アデンからムカッラ、サユーンへ | カートを噛みながらのバス旅(イエメン)

イエメン アデン〜ムカッラ エスニックな旅
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アラビア半島南端にある「イエメン」

中世のアラブの風情を色濃く残すこの国。白い漆喰でデコレーションされた高層の建物が建ち並び、アラブ風の長衣を纏った男性の腰には、日本のサムライのように刀が差してあります。

そんなイエメンの町や風景をご紹介します。

今回は、アデンからサユーンへのバスの旅サユーンの町をご紹介します。

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アデンからムカッラまで12時間、バスの旅

イエメンの人たちと共にバスに揺られて東を目指します。

アデンに一泊したあと、私は翌朝6時発のバスに乗り、東にある「ムカッラ」の町へと向かいました。

ムカッラまで約620キロ、およそ12時間の行程です。

このバス旅、イエメンの人たちと語らいながらの(言葉はまるで通じてないけど)楽しい道中でした!

アデンからムカッラまでの車窓は、スケールの大きな光景が続きます。

ゴツゴツとした岩石地帯や巨大なテーブルマウンテン、不毛の大地に忽然と姿を現すイエメン建築群の姿などなど。

他の国ではなかなか見ることができない雄大な景色です。

けれども、12時間も延々と続くと飽きてくるのも事実。

そんなとき、ふいに、バスの通路の向こう側にいたイエメン人のおじさんが話し掛けてきました。

車内に外国人は私ひとり、先ほどからかなり気になっていたようです。

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イエメン人と一緒にカートを噛む

イエメン アデン〜ムカッラカートをくれたおじさん

 

おじさんは、何はともあれって感じで、「カート」を私にくれました。

「カート」とは何かというと、アカネ科の植物の葉っぱ(生)で、イエメン人はこの「カート」を噛むのが大好きです。

カートを口に含んで噛み続けると苦い汁が出てきます。その汁が軽い覚醒作用をもたらします。

噛んだカートは吐き出さないで、そのまま頬っぺたのところに溜めておきます。そして、さらに新しいカートを口に含んでいきます。

そのため、いつしか口の中はカートで一杯となり、イエメン男性はいつも頬っぺたがコブとり爺さんのように膨らんでいるといった状態になるのです。

イエメン人にとってカートはお酒や煙草のような存在。

イエメン建築には最上階に「マフラージ」と呼ばれるパーティールームが必ずあるのですが、この「マフラージ」は、皆で一緒にカートを噛むための場所。

昼過ぎになると、イエメン人の男性たちは仲間内みんなで「マフラージ」に集まり、「カート・パーティー」を開くのだそう。

カートを噛み、水煙草を吸い、チャイを飲みながらみんなでお喋り。

イエメン男性が集まったらカートはつきもの。カートは社交の場に欠かせないものなのです。

th_Catha_edulisカート

 

おじさんにカートを渡された私は、それを口に含んで噛み始めました。

味は苦くてあまり美味しくはありません。それでも噛み続けます。

すると、おじさんがニッコリ、大喜び!

さらにたくさんのカートを私にくれました!

おじさんは引っ切り無しにカートをくれるので、私の頬っぺたはいつしかパンパンに膨れていきます。

けれども、おじさんたちとカートを噛み続け、日本がどうの、イエメンがこうのと片言で話していると、そのうちカートが美味しい物であるかのように思えてくるから不思議です。

ムカッラまでの12時間、おじさんたちとカートを噛み続けて、なんだかイエメン人との距離が近づいたような気がしました。

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ムカッラで1泊した後、サユーンへ

イエメン アデン〜ムカッラバスの窓から見えた村

イエメン アデン〜ムカッラ村へと帰る人たち

 

バスの窓には、ところどころに村が現れます。写真は途中バスが停車した村です。

日干し煉瓦で造られたイエメン建築ですが、同じイエメン建築でもサナアのものとはずいぶんと違っていて、外観がすっきりとしています。窓も小さいです。砂漠の真っ只中だと窓を小さくした方が涼しいのかもしれません。

イエメン アデン〜ムカッラ「ムカッラ」へと向かったバス

 

写真はムカッラへと向かったバスです。ボロバスだけど、スピードはかなり出していました。

「ムカッラ」で一泊した後、翌日すぐに目的地である「サユーン」へと向かいました。

サユーンまでは乗合タクシーで行きました。半日くらいの行程です。

タクシーには英語の話せる教養のありそうなイスラム教徒が乗っていました。

彼は、「イスラムはいいぞ~。お前も改宗したらいい」と熱心に誘ってきました。

「サユーン」は、イエメン東部にある巨大な枯れ谷「ワディー・ハドラマウト」の中にある町です。

かなりの最果てに来たような感じがしました。

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辺境のハドラマウト地方にある「サユーン」の乾いた町の様子です

イエメン サユーンサユーンのモスク

 

アラビア半島最大のワディ(涸れ谷)、「ワディ・ハドラマウト」にある町「サユーン」

かなりの辺境に来たという感じです。

「ワディ・ハドラマウト」は幅約2キロ、長さ約60キロ、谷の深さが約300メートルにも及ぶ巨大な谷。

「サユーン」は、このハドラマウト地方の中心都市で標高は約800メートル、町には飛行場もあります。

町からはグランドキャニオンのような巨大な絶壁が谷の両側にずーっと続いているのが見えます。雨はほとんど降らず、盆地のため夏の暑さはもの凄いそうです。

けれども、ちょうどこの時期は冬だったため、気候は穏やかでした。

写真は、サユーンの中心部にあったモスクです。かなり立派なモスク。このモスクの前がサユーンの中心街。町は結構閑散としていました。

イエメン サユーンカシーリー朝のスルタン宮殿

 

これはサユーンで一番有名な建物、カシーリー朝のスルタン宮殿です。この宮殿は1930年に建てられて1960年代までスルタンが住んでいたそうです。

16の建物で構成され、内部には90もの部屋があるのだとのこと。

カシーリー朝は15世紀末にこの地方を支配した王朝だそうです。

イエメン サユーンサユーンの聖職者のお墓とミナレット

 

水色のドームは、サユーンのこの地域の偉い聖職者のお墓だそうです。向こうに見えるのはミナレット。サナアのものとは随分と形が違います。

 

このハドラマウトという地域は、アジアとの繋がりがある場所です。

もともとここ、ハドラマウトの人々は偏西風を利用したインド洋交易によってアジアと交流していたそうで、インドや東南アジアの人や風物がこの地にかなり流入していたそうです。

東南アジアから南インドを通って、イエメン南部のハドラマウト、そして、アフリカ東岸のザンジバルなどへ、偏西風を使った船の旅。

なんだか、ロマンですね!

イエメン サユーン「タリム」のミナレット

 

これは、サユーンへと向かう乗り合いタクシーに一緒に乗ったイエメン人からもらった写真です。

彼は、教養のありそうな人だったのですが、熱心にイスラム教を勧めてきたのが困りものでした。

写真に写っているのはサユーンからさらに東へと進んだ町「タリム」にあるモスクのミナレットです。

「タリム」は、この地方の学問の中心地として有名な町。

残念ながらこの時は時間がなかったため訪問しませんでした。

 

旅行時期:1998年2月

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