インドのチンピラにラーメンを作らされた友人

スポンサーリンク
インド カジュラホ エスニックな旅
記事内に広告が含まれています。
スポンサーリンク

インドのチンピラだってラーメンを食べたい

インド中部、マディヤ・プラデシュ州にあるカジュラホ。

ここは、エロティックな彫像で埋め尽くされた寺院群があることで有名です。

カジュラホは、人口が4000人ほどの小さな村なのですが、世界中から大勢の観光客が訪れるため、ホテルや旅行者向けのレストランが無数にあります。

かつては細々と農業を営み、つつましやかに暮らしていた村人たちですが、たんまりと金を持った旅行者たちが続々と来るものですから、それを放っておくわけがありません。

才のある者は旅行者向けの事業を次々と立ち上げ、瞬く間にリッチになっていきました。

そして、それと同時に、旅行者を騙し、罠にかけようとする悪い人間も次第に増え始めていったのです。

1994年2月、そんなカジュラホ村に、学生だった私と友人は訪問しました。

インド カジュラホ

初めてのインド旅も中盤、10日目を過ぎて既に半ケンカ状態になっていた私と友人は、このカジュラホでは別行動をとることにしました。

カジュラホの観光のメインは寺院巡り。 寺院はけっこう広範囲に点在しているので、レンタサイクルで巡るのがセオリーです。

私と友人はレンタサイクル屋で自転車を借り、それぞれ思い思いの寺院へ向けて走り始めました。

 

寺院巡りは素晴らしいものでした。

のんびりとした農村の風情、屹立する寺院の装飾美。 管理人の老人との語らい、子供たちとの楽しい追いかけっこ。

私はカジュラホを満喫しました。

 

一方、友人はというと……。

ラーメンを作らされていました(笑)

友人はうざいインドチンピラに絡まれてしまっていたのです!

インド カジュラホ

友人の話によると、 私と別れた後、彼の自転車にタイヤトラブルが発生(パンクか、タイヤに何かが挟まってとれなくなったか)したのだそうです。

困り果てた友人でしたが、その場に通りかかったインド人の助けで、なんとか修繕することができました。

その助けてくれたインド人。それが、村のチンピラ(2人)だったのです。

そして、友人はその日一日、チンピラたち(と言っても20代前半と思われる)と行動を共にすることとなります。

詳しいことは本人じゃないとわからないのですが、友人は、チンピラの家に行ってラーメンを作らされたのだそうです!

何でも、チンピラの家に日本人から貰ったインスタントラーメンがあって、その作り方がわからないから作って欲しいと言われたのだとのこと(笑)。

インドくんだりまで来て、チンピラの言いなりにラーメンを作らされている友人の姿…。

話を聞いた時は、その姿を想像してかなり笑いました。

インド カジュラホ

ラーメンを食べた後、友人とチンピラ2人は寺院巡りをしたようです。

その際に、私は彼らと出会いました。

 

村はずれの寺院への道を歩いていると、向こうから友人がやってきます。

何やらインド人2人を引き連れてがやがやと。

「お!何だか楽しそうにやってんな~」と最初思いましたが、よくよく見てみると、インド人2人はいかにもなチンピラ風貌。

友人の愛想笑いもどことなく引きつっています。

その時私は思いました。

「これは、相手すると相当ウザそうだぞ」

そして同時に、そんなチンピラに絡まれている友人の姿に笑いが込み上げてきました。(インド人に絡まれている旅行者を観るのはいつでも笑えます。自分が絡まれたことを思い出しても笑えます)

友人はすれ違い様、訴えかけるような視線を私によこしましたが、非情な私は笑いを噛み殺しつつ、友人に「お~!」と挨拶したきり、そのままスタコラさっさとすれ違っていってしまいました~。

恨めし気な友人の視線ビームを背中に感じつつ……。

 

宿に戻った時、友人にさっそく詰られました。

友人「おまえ、ひで~よ~」

私「何か楽しそうにやってっからさ~、邪魔しちゃいけないな~と思って(笑)」

友人「少しも楽しくねぇよ~!」

 

そのあと、友人に、チンピラとの邂逅から「和気あいあいとした」交流の模様まで、事細かに聞かされました。

ラーメン作った話の時は大爆笑(笑)

インドでは、絡まれたり、騙されたり、ぼられたりした体験談が結構な笑いのネタになることが多いのですが、友人のこの「絡まれ談」は特に笑えました。

 

夕飯どき。 私と友人はチンピラの待つカフェへと向かいました。

友人はチンピラ達と夕食を共にすることを約束してしまっていたのです。

さっきはスルーした私でしたが、ここは付き合わないわけにはいきません。

インド カジュラホ

食事中、やつらと色々話をしました。もちろん食事はこちら持ちです。

でも、やつらは本当に「ワル」でした。

なんでも、日本の女性旅行者に睡眠薬を飲ませてレイプしたとか(しかも何人も)……。

そんなことを得意気に話すんです。どうしようもない奴らです。

ちなみに、チンピラ2人のうち、1人は本物のワルの雰囲気。もうひとりは、そいつにいつも同調しているような付き人風の印象でした。

どうやらワルは村でも特に繁盛している有力な土産物屋の息子のようで、結構年配の人も挨拶したりしていました。(そういえば、寺院の管理人の老人はチンピラ達を指して「あいつらはよくない」と言っていました)

 

食後、我々はワルの家の土産物屋に連れていかされることとなります。

私は買わなかったのですが、結局友人は、小さな木彫りの彫像を買う羽目になりました……。

 

旅行時期:1994年2月

スポンサーリンク

関連記事

シタール弾きのおやじ(パハール・ガンジに響き渡る煌びやかな音色)
現在に至るまで、私は本場インドでの熱狂に包まれたコンサートを体験することが出来ないでいる。残念なことだ。ところが、デリーに滞在中、デリーの下町、それも、パハール・ガンジの路地裏で、私は思いもかけず、シタールとタブラのささやかな演奏を聴くことが出来たのである。それも毎日のように。
リキシャとの戦い(2004年10月:インド・デリーにて)
デリー中央郵便局。荷物を受け取るため、または荷物を発送するため、私はここにはよく行った。郵便局の前にはたいていオートリキシャが客待ちをしている。重い荷物を持ちながら街を歩き回るのは結構な骨だ。そのため私はしばしば彼らを利用した。

https://search-ethnic.com/travel/khajuraho-ramen

インドの「洗礼」(はじめてのインド:1994年2月)
夕焼けが窓から見える。真っ暗な大地に点在するオレンジ色の仄かな灯り、無気味にも思える異国の闇。それが徐々に近づいてくる。現地時間午後7時頃、エア・インディア301便は、デリー、インディラ・ガンディー国際空港にドタン!と着陸した。夢にまで見た国、インド。私と友人はついにその地へと降り立ったのである。
そして私はインド病に罹患した(はじめてのインド:1994年2月)
朝10時、ホテルの前に横付けされた白いアンバサダーの傍ら。私と友人はそこに突っ立っていた。バクン! 扉が開けられた。「どうぞ!」インド人ガイドの声がする。昨日と同じように、彼は我々をエスコートしてくれた。デリー1日ツアーが始まったのである!
上海、旅立ちの洗礼(年末上海ボッタクられ記)
上海。戦前には魔都と呼ばれ、世界中の犯罪者や諜報機関が暗躍した町。当時のようないかがわしさはない現在の上海であるが、油断は禁物だ。この魔性の都は異国からやって来たカモから金を巻き上げようと手ぐすね引いて待っているかもしれないのだ。そして、その日、私は上海1日目にして、魔都の洗礼を受けることとなった。

コメント