パキスタン北西部、中国へと続くカラコルム・ハイウェイの途中にある「フンザ (Hunza:ہنزہ)」。
そのフンザにある村のひとつ「カリマバード(Karimabad:كريم آباد)」からは、7,000m級のパミール高原の山々に抱かれた美しい谷の風景を眺め見ることができます。
今回は、「フンザ 」の村「カリマバード」をご紹介します。
パキスタン北部、カラコルムハイウェイ沿いにある「フンザ」の村
ギルギットから車でインダス川沿いを進んでいくと、茶色の山々の間から徐々に白い峰々が姿を見せ始めます。
辺りはとても美しい風景。川沿いには緑鮮やかな段々畑が一面に広がっているのが見え、針のように尖ったポプラの木々もそこら中に林立しています。円い帽子を被った人々が歩き、牛も畑をうろついています。
7,000m級のパミール高原の山々を望む谷。フンザ、カリマバードの村です。
フンザ、カリマバードの風景
写真は、カリマバードの宿、ハイダーインからの眺めです。
向こうに見えるのが7,788mのラカポシ山。真ん中を流れているのはインダス川。この辺りの標高は約2,500mほどです。
写真は9月下旬の様子です。4月は杏の白い花が谷じゅうに咲き乱れるのだそうです。秋の紅葉や冬の雪景色もきっと綺麗なのでしょう。
雄大なフンザの風景
バルチット・フォート
バルチット・フォート
カリマバードは、1974年までこの地方を治めたフンザ藩王国の首府でした。
あの山の麓に見える白い建物は、藩王国の王宮「バルチットフォート」です。
この辺の民族はパキスタン南部とはずいぶん違っています。一説によるとここの人々には、かつてインダス川西岸まで侵攻したとされるアレキサンダー大王の末裔の血が混じっていると言われていて、青い目や金髪の人もいるそうです。
宗教はイスラム教シーア派系のイスマイリ―派。言葉はブリシャスキー語という言葉が話されているのだそうです。
バルチット・フォート
バルチットフォートです。
白い漆喰で塗られた外壁に木製の出窓が見えます。窓にはステンドグラスが嵌め込まれています。
残念ながら修復したてで、内部を見ることができませんでした。
カリマバード、バグパイプの行進
バグパイプの行進
バグパイプの行進
私が訪れていた時、イスマイリ―派の指導者、アガー・ハーンが来訪するということでこの村はちょっとした騒ぎになっていました。
どうやらバルチットフォートの修復完成の式典があるようです。村には電飾や旗など様々な飾りつけがなされ、山肌にも「Welcome Our Imam」という巨大な文字が描かれていました。
メインストリートではバグパイプや太鼓の練習もしていました(写真はその様子です)。
当日の午後、通りは人っ子一人いなくなりました。道の両脇に兵士が並んでいます。
アガー・ハーンがいよいよ来るのでしょう。私は商店の椅子に座りながら通りを眺めていました。
しばらくすると、たくさんの護衛の車に先導されてアガー・ハーンらしき車の群れが通過していきました。
ギルギットにいたまつ毛が長い牛
カリマバードの水牛
カリマバードの牛
アルチットの村
アルチットの風景
カリマバードから徒歩30分、アルチットの村はあります。
小さな峠を越えると、目の前にポプラの木々と段々畑が広がるアルチットの村が姿を現しました。
アルチットの風景。まるで風の谷のナウシカに出てくるような光景です。
右端の中ほどに建物が見えます。あれはアルチット・フォート、かつての藩王の居城です。
高度が高く空気が澄んでいるため、目視では近そうに見えるフォートですが、実際は結構な距離があります。
アルチットへの道
アルチットへの道です。写真が見づらいのですが、絶壁の岩の上に細い道が走っています。
左の中ほどには木の橋があります。あの上をずっと歩いていったのです。
途中、西洋人のような顔をした地元の可愛い子供たちが皆で声を掛けてきてくれたのですが、彼らは一緒にいた大人たちにそれを窘められていました。
外国人と話すことはあまり良しとはされていないのでしょうか。
とにかく、この道をしばらく下っていき、私はアルチット・フォートへと向かいました。
川とポプラの木々
アルチット・フォートの上から眺めた川とポプラの木々です。
アルチット・フォートは1974年までフンザの王が住んでいたという城だそうです。
城の上からは、雄大なフンザの風景を眺めることができます。
アルチット・フォートにいた少年たち
城の中にいた少年たち。
城はあまり整備されておらず、少年たちのまったりスポットになっていました。
彼らとしばらく駄弁りながら、風景を眺めます。
ジープに乗って12時間。シャンドゥール峠のパンダール湖へと向かう
パキスタン北西部にある「ギルギット」は北西部山岳地帯の交通の要衝となる町です。
北東へ向かうとフンザやグルミット、南へ向かうとラワール・ピンディーや首都イスラマバード。そして、西へ向かうとチトラールやアフガン国境の町、ペシャワールがあります。
西へと向かう山道の途中には「パンダール湖」という湖があります。
その湖では何と、釣りをすることができるのだそうです。マトンだらけのパキスタン食にうんざりとしていた私は、「魚を食べたい!」という強烈な誘惑に駆られてしまいました。
