東インド、西ベンガル州にある大都会「コルカタ」。エネルギーに満ち溢れた「コルカタ」の界隈を汗だくになってほっつき歩きました。そして、都会の雑踏の中、真っ黒になりながら働く人々の姿に見入り、そして、圧倒されました。
今回は、「コルカタ」についてご紹介します。
インドの東の玄関「コルカタ」。観光スポットはそれほどないけれども、人々の生きるエネルギーに圧倒されっぱなし!
英領時代のコロニアル風建築が並ぶ「コルカタ」の街並み
東インド、西ベンガル州にある大都会「コルカタ」(カルカッタ Kolkata:কলকাতা Calcutta)。
ここも世界に数多ある「都会」と同じく、地方から、あるいは外国から多くの人が集まり、そして、働いている、そんな街です。
「コルカタ」は旅行者にとって、これといった見所があるわけではありません。
イギリス植民地時代に造られた白亜の殿堂「ヴィクトリア記念堂」や、貴重な彫像がいくつも展示された「インド博物館」などがありますが、わざわざそれを見るためだけにこの町に来る旅行者は、あまりいません。
にも拘らず、この街が面白いのは、生のインド人たちが懸命に働き、生きている様を街角の端々で垣間見ることが出来るからなのではないでしょうか。
私は、エネルギーに満ち溢れた「コルカタ」の界隈を汗だくになってほっつき歩きました。
そして、都会の雑踏の中、真っ黒になりながら働く人々の姿に見入り、そして、圧倒されました。
安宿街、サダルストリート
安宿街、サダルストリートの朝
宿のある「サダル・ストリート」の界隈です。
早朝、通りに出てみると、人々はもう既に働き始めていました。
清掃人が箒で道路をバサバサと掃いています。
人力車引きがベルを鳴らし、「乗らないか」と誘ってきます。
ピロピロと美しい音色を響かせる笛売りも、ハシシを売る怪しげな売人も、通りの片隅にもうスタンバっています。
そういった人々の姿を横目に見ながら、私は、「サダル・ストリート」脇の路地を曲がり、その左手にある大衆食堂「カルサレストラン」にふらふらと入っていきました。
サダルストリートの朝
「カルサレストラン」
コルカタに来ると私はいつもここで食べていました。
店内を見回すと、これから働きに出るといった様子の人々がチャパティーを頬張ったり、チャイを啜ったりしているのが見えます。
ターバンを巻いたシク教徒の商人らしきおじさん、ワイシャツにネクタイを締めたビジネスマン風の紳士、新聞売りが客席の合間をぐるぐると歩き回り、戸口からは物乞いが手を差し出しています。
コックが「パンパンパンパン」という乾いた音を立てながらチャパティーを叩き、きびきびと動くウェイターの少年が柔らかな匂いをさせたアツアツのそれを運んできます。
私はチャパティーをハフハフと言わせて頬張りながら、彼らの姿を眺め続けました。
コルカタの人力車
コルカタ最大の市場「ニュー・マーケット」の前にはサモサや豆のスナック、焼きそばなどを売る屋台がさっそく営業を開始していました。
その匂いを嗅ぎ、その姿を横目に見ながら、私はマーケットの中へと入っていきます。
入場するや否や、すぐに赤い服を着た案内人が近づいて来きます。
そして、「何が欲しい?」と窺うように訊いてきました。
けれども、彼らに付き合うと何かしら高い物を買わされてしまう羽目になります。
私は付き纏う案内人を適当にかわし、ごちゃごちゃとした場内を一人で歩き回ることにしました。
場内には、様々なお店がひしめいています。
彫像や宝石などを売る土産物屋、サリーなどの布を扱う生地屋、両替屋、楽器屋、日用品やスパイスや塩などの調味料を売る店。そして、青果、精肉、鮮魚などのあらゆる食材・・・。
それらの匂いが複雑に絡み合い、辺りの空気をムワッとさせています。
積み上げられた商品に囲まれた店の並び。
その方々から、「マスター、マスター!」という売り子の呼び声が聞こえてきます。
でっぷりと太ったサリー姿の婦人が、重たい体をゆらゆらと揺らしながら商品を物色して周っているのが見えます。
ざわめきの中、人々は懸命に働き、そして、買い物に勤しんでいました。
コルカタの繁華街「チョウロンギ通り」
