香港の尖沙咀からフェリーで約1時間。
「マカオ」(澳門、Macau)にやってきました!
マカオとは、中国広東省珠海市から突き出た半島部とタイパ島、コロアネ島によって構成される地域のこと。面積は約28.2km²、総人口は約50万人で人口密度は世界一過密であるそうです。
イギリスに150年間支配されてきた香港同様、マカオはポルトガルの植民地支配を100年以上に渡って受け続けてきました。
1999年12月20日に中国に返還され、現在では「中国人民共和国澳門特別行政区」となり、独立した位置付けを保っています。
歴史的にマカオは香港との繋がりがとても深く、あらゆる分野で香港と結びついています。
マカオの通貨であるパタカも香港ドルとほぼ等価で扱われていて、香港ドルはマカオでそのまま使うことができます(香港ではマカオ・パタカは使えません)。
人種は約95%が華人。広東人が多いですが、客家人やポルトガル人もいます。公用語はポルトガル語と標準中国語ですが、一般の人々は広東語を話します。
聖ポール天主堂跡(大三巴牌坊)とマカオの歴史
「聖ポール天主堂跡」(大三巴牌坊)
マカオの中心部、モンテの砦の麓にマカオのシンボルともいえるモニュメントが残されています。
「聖ポール天主堂跡」(大三巴牌坊)です。
「聖ポール天主堂跡」(大三巴牌坊)
壁一枚しか残っていません。
1533年、ポルトガル人、ジョルジェ・アルバレスは中国南部で海賊を退治した功績により、当時の明朝から、この「マカオ」で貿易を行うことを許されました。
以後マカオは、中国や日本、東南アジアやヨーロッパとの貿易中継地として大いに栄えたそうです。
カトリックの布教組織「イエズス会」がマカオに定住したのは1565年。
彼らはこの地でキリスト教の布教を精力的に行い、1602年には、当時東洋一であると謳われたこの聖堂を建設しました。
建設には日本での迫害を逃れた日本人キリシタンたちも従事したそうです。
朝の「聖ポール天主堂跡」(大三巴牌坊)
1762年、イエズス会はマカオを追われます。
その後、聖堂は市庁舎、そして、軍駐屯地として使用されましたが、1835年、火事のためこの西正面ファサードを残して焼失してしまいました。
昼の「聖ポール天主堂跡」(大三巴牌坊)
マカオは1887年、ポルトガルの領土となります。
けれども、その頃すでに、マカオの繁栄は過去のものとなっていました。
天然の良港を持つ香港が大英帝国の支配化の下、繁栄を謳歌していたからです。
マカオの貿易港としての地位は凋落してしまっていたのです。
夜の「聖ポール天主堂跡」(大三巴牌坊)
1987年、ポルトガルと中国がマカオ返還の共同声明に調印。
1999年にマカオは中国に返還されました。
現在マカオは特別行政区となり、返還後50年はポルトガル時代の制度が保全されることとなっています。
モンテの砦から見た「聖ポール天主堂跡」(大三巴牌坊)
モンテの砦から聖ポール天主堂跡が見えます。
聖ポール天主堂跡は、四世紀以上に渡るアジアへのキリスト教布教の歴史を伝える、物言わぬ語り部です。
旧正月のマカオ
1月31日、マカオの街は華やかな装いに包まれていました。明日は中国旧暦の正月「旧正月」です。
ホテルはどこも値上がりしていて、探すのにひと苦労。
結局、メインストリート沿いのホテルセントラル(トイレシャワー付きシングル 173パタカ 2,768円)に泊まることにしました。
旧正月の「セナド広場」
マカオ観光の基点となるのがこの「セナド広場」
モザイクの敷き詰められた地面、パステルカラーの建物が南欧を思わせます。
ここは「世界遺産」にも登録されています。
旧正月の飾り付けがなされています。ここでいろいろなイベントなどが行われるのです。
聖ドミンゴ教会
旧正月の提灯の灯り
ここは「セナド広場」にほど近い、「聖ドミンゴ教会」
17世紀に造られたマカオでも最も美しいといわれている教会です。
この界隈には中国風の骨董屋やポルトガル風のカフェなど、マカオらしい異国情緒溢れたお店が軒を連ねており、マカオ観光のメインといえる場所です。
セナド広場の夜
煌びやかな「セナド広場」のイルミネーション
夜の「セナド広場」です。
旧正月のせいか、イルミネーションがすごかったです。
新年を迎えた翌日には、街中に爆竹の音が響き渡っていました!
