2015年12月12日(土)から18日(金)までの7日間。
東京渋谷のユーロスペースにて、日本初の”イスラーム”をテーマにした映画祭「イスラーム映画祭2015」が開催されました。
日本初!”イスラーム”をテーマにした映画祭「イスラーム映画祭2015」
信者数が16億人を越える世界三大宗教の一つでありながら、いまだ日本人にはなじみの薄い“イスラーム”。
アッラー(神)、クルアーン(経典)、モスク(礼拝所)、または、女性が身にまとうヴェール…。
そんな断片的な情報しか知りえない私たちが本当のイスラームを知るために、国内で初めて、“イスラーム”をテーマに映画祭を開催いたします。
9本の映画が教えてくれるとおり、イスラームはアラブのみならず、今や世界中に広がっています。
映画を通じて、旅をするようにイスラームの世界へ―。
イスラーム映画祭2015 公式ホームページ
期間中に上映された作品は9作品。舞台となった国は、マリ、サウジアラビア、トルコ、パレスチナ、イラン、パキスタン、インドネシア、マレーシアと8カ国にも及びます。
上映作品一覧
- 「禁じられた歌声」(2014年/フランス・モーリタニア)
- 「トンブクトゥのウッドストック」(2013年/ドイツ)
- 「神に誓って」(2007年/パキスタン)
- 「ガザを飛ぶブタ」(2010年/フランス・ベルギー)
- 「長い旅」(2004年/モロッコ・フランス)
- 「ムアラフ 改心」(2007年/マレーシア)
- 「二つのロザリオ」(2009年/トルコ)
- 「法の書」(2009年/イラン)
- 「カリファーの決断」(2011年/インドネシア)
いずれも日本初公開。どれも観てみたい作品ばかりでしたが、今回はこのうちの一本、映画祭のメインの作品でもある「禁じられた歌声」を鑑賞しました。
イスラム過激派に支配された人々を描いた、今、一番注目すべき映画「禁じられた歌声」
「禁じられた歌声」チラシ
「禁じられた歌声」チラシ
西アフリカ、マリ共和国のティンブクトゥ。この世界遺産にも登録された美しい古都からほど近いニジェール川のほとりの砂丘地帯で、少女トヤは、父キダン、母のサティマ、牛飼いの孤児イサンとつつましくも幸せな生活を送っていた。
しかし街はいつしかイスラム過激派のジハーディスト(聖戦戦士)に占拠され様相を変えてしまう。兵士たちが作り上げた法によって、歌や笑い声、そしてサッカーでさえも違法となり、住民たちは恐怖に支配されていく。影のように潜みながら生きていく者がいる一方で、尊厳をもってささやかな抵抗を試みるものもいた。が、悲劇と不条理な懲罰が繰り返されていく中、トヤの家族にも暗い影がすこしずつ忍び寄り、ほんの些細な出来事が悲劇を生もうとしていた…。
現在世界中の人々を震撼させているイスラム過激派。
この映画はその支配地域に暮らす人々の姿を描いた作品です。
映画は、マリの伝統的な木彫りの人形が自動小銃によって破壊されていくシーンから始まります。
物語の舞台であるマリ北部の町「トンブクトゥ」は、12世紀から16世紀にかけて交易の拠点として栄えた町。
この地域には、音楽や舞踊、木彫りや織物をはじめとした手工芸など、豊かな伝統文化が育まれてきました。
人々は長い歴史の中、音楽を楽しみ、伝統工芸に親しみ、原色の衣装で着飾ったり、サッカーなどの娯楽に興じたりして、穏やかで平和な日常を送ってきました。
しかし、この地を支配下に置いたイスラム過激派たちは、それらの伝統文化を「シャリア(イスラム法)」に反するという理由で次々に破壊し、規制していきます。
冒頭のこのシーンは、そんな過激派支配の実態を表す、映画を象徴するようなシーンです。
過激派の不条理な支配に耐えながらも尊厳を保ち続ける人々
映画は、少女トヤとその父キダン、母サティマという、砂漠に住む遊牧民の家族を中心に描かれています。
穏やかな生活を過ごしていたキダンですが、偶然の事故から殺人を犯してしまいます。
その事件によって引き起こされる家族の不幸がストーリーを進める柱となっています。
けれども、この映画のメインは、家族の運命の背景に横たわる、過激派支配下の町とそこに暮らす人々の生き様です。
過激派は、音楽、笑い声、たばこ、そして、サッカーや不要な外出などを次々に禁止し、女性は髪だけでなく手や足も隠すよう強制していきます。
魚を売っていた女性は、手袋をはめて魚を洗うよう強制され、「手袋をはめて魚なんて洗えない!」と途方に暮れます。
若い女性は、過激派の兵士に無理やり結婚させられてしまいます。