マーケットを出た私は、コルカタ一の繁華街、「チョウロンギ通り」を北へ向かって歩き始めました。
大通りはさすがに交通量が多く、黄色いボンネットのタクシーやボロボロの赤バスなどがひっきりなしに右往左往しています。
歩道も大勢の人々でごった返しています。
人々の容貌は様々でした。
彫りの深い端正な顔立ちのアーリア系のインド人、あまり背の高くない地元のベンガル人、丸く 柔らかい印象の南インド系の人、ターバンを巻いた恰幅のよいシク教徒、北東部のシッキムやメガラヤあたりのモンゴロイド顔の人、白人や中国人などの外国人。
「コルカタ」が方々から人の集まってくる都会であるということを窺わせる光景です。
コルカタの繁華街「チョウロンギ通り」
そして、この繁華な通りにも、路上の至る所に陣取り、様々な物を売り続ける商売人の姿を幾人も見ることが出来ました。
サトウキビをギリギリと搾っているサトウキビジュース売り。その隣には青い椰子の実をたくさん並べた椰子の実ジュースの屋台もあります。
路上に映画スターのポスターが敷き詰められています。ポスター売りです。
煙草屋があります。インドでは煙草をバラで買う人が多いそうです。インド産の紙巻煙草「ビーリー」もいっぱい並べられています。
その横には雑誌などを売る店があり、そして、お馴染みの物乞いたちも定位置でしっかりと営業を行っていました。
足のない物乞いが地面に横たわりながら、手を引っ切り無しにバタつかせています。
その隣には、ハンセン氏病患者がいて、病に罹った巨大な足を見せ付けるようにしながら顔を歪め、しきりに懇願を繰り返しています。
顔の爛れた老婆や、痩せこけた乳飲み子を抱え、泣きそうな顔で手を差し出す女性もいます。
そういった輩が通りの至る所に陣取り、行き交う人々に恵みを乞うているのです。
一生懸命自らの窮状をアピールする彼ら。
けれども、彼ら物乞いもれっきとした「仕事」をしているのです!
マイダーン公園
「チョウロンギ通り」を挟んで向こう側は、南北3キロに及ぶ広大な緑地帯となっています。
「マイダーン公園」と呼ばれるこの緑地帯には、運動場や競馬場、ポロの競技場、庭園などがあり、人々の憩いの場となっています。
ヴィクトリア記念堂
写真は、マイダーン公園の敷地内にある「ヴィクトリア記念堂」
インドを植民地支配していたイギリスの女王「ヴィクトリア」を記念して造られた建物で、完成は1921年。
内部は博物館となっていて、英領時代に集められた美術品や、当時の様子を表した絵画や指導者の肖像など、膨大なコレクションが展示されています。
コルカタのシンボル「ハウラー橋」とコルカタの玄関「ハウラー駅」
ハウラー橋
マイダーン公園を通り抜けた私は、フーグリー川を渡し舟で渡り、コルカタの玄関、「ハウラー駅」へと向かいました。
「ハウラー駅」は西のデリーやムンバイ、南のチェンナイやハイダラーバードなどへの長距離列車や、近郊の都市とを結ぶ通勤列車が発着する一大ターミナル駅です。
「ハウラー駅」からは対岸へ向けて壮大な鉄橋が架かっているのが見えます。
フーグリー川に架かる橋、「ハウラー橋」です。
ハウラー橋
「ハウラー橋」の上を歩きます。
全長450メートルもあるというこの橋には橋脚は一本もありません。
車道には赤いボロバスやタクシー、荷物を満載したトラックや大八車がクラクション音を響かせながら行き交っていました。
もちろん人の姿もたくさん。
橋の上で特に目についたのは、馬鹿でかい荷物を頭の上に載せて運ぶポーターの姿です。
彼らは重い荷物を担いで、駅から橋を渡り街へ、街から橋を渡り駅への行き来を繰り返すのです。
いったい一日に何度往復するのでしょうか・・・。
M.G.ロードの喧騒と突然のスコール
MGロード界隈
ハウラー橋から続くM.G.ロードの喧騒は凄まじいものでした。
さして広くない通りに路面電車を含むあらゆる車両が行き交っています。
鉄くずのようなボロボロの路面電車が恐ろしいほどゆっくりと走り、山のように荷を積んだ大八車も車道を慢性的に渋滞させています。
インドのメーカー、ONIDAのカラーテレビ
しばらく歩いていると雨が降ってきました。
ぽつぽつがザーザーとなるにはあまり時間はかかりませんでした。
