉として造られ、高さは324m。錬鉄製で展望台は3つあります。
1930年にニューヨークにクライスラービルが建てられるまで、「エッフェル塔」は世界一の高さを持つ建造物だったそうです。
ノートルダム大聖堂の西正面入口
「ノートルダム大聖堂(Cathédrale Notre-Dame de Paris)」は、パリのシテ島にあるゴシック建築を代表する大聖堂です。
1163年に建設が開始され、全面完成は1250年。全長127.50m、身廊の高さは32.50m、幅は12.50mという当時はそれまでにないスケールの壮大な聖堂だったそうです。
ルーブル美術館のギャラリー
「ルーブル美術館(Musée du Louvre)」は、パリのセーヌ川右岸に位置する世界最大級の美術館。
収蔵品は380,000点以上で、先史時代から19世紀までの世界各国の様々な美術品が35,000点近く展示されています。
毎年800万人以上のお客さんを集める世界で最も入場者数の多い美術館です。
館内はとにかく広大で、まともに見ていたら1週間あっても足りないと言われるほど。
見たい作品を絞って効率的に回らないといけません。
一番有名な『モナ・リザ』は、やっぱり大混雑でした(汗)
パリのメトロ
こちらは、パリの街を縦横無尽に走っている地下鉄(メトロ)
1号線から14号線まであり、路線総延長は221.6km、駅数は292。
1900年のパリ万博に合わせて1号線が開通し、その際に造られたメトロ入口は、建築家エクトール・ギマールのアール・ヌーヴォー様式でデザインされています。
パリの公園
エトワール凱旋門やエッフェル塔、ルーブルやオルセーなどの美術館、ノートルダム大聖堂など、パリには見どころがたくさんありますが、それ以上に見どころだと言えるのが、パリの街並みそのものです。
パリの街並みは、建物の高さや使われている石材、屋根の装飾が揃っていて、街全体が統一された美しさがあります。
パリの街がこのような統一された景観となったのは、1853年から1870年まで17年にわたってセーヌ県知事を務めた「ジョルジュ・オスマン(Georges-Eugène Haussmann)」の功績が大きいです。
ヴェルサイユ宮殿(Palais et parc de Versailles)
「ヴェルサイユ(Versaillais)」は、パリの南西約20㎞、RERで40分ほどの場所にある町。「ヴェルサイユ宮殿」の所在地として有名です。
「ヴェルサイユ宮殿(Palais et parc de Versailles)」
「ヴェルサイユ宮殿(Palais et parc de Versailles)」は、1682年、フランス王ルイ14世によって建造された宮殿で、フランス絶対王政の象徴と言われる建物です。
バロック様式で造られた豪華な宮殿と離宮、天才造園家アンドレ・ル・ノートルによって造営された広大な庭園からなり、庭園を含めた総面積はおよそ800万㎡。
ヴェルサイユ条約が調印された「鏡の間」
こちらは、ヴェルサイユ宮殿の「グラン・アパルトマン」内にある「鏡の間」
全長73mの回廊では、マリー・アントワネットの婚礼舞踏会が行われたほか、ドイツ皇帝ヴィルヘルム1世の即位式や第一次大戦終結の講和条約「ヴェルサイユ条約」の調印も行われました。
サヴォア邸(Villa Savoye)
サヴォワ邸
「サヴォア邸(Villa Savoye)」は、パリ郊外のポワッシーにある建築家「ル・コルビジェ(Le Corbusier)」が設計した近代建築の住宅です(1931年竣工、依頼主はピエール・サヴォア夫妻)。
この「サヴォワ邸」は、20世紀最高の住宅建築のひとつと言われていて、フランスの歴史的建築物にも指定されています。
サヴォワ邸の室内
サヴォワ邸の浴室
扉も機能的
屋上庭園
「サヴォワ邸」には、ル・コルビジェの提唱した「近代建築の五原則」 (ピロティ、屋上庭園、自由な平面、独立骨組みによる水平連続窓、自由な立面)が、 最もよく表現されているといわれています。
一面の窓が開放的
ル・コルビジェは「近代建築の五原則」のほかに「ドミノシステム」も考案しました。
「ドミノシステム」とは スラブ、柱、階段のみが建築の主要要素だとする考え方で、 これは建物とは壁で囲われたものであるという従来の建築の概念を根底から覆すものでした。
「住宅は住むための機械である(machines à habiter)」。
ル・コルビジェはこう言っています。
建築と都市計画の分野に大きな遺産を残したル・コルビジェ。20世紀の巨人のひとりです。
シャルトル大聖堂(Cathédrale Notre-Dame de Chartres)
シャルトル大聖堂
フランス中部ロワール県。
パリ、モンパルナス駅から急行に乗り、50分ほど南西へ進んだ、黄緑色の麦畑が広がるボース平原のただ中に、ひときわ目立つ大聖堂が立っています。
中世ゴシック建築の傑作といわれる聖堂「シャルトル大聖堂(Cathédrale Notre-Dame de Chartres)」です。
