ラダック地方(Ladakh:ལ་དྭགས་)は、インド北西部、ジャンムー・カシミール州のヒマラヤ山脈に囲まれた高地にあります。
ここはチベット文化の西の端。インド領であるラダックは、中国のチベット本土よりも、その伝統文化が色濃く保持されているといわれている場所です。
今回は、ラダックの中心「レー」の町とゴンパ(僧院)巡りです!
ラダック地方の中心都市「レー」から、方々にある僧院「ゴンパ」を巡ります。
レーの町
かつてラダック王国の首都だった所、「レー」(Leh:གླེ་;)。標高は約3,650m。
インドの平地とは全く異なる風景や街並み、人々の様相は、訪れた旅人に別の国に来たのではないかという印象さえ与えます。
ここはチベット文化の西の端。もしチベット帝国というものがあったとしたら、レーは帝国の西の要衝となっていたことでしょう。
レーはこの地方の中心都市ではありますが、小さな町です。人口はおよそ2万人。
しかしながら、デリーからの飛行機も飛んでいるし、北部を管轄する軍事基地もあります。
観光客がラダックに来て、まず訪れるのはレーです。レーはラダックの玄関口、というか、このレー以外には町と呼べるようなところはないに等しいのです。
レーには外国人をターゲットとした宿や食堂も結構ありますし、インターネットカフェまであります。
私はこのレーに滞在し、方々を観光して回ることにしました。
スピトク・ゴンパ
スピトク・ゴンパ
ラダックは19世紀まで王家が存在していました。王の廃位後、この地はジャンムー・カシミール藩王国に併合されました。その流れで、現在はインド領となっています。
ラダックの西にあるカシミールはイスラム圏です。レーにもイスラム教徒が多く居住しており、モスクからは1日5回のアザーンが聴こえてきます。
それに対抗するためなのか、街の中心の仏教寺院では、一日中スピーカーで喧しい仏教の音楽を鳴らし続けていました。
スピトク・ゴンパ
ラダックでの主な見所は「ゴンパ(僧院)」です。上の写真がそうです。
この写真はレー近郊にある「スピトク・ゴンパ」。15世紀創建のゲルク派のゴンパです。
岩山の上に聳え立つ白亜の「ゴンパ」は、仏を祀るだけでなく僧の修行、教育の場でもあります。大勢の僧が宿坊に住み込み、修行しているのです。
そんな「ゴンパ」がラダックの大地の至る所に点在しており、それをバスやタクシーを使ってひとつひとつ見て回るのが、ラダック観光のベーシックな楽しみ方なのです。
スピトク・ゴンパ
私は毎朝早起きし、ローカルバスに乗って方々のゴンパを巡りました。
その際、宿の近くにあるジャーマン・ベーカリーで、出来立てのパンをふたつとミネラルウォーターの大ボトルを1本買い、荒涼たる大地へと旅立つのが常でした。
ゴンパの内部には、いくつものお堂や僧房があります。しかしながら、ゴンパは僧たちが修行し生活する場であり、見せ物ではないので、部屋の鍵が掛かって中に入れないことがよくあります。
そんな時は、そこら辺にいる僧に頼んで鍵を開けてもらうのです(鍵を管理している僧がいないこともあるし、頼んでも開けてくれないこともあります)。
ゴンパの内部
チベット仏教について
ここでチベット仏教についてお話しをしましょう〜。
チベット仏教は主に4つの宗派に分かれています。
「ニンマ派」「カギュ派」「サキャ派」「ゲルク派」の4つです。
ニンマ派
「ニンマ派」は、9世紀にパドマサンバヴァによって興された宗派で、仏教以前のチベットの宗教「ボン教」の影響が強いといわれています。
呪術に傾倒し、多くの埋蔵経典があるのが特徴で、ユングが紹介したことで有名な「チベット死者の書」もそんな埋蔵経典のひとつです。欧米人に最も人気のある宗派でもあります。
