「インド」(India:भारत)
ニューデリー発マドラス(チェンナイ)行き「G.Tエクスプレス」。出発は午後6時45分、到着予定は2日後の午前7時、所要36時間。普通じゃない行程です!
ところが、こんなものじゃなかったのです。遅れに遅れ、列車は、結局マドラスまで51時間もかかりました。
今回は、デリーからマドラス(チェンナイ)列車の旅です!
インドという世界の縮図を見ることができる鉄道の旅
インドでの長距離での移動は列車に限ります。
料金が安いということもありますが、バスのように狭苦しくないし、何よりその車窓から見える景色は本当にインドらしい、素晴らしいものだからです。
そして、車内や駅で垣間見える人間模様からは、インドという世界の縮図を見ることができます。
私は、ニューデリー発マドラス(チェンナイ)行き「G.Tエクスプレス」の車内にいました。
この列車は、広大なインドにおいてもかなりの長距離列車。デリーからマドラス(チェンナイ)までは直線距離でも2,000キロほど。
出発は午後6時45分、到着予定は2日後の午前7時、所要36時間。
普通じゃない行程です!
けれども、この列車は飛行機を使うよりもずっと安いのです。
私の乗った車両は「3‐Tier Sleeper」という三段式の寝台車両でしたが、当時の金額で349ルピー(1,222円)でした。
私の寝台は三段ある最上段。ここを「アッパー・バース」といいます。
寝台列車は昼間の間は座席列車に早変わりするため、下段や中段の席にすると昼間は起きていなければなりません。
けれども、このアッパー・バースだけは昼間も寝台が片付けられず、そのまま横になることが出来るのです。これはポイントが高い!
インドの主要な鉄道は日本の新幹線よりもゲージの幅が広い「広軌」です。
そのため車内はとても広いです。
通路を挟んで片側に向かい合わせの6人掛けボックスシート。もう片側には2人掛けのクロスシートが並んでいます。これは全て夜になるとベッドになります。
下段と中断は折りたたみ式になっていて、ベッドはビニールシート張り。
硬くて痛いというほどではないけど、柔らかくもありません。何とか背中が痛くならずに眠れるといった程度の代物です。
窓は狭く、鉄格子が嵌められています。牢獄のような感じです。
無賃乗車を防ぐためなのでしょうが、車内で火災があったときなどは逃げる術がありません。
天井には扇風機がいくつもぐるん回っています。これは勝手に止めることが出来ないので、寝ている間に風が顔に当たり、風邪を引いてしまうということもしばしばあります。
車両の両端には、トイレと手洗い場が付いています。
トイレの穴からは地面が見えます。筒抜けのぼっとん式なのですが、ちょっとこれは問題です。
車内は綺麗に保たれますが、列車が通った後の線路は・・・。
車内は暑く、窓を開け放っているため蚊や蝿が多いです。
夜などは蚊の来襲に常に悩まされることを覚悟しなくてはなりません。
インドの二等寝台車に乗るということは、このくらいの不快を享受してもいいという前提が絶対に必要なのです(二等座席車だともっと大変)。
もちろん、一等やAC付きの車両にのれば、はるかに快適な汽車旅を楽しむことができますが、その分お金は倍以上掛かります。
ニューデリー発マドラス(チェンナイ)行き「G.Tエクスプレス」。マドラスまで所要36時間
G.Tエクスプレスは夜の闇を駆け抜け一路南へと向かっていきます。
私はわくわくしていました。あと36時間後には未だ見ぬ南インド、マドラスに着くのです。
否応なしに胸が高まってきます!
長い道中であり、快適とは言い難い環境ではありますが、その期待感が私を我慢させていました。
そのうち車中の環境にも慣れ、私は次第にリラックスしていきます。これなら大丈夫だと私は思いはじめました。
けれども、「インド」がそんな簡単に事を進めさせてくれるわけがありません。インドの列車はそんなに甘いものではなかったのです。
翌朝、まだ暗いうちに目を覚ますと、列車はある駅に停まっていました。
やたら眠い私は、別に特に気にもせず、再び目を閉じ眠ってしまいました。
次に目覚めたのが、朝の7時ごろでした。列車は駅に停車しています。
けれども私は、「あれ?」と思いました。さっきと同じ風景です。
「どういうことだろう・・・?」
だけど、さして気にもせず、朝食代わりのバナナを食べながら文庫本を読み始めました。
そのうち一冊読み終えます。まだ、停まっています。
やけに長い停車だなと思いながらもウォークマンを取り出し聴き始めました。
アルバムの最後の曲が終わりました。列車はまだ動きません。
ふと、下段を見るとベッドは既に片付けられ、椅子の上でインド人たちがだらだらと屯していました。
私は下の座席へと降りていきました。
「ナマステー!」
私は彼らに訊いてみました。
「列車がずっと停まっているようだけど何かあったの?」
彼らは口々に言います。遅れているようだと。けれども、それはいつものことだと・・・。
彼らの様子は特別不満そうにも不安そうにも見えませんでした。
そのうち列車はのろのろと動き始めました。しかし、しばらく行くとまた停まります。そして、またゆっくりと走り始めます。それを何度も何度も繰り返してゆくのです。
牛歩の如くのろのろ進む我が列車、窓から見える風景。
