イタリアから「ギリシャ」へ。鉄道に乗って最初に訪れたのが、古代オリンピック発祥の地「オリンピア」
今回は、「オリンピア」について、ご紹介します★
港町「パトラ」から鉄道で「オリンピア」へ
イタリアの南端の町「ブリンディシ」からフェリーに乗り、ペロポンネソス半島の北西の端「パトラ」(Patras:Πάτρα)の港町に到着した私は、物価がガクンと下がったことにびっくりとしてしまいました。
この当時(1996年)、まだ、ギリシャの通貨はドラクマでした。
1ドラクマは約0.5円。物価の高いイタリアではユースホステルの宿泊料が一泊およそ、2,000円していたのですが、ここでは700円ほどで済みます。
サンドイッチなどもイタリアの7割くらいの値段で食べられました。
「パトラ」はギリシャ第三の町。
町はそれなりに賑わっているようでしたが、列車のホームは片側一面だけ。
私はその列車に乗って「ピルゴス」(Pyrgos:Πύργος)へと向かいました。
「ピルゴス」からはバス。「オリンピア」へは夜、到着しました。
オリンピアの駅(昼)
オリンピアの駅(夕方)
ギリシャ、ペロポンネソス半島西部にある「オリンピア」(Olympia:Ολυμπία)は、線路をぶらぶらと歩ける、そんなのんびりとした田舎でした。
オリンピアのメインストリート
夜のメインストリート
「オリンピア」のメインストリートです。
町には観光客が大勢訪れるため、それなりに宿や土産物屋があります。
でも、この道以外は何にもない感じ。
古代オリンピックの競技場跡が残る、世界遺産「オリンピアの考古遺跡」
オリンピアの競技場跡
翌日、世界遺産「オリンピアの考古遺跡」へと向かいました。
古代オリンピックは、紀元前776年、ここで始まったと言われています。
当時はオリンピアのほかにも、「コリント」や「ネメア」、「デルフォイ」などの都市でも同様の祭典が行われていたのだとのこと。
当時のオリンピックは、全能神ゼウスを崇めるための宗教的な行事としての色彩が強かったそうです。
そのため、ローマ時代、キリスト教が国教となると、その開催は中止されてしまいました。
当時、オリンピアでは、たくさんの競技が行われていました。
写真は、1スタディオン(約191m)を走る短距離走の競技場です。
短距離走の他にも、中距離走や長距離走も行われていました。
そして、幅跳び、円盤投げ、槍投げ、競争、レスリングを含んだ5種競技や、ボクシング、4頭立ての馬車による戦車競争、パンクラチオンという総合格闘技もありました。
オリンピアの町には、「New Museum」と「Olympic Game Museum」という2つの博物館があります。博物館には、ギリシャ時代の陶器が数多く展示されており、その陶器には、当時行われていた競技の様子が生き生きと描かれていました。
ゼウス神殿
オリンピックは、古代ギリシャの社会にとってとても重要な宗教行事でした。
そのため、オリンピックの開催期間中は、ギリシャ全土に「エケケイリア」(聖なる休戦)という取り決めがなされ、期間中は戦争は行われなかったのだそうです。
開催の数ヶ月前になると、方々の町に「オリンピックがはじまるぞ~!」と触れ回ったのだとのこと。
参加者はギリシャ全土から集まり、ローマに支配された後は、地中海全域からも集まったそうです。
そして、優勝者にはオリーブの枝で編んだ冠が渡され、彫像が建てられました。
選手にとって、それはとても栄誉なことでした。
ローマ皇帝「テオドシウス帝」の治世である393年、古代オリンピックの歴史は幕を下ろします。最後の大会は、なんと第293回目の大会。競技会は千年以上も続けられていたのです。
近代オリンピックの発祥は1896年。クーベルタン男爵の提唱により、首都アテネで第1回大会が開かれました。
近代オリンピックの歴史も既に百年以上を数えます。2004年には再びアテネで大会が開かれました。
ちなみにオリンピックの聖火は、このオリンピアの競技場跡で採火されるのだそうです。
旅行時期:1996年7月
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