インドの旅はリキシャとの戦いの連続です。
デリー中央郵便局。
荷物を受け取るため、または荷物を発送するため、私はここにはよく行った。
郵便局の前にはたいていオートリキシャが客待ちをしている。
重い荷物を持ちながら街を歩き回るのは結構な骨だ。
そのため私はしばしば彼らを利用した。
いつも声を掛けてくるのはターバンを巻いたシク教徒の運ちゃんだ。
行き先を告げ、値段の交渉をし、よいしょっと乗り込むと、リキシャはバタバタと音を立て発車する。
そして、またいつものように土産物屋に勧誘されることになる。
2004年10月23日、リキシャワーラーの同盟が結成される
何度も利用していると、運ちゃんともそのうち顔なじみになってくる。
だが、彼らだって生活がかかっている。料金交渉はいつだってシビアだった。
そんなある時、運ちゃんからひとつの提案がなされた。
ある条件を飲んだら、いつも20ルピーで行っているところを10ルピーにしてくれるというのだ。耳寄りな話である。
ターバンの彼はこう言った。
「日本人!もし、お前が俺の連れて行く土産物屋に何軒か寄ってくれるならいつもの半額で乗せてやってもいいぞ」
何だって?私は耳をかっぽじってよく聞いた。
「日本人!お前はその土産物屋でモノを買わなくったっていいんだ。買おうとする振りをしながら店の中を10分ほどうろつけばいいんだ」
彼は口髭をピクピクさせながら言う。
「そうすれば俺はその店からお金をもらうことができるし、お前からたくさんお金をもらう必要がないんだ。お前はたった10ルピー払うだけでいいんだ。どうだ?グッド・アイデアだろう?」
彼は得意げな顔をしながら私の顔を覗き込んだ。
なるほどなるほど。確かにグッド・アイデアだ。
彼としてはこんな交渉慣れしかかっている旅行者と数ルピーを巡って鬩ぎあいを続けるよりもはるかに金になる。私だってただ店の中をうろつくだけでリキシャ代が節約できる。
素晴らしい作戦である。
「オーケー!あんたの言うとおりにするよ」
私はにこやかにそう言った。
ここにリキシャワーラーと私の同盟が結成されたのである。
2004年10月23日のことであった。
土産物屋との戦い
オートリキシャが減速を始めた。
立派な構えの土産物屋、さっそくである。
中に入る。綺麗な内装、整然と並べられているピカピカとした品々、バザールなんかではお目にかかれないような高そうなものばかりだ。
この店で10分ほど買おうとする素振りを見せながらうろつけばいいのだ。
店員がサーッと近づいてきた。まるで巣に引っ掛かった蝶を見つけた蜘蛛のように。
ニコニコ顔で「こんにちは~!」と挨拶する。日本語だった。
うろうろと店内を見て周る私。
彼はその後を金魚の糞のように付いて周る。そして、視線の先を素早く確認し、説明を始めるのだ。
「これはグッド・クオリティーですよ。象のミニアチュールです。綺麗でしょう。お客さん好きですか?こういう絵」
ここで、「好きだ」とでも言おうものなら、それは蜘蛛に捕らえられてしまったも同然。
果てしなく続く彼の売り込みに付き合わされ、挙句の果てに何かしらの商品を買わざるを得なくなることを覚悟しなければならない。
「う~ん、ちょっと色合いが暗いかな」
「白い象もあるよ。ライトカラー。明るいですよ」
「う~ん、ちょっと構図がいまいちかなあ」
「他にもたくさんありますよ。どれも綺麗ね。これは、シヴァ神。これは、ブッダ、お釈迦様ね。タージ・マハルはどうですか?構図いいでしょう。ソー・ビューチフォーね」
などと言いながら、引き出しから山のように細密画をボンボンと出してくる。
「う~ん、絵は持ち運びに不便だし、やめておくよ」
「丸めて入れるケースがあるよ(そう言って筒状のケースを取り出す)、それに小さいサイズの絵もある。絵がだめならシルクはどうですか?持ち運び便利だしとても綺麗ですよ」
そう言いながら今度は棚からシルクの山を取り出した。
「あなた、色は何色が好きですか?」
「青かなあ」
大量の青のシルクがバサバサとテーブルの上にぶちまけられる。
「この中でどれがいいですか?これはどう?これは?」
「う~ん。この中ではこれかなあ」
仕方なく青と紫の色合いが美しいシルクのショールを指差した。
早く話を打ち切ってこの店から逃れたいのだが、なかなかタイミングが掴めない。
私は思った。これは失敗したかもしれない、と。
リキシャと10ルピーを巡って交渉するよりはるかに大変だ。
「おお!グッド・チョイス!このショールはいい品ですよ。これにしますか?少し安くできますよ」
「いくら?」
私は話の流れ上、つい値段を訊いてしまう。
「700ルピーね。だけど、あなた日本人だから50ルピー安くしますよ。650ルピーね。私日本のお客さん大好きだから」
「ちょっと高いな~。今回はやめておこうかな」
「高くないよ。グッド・クオリティーだからこのぐらいはするよ。じゃあ、あなただけ特別にもう少し負けてやってもいい。安いのがいいのなら300ルピーのショールもあるよ」
そう言って少し安物そうなショールを棚から大量に引っ張り出した。
どつぼにはまってきたぞ。と私は思った。
300ルピーのショールを高いとでもいおうものなら更に安いショールを引っ張り出しかねないし、ショールはいらないとでも言おうものなら今度は宝石やら仏像を勧めてくるに違いない。
既に店の中は引っ張り出された大量のシルクで埋まっている。
口角泡を飛ばし説明し続ける店員の口の動きをぼんやりと眺めながら私は逃げ出すタイミングを計っていた。
彼の話が一瞬途切れたそのタイミング。私は逃さなかった。
「ソーリー!今日はもう時間がないからまた、後で来るよ。待ち合わせしているんだ。じゃあね。サンキュー!」
私は勢いよくそう言うと、「ちょっと待って!ちょっと待って!」と慌てふためく店員を尻目に逃げるように店の外へ出た。
「ふう~っ……」
私は店を出るなり深いため息を吐いた。
暑い昼下がり。道端に停まったリキシャの前で運ちゃんがリラックスモードで煙草を吹かしている。
「ふう~っ……」
私の姿を確認すると彼はニヤニヤしながら訊いてきた。
「買ったか?」
「いいや。買わなかった」
運ちゃんは少し残念そうな、しかし、「ほお~っ、なかなかやるな」というような顔で私を見た。
私が、 「まったく、ハード・ワークだったよ」と言うと、彼はさも嬉しそうにニヤリと笑い、私の肩をポン!と叩いた。
そして、リキシャに飛び乗りエンジンをかけると、「さあ、次の店だ!」 と言った。
私はじりじりとした陽光を浴びながら疲労が一気に噴き出してくるのを感じた。
結局我々は三軒も土産物屋を周った。
世界に名を馳せるインド商人。そのどれもが手強く、一筋縄ではいかない奴らばかりだった。
10分だなんてとんでもない。午後が潰れてしまった。
よほど多くのマージンを貰ったのだろう。運ちゃんはホクホク顔でリキシャ代はタダでいいと言ってくれた。
別れ際に彼は煙草を一本私にくれた。
チッチッ。ぷはあ~っ。
煙草をふかしながら彼が言う。
「また、郵便局で会おうぜ」
投げやりな返事を返しながら私は思っていた。
多分また、奴の車に乗ってしまうんだろうな。そして、今日と同じように何軒も土産物屋を周ってしまうんだろうな、と。
旅行時期:2003年10月
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