「シャルトル大聖堂」は、身廊(主祭壇に向かう中央通路)の高さが36m、聳え立つ尖塔は105mにも及んでいるのだとのこと。
街一番の高さです。
シャルトル大聖堂の内部
大聖堂の中は、ステンドグラスの光と仄かな蝋燭の灯りしかない、かなり薄暗い空間になっています。
広大な身廊と見上げるような高さの天井。
グレゴリオ聖歌がどこからか聴こえてきそうな気がする神秘的で荘厳な空間です。
シャルトルブルーのステンドグラス
エッサイの樹
「シャルトル大聖堂」はステンドグラスが美しいことで有名です。
「シャルトル大聖堂」のステンドグラスには、「シャルトル・ブルー」と呼ばれる澄んだコバルトブルー色のガラスが使われていて、実に鮮やか。
ステンドグラスには様々な図像が描かれていますが、その題材は入り口の彫刻群と同じように聖書の物語です。
これらのステンドグラスを見れば、キリスト教の教えがひと目でわかるようになっています。
人々はステンドグラスの図像により、聖書の物語を効率良く学ぶことが出来るのです。
ガーゴイル
屋根の上から聖堂を見下ろすと、所々に魔物が見えます。
「ガーゴイル」です。
悪魔そのものといったような風貌の「ガーゴイル」ですが、大聖堂にはこの「ガーゴイル」に限らず、柱頭に、天井アーチの交差部に、西正面の側柱に、いたる所に魔物の姿があります。
これらの魔物たちは、魔除けや建物の守護を意味するものであるそうです。例えば、「ガーゴイル」は口から悪霊を聖堂の外へ向かって吐き出すという浄化の意味合いを持つものであると考えられています。
サント・マリー・ド・ラ・メール(Saintes-Maries-de-la-Mer)とアルル(Arles)
TGV(アルル駅)
パリからTGV南東線に乗ってプロヴァンス地方の「アルル」へ。
パリ・リヨン駅から4時間ほどで到着。時速270㎞のTGVは速かったです。
サント・マリー・ド・ラ・メール
「アルル」から、バスに乗って30分ほど南へと進むと、「カマルグ」という湿地帯が現れます。
その「カマルグ」を進んだ海岸沿いにあるのが「サント・マリー・ド・ラ・メール(Saintes-Maries-de-la-Mer)」という町。
ここは、キリストの死後、マグダラのマリア、マリア・サロメ、マリア・ヤコベ、従者のサラ、マルタ、ラザロたちが、エルサレムから小舟で逃れて流れ着いた場所だと言われています。
マリア・ヤコベとマリア・サロメの2人とこれに従うサラは、この地に住み生涯を終えたと考えられていて、毎年5月と10月に2人のマリアにちなんだ盛大な祭りが開催されます。
また、従者のサラはロマの守護聖人であったことから、ロマが大勢集まる祭りとしても知られています。
「サント・マリー・ド・ラ・メール」、祭りのない季節は何もない静かな町です。
アルルの街
フランス南部、プロヴァンス=アルプ=コート・ダジュール地域圏にある「アルル(Arles)」
ローマ時代からの歴史を持つこの町は、中世には司教座聖堂のある都市として知られ、長らく地域の中心地として繁栄してきました。
街中にはローマの競技場や中世の聖堂といった歴史的建造物が多々あり、それらは世界遺産に登録されています。
また、「アルル」はフィンセント・ファン・ゴッホ(ヴィンセント・ヴァン・ゴッホ)がポール・ゴーギャンと共同生活をしたところとしても有名です。
アルルの円形闘技場
ローマ時代には首府が置かれ、プロヴァンス屈指の大都市として繁栄した「アルル」
市内には、円形闘技場や劇場、浴場、地下回廊、城壁、墓地などの遺跡が遺されていて、ローマ時代の名残を感じることができます。
サン=トロフィーム教会
また、中世には、サンティアゴ・デ・コンポステーラの巡礼路のうち、南仏を通るトゥールーズの道の始点になっていたことから、巡礼者たちで賑わったのだとのこと。
「サン=トロフィーム教会」は、そんな中世の時代の面影を残すロマネスク様式の教会です。
結婚式が行われていました。
ローヌ川で子供たちのボート競技が行われていました!
ローヌ地方の主要な港として長い間繁栄した「アルル」
けれども19世紀、鉄道の開通により水運での貿易が壊滅、「アルル」はある意味、僻地となってしまいました。
そんな町の風情に惹きつけられたのが、画家のフィンセント・ファン・ゴッホでした。
彼は1888年2月から1889年5月までこの町に住み、300以上の絵画や描画を制作しました。
「アルル」から列車に乗ってマルセイユ、そして、イタリアへ。
「アルル」を訪れた後は、列車でイタリアへ。
朝8時15分、アルルからマルセイユ行きの列車に乗り込み、東を目指します。
マルセイユまでは約1時間。そこでニース行きの列車に乗り換えイタリア国境へと向かいます。
旅行時期:1996年6月・2003年3月・4月
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