中央アジアの国、「ウズベキスタン」(Uzbekistan・Oʻzbekiston・Ўзбекистон)。
首都であるタシケントから西に約750Kmのところに「ヒヴァ」(Khiva・Xiva・Хива・خیوه)の町はあります。
「ヒヴァ」は、17世紀の中世イスラム都市の面影が残っていることで有名です。
世界でもこれほど保存状態のいい町はほとんどないのだとか。
どうしても見てみたい!
ということで、10何時間掛けて「ヒヴァ」の町に行ってきました。
中世イスラム都市がそっくりそのまま残る博物館都市「ヒヴァ」の「イチャン・カラ」
「ヒヴァ」には、2つの城壁(外城と内城)があります。
有名なのは内城の方。
内城は「イチャン・カラ」(Itchan Kala・Ichan Qa’la)と呼ばれています。
「イチャン・カラ」には、20のモスク、20のメドレセ、6基のミナレットをはじめとする多くの歴史的建造物が残されていて、博物館都市として街全体が保存されています。
「イチャン・カラ」は、世界遺産にも登録されています。
砂色のモスクやメドレセが建ち並ぶ「イチャン・カラ」の街並みは、まさに中世にタイムスリップしたかのよう。
どこからか、こんな↓音楽が聴こえてきそうな雰囲気です。
ヒヴァ最大のミナレット「イスラーム・ホジャ・メドレセ」のミナレット
「イチャン・カラ」には、たくさんのモスクやメドレセ(神学校)があります。
こちらは、「イスラム・ホジャ・メドレセ」
1910年に建てられた、わりと新しいメドレセです。
「イスラム・ホジャ」とは大臣の名前で、彼はとても進歩的な大臣だったそう。
ロシアに訪問した際に得た知識で、ヨーロッパ式の学校を作ったり、病院や郵便局を建てたり、橋や道路を造ったり、近代化に貢献したそうです。
しかしながら、それを妬んだ人々によって暗殺されてしまったのだそうな。
写真の高い塔は、「イスラーム・ホジャ・メドレセ」のミナレットです。
「ヒヴァ」で一番高い建物で、高さは45m。
町のどこからでも見ることのできる「イチャン・カラ」のランドマークです。
ミナレットには登ることもできます。料金は、4,000CyM(スム)、150円ほど。
ミナレットの内部の階段は118段あり、狭いし、降りる人ともすれ違うしで結構大変。
118段を登り切り、ミナレットの頂上に到着しました。
頂上から見えるのは、見事なパノラマ。
「イチャン・カラ」の全景を眺め見ることができます。
青い空、砂色の町に輝く青のタイルのドームとミナレット。
しばし、我を忘れて風景に見入ります。
青のモザイクタイルが美しい歴史的建造物の数々
さて、町歩きを続けましょう。
これは、未完成のミナレット、「カルタ・ミナル」。高さは26m。
完成していたら約80mの高さになっていたのだとのこと。
全体が美しい青のタイルで彩られていて、「イチャン・カラ」の町にひときわ鮮やかな彩りを与えています。
「パフラヴァン・マフムド廟」です。
「パフラヴァン・マフムド」は、13世紀の人物。
彼は、毛皮職人であり、詩人であり、哲学者であり、ウズベキスタン武道の名手でもあったそうです。
一面にタイルで覆われた廟内では、人々が祈りを捧げている様子を見ることができました。
こちらは、「ジュマ・モスク」
「ジュマ・モスク」は、10世紀に建てられたというかなり古いモスク。
木造の柱が林立している列柱礼拝室が有名です。
列柱礼拝室の柱の数は213本あり、それぞれに違った模様の彫刻が彫られています。
このうちの4本は10〜11世紀のもの、25本は17世紀までのものだそうです。
「タシュ・ハウリ宮殿」です。
ここは、ハン(君主)の宮殿。1838年に創建されました。
163もの部屋と8つの中庭を持つ建物で、接見の間、くつろぎの間、ハーレムなどがあります。
建物の壁面は見事な青い幾何学模様のタイルで埋め尽くされています。
「ヒヴァ」のハンは、かなりの権力を持っていたようです。
そして、その政治は拷問や処刑を公衆の面前で行うなど、恐怖による統治であったのだそう。
そんなハンも、この建物の創建の約40年後(1873年)にはロシアによって攻略され、「ヒヴァ」はその支配下に置かれてしまいます。
黄昏と夜。「イチャン・カラ」の暮れの風情を味わう
そろそろ、日が傾いてきました。町の路地に長い影が差してきます。
サンセットを眺めるため、町を見渡せる「アクシェイフ・ババの見張り台」に登ることにしました。
登ってみると、案の定、見張り台には各国の旅行者たちが集まっていました。