叩きつけるように降るすごい雨が道をあっという間に水浸しにさせていきます。
けれども、路上で働いている人々の対応は慣れたものです。
露天の売り子は商品が濡れないように素早く覆いを被せ、道行くリキシャもサッと幌を広げます。
物乞いたちは大急ぎで屋根の下に隠れ、ビジネスマンや買い物帰りの主婦たちも彼らに倣って屋根の下へと避難します。
私も皆に続いて狭い屋根の下に逃げ込みました。
スコールは水煙が立つほどの勢いがありました。
屋根にぶちあたる大粒の雨滴の音がうるさいほど。
そんな風景の中、私たちはぼんやりと無言で立ち尽くしながら、雨を見続けていました。
スコールはしばらくするとたいてい止みます。
そして、雨が小降りになったかなと思った途端、人々はすぐさま動き始めます。
露天の売り子が覆いを取り外し、商品の並びを揃え直します。リキシャはサッと幌を上げ、物乞いたちは定位置に戻り始めます。
屋根の下やカフェの中で雨宿りをしていた人々が一斉に路上へと歩き出し、通りは先ほどの活気を再び取り戻し始めるのです。
一瞬にして再現される元の風景。
まるでスコールなどなかったかのようでした。
「コルカタ」ダルハウジー発ハウラー行きの舟の上。そこは、キャンディー売りと物乞いと靴磨き2人の働き場所です。
ダルハウジー発ハウラー行きの舟の上には、キャンディー売りと物乞い、そして、靴磨きが2人いました。
乗客たちが舟に乗り込むと、彼らはさっそく仕事を始めます。
商売道具を片手に、人々の間を歩き回るキャンディー売りと靴磨き。
足の悪い物乞いも、ずりずりと床を這いずりながら泣きそうな面持ちで人々に小銭を乞うています。
しかし・・・
今回は仕事にならなかったようです。
乗客たちはは誰も見向きもしません。
結局、彼らはひと通り船の中を巡った後、諦めたように仕事を切り上げました。
銀髪で太っちょの靴磨きが、どっかりと柱の脇に腰を降ろします。
「ふう~っ」と溜息を吐きました。
そこへ細身の天然パーマのキャンディー売りがやって来て隣に座りました。
そして、太っちょ靴磨きと何やら言葉を交わし始めます。
「今日はさっぱりだ。こんなんじゃ仕事にならないよ」
「こんな日もあるさ。気楽に行こうぜ・・・」
などとでも話しているのでしょうか。
私が掴まっている手すりの脇には、口髭を生やしたもう一人の靴磨きが膝を抱えるようにして座っています。
泥色の川と遠くに見えるハウラー橋の巨大なアーチ。
彼はそれを目を細めながらじっと眺め続けていました。
まったりとした船内。
生暖かい川の空気は眠気を誘います。
そのうち太っちょの靴磨きがうとうととし始めます。
こくり、こっくりと、頭を揺らす太っちょ・・・。
その様子を、物乞いが目ざとく見つけました!
物乞いは足を引きずりながら、そ~っと、そそ〜っと、太っちょに近づきます。
そして、太っちょの肩を「ガシッ」と掴むと・・・、
おもむろに前後に揺すぶったのです!
びっくりして目を覚ます太っちょ。
目をまん丸にして、あたりをキョロキョロと見回しています。
それを見ていたキャンディー売りと口髭の靴磨きは大笑い!
不愉快な顔を見せる太っちょ。
けれども、すぐに気を取り直し、
「このやろう!」
と、半笑いしながら物乞いの頭を軽く小突きました。
ボロ船はゆっくりと川を斜めに横断していきます。
短い航路。
ハウラーの船着場には、ほんの15分ほどで到着しました。
ぞろぞろと人々が降りていきます。
私もサリーを纏った女性や口髭を生やした男性たちに混じって船を降ります。
私たちが降り切るや否や、ダルハウジー行きの人々の群れがドッと船に乗り込んできます。
ボロ船は再び対岸へと向かいます。
ボロ船は泥色の流れの往復を延々と繰り返すのです。
桟橋から岸辺へと向かう途中、ふと、私は船の方を振り返ってみました。
ダルハウジー行きの客でごった返す舟の中に・・・、
いた!あの4人が!
2人の靴磨きとキャンディー売りと物乞いが、さっそく人々の間を歩き回っているのが見えました!
旅行時期:1994年2月・1996年10月・2003年9月
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