アジアとヨーロッパの狭間にある国「トルコ」(Turkey)
トルコ東部のアナトリアは、アジア・イスラムの色彩が色濃い地域ですが、ビザンチン時代のキリスト教の史跡も数多く遺されています。
今回は、トルコ東部の町「トラブゾン」と「エルズルム」についてご紹介します。
アナトリアの大地をバスに乗って東へと旅します。
トラブゾンの町と黒海
カッパドキアの近くの町「カイセリ」からバスで12時間。
黒海沿岸の町「トラブゾン」に到着しました。
トラブゾンは、雨が降っていました。ここは年間を通して雨が多いとのことです。
宿から見えた黒海
「黒海」という名前のイメージ通り、曇り空の下、灰色に沈んだ海とくすんだ街並み。
日本で言えば、日本海沿いの北陸の町みたいな雰囲気です。
「ボズ・テペの丘」から見たトラブゾン
宿からの風景
町を見下ろす高台「ボズ・テペの丘」から見た「トラブゾン」の港です。
向こうに見えるのが黒海。
この日は8月で、夏の真っ盛りのはずなんですが、空はどんよりと曇り、時折雨がぱらぱらと降っていました。
泊まったこの部屋もなんだか湿っぽい感じ。
雨の遊園地
黒海沿いの遊歩道
トラブゾンの市場
市場にいた人々
「トラブゾン」は、ロシアなど旧CIS諸国との関係が深い町で、アルメニアのエレバンやアゼルバイジャンのバクー行きのバスやフェリーがここから出ています。
港の脇には「ロシアンバザール」もあって、ロシア産の品物が売られています。
ロシア人の娼婦が多いという話も聞きます。明らかにスラブ系である女性の姿もよく見かけました。
市場でぶらぶらしていると、お店の人がいろんなものを食べさせてくれます。
トルコ人はとても親切。バスでの移動中も、休憩の時のレストランで食事をご馳走してくれました。
スメラ僧院
「スメラ僧院」
トラブゾンの町からバスで1時間、南へ約50kmほど進んだところに「スメラ僧院」はあります。
「スメラ僧院」は、380年頃、キリスト教徒たちによって造られました。
現在の僧院は1340年に建造されたものだとのこと。
約300メートル登ったところにある
岸壁に造られた建物
麓の町から僧院まではかなりの急坂を登っていきます。
僧院まで300mの高低差。汗だくになるほどです。この時、雨が降っていました。
スメラ僧院のフレスコ画
岩の中にはめ込まれているといった印象の僧院には、フレスコ画がびっしりと描かれていました。
建物は6階建て、部屋は72室もあります。
落書きだらけのスメラ僧院のフレスコ画
見てください!この落書きの数々!
貴重なフレスコ画が台無しです。
僧院を降りた麓の屋台でとうもろこしを買い、帰りのバスの中で食べました。
おいしかったです!
エルズルム
エルズルムの街並み
「トラブゾン」から「エルズルム」までは、バスで約9時間。
実はこの道中、私にとっては地獄でした。
「スメラ僧院」への登り坂や「ボズ・テペの丘」に登ったことや、これまでの夜行バスでの強行軍、そして、トラブゾンの湿っぽい部屋で寝苦しい夜を過ごしたことなどで疲れが溜まり、抵抗力が弱くなっていたのでしょう。
その日の朝から体調が思わしくなかったのですが、バスに乗り込んだら一気に来ました!
頭がガンガンと痛み、首を触ると熱っぽい。途中からは猛烈な腹痛が襲ってきました。
もうダメだと何度思ったことでしょう。
しかしながら、天の助けか、なぜかバスはたった5時間でエルズルムに到着してくれたのです。
しかも、泊まろうと思っていた中級ホテルの真ん前に。
エルズルムのホテル「HOTEL SEFER」
ダウンした私が泊まったホテル「HOTEL SEFER」です。
水とレモンとバナナだけを取り、とにかく寝ます。とても辛かったけど、2晩寝込んだら回復しました。
私は、この「エルズルム」でイランのビザを取りました。宿のおじちゃんは病み上がりの私を心配してくれビザの手続きに付き合ってくれました。
感謝です!
「ヤクティエ・メドレセ」
エルズルム最大の見所「ヤクティエ・メドレセ」(神学校)。
この「エルズルム」は、13世紀のセルジューク・トルコやその後のイル・ハン国の時代に栄えた町です。
アナトリア東部の中心都市で、標高は1,800m。冬は極寒だそうです。
旅行時期:1996年8月
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