釣った魚を塩焼きにして食べる。そのことが頭から離れなくなってしまったのです。
ギルギットから西への山道、この道中は旅行者に「シャンドゥール峠越え」と呼ばれています。
シャンドゥール峠への道は未舗装の悪路が続く山岳道路です。パンダールはその行程の中ほど、峠の手前にありました。
ギルギットを朝、ジープで出発しました。荷物で埋め尽くされた荷台に8人が身を寄せ合うようにして座ります。
窮屈だし、砂埃がひどいし、ガタガタ道のため揺れがひどくお尻が痛くなってくるし、そのうち雨まで降り出してくる始末。
悪路を進む6時間はかなりきつかったです。
夕方、私はガイドブックにさえ載っていないような村、ジャンドロートで宿泊しました。
上の写真がジャンドロートです。
ここが私が泊まったホテル?です。
マーダランホテルと言われ、宿泊料30ルピーを支払いましたがどう見てもただの民家でした。
部屋は簡素なものでした。石の土間の上に敷居が敷いてあって、その上にフトンが載っています。キッチンも一緒になっていて、トイレはありませんでした。トイレは外でするのです。
電気はありません。ランプを使います。
夕食はポテトのカレーとオニオン、ローティとチャイが出ました。素朴でおいしかったです。
この村に泊まる外国人は珍しいらしく、大勢の村人が私を見物するためにやって来ました。
その中の一人、アガー・ハーンスクールの先生だという人と話をします。アガー・ハーンとはこの地域の人々が信仰する宗教、イスラム教イスマイリー派の指導者。
先生はアガー・ハーンのことを大仰に称えていました。アガー・ハーンの援助によって、この地域にはいくつもの学校や病院が建てられたのだそうです。
その昔ラージャ(王)が治めていた頃は学校へ行かない者が多かった。だけど、今はアガー・ハーンのおかげで皆学校へ行ける。
先生がそう言うと、宿のオヤジも見物していた村人もしきりに頷いていました。
翌朝8時、私はパンダール行きの乗合ジープに乗り込みます。
このジープは昨日の車よりもさらに厳しく、20人近くが荷台に乗っていました。 座ることも出来ず、立って手すりに掴まりながらの道中です。
断崖絶壁の細い砂利道でガタガタ揺られ、立ちながらジープの荷台に乗るというのは結構な恐怖です。
山道なのでカーブが続きます。その度に車が横転しやしないかと思って冷や冷やしました。
途中の村で1時間の休憩がありました。民家でローティとチャイをいただきます。
チャイは塩入りでした。びっくりしました!
ジープを待っていると同乗の子供たちがちょっかいを出してきます。大人も笑いながら見ています。
子供たちを追っかけまわしたり、ふざけ合ったりしながら休憩時間を過ごしました。
写真はジープの同乗者たちです。誰が親子で誰が兄弟か一目でわかります(笑)
湖の畔にある村「パンダール」
5時間ほどでパンダールに到着しました。
私が訪れたのは10月。夏のシーズン中は外国人旅行者で賑わうこのルートも短いシーズンが終わってしまうと閑散としたものです。
空はどんよりと曇り、寒さが身に堪えます。人の姿がほとんど見えないというのも寂しいです。
宿はパンダールの村の中心にあるツーリスト・イン。
夏の間はさぞや快適であろうコンクリ打ちっぱなしの部屋の内装も冬はうすら寒いだけです。
宿のおじちゃんに釣り道具を借りて釣りに行きましたが、少しも釣れず、しかも凍えるように寒いので30分も持たずに引き返してきてしまいました。
だけど、夕食には魚がでました。塩焼きではなく揚げた魚でした。
翌日は何も無い村をぶらぶらと散歩しました。
だけど、空は曇っているし、寒いし、人もあまり見かけないしで、それ程楽しいものではありませんでした。
写真はロバです。道を歩いていると向こうから可哀想なくらい荷物を満載したロバがやってきました。
いくらなんでもこれはやり過ぎな感じ。
コバルトブルーの湖のほとりに茶色の馬が佇んでいました。
村には商店が3,4軒ほどしかありません。車も一日に10台来るか来ないかです。
山の頂きには雪が掛かっていました。その雪の量は日毎に増えていきます。
あまりに寒いので部屋に戻り、寝袋に包まりながら本を読んで過ごしました。
羊です。
音の無いパンダールの風景、羊の声だけが辺りに響き渡ります。
湖のこっち側にいる羊の群れが「メェェェ!」と鳴くと、向こう側の群れが「メェェェ!」と呼応します。
いつ果てるともなく続く羊たちの鳴き声の掛け合いです。
静止画像のような風景に響き渡る羊の声、シュールな光景でした。
その日の晩、宿にイギリス人の旅行者が来ました。彼は70歳くらいの老人で歩くことも大変そうでした。
彼は1960年代にインドに行ったり、パーレヴィ王朝時代のイランからアフガンへ抜けたりした話をいろいろしてくれました。
翌朝5時にギルギット行きのジープにイギリス人と共に乗り込みました。
イギリス人は一人では荷台に上がれないため、ジープの運ちゃんたちに抱えられて乗っていました。
こんな年でパキスタンを旅するなんてすごいですね!
ジープは断崖絶壁のガタガタ道を約12時間掛けて走り、ギルギットに辿り着きました。
この後、私は体調を崩しました。
旅行時期:1996年9月
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