過激派のリーダーは、「町の父である我々が結婚を許可したのだ」と言うのです。
隠れて音楽を演奏し歌を歌っていた人々は過激派に見つかってしまい、むち打ちの刑を処されます。
事実婚をしていたカップルは、頭を残して地面に埋められ、石つぶてを頭にぶつけられて公開処刑されてしまいます。
そんな過激派による不条理がまかり通る中、人々はささやかな抵抗を試みるのです。
象徴的だったのは、エアサッカーのシーン。
サッカーを禁じられた青年たちは、グラウンドでボールなしでのサッカーを行います。
まるでそこにボールがあるかのような、迫真のボールなしサッカー。
偵察に来た過激派たちも手出しができず、バイクに乗って去っていきます。
気が触れているという理由で、髪を露わにし、派手な衣装を身に付けることが許されている女性「ザブー」は、過激派のトラックの前に仁王立ちになり、わめき散らします。
本当に気が触れているのはどちらなのかと考えさせられる、とても印象的なシーンです。
また、支配する側の過激派の人々の心情もこの映画は見事に映し出しています。
仲間の過激派にわからないように、禁止されているタバコをこっそりと吸うメンバーのひとり。
ビデオメッセージで理念を訴えるよう指示された元ラッパーのメンバーは、カメラの前で何をしゃべればいいのかわからず戸惑います。
過激派の個々のメンバーも人間なのです。
支配する側のメンバーたちも、歴史の渦の中で翻弄されているだけなのだということが映画を観ているとわかります。
上映の後に行われた、ンボテ★飯村氏によるトークセッション
トークセッションの様子
ンボテ★飯村氏の紹介
「禁じられた歌声」について
アブデラマン・シサコ監督へのインタビューを紹介
映画の上映の後、国際協力機構(JICA)アフリカ部所属という本業のかたわら、アフリカに関するプロモーション活動を展開されている「ンボテ★飯村」氏によるトークセッションが行われました。
トークは、西アフリカの地勢から歴史、そして、イスラム過激派の活動が活発化している現在の情勢へと展開していきます。
ンボテ★飯村氏によると、現在の西アフリカ地域の過激派の活発化は、リビアのカダフィ政権の崩壊に端を発しているのだとのこと。
独裁政権であったカダフィ政権は、欧米の支援のもとで打倒されましたが、その後起こったのは民主化ではなく、ただの混乱でした。
その混乱に乗じて過激派が入り込み、リビア軍の大量の武器が流出し、広大なサハラを通して西アフリカにまで過激派が勢力を広めたということだそうです。
政権の転覆だけ支援して、その後のケアを一切しない欧米のやり方に批難が集まっています。
そのツケとして欧米は、大量の難民の流入と国内テロの頻発という問題を抱えることになりました。
サブサハラ地域の現状の説明の後、ンボテ★飯村氏は「禁じられた歌声」の監督である「アブデラマン・シサコ」監督へのインタビューの内容について紹介しました。
インタビューの内容の中で特に印象に残った言葉を紹介します。
ンボテ★飯村氏:
監督の映画では、イスラム武装勢力も魂を持った人間として描かれており、報道で描かれる残虐な存在というものとは一線を画しているように感じられたが。
アブデラマン・シサコ監督:
そのとおりだ。人間性を描きたかった。ジハーディストも人間だ。暴力的な側面と人間としての優しさ(doux)を持ち合わせているはずだ。そこに解決があるとも思えてくる。
私はこの映画を、どこまでも絶望的に作ることもできた。しかしそれは映画人のすべきことではない。
トークセッション『映画から読み解く、イスラム過激派と西アフリカ・サヘル地域のいま』
「禁じられた歌声」は、2015年度フランス・セザール賞7部門を独占。アカデミー賞外国語映画賞にノミネートされたモーリタニア映画。
オスカーに外国語映画賞部門が設立されて以来、アフリカ大陸からノミネートされた映画は8本しかなく、モーリタニアからは初の快挙だそうです。
機会があれば、鑑賞することをおススメします。
キャスト
キダン :イブラヒム・アメド・アカ・ピノ
サティマ :トゥルゥ・キキ
ファトゥ :ファトゥマタ・ジャワラ
ジハーディスト :イチェム・ヤクビ
アブデルグリム :アベル・ジャフリ
ザブー :ケトゥリ・ノエル
スタッフ
監督 :アブデラマン・シサコ
脚本 :アブデラマン・シサコ ケッセン・タール
撮影 :ソフィアーヌ・エル・ファニ
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