「ニンマ派」は、仏教を「九乗」に分けて考えるそうです。仏教の経典からなる「声聞乗」「縁覚乗」「菩薩乗」、「外タントラ」である「クリヤー乗」「ウパ乗」「ヨーガ乗」、「内タントラ」である「マハーヨーガ乗」「アヌヨーガ乗」「アティヨーガ乗」の「九乗」だそうです。
特に「アティヨーガ乗」は「ゾクチェン(大究竟)」と呼ばれ、そこでは時間や活動、経験などの全てが超越されているのだそうです。
頭のてっぺんから魂を離脱させるという「ポア」という考え方もこの派が起源です。
極彩色のゴンパ内部
ゴンパの中にあった仏像
カギュ派
「カギュ派」は、11世紀にキュンポとマルパという行者から生まれました。「カギュ派」は、ヨーガにより体内のチャクラを活性化させ、エネルギーを頭の上の梵穴から抜けるようにしたり、死後を疑似体験し煩悩を滅したりする「ナーローの六法」と、言葉に頼らず、心の本質を直感的に悟る「マハームードラー」という教えが特徴です。
ダライ・ラマで有名な「転生活仏」の制度を生み出したのも「カギュ派」です。
サキャ派
「サキャ派」は、11世紀にクン氏という一族から生まれた宗派で、13世紀には、モンゴル(元)の庇護の下でチベット・モンゴルで大いに栄えたそうですが、元の滅亡後は、急速に衰えていったそうです。
「サキャ派」は、転生ラマ制ではなく世襲制です。
曼荼羅
派手な装飾の太鼓
ゲルク派
「ゲルク派」は、チベット最大の宗派で、「ダライ・ラマ」「パンチェン・ラマ」も「ゲルク派」に属します。
15世紀に堕落した密教を改革した「ツォンカパ」によって創始された最も戒律の厳しい宗派で、顕教を重んじ、堕落の危険性が強い「性ヨーガ」を禁止しました。
「秘密集会タントラ」を最高の経典とし、「カギュ派」の転生活仏制度も取り入れました。
「人が死んだ後、次の生を授かるまでの間である『中有(ちゅうう)』に陥らず、衆生の救済を続けるためには修行が必要である」という考え方で、これは「ニンマ派」の「死者の書」とは考え方が異なっているのだとのこと。
スピトク・ゴンパからのラダックの風景
シェイ・ゴンパ
シェイ・ゴンパ
「シェイ・ゴンパ」は、16世紀の創建。かつては、ここが王都であったのだそうです。
「チョルテン(仏塔)」がいくつも並んでいますね。「チョルテン」は、本来はお釈迦様の遺骨を納めるものでしたが、現在ではいろいろな供養の目的として建てられているのだそうです。
ラダックでは、あらゆる場所にこの「チョルテン」が建っています。
左下には「マニ石」があります。この石には観音菩薩の真言である「オムマニペメフム」という文字が書かれています。「オムマニペメフム」は日本の「南無阿弥陀仏」と同じようなものと言えるでしょう。
タルチョが旗めく
「タルチョ」は、チベット仏教の経文が印字された五色の旗。
五色の順番は青・白・赤・緑・黄の順に決まっていて、それぞれが天・風・火・水・地を表しているのだそうです。
タルチョは、はためく度に風がそこに記された経文を全世界に運んでゆくのだそうです。
マニ車
マニ車は、チベット仏教で用いられている仏具のこと。
円筒形で、側面にはマントラが刻まれていて、内部にはロール状の経文が納められています。
マニ車は、手で持てる大きさのものから、寺院などに置かれている数メートルのものまで、その大きさは様々です。
ありがたい仏像
ラダック地方は大まかに2つの地方に分かれています。
「上ラダック」と「下ラダック」です。レーから南東へ向かう「レー~マナリ」の街道沿い、インダス川沿いの地域は「上ラダック」と呼ばれています。
この辺りは古くから最も栄えた地域であるらしく、大きなゴンパがいくつも点在しています。
次回は、「上ラダック」のゴンパをご紹介します。
旅行時期:2003年9月
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