5000年の歴史を持つ国「イラン」(Iran)。古代ペルシャ帝国時代から現代まで、イランは世界の中心のひとつだった時代が何度もある重要な国。
美術、建築、哲学、思想、詩、音楽、映画などなど、連綿と続く独自の文化がイランにはあります。
世界遺産も17件が登録されていて、いずれも文化遺産。ペルセポリス遺跡やイスファハンのイマーム広場を始め見どころがたくさんあります。
今回は、「ペルセポリス」と「アルゲバム」をご紹介します。
ペルセポリス(Persepolis:تخت جمشید) アレキサンダー大王に滅ぼされたアケメネス朝ペルシャの聖域
「ペルセポリス」の遺跡
シーラーズの北東約60km、ミニバスとタクシーを乗り継いで1時間ほど走ったところに「ペルセポリス」の遺跡はあります。
紀元前520年、アケメネス朝ペルシア第3代の王「ダレイオス1世」の手によって建設が始められたといわれます。
アケメネス朝は、紀元前6世紀半ば、キュロス1世によって立てられた帝国で、最盛期は第3代のダレイオス1世の頃。その当時の版図は西はエジプトやマケドニア、東はインダス川にまで達していたのだそうです。
紀元前500年にはギリシアの征服も計画し、「ペルシア戦争」を起こしますが、アテネ・スパルタの連合軍の前に敗れてしまいました。
ダレイオス1世は国を大きく改革したことでも有名です。
帝国を20の州に分け、各州に知事(サトラップ)を置き、金貨や銀貨を鋳造します。そして、「王の耳」「王の目」という監察官に帝国中を巡察させ、「王の道」という国道を作って「駅伝制」を敷いたとさています。
ペルセポリスは実際に政治が行われた場所というよりも、神聖な儀式の場だったということが当時の記録からわかっています。
毎年帝国の新年祭がここで執り行われ、帝国中の諸民族が王に貢物を捧げたのだそうです。
「人面有翼獣神」の巨像がある門
「人面有翼獣神」の巨像
アケメネス朝ペルシアは、ゾロアスター教(拝火教)を信仰していました。ゾロアスター教は、この世を光の神「アフラ・マズダ」と暗黒の神「アーリマン」の闘争と捉える宗教で、世界最古の一神教であるともいわれています。ゾロアスター教は、隋唐時代の中国にも伝わっています。
イスラムの侵入以降、ゾロアスター教は衰退しますが、現在でもイランのヤズドを中心に数万の信者が存在しているそうです。
信者の一部はインドにも逃れ、インドでは「パールスィー」と呼ばれ、ムンバイなどを中心に現在でもその信仰を守っています。
インド最大の財閥のひとつ、ターターの創始者ジャムセトジー・ターターもパールスィー教徒です。
「クセルクセス門」
遺跡の入り口にある「クセルクセス門」です。
2体の人面有翼獣が立っています。この門は「万国の門」とも呼ばれていました。
偶像を禁じるイスラムによって顔の部分は破壊されています。
「ホマ鳥」の像
これは、「ホマ鳥」の像です。
「ホマ鳥」とは、上半身が鷲、下半身がライオンの「幸福の鳥」とも呼ばれているもので、ヨーロッパでは「グリフォン」として知られています。
イラン航空のシンボルマークにも使われています。
「ダレイオス1世謁見の間」
ここは、「ダレイオス1世謁見の間」です。ここで帝国中の諸民族たちが王に貢物を捧げました。
だいぶ崩れてしまっていますが、高さ約20mの柱が何本も並ぶ姿は壮観!
かつて、この柱の上にはレバノン杉で造られた屋根が乗っかっていたというのだから驚きです。
「百人のレリーフ」
たくさんの兵士が描かれたレリーフ
左は、「百人のレリーフ」と呼ばれる有名なレリーフです。玉座に座る王を帝国中から集まった臣民が担いでいます。
「牡牛と戦うライオンのレリーフ」
こちらは、階段の壁面に彫られた、「牡牛と戦うライオンのレリーフ」です。手前には楔形文字が見えます。
アケメネス朝ペルシアが滅んだのは、「ダレイオス3世」治世の紀元前330年のこと。
マケドニア(ギリシアの北)の「アレクサンドロス大王」の侵攻により、帝国は蹂躙され、ペルセポリスは徹底的に破壊されてしまいました。
ダレイオス3世とアレクサンドロスの戦いの模様は、イタリアのポンペイ出土の有名なモザイク画にも描かれています。
その後、アレクサンドロスは、インダス川にまで侵攻します。彼の治世の間にギリシア人が多く東方へ入植し、彼らの持ち込んだヘレニズム様式(ギリシア風)は、インドのガンダーラ美術に影響を与えました。
そして、シルクロードを通って遠く奈良時代の日本にまでその様式は伝わっていくのです。
アルゲバム(Bam:بم) アドベ煉瓦で造られた世界最大の都市遺跡
「アルゲバム」
「アルゲバム」は、ケルマーン州にある要塞都市の遺跡です。
ササン朝ペルシア(3〜7世紀)の時代に最初の都市が作られ、サファヴィー朝(16〜17世紀)の時代に現在の城壁が完成したそうです。
けれども、1722年にアフガン人(パシュトゥーン人)の攻撃を受けて町は放棄され、その後廃墟となりました。
アドべ煉瓦で造られた世界最大の町
「アルゲバム」は、中世の時代、東西交易の拠点として、絹製品や綿製品の生産地として栄えました。
街の建物は、粘土や砂、藁などの天然素材を使ったアドべ煉瓦を積み重ねて作られています。「アルゲバム」は、アドべ煉瓦で造られた世界最大の町だそうです。
城塞から見た「アルゲバム」の街の眺め
城塞から見た「アルゲバム」の街の眺めです。
「アルゲバム」は、2003年12月に大地震に見舞われ、遺跡の約7割が崩壊してしまいました。
地震により遺跡の近くにあるバムの町も大きな被害を受け、2万人以上の死者を出したそうです。
その後、ユネスコは、この「アルゲバム」を2004年に「危機遺産」として世界遺産に登録します。遺跡はイラン政府によって修復・保全され、2013年に危機遺産リストから除外されたそうです。
旅行時期:1996年8月
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