「シリア」(Syria:سوريا)は、世界で最も古い歴史を持つ地域のひとつです。
世界史の主舞台として、アッシリアやペルシャ、ローマ、イスラム帝国、モンゴル帝国、オスマン帝国など様々な国の支配を受け、近代になってからはフランスの植民地となりました。
そして、現在では内戦状態となり、テロとの戦いの舞台となっているシリア。ここは世界史の縮図です。
2003年、内戦が起こる前に訪れたシリアをご紹介します。
今回は、「パルミラ遺跡」についてご紹介します。
パルミラ(Palmyra:تدمر)の歴史
「パルミラ遺跡」
「パルミラ」(Palmyra:تدمر)は、アレッポからバスで約3時間、シリア砂漠の真っ只中にあります。
パルミラへの道中は、荒涼とした砂漠地帯です。時々涸れた川、ワディがあったり装甲車や戦車が並ぶ軍事基地を見かけたりもしました。
昼過ぎ、砂漠の中に佇むパルミラの街にバスは到着しました。
「パルミラ遺跡」と「アラブ城」
「パルミラ」の歴史は古いです。
「パルミラ」は、紀元前1世紀の頃、ローマとパルティア、ササン朝ペルシアを結ぶシルクロードの重要な隊商都市として繁栄しました。
その後、ローマの属州となりますが、3世紀、パルミラの女王「ゼノビア」は、ローマの混乱に乗じて小アジアやエジプトの一部を支配下に入れます。
ローマ皇帝「アウレリアヌス」は、そんなゼノビアの行動を怖れました。
そして、273年、ローマはパルミラに侵攻、皇帝はゼノビアを捕らえ、街を焼き払い廃墟としたのです。
ローマに滅ぼされた後、この町が歴史の表舞台に顔を出すことは二度とありませんでした。
栄華を誇った隊商都市の残骸。それが「パルミラ遺跡」なのです。
パルミラの遺跡へ向かう
ロバ車に乗せてもらい「パルミラ遺跡」へ
ゆっくりと去っていくロバ車
「パルミラ遺跡」は、街から歩いて20分くらいのところにあります。
翌朝、私は遺跡を見に行きました。
とぼとぼと歩いていくと、遠くの砂漠の中にローマ風の列柱が見えてきます。
パルミラの遺跡です!
後ろからパカパカと蹄の音が聞こえてきました。
振り返ると、白髪のおじさんと坊主頭の少年が乗るロバ車がいます。
「マルハバ!」こんにちは!
「パルミラまで行くのか?」とおじさんが聞いてきます。
頷くと、「乗れ!」とおじさんは荷台を指差しました。
ロバ車は砂漠の道をパカパカとのんびり進んでいきます。
澄み切った砂漠の朝。真っ青な空が頭上一面を覆っています。
空の一角にはこれから強烈な熱気を放つであろう太陽がじりじりと角度を上げてきているのが見えました。
しばらく進むと遺跡の入り口、「記念門」が現れました。
さあ、「パルミラ遺跡」です!
「シュクラン!」
おじさんにお礼を言い、ロバ車から飛び降り、遺跡へと向かいました。
青空に映える♪世界遺産パルミラ遺跡
「記念門」
こちらが、入り口の「記念門」です。3つの門は、真ん中が馬車用で両側は歩行者用。
訪れた朝の時間、「パルミラ遺跡」には、人が誰もいませんでした。
世界遺産パルミラ遺跡を独り占めです!
「列柱回廊」
「列柱回廊」
「列柱回廊」
「列柱回廊」
「記念門」をくぐると、壮大な「列柱回廊」が遠くの方まで一直線に延びていました。
「列柱回廊」は、約1.2㎞もあります。
「ローマ劇場」
「列柱回廊」の周りには浴場や劇場の跡、神殿や取引所の遺構が点在しています。
こちらは、約3,000人収容可能な「ローマ劇場」。
「ベル神殿」
「ベル神殿」の列柱
「ベル神殿」
コリント風の柱頭
柱が散乱している「ベル神殿」
「ベル神殿」は、ギリシア風の正方形の建物で、当時は400本近いコリント式円柱に囲まれていました。ローマ侵攻時に円柱は破壊されましたが、本殿は遺されています。
ちなみに、「ベル神殿」は有料でした(他の遺跡は見物自由)
「四面門」
「列柱回廊」の中間には、4本の石柱を4隅に配した美しい門「四面門」があります。
「四面門」の遥か向こうには、標高150mの岩山の上に建てられた「アラブ城」の勇壮な姿が見えます。
「墓の谷」
こちらは、メインの遺跡から少し離れた所にある「墓の谷」(ネクロポリス)。
三兄弟が墓を区割りし、販売していたのだそうです。
「パルミラ遺跡」
遺跡をひと通り巡った後、「四面門」の前にある石段の影に腰掛けてひと休み。
真っ青な空、強烈な日差しを照り返している白茶けた地面、それと同じ色の列柱や神殿の遺骸。
誰もいない。時折、茶色のバッタが羽を羽ばたかせて跳躍していたり、遺跡の石の陰からトカゲがシュルシュルと走り出したりするのが見えるくらい。
遺跡は全くの静寂に包まれていました。
静寂の中、壮大な遺跡の光景を眺めながら、栄華を誇ったかつての「パルミラ」の情景を夢想しました。
アラブ城からパルミラ遺跡の全景を眺める
「アラブ城」から見た「パルミラ遺跡」
夕方、「パルミラ遺跡」を俯瞰するため、「アラブ城」に登ってみることにしました。
城の上までは結構な距離があります。息を切らせながら砂利の道を登り、やっとこさ城の上まで辿り着きました。
城の上からは、「パルミラ遺跡」の全景と、パルミラの町、その先に延々と広がる砂漠を見渡すことができました。
パルミラ全景
パルミラ全景です。
「列柱回廊」や「ベル神殿」「四面門」が見えます。ナツメヤシの緑があり、パルミラの町が見えます。その向こうはだだっ広い砂漠です。
「パルミラ」の町と、手前の黒い影は「アラブ城」の影
麓から見た「アラブ城」
麓から見た「アラブ城」です。
「パルミラ」は、紀元前1世紀に建設され、紀元3世紀に破壊されましたが、この「アラブ城」は、17世紀の建造。オスマントルコによるものだそうです。
「アラブ城」から見た「墓の谷」
荒野に広がるネクロポリス
砂漠の中の塔状の墓
「墓の谷」です。砂漠の中に塔状の墓がいくつも見えます。
一番下は墓を間近に見たところです。
パルミラの夕暮れ
パルミラの夕暮れ
「アラブ城」の遺構の向こうに「パルミラの遺跡」と広大な砂漠が見えます。
夕暮れとともに赤く染まっていく遺跡と砂漠、壮大でドラマチックな光景です。
大峡谷の向こうに太陽が沈みます。
砂漠に沈んでいく太陽
砂漠に沈んでいく太陽。素晴らしい日没を見ることができました。
ただし、この後、砂漠と遺跡は真っ暗闇となり、その中を降りていくのが結構大変でした。
旅行時期:2003年5月〜6月
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