見張り台から眺める「イチャン・カラ」の街並みです。
夕日を浴びてオレンジ色に染まっていく砂色の城壁。
青いミナレットのタイルも黄金色に輝きはじめます。
日没です。
辺りは闇に包まれ、空には星々が瞬きはじめています。
「ヒヴァ」の一日が終わりました。
闇に包まれた「イチャン・カラ」の路地を歩きます。
人通りのなくなった路地は、本当に静か。
一人で歩いていると、怖くなってくるほど。
しかしながら、「ヒヴァ」の治安はとても良好だから安心です。
モスクやメドレセは、間接照明でライトアップされています。
とっても幻想的です。
ヒヴァの「イチャン・カラ」は、他では味わえない、特別な雰囲気を感じることができる町です。
人懐こい笑顔で「アッサローム・アレイクム!(こんにちは!)」
一夜明けて、翌朝。
朝日を浴びた美しい「ヒヴァ」の風景。
しかしながら、「ヒヴァ」の町の魅力は、建物や風景だけではありません。
そこに住む人々と、売られている珍しい商品の数々、街角の何気ない風情。
そんなものを見て回るのが、この街のもう一つの楽しみ方です。
さあ、街歩きに出かけましょう〜♪
BGMは、ウズベキスタンの人気ユニットBojalarの曲、Blandinka
朝のイチャン・カラの路地の風景
朝の「イチャン・カラ」の路地。
朝早いにもかかわらず、既に大勢の人々が街を歩いています。
この日は日曜日。
買い出しに来たのでしょうか。休日のため、観光地であるこの街に遊びに来たのでしょうか?
ウズベク人の少女たち。
カメラを向けるとにこにこと笑い、すれ違うと、恥ずかしげに「ハロー!」と挨拶。振り返ると、こちらをじろじろと眺めている様子がが見えます。
興味津々の面持ちです。
「一緒に写真を撮って欲しい」と言ってくる青年たちもいました。
日本人が珍しいのでしょうか。歩いているだけでかなり注目されます。
「ヒヴァ」は観光地であるし、外国人が多く訪れる筈だし、どうしてなんだろう?
そう思っていたのですが、後でその理由がわかりました。
彼らも観光客だったのです。
彼らは周辺の地域から、観光地であるこの「イチャン・カラ」に遊びに来た人々。
周辺の村々には外国人などほとんど見掛けないだろうから、きっと珍しかったのだと思われます。
「イチャン・カラ」の路地を歩く子供たち
商店の店番をする女の子。
ウズベク名産だという、黄金色をした砂糖が売られていました。
イチャン・カラのメインの入口「オタ・ダルヴァザ門」(西門)
こちらは、イチャン・カラのメインの入口、「オタ・ダルヴァザ門」(西門)
大勢の人々で賑わっています。
日曜日。観光客(特にウズベク人)は、午前の早い時間にヒヴァを訪れることが多いようで、この時間帯はヒヴァの人口密度が高まります。
記念撮影をしているウズベク人の家族連れ。
日本の観光地と似たような感じです。
真ん中に置かれたぬいぐるみが意味不明ですが、なんだかユーモラス。
こちらは、ラクダ。
こちらも記念撮影用だそうです。
ガイドブックには、「ヒヴァのアイドル、ラクダのカーチャ」と書かれていました。
ウズベキスタンは人種のるつぼ。
様々な民族がいて、混血もかなり進んでいます。
そのせいかはわかりませんが、美人を多く見掛けます。
特にこの「ヒヴァ」では、思わず振り返ってしまうような、綺麗な女性をたくさん見掛けました。
ウズベキスタンは、民芸品の宝庫
ウズベキスタンは民芸品の宝庫でもあり、この「ヒヴァ」にも様々な民芸品が売られています。
写真は、ウズベキスタンの刺繍布「スザニ」のお店と、スザニを縫う女性たちです。
スザニは、ウズベク語で「刺繍」を意味します。
女の子が生まれると母親は結婚の持参品として、このスザニを縫うのだそうです。
スザニは地域によって、その柄や模様が異なっています。
こちらは、木細工や家具を製作する少年たち。
木彫りの小箱や家具の柱の彫刻など、ウズベキスタンの木細工は見事です。
人形屋です。
人形劇で使う人形のようです。
「オタ・ダルヴァザ門」を望むカフェからの一枚。
「ヒヴァ」は日差しが強く暑いので、お茶を飲みながらのひと休みは大事です。
路地の向こうに見える「カルタ・ミナル」
夕暮れ、そして、夜の賑わい
夕暮れ時の「アクシェイフ・ババの見張り台」
夜、街をぶらぶら歩いていると、賑やかな音楽が聴こえてきました。
音楽の流れるお店に入ってみると・・・
ダンス・パーティーが行われていました♪
旅行時期:2012年4月〜5月
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