新年明けのマカオを散歩
マカオの街並み
新年明けの朝、私はマカオの街をぶらぶらと散歩しました。
島の中央部にある高台、ここに「モンテの砦」があります。
この砦は17世紀初頭にイエズス会によって築かれたものだそうです。砦にはマカオの歴史を紹介する「マカオ博物館」もあります。
マカオの路地
高層の住居が密集しています。
香港と同じで坂が多いです。
マカオのごちゃごちゃした路地
坂の多い道を南に向かって歩いていきます。
マカオのごちゃごちゃとした街並みにはまだ人がほとんど歩いていませんでした。
けれども、街は喧しい音に溢れていました。
それは、なぜか?
至る所で爆竹が鳴らされていたからです!
人々は家の軒先から街路に向かって爆竹を投げ込みます。新年を祝福しているのです。
ですけど、突然の爆音にさらされる歩行者にとってはたまったものではありません。
いつ音が鳴るか、ヒヤヒヤしながら道を歩きました。
聖オーガスチン教会
「聖オーガスチン教会」です。
1586年にスペインから来たオーガスチン派の修道士たちによって創建されたのが始め。現在の建物は1874年に再建されたものだそうです。
この界隈は穏やかな風情に包まれていました。
聖オーガスチン教会はスペインのアウグスチノ会によって1586年に創建されたそうです。
聖オーガスチン教会の内部
教会の内部には十字架を担いだキリスト像が祀られています。
木製の椅子に座って厳かな静寂に身を任せていると、なんだか眠くなってきます。
私は、そのうち、こくり、こくりと居眠りを始めてしまいました。
聖ヨセフ修道院及び聖堂
「聖ヨセフ修道院及び聖堂」です。
イエズス会によって建築された中国バロック建築の聖堂で、創建は1758年。
内部には、フランシスコ・ザビエルの上腕部の遺骨も祀られています。
ポルトガル風情のあるマカオの街並み
香港にあるような雑居ビルの合間に、ポルトガル風の家や教会が所々に紛れています。
その水色や黄色のパステルカラーの色合いが、マカオの街を明るく開放的に見せていました。
夜のマカオの街並み
マカオは、2005年7月、22の歴史的建造物と8ヶ所の広場が世界遺産「マカオ歴史地区」として登録されました。
歩いて回れる距離にあるそれらのスポットを巡ると、ポルトガル植民地時代の東西の文化の共存と、16〜17世紀の東西交易での繁栄をうかがい知ることができます。
カジノ・リスボア
カジノ・リスボア
マカオといえば、カジノ!
マカオには20を超える大規模なカジノがあります。
昔は、マカオのカジノは、「澳門旅遊娯楽股份有限公司」という会社が独占していたそうですが、2002年にカジノ産業を香港系やアメリカ系の企業にも開放、その結果、外国からの投資が急増し、たくさんの大規模カジノがオープンするようになったのだとのこと。
マカオ半島の南東部には、「グランド・リスボア(Grand Lisboa:新葡京)」、「サンズ(Sands:金沙娯楽場)」、「ウィン・マカオ(Wynn:永利澳門)」、「ザ・ベネチアン・マカオ(Venetian Macao-Resort-Hotel:澳門威尼斯人度假村酒店)」などの大規模カジノが軒を連ねています。
その中でも一番有名なのが「リスボア(Lisboa、葡京娯楽場)」です。
マカオの象徴ともいえる、ホテルに併設された巨大カジノで、大小、バカラ、ルーレット、スロットマシーンなどなんでも揃っています。
ちなみに、「リスボア」とは、葡萄牙(ポルトガル)の京(みやこ)という意味です。
カジノリスボアの夜
カジノリスボアでは、「大小」というゲームをやりました。
「深夜特急」で沢木耕太郎氏が熱狂した、3つのサイコロの目の数を当てるゲームです。
3つの出目の合計3~18のうち、4~11が「小」。5~17が「大」となります。
3つのサイコロが同じ目となる「ゾロ目」の場合は、親の総取りとなってしまいますが、ゾロ目そのものに賭けることもできます。
また、他にも出目の合計を当てることもできます。
台の上にある電光掲示板には、これまでの出目の経過が、
「大大小小大小大小」
というように示されています。
それを見て、次に何が来るかを判断するのです。
200香港ドルだけ(3200円)をコインに換え、「大」か「小」の一点賭けをしましたが、見事にハズレ!
マカオの象徴、カジノリスボアのイルミネーション
マカオのカジノは世界一です!
2006年には、カジノの売り上げが69億ドルにも達し、アメリカのラスベガスを抜いて世界トップに躍り出ました。
けれども、近年は中国政府による汚職の取り締まりが強化されたこともあってVIP客が激減。カジノ自体の総収益は減少しているとのこと。
一方、マカオを訪れる観光客は増え続けていて、2014年には過去最高の3152万人を記録したそうです。2000年の800万人に比べると約4倍です。
マカオは、カジノの街から観光の街へと変貌を遂げつつあるのです。
旅行時期:2003年1月
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