延々と続く赤土の平原に菩提樹やバニヤンといった木々が疎らに生えています。農作業をしている人や牛も見えます。そういった風物がはっきりと細かい所まで見渡せました。
しかし、のろい・・・。
車やバイクがどんどん列車を追い越していきます。サイクルリキシャにも追い抜かれます。
のんびりと進む牛車にも追い抜かれてしまった時には、「そろそろいい加減にしろ!」と言いたくなりました。
そんな中、私はあまり変化しない風景ではなく、列車の中を観察し始めました。
列車の通路にはいろんな人々が通りかかります。
「チャーイー、チャーイー」と叫びながら歩き回るチャイ売り。サモサや豆のスナックなどを売りに来る者、新聞や雑誌、なんだかいかがわしい写真や、神様人形売りも来ます。
ある笛売りが、吹くとカメレオンのような舌が出るピロピロ笛を目の前で吹いた時には、思わず笑ってしまいました。
物乞いも多いです。 床をずりずりと這いずってくる人、綺麗な声で歌を歌いお金をねだる子供、ぶつぶつと囁きながら手を差し出す盲目の人、頭にその二倍くらいの大きなこぶをつけた人、その他にもいろいろな物乞いがいました。
何度も何度も行ったり来たりしている怪しい男も見かけました。もしかしたら盗人かもしれません。
ギラギラと嫌な目を光らせながら通りかかる、バッタのような顔をしたカーキ色の警官。
そんな連中の相手をしたり、無視したり、対決したり、やり過ごしたりしながら長い車中を過ごしていくのです。
「この列車は約10時間遅れている。到着は明日の夜6時になるだろう」
夕方、ある駅に着きました。ホームでポテトチップスとパンを買い、軽い夕食とします。
そして、それをむしゃむしゃと食べ終えたとき、私は、前に座っていたインド人のおじさんから不吉なことを聞かされました。
「この列車は約10時間遅れている。到着は明日の夜6時になるだろう」
こんなことを言うのです!
何だって? 10時間の遅れ?
愕然とする私。おじさんにインドの地図を見せてみました。
彼の指し示した場所、それはまだ全行程の半分も来ていない所でした。
丸一日経ったのに半分も進んでいない・・・。
私はインドの列車のあまりの杜撰さに呆れ果ててしまいました。
さすがに10時間の遅れともなると周りのインド人たちにとっても普通じゃないらしく、彼らも口々にインドの列車に対する不満を言い始めました。
座席には5人のインド人たちが座っていました。
私の前に座ったおじさんはジャイナ教徒だと言いました。ジャイナ教徒には商売で成功した裕福な人が多いと聞きますが、彼もインドを股に掛けて商売をするバリバリのジャイナ商人なのかもしれません。
その隣には濃い顔をしたアーリア系の2人組の男がいました。北インドでよく見かける典型的な顔立ちの彼らは、自分たちをイスラム教徒だと言います。
私の横には緑の軍服を着たインド軍の兵士と、愛嬌のある太った南インド人がいました。インド軍兵士は寡黙で、時々人々の会話にニコリと笑顔を見せるだけでほとんど話をしません。シャイなようです。
それと打って変わってべらべらと喋くっている太った南インド人、彼はヒンドゥー教徒だと言いました。
彼に「ヴェジタリアンですか?」と訊いてみると、そうだと言います。
しかし、それを聞いたどぎつい顔のイスラム教徒が、「いや、彼はノンヴェジだ。ノンヴェジの体のサイズだ」と言いました。
一同大爆笑!
車窓一面に広がる水田。タミル文化圏へ
彼らとインドや日本のことや、くだらない話をしながらのんびりと過ごしていると、いつしか夜になってしまいました。
真っ暗な車窓からは風景を窺い知ることは出来ませんが、相当ゆっくり進んではいても、もうずいぶんと南へ来ているはずです。
その時、ふと窓の外にいくつも、キラキラと光るものが見えました。
蛍です!
水田の上で煌く無数の蛍です。
現れては消えてゆくその仄かで清涼な灯り・・・。
美しい!
本当に幻想的な光景でした。
とにかく、一面に水田が広がっているということは、ここはもう米食文化圏である南インド、ドラヴィダ世界に入っているに違いありませんでした。
3日目の朝、外の風景は明らかに変わっていました。
林立する椰子の木、南国らしい光景がなんだかやけに爽やかに感じます。
駅に着くと、文字はタミル語の丸まっちい文字に変わっていました。
チャイ売りではなくコーヒー売りがやって来るし、人々の顔も雰囲気も何だか今までとは違う。
我々はとうとうドラヴィダ圏に辿り着いたようです。
夜というトンネルを抜けると、そこはトロピカルな風景のあるドラヴィダ世界だったのです。
結局、列車はその後ものろのろと走り続け、マドラス中央駅に到着したのは夜の10時のことでした。
15時間の遅れ。なんと51時間もの間、このG.Tエクスプレスに乗り続けていたことになります。
私はジャイナ教徒のおじさんや太った南インド人たちに別れを告げ、雨の降る雨季のマドラス市内へと歩いていきました。
それにしても長い行程、かったるい車中でありながら何だかやけに楽しかったような気がしてくるから不思議です。
51時間という苦痛を彼らと共にしたという事実、それが私にインドの人々とのささやかではあるけれども、どこか気持ちが繋がったような、そんな気分にさせてくれたのかもしれません。
旅行時期:1996年10月
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