「クスコ」は、1200年代から1532年までの間、「インカ帝国」(タワンティン・スウユ:Tawantinsuyu)の首都であり、文化の中心地でした。
クスコの街から坂道を200メートルほど登ったところに、インカ時代の砦跡「サクサイワマンの遺跡」があります。
今回は、「サクサイワマンの遺跡」をご紹介します。
クスコの街から坂道を200メートルほど登って「サクサイワマンの遺跡」へ
アルマス広場界隈
ロレト通り
肌寒いクスコの朝。
「アルマス広場」の一角にある「カフェ・アイユ」で、モーニングコーヒー、サンドイッチ、ヨーグルトの朝食をいただきました。
広場では、タクシーやツアーバス、大きな荷物を持ったインディヘナの行商おばちゃんたちももう活動を開始していました。
サクサイワマンまでの坂道
お腹を満たした私は、朝の眩い光の中、丘の上にある遺跡、「サクサイワマン」までの坂道をゆっくりと登り始めました。
サクサイワマンまでの坂道
坂の途中にあった教会
高地での登りは、登山と同じようなもの。
焦らずゆっくりと慎重に登っていきます。
息を切らし、何度も立ち止まり、喘ぎながら200メートルの高低差を何とか登りました。
サクサイワマンの遺跡
サクサイワマンの遺跡
丘の上に登るとそこは広大な広場になっていました。
三重に積み上げられたインカの巨大で精巧な石組みがあります。
「サクサイワマンの遺跡」です!
サクサイワマンの遺跡
「サクサイワマン」とは、ケチュア語で「満腹のハヤブサ」を意味します。
石組みは3層になっており、ジグザグな形で約360メートル続いています。
3層というのは、インカの世界観である「天上」「地上」「地下」が反映されたものと考えられているのだとのこと。
この石組みは、かつては20メートルもの高さがあったとのことですが、スペインによってかなり破壊されてしまったのだとのこと。
精巧なサクサイワマンの石組み
組み上げられている石は、街中にあった石組みと同じような形ですが、ひとつひとつの石がとても巨大!
大きなものだと、約360トンもあるそうです。
古代アンデス文明は車輪の存在を知らなかった言われています。
巨大な石をどうやって運んだのでしょうか。本当に不思議です。
サクサイワマンの遺跡
巨大な石
そういえば、リマの天野博物館の研究員は、古代アンデス文明はアナログを経験せずいきなりデジタルにいってしまったような文明だと言っていました。
現代よりも高度な建築技術、細密な織物の技術や地上絵を描いた正確な測量技術があり、また、インカでは脳外科手術も行われていた証拠も残っています。
しかしながら、その一方で古代アンデス人たちは文字を持たず、鉄の存在も知らなかったそうです。車輪の存在も知りませんでした。
不思議な文明です。私たちとは違う常識がそこにはあったのでしょう。
ちなみに「サクサイワマン」のこの石組みは、何のために使われたのかはわかっていないそうです。
サクサイワマンの遺跡
この遺跡では、毎年6月24日に南米三大祭のひとつとされる「インティ・ライミ(太陽の祭り)」が行われます。
「インティ・ライミ」は、インカ帝国皇帝が、収穫の感謝と豊作祈願を太陽の神「インティ」に祈った行事が起源のお祭り。
民族衣装を纏った人々による儀式や音楽、踊り、劇などが行われ、たくさんの観光客が集まるそうです。
「インティ・ライミ」の日はクスコでは祝日となり、インカの国旗が掲揚されるのだとのこと。
クスコ市街のパノラマ
町の標高は、3,399m
クスコの中心「アルマス広場」
「サクサイワマンの遺跡」の上からは、クスコの街のパノラマが見渡せました。
くすんだレンガ色の家が盆地をびっしりと埋め尽くしています。
「アルマス広場」が見えます。緑の緑地帯を歩く人々が見えます。ロータリーを走る車が見えます。「カテドラル」があり、その鐘が鳴っています。遠くにある飛行場から小さなジェット機が飛び立つ様子が見えます。
しばらく私は、ピューマの形に似せて造られたといわれる「クスコ」の全景をしげしげと眺め続けていました。
旅行時期:2003年7月
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