あいにくの雨です。
9時30分、フェリーは、ゴールウェイの近郊、ロッサビルの港からアラン諸島最大の島である、「イニシュモア島」へと出航しました。
所要40分。小さな船は強風のため揺れに揺れました。
アラン諸島(Google Earth)
アラン諸島には、「イニシュモア島」「イニシュマーン島」「イニシィア島」の3つの島があります。
「イニシュモア島」はゲール語で大きな島という意味です。
ゲール語とはケルトの古語で、かつてはアイルランドで最も普及した言語だったそうですが、現在日常的にゲール語を使う人の数は、アイルランド全島の2%に限られています。
アラン諸島はそのゲール語の数少ない使用地域の一つなのです。
アラン諸島最大の島「イニシュモア島」に到着
イニシュモア島の港
島に着きました。
荒涼としています。強風が吹きすさぶ港。
船から降りるまばらな人々を除いてほとんど人影がありません。
まさにさいはての島です。
「イニシュモア島」は周囲約40キロ、人口は800人ほど。
ジャガイモなどの農業と漁業、そして、観光業が主産業となっています。
イニシュモア島の風景
広々とした島の眺め
木がほとんどありません。
「イニシュモア島」には、古代から人が居住しており、紀元前5世紀にケルト人が島に渡った頃には、既に先住民の遺跡が残されていたそうです。
その後、紀元6世紀ごろになると、カトリックの修道士が島にやってきて教会などを建てていったのだとのこと。
16世紀には、この島もイギリスの支配を受けますが、本島とは離れていたためケルトの文化や伝統が昔ながらの形で今に残されることとなりました。
イニシュモア島の道と馬車
荒涼とした風景
石垣が積み上げられた畑
島のインフォメーションセンターで、「Mainster Hotel」という小さなホステル(トイレシャワー共同ドミトリー:12ユーロ)を紹介してもらい、そこに宿を取ることにしました。
ホステルの場所はわかりづらく、雨の中20分も重い荷物を担いでうろつく羽目になりましたが、なんとかベッドを確保し荷を下ろします。
島の観光はレンタサイクルを利用することにしました。
2日間のレンタルで15ユーロでした(2003年)。
強風に飛ばされないように畑や牧草地は石垣で囲われています。
「イニシュモア島」は、島全体が石灰岩の岩盤だけでできています。
つまり、もともと土がない島なのです。
岩だらけのやせた土地、その上に肥料として薄く海草を敷き、強風に飛ばされないように畑や牧草地は石垣で囲われています。
木はほとんどありません。
石灰岩の岩盤でできた島の風景
岩だらけの不毛の地です。
延々と岩盤が続きます。
島は断崖絶壁で囲まれ、絶えず荒波が押し寄せています。
島というより巨大な岩という感じです。
どうしてこんな過酷な土地に人が住むようになったのか、不思議な気がします。
漁師の島で生まれた「アランセーター」
人の姿はまばら、車もほとんど通りません。
さいはての島、「イニシュモア島」
港の近くは小さな集落になっています。キルロナン村です。
コンビニが一軒(ホットスパー)、カフェが一軒、そして、アランセーターを売る店が一軒ありました。
綺麗な砂浜のある海岸がありました。
人っ子ひとりいません。
静かな海辺を歩いていきます。
「イニシュモア島」は猟師の島でした。
猟師たちはカラハと呼ばれる黒いタールを塗った小船に乗り、「アランセーター」を着込んで漁に出ました。
「アランセーター」は彼らの仕事着でした。
島の女性たちは漁に出る男たちの無事を祈ってセーターを編んだのです。
セーターの縄目模様はそれぞれの家系によって違っていました。
猟師たちが遭難し遺体が浜に打ち上げられたとき、その模様により身元を判別しやすくするためです。
「アランセーター」は、伝説では6世紀から代々伝えられてきたとされていますが、実は20世紀に生まれたものなのだそうです。
「アランセーター」は、イギリス海峡南部のチャネル諸島にあるガンジー島で生まれたフィッシャーマンズセーター「ガンジーセーター」をベースに、アラン諸島の編み手の技術と融合してできた作品なのです。
「ガンジーセーター」は肩や裾に柄が編み込まれているだけのシンプルなものですが、「アランセーター」は、全体に縄編みの模様が施された豪華なもの。
「アランセーター」も当初は「ガンジーセーター」と同様に紺色のものが主流でしたが、晴れ着用の白いセーターを島にやってきた外国の服飾研究家が偶然発見。
これが世界に広まっていったのだそうです。
お店には美しい「アランセーター」がたくさん並べられていました。
ちょっと高かったこともあって買わなかったのですが、今考えると無理しても買っておけばよかったのかなとも思います。
移ろいやすい天気の中、断崖を目指します
藁葺きのかわいい家
ケルト十字がたくさん
草を食む馬がいました。
店を出た私は、島の南西にある「ドン・エンガス」の断崖を目指します。
島は南に進むにつれ徐々に標高が高くなっていきます。
私はあまり乗り心地がよいとはいえない自転車で、アップダウンの続く砂利道をキコキコと走らせていきました。
虹が見えました!
