アジアとヨーロッパの狭間にある国「トルコ」(Turkey)
トルコ東部のイラン国境に近い町「ドゥバヤジット」。この地域は、自らの国を持たない世界最大の民族「クルド人」が住む地域。
クルド人が建てた宮殿を見学し、イラン国境へと向かいます。
今回は、「ドゥバヤジット」とトルコ・イラン国境越えについてご紹介します。
ドゥバヤジットとイサク・パシャ宮殿
ドゥバヤジットの風景
トルコ東部、イラン国境から約35Kmの場所に「ドゥバヤジット」はあります。
この町はノアの箱船伝説で有名な「アララット山」(5,137m)の麓の町。
町の周囲は荒涼とした風景が広がっています。
「イサク・パシャ宮殿」
ドゥバヤジットの町の郊外にある「イサク・パシャ宮殿」です。
17世紀、この地域を治めたクルド人の知事イサク・パシャによって建造されました。
私は、町から5kmあるここへ歩いて行ったのですが、途中、宮殿の方へと向かう車が私を乗せてくれました。
彼らは、自らをクルド人であると語りました。
ピクニック中のクルド人親子
「イサク・パシャ宮殿」の近くでは、クルド人の家族がピクニックをしていました。
左の可愛らしい子供もあと20年も経てば右の髭オヤジになってしまいます。
彼らは私にスイカとマスカットをご馳走してくれました。
もちろん彼らも生粋のクルド人だそうです。
クルド人は、自らの国を持たない世界最大の民族と言われます。
トルコ、イラン、イラク、シリアを中心に2500万~3000万の人口を持つクルド人は、民族的にはインド・ヨーロッパ語族であり、独自の言語、クルド語を話します。
岩山の山肌に茶色や白の小さな点々が見えます。 ゆっくりと移動しているその姿。
羊でした! 疎らに生えた草を一生懸命食べています。
羊飼いの少年
羊飼いの少年です。素朴なズボンがいい味出してますね。
クルド人の多くは牧畜を生業としています。彼らは本来遊牧民であり、定住し始めたのは最近のことなのだそうです。
岩山の向こうに去っていく羊飼いの少年と羊たち
少年が羊たちを誘導し、岩山の向こうに去っていきます。
メェェ、メェェと羊たちの声がいつまでも岩山に響き渡っていました。
クルド人の子供たち
イサク・パシャ宮殿の近くにいた子供たち。
私たちが歩いているのを見つけると、一目散に駆け寄ってきました!
だけど、近くに来てもはにかみながら見ているだけ。
とってもシャイなんです。
馬を連れた少年たち
帰り道、歩いていると、馬を連れた少年たちに出会いました。
彼らは、途中まで馬に乗せてくれました。
特にお金を請求することもなく、好意で乗せてくれたのでした。
本当に素朴です。
イラン国境へ
イラン国境へ
「ドゥバヤジット」を訪れた後、私はイランへと向かいました。
イランビザは、エルズルムの町で取得していました。
「ドゥバヤジット」から、ノアの箱舟が漂着したという「アララト山」を左手に望み、ドルムシュ(ライトバンのバス)で走ること20分、大型トレーラーの連なる国境に到着しました。
スタンプを押して、外貨の申告をします。荷物はノーチェック。
ここの国境事務所には、部屋の真ん中にラインが引かれ、トルコの受付とイランの受付が向かい合う形になっています。
トルコ側には、国父ケマル・アタチュルクの肖像画、イラン側には、アヤトラ・ホメイニの肖像画が掲げられていました。
国境を越えた私は、まず近場の街、「バザルガン」へヒッチし、そこからタクシーで「マクー」という町まで行きました。「マクー」からは、イラン西部の大きな町「タブリーズ」行きのバスに乗りました。
旅行時期:1996年8月
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