ターバンを巻き、髭を生やしたシク教徒の人々。インドの人口の数%しかいない彼らですが、結構目立ちます。
シク教の聖地は、アムリトサルにある黄金寺院(ハリ・マンディル)。ここには誰でも入ることができて、食事を食べることができます。
今回は、アムリトサルの黄金寺院です!
ターバンを巻いて、髭を生やしたシク教徒
黄金寺院(ハリ・マンディル)
「ターバンを巻いた髭もじゃのガタイのいい男」
インド人というと、そんなイメージを持つ方も多いのではないでしょうか。
実はあれは、インド11億のうち、たった1,600万人しかいない「シク教徒」の姿なのです。
シク教とは、16世紀にグル・ナーナクを開祖として始められた宗教。
ヒンドゥー教の輪廻転生を肯定し、イスラムのスーフィズムの影響を受け、偶像崇拝とカーストを否定した一神教です。
もともとは、ムガル帝国によって支配宗教となったイスラムと、土着のヒンドゥーの融合を図ろうとして生まれた宗教なのだという説もあります。
経典は「グル・グラント・サーヒブ」です。
総本山は、インド北西部パンジャーブ州「アムリトサル」(Amritsar:ਅੰਮ੍ਰਿਤਸਰ)にある「黄金寺院(ハリ・マンディル)」(Harmandir Sahib:ਹਰਿਮੰਦਰ ਸਾਹਿਬ Golden Temple)。
シク教の聖地、アムリトサルの黄金寺院(ハリ・マンディル)
夕暮れの黄金寺院
夕暮れの「黄金寺院(ハリ・マンディル)」です。
黄金寺院は異教徒にも解放されており、宿泊することもできます。
約180メートル四方の純白の回廊と大理石のテラス。その内側には広大な池があり、池の中心に全面に金箔を貼り付けられた「黄金寺院」が建っています。
まるで、「インドの金閣寺」という感じ。
シク教のグルドワーラー(シク教の寺院のことをこう呼ぶ)では、境内でタブラ(インドの太鼓)とハルモニウム(アコーディオンのような音の出る鍵盤楽器)を伴奏に歌手が聖歌を一日中歌い続けています。
「黄金寺院」
「黄金寺院」に入るには靴を脱ぎ、髪の毛を隠さねばなりません。
シク教にもいくつもの宗派があるそうですが、その主流であるともいえるのが「カールサー派」。彼らには、髪の毛や髭など、体毛を切ったり剃ったりしてはいけないという決まりがあります。
そのため、やたらと長くなった髪の毛を纏める必要性から、あのようなターバンを巻くことになったのだそうです。
あのターバンの中には、長い髪の毛がとぐろを巻いています(私はシク教徒がターバンを外している現場を見たことがあります)。
女性ももちろん髪の毛を切ってはいけないため、みなさんロングヘアーです。
けれども、最近では、そのような決め事に従わない「サヒジダリー」という人々が増えてきているようで、ターバンを巻いていないシク教徒にも、たまに出会いました。
他にもシク教には、タバコを吸ってはいけないという決まりもあります。
「黄金寺院」の様子
アーリア系の血が濃く、肉食をタブーとしないシク教徒には「ガタイ」のいい人が多いです。そのせいか、彼らは古くから軍人のなり手として活躍してきました。
また、交通・運輸や貿易などに従事する者も多く、海外にもたくさんのシク教徒が進出しています。
シク教徒は、インドの人口比で言えば、かなりの高い確率で海外進出しているグループだと言えるのかもしれません。
そういったことが、ターバンを巻いたシク教徒が、海外におけるインド人一般のイメージとなったということの背景にあるのでしょう。
悲劇の地としても知られる「黄金寺院」
夜の「黄金寺院」
夜の「黄金寺院」です。
アムリトサルと、この黄金寺院は、悲劇の地としても知られています。
ひとつ目はイギリス支配時代の1919年。
逮捕令状なしの逮捕、裁判抜きの投獄を認める「ローラット法」の成立に反対したインド人たちが、抗議のために黄金寺院の脇にある広場に集結したときのこと。
イギリス軍は見せしめのために、非武装の彼らに対し発砲し、400人以上が死亡する惨事となったそうです。
ふたつ目は1984年。
シク教徒の反政府運動に手を焼いた、時の首相インディラ・ガンディーは、聖地ハリ・マンディルに軍隊を突入させます。
この時も数百人の死傷者が出たとされています。
しかし、その後、彼らの恨みを買ったインディラ・ガンディーは、シク教徒のボディーガードによって暗殺されてしまいました。
「黄金寺院」はまったりと、穏やかな空気に包まれていました。
タブラとハルモニウムを伴奏に、聖歌が延々と鳴り響いている境内。ここは24時間開放されており、いつ訪れても祈る人々の姿が見られます。
この寺院では、500年の昔から、訪れる全ての人(人種、性別、宗教、階級、貧富の差に関わらず)に対し無料で食事を提供するということが行われてきました。
その様子はドキュメンタリー映画「聖者たちの食卓」で見ることができます。
全ての人を受け入れる「黄金寺院」。
インドらしい、懐の深い寺院です。
旅行時期:1996年10月
コメント