島の天気は移ろいやすいです。
冷たい雨と重く垂れ込めた雲が島を暗く沈ませたかと思うと、次の瞬間太陽が顔を出し、パァーッと光のラインを大地に浴びせかけます。
そして、空には雨上がりの虹が架かり、島を陽気にさせます。
雨上がりの濡れた道
雨が上がり、不意に晴れ間が覗いたときほどこの島が美しく見える瞬間はありません。
陽の光が濡れた路面を輝かせ、牧草の緑が途端に鮮やかになるのです。暗く重いモノトーンの風景が瞬く間に明るく色鮮やかに輝く様、まさに劇的です。
雨でびしょぬれになっていた私の気分も晴れやかになってきます。
「ドン・エンガス」と「ドン・ドゥカハー」の断崖
ドン・ドゥカハーの断崖
アラン諸島には、およそ5500年前から人が住んでいたとされていますが、この「イニシュモア島」には、ケルト以前の古代人が造った大きな遺跡が2つ遺されています。
「ドン・エンガス」(Dun Aonghasa)と「ドン・ドゥカハー」(Dun Duchathair)です。
ドン・ドゥカハーの遺跡
ドン・ドゥカハーの遺跡
ドン・ドゥカハーの遺跡
写真は、「ドン・ドゥカハー」
この遺跡は、別名「ブラック・フォート」(黒い砦)とも呼ばれる遺跡で、城壁のような壁と居住地と思われる石垣が遺されています。
居住地部分は中世のものだそうですが、何に使われたのかはわかっていないそうです。
ドン・ドゥカハーの断崖
ドン・ドゥカハーの断崖
「ドン・ドゥカハー」は、かなり行きづらいところにあります。
この遺跡は島の南部にあるのですが、そこまではアップダウンの激しい未舗装の砂利道を進んでいかなければなりません。
自転車に乗り続けることは難しく、押して行かざるを得ません。
しかも、途中で道がなくなってしまうので、遺跡の場所の見当をつけて岩場を歩いていかなければならない。
けれども、そこまで苦労して行く価値のある素晴らしい遺跡、景観です。
ドン・エンガスの断崖
「ドン・エンガス」の断崖に着きました。
「ドン・エンガス」は、島の南西にあります。 海面からの高さが100メートルにも達するという絶壁。
その向こうは永遠に続くかのような大海原、大西洋です。
「ドン・エンガス」の入口へは、「ドン・ドゥカハー」とは違って、自転車だけでなくバスでも行くことができます。
入口から遺跡までは歩いていく必要があるのですが、入口にはThe Heritage Saviceがあり、喫茶店もあります。
「ドン・エンガス」に入るには、1ユーロの入場料が必要です。
ドン・エンガスの遺跡
ドン・エンガスの遺跡
ドン・エンガスの風景
「ドン・エンガス」は、断崖を軸に4重の石垣が半円形に取り囲んだ遺跡で、約3500年前のものであると考えられています。
もともとは、円形またはD字型であり、崖の浸食によって現在の姿となったと推測されています。
この遺跡が何のために造られたのかは謎ですが、アイルランド本土からの侵略を防ぐため、神に礼拝する儀式をするためなど、様々な説が唱えられているそうです。
断崖に荒波が打ち寄せます。
断崖には荒波が打ち寄せ激しい水しぶきをあげています。
吹き飛ばされそうなほどの強風がびゅうびゅうと吹いていました。
私は、崖を訪れた誰もがするように、腹ばいになって首を突き出して断崖の下を覗き込みました。
荒涼たるイニシュモア島の風景
崩れかけた石垣を眺めながら私は古代に思いを馳せます。
古代人たちは、恐らく眺めていたのでしょう。
私と同じように、何処までも広がる大海原を、目を細めながら・・・。
そして古代人たちは、恐らく祈ったことでしょう。
この過酷な環境からの救いを求めて、海や空を司る神に・・・。
旅行時期:2003年4月
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