ペルー南部にあるアンデスの麓の町「アレキパ」から、インカ帝国の首都のあった町「クスコ」へと向かいます。
標高4,600mの峠を越えるバスの旅。
今回は、「アレキパ」から「クスコ」へのバス旅をご紹介します。
バスは「アレキパ」を出るとすぐに高度を上げていきました。3,500m、3,700m、4,000m
朝7時半、クスコ行きのバスはアレキパのバスターミナルを出発しました。
バス会社はクルス・デル・スル社。
相変わらずボロくて、椅子のクッションが効かないためお尻が痛いです(泣)
バスの乗客は地元のペルー人ばかり。
山高帽を被り素朴なチョッキを着た男性や、三つ編みを結いひだひだの分厚いスカートを着た女性が大きな荷物を抱えバスに乗り込んでいます。外国人は一人もいません。
それもそのはず、「アレキパ」から「クスコ」へのルートは4,600メートルの峠を越えなくてはならず、旅行者には避けられているのです。
旅行者は大概「アレキパ」から一旦「プーノ」へと向かいます。
けれども、そのルートを使うと「プーノ」から「クスコ」や「マチュピチュ」を見た後、ボリビアへと向かうためには、再び「プーノ」を訪れなくてはなりません。
私はそれが嫌で、ダイレクトに「クスコ」へと向かうことにしたのです。
バスは「アレキパ」を出るとすぐに高度を上げていきました。
私は深呼吸を繰り返し、飴をなめながら高山病に備えます。
冬のアンデス。雄大な山々に黄金色の枯れ草が一面に生え、そこをリャマやアルパカがのんびりと歩いているのが見えます。木はほとんど生えていません。
バスはエンジンの唸りをあげ、山道を登っていきます。
3,500、3,700、4,000。高度計の数字が徐々に上がっていきます。
そして、4,300メートルを越えたころ、バスはゆっくりとスピードを落とし始めました。
標高4,300メートルの食堂で休憩
そこは広大な平原!
荒涼とした大地のただ中にバラックの建物が一軒建っています。
どうやら休憩のようです。
私たちはバスを降り、ぞろぞろと建物の中に入っていきました。
建物は簡素で鄙びた食堂でした。
朝から何も食べていなかった私は、そこでチキン味のスープを朝食代わりに飲みました。
けれども、これが失敗の元でした。
食後、建物の外に出て景色を眺めます。
地平線の果てまで何にもありません。薄茶色の大地と真っ青な空がどこまでも続いているのが見えます。
4,300メートルある土地とは思えない広大さです!
そこにポツンと佇む真っ赤に塗られたバラック小屋とボロバス1台。
空気が薄いです。
私は息切れしないようにゆっくりゆっくりと辺りをぶらつきました。
バラックを出発したボロバスは更に高度を上げていきます。
何だか頭が痛くなってきました。
胸の辺りが少しむかつくような気がしてきます。
私はなるべく他のことを考えるように心がけ、深呼吸の勢いを大きくしました。
けれども、抵抗は無駄でした。
高度計が4,600メートルを指した時、頭から血の気が引いていくのがわかりました。
貧血です!
一気に気持ちが悪くなってきます。
チキン味のスープが喉下まで押し上がってくるのがわります。
何とかそれをこらえつつ、私は汗びっしょりになりながらボロバスの硬い椅子に座り続けました。
高山病と戦いながら「クスコ」へ
クスコに到着したときは午後8時を回っていました。
憧れの町「クスコ」。しかしながら、夜の界隈は薄暗く、治安の危険が頭を過ります。
ようやく気持ちの悪さが収まった私は、バスを降りると気の良さそうなタクシーの運ちゃんをつかまえて、街の中心「アルマス広場」へと向かいました。
宿は、広場にほど近い「オスタル・スエシア・ウノ」(シャワートイレ共同シングル6ドル)。品のいい眼鏡のおばちゃんが出迎えてくれます。
宿にチェックインし、重い荷を床に降ろすと、私はどっさりとベッドに倒れ込みました。
旅行時期:2003年7月
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