アラビア半島南端にある「イエメン」
中世のアラブの風情を色濃く残すこの国。白い漆喰でデコレーションされた高層の建物が建ち並び、アラブ風の長衣を纏った男性の腰には、日本のサムライのように刀が差してあります。
そんなイエメンの町や風景をご紹介します。
今回は「アデン」の町です!
アラビア海に沈むアデンの夕陽
朝7時、サナアをバスで出発し、一路南へ、アラビア海に面した港町「アデン」へと向かいます。
バスはオンボロのベンツ。九十九折の山道をくねくねと進んでいきます。
そのうち、バスは山を降りると、椰子の木の生える砂漠地帯へと入って行きました。
急に暑くなってきます。アラビア海沿岸の港町「アデン」が近づいてきているのです。
サナアを出ること7時間。バスは「アデン」に到着しました。
アデンは、社会主義政権下の南イエメンの首都だったところです。
街並みは旧ソビエトの都市を彷彿とさせるのっぺらぼうな感じ。詩人アルチュール・ランボーが滞在した町としても知られ、ランボーの過ごした家も残っています。
けれども、私にとって嬉しかったのはやっぱり海!
岩山や砂漠を見続けていた目には、一面に広がった海の眺めは、ことのほか美しく感じられました。
アデンの夕陽。沖合にタンカーが見える
夕方、アラビア海に沈むアデンの夕陽を見たくなった私は、地元の人が泳ぐという「ゴールドモアベイ海岸」へと向かうことにしました。
海岸ではたくさんの人が泳いだり、砂浜でサッカーを楽しんでいたりしていました。
向こうに巨大な船が二隻、ぼんやりと佇んでいるのが見えます。タンカーでしょうか、貨物船でしょうか。
スエズ運河開通後、ヨーロッパとアジアの中継地として国際的に重要な存在となったアデン。当時、アデンは世界でも三本の指に入る重要な港と呼ばれていたそうです。
その後、アデンは一時は衰退していましたが、1990年代に再開発され、現在は第二のドバイを目指して着々と開発が行われているのだそうです。
アラビア海に沈むアデンの夕陽
夕食は、チャイニーズ・レストラン「チン・シン」に行きました(チョウメンという焼きそばを食べました)。
羊肉とピラフや豆スープが多いアラブ料理に飽き気味だったので、久々に中華を食べたくなったのです。
こんな所にも中華料理店があることにびっくり! どこにでも華僑はいるんですね。
ナイトクラブ「ナシュワン」でベリーダンスを鑑賞♪
食後、地元で有名な「ナシュワン」というクラブに行きました。
ここでは、ベリーダンスを見ることができるのです!
「ナシュワン」に行くと、入り口のところに面白いおじさんがいて、彼が店を案内してくれると言ってきました。
このおじさん、客なのか、店の関係者なのかわからなかったのですが、結局私は彼と共に店に入ることにしました。
ベリーダンスのショーが始まる前、彼はテーブルの向かいに座った私に、なぜか手品を見せてくれたり、マイケル・ジャクソンのまねをしてくれたりしました。
なかなかに多芸なおじさんです。
アデンのベリーダンスのショー
ベリーダンスのショーが始まりました!
キーボード中心のバックバンドがアラビア音楽を演奏し、ダンサーが腰をくねくねさせて踊ります。
イエメンに入って、しばらく黒づくめの女性しか見ていなかった目にはかなり強烈なインパクト!
イエメンでは、かなり厳格にイスラムを遵守している人が多く、女性は全身を(顔も目も)ヴェールで覆っていることが普通です。女性の姿自体も街中ではあまり見かけません。
そんな状況の中、久々に見た女性がこんなにくねくね腰を動かしている人だったらびっくりしてしまいますよね。
ビールを飲みながらその様子を眺めていた私ですが(ビールもイエメンではほとんどありません)、しばらくすると彼女が、「おいでおいで」と誘ってきました。
手品のおじさんも「行け行け」と言うので、私は彼女の誘いに乗って舞台に上がり、彼女と共に音楽に合わせ踊りました。
このダンサーさんは、私が日本人だからか、私の方を見ながら合掌して首を動かすまね(インド風に)もしてくれました!
手品のおじさんもハッスルして、私が踊ると手を叩きながら盛り上げてくれました!
アデンの町は結構さびしい感じ、とても暑いし疲れ気味だった私でしたが、この「ナシュワン」での踊りと音楽と、ダンサーさんや手品おじさんとの出会いのおかげで、とってもホットな夜を過ごすことができました〜!
旅行時期:1998年2月
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